ONIGAWARA大解剖! これを読んで聴けばチョコレイトをあげたくなる!?——配信限定SG独占ハイレゾ配信

9月に初のフル・アルバム『エビバディOK?』をリリースして3ヶ月。早くもONIGAWARAから新曲が届いた。その名も「チョコレイトをちょうだい」——きたるバレンタインデーに向けた楽曲ながら、クリスマス前のこのタイミングでのリリース。並々ならぬONIGAWARAのチョコレイト欲しい魂が伝わる楽曲だ。そのサウンドはといえば、竹内いわく「とにかく90sのビーイング感があってかなりイケてると思っていて」、斉藤いわく「音も曲もダサいですし(笑)」と、アルバム曲とはまた違う彼らが見れるだろう。カップリングには、モデルとしても活躍するMC MAMIKOと、講談社ミスiD2014のMC RACHELから成るガールズ・ラップ・ユニット、chelmico(チェルミコ)をフィーチャーした、どチャラいアッパー・チューン。OTOTOYではこの2曲を独占ハイレゾでお届け! しかも手書きサイン&メッセージ入りのブロマイドが付属。バレンタインデー当日にはリリース・イベント〈チョコレイト・ショック2016〉も開催されるのでマストバイ!!
OTOTOY限定ハイレゾ音源&特典アリ!!
ONIGAWARA / チョコレイトをちょうだい
【Track List】
01. チョコレイトをちょうだい
02. YOU×3 feat.chelmico
【配信形態】
[左]24bit/48kHz(WAV / ALAC / FLAC) / AAC
[右]16bit/44.1kHz(WAV / ALAC / FLAC) / AAC / mp3
【配信価格】
単曲 232円(税込) / アルバム 500円(税込)
アルバムご購入で手書きサイン&メッセージ入りブロマイドが付属します!
INTERVIEW : ONIGAWARA
今年9月にデビュー・アルバム『エビバディOK?』をリリース。その後のツアーも全会場でソールドするなど、ONIGAWARAは着実により大きなステージへと歩み続けている。その独特な存在感がますます際立っていくなか「ところで彼らってどんな人たちなの?」と気になる人も少なくないはず。そこで今回はONIGAWARAにより深く迫るため、個別で話を訊くことに。
彼らが新たにリリースする配信限定シングル『チョコレイトをちょうだい』についてはもちろん、ここではなんと小学生時代からいままでを振り返ってもらった。いまの竹内サティフォと斉藤伸也はどのようにして出来上がったのか。またお互いのことをどう思っているのか。今回のインタヴューでONIGAWARAの魅力により気づいていただければ幸いだ。ちなみに2人は女子からチョコレイトを貰えそうな少年だったのかという点にも気を配りつつ、ぜひじっくりと読んでみてほしい。
インタヴュー & 文 : 飯田仁一郎
構成 : 鶯巣大介
写真 : 関口史彦
SIDE : 竹内サティフォ

——竹内さんは愛知県出身ですよね。
愛知の西三河っていうところの出身ですね。僕の住んでいる高浜市の名産が鬼瓦なんですよ。鬼の顔が描いてある瓦が伝統芸能として残っていて。よく「(芸人の)オードリーの春日さんが好きなんですか?」って訊かれますけど、ONIGAWARAは名前をそこから取ったっていう。高浜市が唯一頑張って推し出してるのが瓦で、駅を降りたら巨大な鬼瓦があります。1番最初にそこでアー写も撮りましたね。
——そこでどんな小学校時代を過ごしたんですか?
とりあえず超太ってました。でもわりと明るかったんで、特にいじめられたりもなく、わりかし友達も多くて。スポーツは全然できなかったですね。太ってるから足も遅いし。でも当時から目立ちたがりだったと思います。だからギターを始めたのも結構早くて小5くらいからやってます。お楽しみ会みたいなので披露したくて、率先して友達とバンドを組んで。女子にチヤホヤされたかったんですけど、太ってるし、勉強も全然ダメで。本当にモテなかったですね。それだけ書くとひどいですけど(笑)。
——いやいや、もちろん長所もありますよね(笑)。
当時から友達は多かったですね。人付き合いが上手いというか。やっぱり小学生のときはデブっていじめられるじゃないですか。そういうのは人付き合いでカバーして。ガキ大将とも仲もいいし、みたいな感じでした。
——なるほど。でも太っていたって意外ですね。いまは痩せてるのに。中学生はどんな感じだったんですか?
ずっと部活、バスケをやってましたね。スラムダンク全盛期だったんで。背もそのときに徐々に伸びてって、ちょっとずつ痩せて、それで若干スポーツは克服しました。やっぱ肉ってすげぇんだなと思って(笑)。小学校のときは腕立てとか腹筋とか、逆上がりもできなかったんですけど、どんどんできるようになって。でもモテなかったですね。
——そのときはなにか音楽体験はありました?
中学時代は部活がすべてを占めてくるじゃないですか。だからギターをほぼ触ってなかったです。でも音楽は聴いてました。ラルクとGLAYはずっと大好きで。さらにお兄ちゃんがAIR JAM世代を聴いていたので部屋から勝手に持ってきては聴いてました。ハイスタ、BACK DROP BOMB、BRAHMAN、SCAFULL KINGとか。
——バスケ部でギターもできて。ラルク、GLAYだけじゃなく、AIR JAMも抑えてるって、モテ要素しかないですよ。
字面で見るとモテの要素しかないですよね。いやーでもマジでモテなかったですね。中学校時代はただ悶々としてるだけみたいな。周りは交際を始めてくわけじゃないですか。みんな修学旅行とか行く前に付き合いだしたり。そういう甘酸っぱい話を聞いてて、いいなって思って。それで高校に入ったら絶対彼女を作りたいなって思ってたんですけど、すぐできました(笑)。
——おお(笑)! それで高校時代に竹内電気を結成すると。
高校に入ったらバンドをやるつもりで、もう部活は辞めようと思ってました。自分の遊ぶ時間もなくなりますし。で高1のときに組んだバンドが竹内電気ですね。すぐ彼女はできたんですど、それもすぐ終わって。だからバンドをやってたらモテるだろうって。
——あはは(笑)。その当時から斉藤さんがメンバーにいたんですよね。
初めて会ったときに友達4人くらいで集まって、バンド組もうぜって話をしてたんですね。そのとき斉藤とは初対面だったんですけど、「ドラムいねえな」って話になったとき、斉藤の「僕はドラムができるよ」っていうアピールがすごかったんですよ。それで入れたんですけど、叩けなかったんです(笑)。
斉藤ってすごいアイデアマンなんですよ
——斉藤さんの第一印象はどうでした?
お互い高校は違ったんですけど、実は知り合う前から通学路で毎朝すれ違ってたんですよ。そのとき斉藤は坊主で口にピアスしてて、首にピンクのタオルを毎日巻いてたんです。それで「なんだこいつ!?」って思いながら、毎日見ていて。それで高校生がみんな集まるような地元のお祭があるんですけど、俺の友達が斉藤とも友達だったみたいで、いきなり連れてきたんですよ。
——そんなエピソードがあったんですね(笑)。
そのとき俺は「毎朝見てるやべぇやつが来た!」と思って(笑)。でも喋ってみたら、案外普通じゃないですか。そこで仲良くなって、その日のうちに竹内電気を結成しました。だからよくよく考えたら、斉藤と出会った初日にバンドを結成してますね。
——あはは(笑)。高校を卒業するときはバンドでやっていくぞって気持ちだったんですか?
いや実は高校を卒業するときには、もう竹内電気をやめるもんだと思ってたんです。みんなやんないだろうなと思っていて。でもそのときに斉藤がオリジナルの曲を何曲か持ってきたんですね。「これやりたいんだよね」みたいな感じで。その曲を聴いたときに、普通に遊んでたやつが、こんな曲作れるんだって思って。当時の環境なんで、すごいショボいデモなんですけど、音を重ねて作ってることがすげぇなと。それから斉藤が作った曲をみんなで合わせるようになって、徐々にオリジナルが増えて、って感じですかね。

——そこから竹内電気がガンガン進んでいくと。でも斉藤さんが2011年にバンドを脱退したときは、竹内さんにとっても衝撃だったんじゃないですか?
やっぱりでかかったですね。いて当たり前の存在だし、頼りきってた部分も結構あったんです。いまにも通じることなんですけど、制作の面で2人で話をしてサウンドを決めることが多かったんで。やっぱり斉藤が抜けたあとの制作が大変だった記憶がありますね。でも逆にその時期があったおかげで、いまの自分の作曲スタイルを確立できたというか。斉藤ってすごいアイデアマンなんですよ。竹内電気のときは、例えば俺がなにかコード弾いたら「だったらこんなんどう?」ってポンとアイデアを出してきて。それがなくなったので、アレンジまで全部自分でやってましたね。いまはまたアレンジを斉藤に丸投げしてるんですけど(笑)。
——ONIGAWARAを結成する以前から、2人の関係はすごくクリエイティヴなものだったんですね。
そうですね。斉藤とは2人で飲んだりとか、出かけたりとか、そういう友達と遊ぶようなことはしたことはないんです。高校時代から、斉藤と会うときってなにかを作ってるんですよね。多分初めて2人で遊んだ時もギターを持って、カセットテープで音を重ねて遊んだりとか。脱退したあとも、俺は曲ができたら斉藤にも送ってました。愛知に帰ったときに「こんな曲作った」って聴かせたり。自然にずっと繋がってました。そのとき俺は、斉藤がクリエイティヴなものをまったく残してないことが、すごくもったいないなって思っていたんですね。だから絶対一緒にやったら良くなることは想像できてました。だから、いまもまだまだいけるなって意識はありますね。
——ちなみにONIGAWARAはどこを目標にしてるんですか?
どこのライヴ会場って言うよりかは、Mステとか紅白とか出たいなって。国民的な人気を得たいですね。そうなることで初めてJPOPだなというか、完成するような気はします。曲が持ってるパワー、ポテンシャルはすごくあると思うので、もっとこの曲を広めることを考えていきたいですね。
サウンドがとにかく90sのビーイング感があってかなりイケてると思っていて
——では今回のシングルに話を移します。この「チョコレイトをちょうだい」をライヴで初めて聴いたときにすごい良い曲だなと思ったんですよ。
これは実は1年前くらいからネタはずっとありました。アレンジが全然固まってなくて、ずっと温めていたというか。歌詞は完全に想像の世界なんですけど、モテない男子目線で全然チョコもらえないけど、でも誰かくれるんじゃないかって期待するストーリーを書こうと思って。で、俺はこの物語に絶対オチを付けたくて。呼びだされたけど、結局違う人にあげるんかいってオチを(笑)。
——まさかの帰宅部の斉藤くんにね(笑)。
歌詞もよく書けたんですけど、サウンドがとにかく90sのビーイング感があってかなりイケてると思っていて。裏でピアノの音が入ってるんですけど、ああいうのもB’zの「ZERO」って曲のイントロを斉藤に聴かせて、この時代感のピアノがほしいとか、WANDSの「時の扉」のギターの感じを出したいって頼みました。あとはいままでツイン・ヴォーカルというか、2人で歌ってる曲がなかったなと思って。KinKi Kidsをカラオケで歌ったときに、スペードとクローバーのマークに分かれて歌詞が出てくるじゃないですか。あのニュアンスを出したくて今回は2人で歌ってます。

——「YOU×3」はどのようにして制作しました?
これはマジで絞りだしました(笑)。chelmicoとフューチャリングすることは先に決めてたんですよ。とにかくちょっと馬鹿でアッパーでなんの意味もない曲を作りたいなと思っていたんです。でもチャラい曲って考えちゃうと本当にダメで。最後の最後、締め切りまであと数日しかないってときに無心でポンって出して、これだ! と思って捕まえました。俺はこの曲がめちゃくちゃ好きですね。俺は特にメッセージ性とかを必要としてないので、いい歌詞が書けたなと。
——サウンドの面で言うと、いまの音は自然に出てきたものなのか、ちょっと狙ったものなんですか?
どっちもあると思うんですけどね。僕は詩とコードとメロディまでしか作らなくて、そこからは先のアレンジは斉藤に丸投げしてるんです。「岡村ちゃんみたいな感じで」とか漠然としたイメージだけを伝えて。だから斉藤がすごい狙ってるんだろうなとも思うし、でも自然と出てきてる部分のほうが多いのかな。斉藤はいまも結構いろんな音楽を聴いているので、いまの音楽と昔の懐かしい音楽がいい感じでミックスしているんじゃないですか。前はaccessっぽい曲はめちゃくちゃaccessだったと思うんですけど、最近はオリジナリティがサウンドに出てきてるから、すごくいいなと思いますね。
——では最後に竹内さんから見て、斉藤さんはどんな男だと思うか教えて下さい!
どんな男なんですかね。実際、俺もよく分かってないです。いまだに謎が多いなと思ってます。どれが本当の斉藤なのか、俺にも謎だし、お客さんにも謎で、いろんな面がありますね。ライヴ中とか、俺もなにやるか分かってないですから、お客さんはもっと分かんないでしょうね(笑)。俺は15歳くらいからの知り合いだから、一緒にいれますけど、多分いまいきなりポンって来たら、俺は本当に拒絶すると思います(笑)。音楽やってなかったら、全然仲良くなってないかもしれないですね(笑)。
——謎が多い男だと(笑)。わかりました。ありがとうございました!
SIDE : 斉藤伸也

——では斉藤さんのこれまでを小学生時代から振り返ってもらいたいなと思います。
小学生のときは勉強がすごくできましたね。それと運動と片付けが苦手で、絵を描くのが好きな子供でした。あとアイススケートが得意でしたね。生まれが北海道なので。運動神経は悪かったんですけど、スケートだけできたんです。冬になるとグラウンドが使えないから、そこにスケートリンクを作って大会をしたりとか。結構1位を取ったりしてたんですよ。スピードスケートとホッケーやってるやつには敵わないんですけど、一般人のなかではかなり早い部類でした。
——友人は多かったんですか?
まぁ人並みにいましたけどね。団地育ちなんで、そういうコミュニティーもありつつ。結構活発で自転車に乗って遠くの街に行ったりとか。外で虫を捕ったりもしましたし、夏は家族でキャンプ行ったりもしました。かたや家ではゲームをやったり、図鑑を読んだりしてる子供でしたね。
——勉強ができて、スケートができて。なんとなく小学校だと人気者になりそうなイメージですけど…。
全然人気はなかったですね。昔から眼鏡掛けてたり、絵が好きだったりしたので、そういう「物知りな子」キャラというか。みんなでリコーダーの練習してるときに、ひとりだけ違う曲を吹いてるようなやつでした。昔のことをそんなに覚えてないんですけど、学校にいる変わり者枠みたいな。
——絵が好きだったんですね。
話が前後するんですけど、僕はギターとかでもコピーするのが苦手で。模写もすごい苦手だったんですよ。だから自分で好きにキャラクターやストーリーを考えて描いてましたね。漫画も描いてはみたんですけど、性格上すぐ終わってましたね。長続きしないんですよ。
——飽きっぽい性格だと。小学生のときは音楽を聴いていたんでしょうか。
親が音楽好きだったから聴いてたくらいですけど。ソウル・ミュージックですね。お母さんが久保田(利伸)を好きだったんで。それでスタイリスティックス、プラターズ、ダイアナ・ロスとか、そういうのがかかってるような家でした。それで僕も小学校5、6年生くらいのときにm.c.A・Tをすごく聴いてました。当時流れていたファンタのCM曲を聴いておもしろいなと思って。小学生なりにディグったり、ファンクラブに入ったり。
——結構マニアックな家ですね。では中学時代はどんな少年でした?
愛知県の碧南市っていうところに引っ越します。そこからもう転落の一途を辿ってますね。中学校で全部終わったと思ってます。勉強が全然できなくなって、それがすごいショックだったんですよ。しかもなんでか知らないですけど、同級生からめちゃくちゃ嫌われてたんです。いじめられてはないんですけど、すんげぇ嫌われてましたね。もう小学生のときまでは、わりかし順風満帆だったんで、ショックすぎてあんまり覚えてないです。
——転落の一途って(笑)。部活に入ったりとかは?
中学1年生のときに吹奏楽部に入って大太鼓をやってたんです。でもいきなりパートをチューバに変えさせられて。ちんぷんかんで、なにをやっていいのかわかんなくて辞めました。そこからパソコン部みたいなところに入ったんですけど、1回も出席しないで卒業しちゃいました。中学はクソほど楽しくなかったですね。
中1のときにお年玉でギターを買ったんです。コピーするのが好きじゃなかったから、なんのために買ったんだろうっていまだに思いますね
——散々じゃないですか。その分音楽のほうはどうでした?
中1のときにお年玉でギターを買ったんです。流行には乗りたかったんで、周りのみんながやってるからって。でもさっき言った通り、コピーするのが好きじゃなかったから、なんのために買ったんだろうっていまだに思いますね。だからコードを覚えて弾いてました。でもテレコに録って、原始的な宅録みたいなのはしてたのかな。当時そんなに仲良くはなかったんですけど、宅録をやってるやつらがいて、そいつらと。
——そのころバンドはやっていたんですか?
ラルクの「DIVE TO BLUE」を文化祭でやりました。あと童謡をカヴァーするっていう謎のバンドをやっていて。「きよしこの夜」を演奏したんですけど、あれって3拍子じゃないですか。当時は拍子っていう概念が分かってないから、もうロック・バンドでやるなら4拍子だって言ってすげぇ適当にやってましたね。なんか全然合わなくて酷かったですよ。あれはすごい覚えてるな(笑)。そのときはエレキ・ギター担当だったんですけど、やっぱりコピーが好きじゃなかったから、ギター・ソロを全部アドリブで弾いたりとか。
——あはは(笑)。バンドをやったり、宅録をしたり、音楽的な面ではいろいろとあったんですね。それで高校時代に竹内電気のメンバーに出会うと。
そうですね。高1の秋にはバンドが始まってます。僕が進学した高校に竹内電気の山下(山下桂史)がいて。そいつの知り合いがメンバーです。それでコピー・バンドをやろうよって話になりました。中学校のときの文化祭に向けてって感じのバンドじゃなくて、ライヴハウスでやるようなバンドを。オリジナル曲をやりだしたのは高校を出てからですね。

——オリジナル曲をやりだしたのは、斉藤さんが曲を作って持っていったことがきっかけだったんですよね。
高3のときに友達にTASCAMの4トラのMTR(マルチトラック・レコーダー)を借りて、趣味で宅録を始めたんですよ。そしたら特にすることがなかったからハマって。それをメンバーに聴かせたら「すげぇな」って言われたんです。悪い気しないじゃないですか。当時はBEAT CRUSADERSが好きだったんで、曲は短きゃ短いほどいいと思って、全部1分の曲とかだったんですけど。
——なるほど。ちなみに卒業後の進路は?
飲むヨーグルトを作る会社にいたんですよ。ジュースが好きだから、ジュースを作るところで働こうと思って。脱脂粉乳の粉を溶かしたり、シロップを作ったり。でも結局1年で辞めて、アルバイトをしてました。
——そんな理由で(笑)。そのころは音楽でやっていくぞって気持ちがあったんですか?
はい、思ってました。自分でなんかやろうかなぁとも思ったんですけど、バンドももうあるし、発展させていけばいいかなって。それでありがたいことに2006年とか、2007年くらいにビクターの新人開発部署の人に拾ってもらって。それが21歳くらいのときですね。わりと順風満帆でした。
——そんななかバンドを2011年に脱退しますよね。これはやっぱり勇気のいる決断だったと思いますが。
そうですね。高校時代からのすべてを費やしてやってきて、ずっと当たり前のようにあるものだったんで。でもバンドも順風満帆とはいえ、ライヴの動員も停滞していて。続けていくにつれ、曲をどうこうしなきゃいけないとか、いろいろあるじゃないですか。それがめんどくせぇなぁと思って。メンバーとも話し合ったりして、もう無理だなと思って辞めました。
——そのころは悶々とした気持ちもあったんじゃないですか?
悶々としてたんでしょうね。北海道に帰ろうと思ってたんですよ。バンドを辞めたあとコンビニでバイトしてたんですけど、一人暮らしでお金なんて貯まるわけないじゃないですか。それで知り合いのつてで、就職したんですよね。その間も宅録じみたことはしてたんですけど、飽きっぽいんで続かなかったり。あと受け身なんで、自分からなにかやろうと思わなくて。なんかできたらいいなぁくらいの感じで終わってました。
「エビバディOK?」は普通にいい曲だったんで、次に出すのがこんなバカな曲なのかっていう
——そんな状況から2013年にONIGAWARAが正式に始動します。ここまですごく順調に来ていますよね。
やっぱり2010年くらいから、いろんな音楽やライヴのスタイルが出てきたと思っていて。それこそアイドルも、ゴールデンボンバーだってそうじゃないですか。おもしろければありだって、お客さんも観るようになったというか。そういうところに上手くハマることができかけてるんじゃないですかね。いまのスタイルは10年前だったら確実にできてないことなんで。どんどん垣根がなくなっていて、なにやってもありなんだなって思います。
——なるほど。斉藤さんは竹内さんについてはどう思っているんでしょうか。
どんどんいい曲を書いてる優れたソングライターだなと思います。大体バンドとかソングライターって1stアルバムにいい曲が集まってたりするじゃないですか。そうじゃなくてどんどん良くなっていて、そこが凄いなと思いますね。キャラクターができてきた、人間性ができてきたというか。元々自分が辞めたあとの竹内電気ってあいつがほとんど曲作ってたんですけど、それを聴いたときに「あ、すげぇいいな」って思ったんですよ。で、そこからさらに新しい手札が増えたというか。自分が表現したいテーマを持ってる人だし。そういう意味ではものすごく尊敬してますね。

——そこに対して斉藤さんはどういうポジションにいたいですか?
だから俺は刺し身のツマみたいなものでいいと思ってます。カレーの福神漬とか、そういうので。だから影でいいかな。主張はするけど、あいつの魅力が伝わればいいなと思ってやってますね。
——あはは(笑)。斉藤さんって昔から自分が前に出るより一歩引くところがあるんでしょうか。
そうですね。多分中学生のとき出すぎて失敗したんで。そこからちょっと様子見よう、自分から行くのは止めようみたいなところはあるかもしれないですね。でも普通の人がやりたがるポジションではないかもしれないですね。でもほかになにができるかっていったら俺なんもできないんで。
——あぁ、そこの経験と繋がっているんですね。では最後に今回のシングルについて話を訊かせてください。「チョコレイトをちょうだい」はどんな曲になりました?
30歳のおっさんがチョコをせびってるのがおもしろいじゃないですか(笑)。なんていうのかな、いままでおもしろいことをやろうと思って、おもしろいことをやったことなかったから、そこがいいですね。あと音も曲もダサいですし(笑)。いやぁ音はよくできたと思います。「エビバディOK?」は普通にいい曲だったんで、次に出すのがこんなバカな曲なのかっていう。自分でもその落差がいいなって思ってますね。
——カップリングの「YOU×3」ですけど、フューチャリングしているchelmicoさんっていうのは?
ミスiDに出ていたレイチェルと、まみこちゃんっていう子がいて、ラップがすごい好きなんですよ。その僕らの振付師(竹中夏海)の友達ということで知り合ったんですけど、彼女たちの曲がかっこいいんですよね。だからなんか一緒にできたらなぁと思っていて。それでchelmicoをフューチャリングして曲作ろうぜって言って、竹内がノリノリで書いた曲ですね。これはchelmicoがいないと成り立たない曲なんで、2月14日のライヴは一緒にやろうと思っています。
——わかりました。今日は小学生からのことを話していただいてありがとうございました!
こんなこと初めて話しましたよ(笑)。
過去作をCHECK!
ONIGAWARA / エビバディOK?
ONIGAWARA初のフル・アルバム! リード曲「エビバディOK?」では、かねてからのファンであったNegiccoのプロデューサー、connieとの夢のコラボが実現。ドラムに久野洋平(cinema staff)、ベースに福井健太(People In The Box)を迎え、人気曲をバンド・アレンジで再録音も。自主制作盤に収録されていた代表曲「ポップミュージックは僕のもの」、アンセム曲「Eじゃん」も再収録され、デビュー盤にしてベスト盤的な濃厚さ!
OTOTOY限定配信シングル。ディスコ・ポップ・チューンの「Let's Dance」、切なくメロディアスな旋律に心を打つ「U.F.O」、Negiccoへの楽曲提供を行い、またかねてから親交のあったOrlandによるリミックス曲「CHRISTMAS~Orlandの場合~」を収録!
LIVE INFORMATION
配信限定シングル『チョコレイトをちょうだい』リリース記念イベント
「チョコレイト・ショック2016」
2016年2月14日(日)@渋谷TAKE OFF 7
出演 : ONIGAWARA / chelmico / and more
チケット : 前売 2,800円(チョコレート付き) / 当日 3,300円
(チケットはONIGAWARAが出演するライヴ会場のみで販売)
ONIGAWARA in AKABANE -斉藤伸也生誕祭-
2015年12月28日(月) @赤羽Enab
ぐるぐる回らない2016
2016年1月4日(月)@新宿LOFT
BAYCAMP 201602
2016年2月6日(土)@川崎CLUB CITTA’+A’TTIC
RAD CREATION presents でらロックフェスティバル2016 powered by @FM
2016年2月6(土)、7日(日) @名古屋栄・新栄のライヴハウス10会場以上
@JAM MEETS Vol.1
2016年2月28日(日)@TSUTAYA O-Crest
出演 : 寺嶋由芙 / ONIGAWARA / DJダイノジ
PROFILE
ONIGAWARA
ex.竹内電気の竹内サティフォと斉藤伸也による、スーパーJ-POPユニット、ONIGAWARA。 2013年より本格始動し、これまで2枚の自主制作CDをライブ会場・通販限定で販売。セカンド作品集『ポップミュージックは僕のもの』は、今年1月よりタワーレコードとヴィレッジヴァンガードの一部店舗でも販売され、好調なセールスを記録。また、4月1日にはOTOTOY配信限定EP『Let's Dance!!』をリリースし、ウィークリー・チャート1位に !全編iPhone撮影の表題曲PVは「ダサい! 最高!」「ダサかっこいい!」「ダサいけどかわいい!」など物議を醸しながら拡散され続けている。 「アイドルじゃないし、バンドでもない」完全独自のポップ街道邁進中のONIGAWARAの神髄は、そこにいる全員が笑顔になるライヴ・パフォーマンスにあり。今年は〈SANUKI ROCK COLOSSEUM〉、〈IMAIKE GO NOW〉、〈いつまでも世界は...〉、〈SAKAE SP-RING〉、〈見放題〉、〈やついフェス〉、〈TOKYO BOOTLEG〉等の大型ライヴ・サーキットにも多数出場し、各地入場規制またはそれに近い状態に。笑撃のステージで全国に続々と"ガワラー"を増やし続けている。