CROSS REVIEW 2 『FNCY BY FNCY』
『ニュー・ノーマルな世界で、その言葉はなにを代弁するのか?』
文 : 渡辺志保
ドアを開けた瞬間の熱気が恋しい。バー・カウンターで交わす何気ない会話が恋しい。フロアに響く重低音と薄暗い照明が恋しい。翌日、疲労感とともに襲われる二日酔いすら恋しい……。この一年と数ヶ月、“ニュー・ノーマル”な生活に適応しようとクサクサした気持ちで過ごしてきた私。いいかげん、この恋しさや歯痒さをどうすればいいの、と思っていた頃に発表されたのが『FNCY BY FNCY』だった。先ほど書いた最初の一文は、まさにアルバムの一曲目“FU-TSU-U(NEW NORMAL)”で歌われているG.RINAの歌詞そのままだ。コロナ・ウイルスの蔓延による生活の変化をどのように創作物に落とし込むかは、それぞれのアーティストの勝手だ。“FU-TSU-U”においてZEN-LA-ROCKは〈パンデミックの次のステージ(中略)誰より楽しむ順番だな〉とラップし、鎮座DOPENESSはコーラスで〈広がるその先に何が待ち受けてるのか?ドキドキワクワク ハラハラさせるよワンダーランド〉と前向きな気持ちを歌う。一方、ブリッジ部分では〈戸惑いのミチ 問われている価値〉と歌う箇所もあり、不安定な現状に対する描写も交えながら、これまでの形とは少し違うであろう未来に思いを馳せている。“CONTACT”では身体的で濃密な接触をテーマにしており、“密”な状態を回避せねばならなくなった現代におけるアンチテーゼとして受け取ることができる。しかし、これは一つ一つFNCYのメンバーに「これってコロナのことですよね?」と確認したわけでもなく、あくまで私が勝手に解釈したもの。しかし、どこか空虚さを感じるニューノーマルな生活を送るなかで、彼らの言葉は自分の気持ちを代弁してくれているかのようにしっくりと馴染んだ。加えて、宇宙を舞台にした“COSMO”は閉塞感を打破するにはぴったりの一曲であるし、プリミティヴな表現と今ある価値観に疑問を投げかけるリリックが交差する“REP ME”はダンスフロアへの恋しい気持ちにさらに火を着けるとともに、“自分をレプリゼントする”というヒップホップの根源的なメッセージが歌われ、なんだかとっても切ない気持ちになってしまった(鎮座DOPENESSが、シュガーヒル・ギャング“Rapper’s Delight”の〈What you hear is not a test〉というフレーズを忍ばせている箇所もたまらない)。
切ないといえば、「あなたになりたい」ではヒップホップに惹かれた当時の眩い思い出や初期衝動が歌われ、フックでは〈憧れてます 全部真似したい〉と歌う。ヒップホップへの情熱が表現された一曲であり、ラッパーらの名前や楽曲のタイトルなどリリック内に表れる固有名詞の数々が私を切なくさせた。いうまでもなく、FNCYはそれぞれが20年ほどのキャリアを誇るプロフェッショナル集団だ。それでもなお、素直に「憧れてます」と歌うところに大きな意味があるのでは、と思う。
サウンド面においても、メンバー3名の経験と嗜好性が滋味のように溢れ出し、ニュージャックスウィングやヒップハウス、Gファンクといった様々な要素が、FNCY色として鮮やかに表出している。冒険的で実験的でもありつつ、リラックス感はあれど乱雑な感じを全く感じさせないのは、これまで確かなキャリアを重ね、すでに実力のほどや相性の良さを見せつけた上で組まれたユニット、FNCYだからこそだろう。前作よりもラップパートが増えたG.RINA、そして歌唱パートが増えた鎮座DOPENESSがそれぞれいいフレイヴァーを加えている。
アルバムの最後の楽曲“New Days”は、〈もがいていたことも いつか忘れてしまうだろう〉という言葉で締め括られ、ノスタルジックな気持ちが押し寄せたまま『FNCY BY FNCY』は幕を閉じる。自由で豊かで、どこか切ないFNCYの世界観。それは聴く者それぞれの原風景を引き出しがならも、宇宙的な高みを見せてくれる不思議な世界観だ。
渡辺志保
音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳などに携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタヴュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門」(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」、bayfm「MUSIC GARAGE:ROOM101」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。
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