プロデューサーは我慢と尻拭いの仕事

見汐:長谷川さんは、韓国のロック・バンド、サヌリムの再結成(2005年)のときにサポート・メンバーで参加されていますよね。話が来たときは驚きましたか?
長谷川:よく、思いもよらなかったことが起きたときに「夢にまで見た」という言い方をする人がいますよね。それよりももっととんでもない話で、現実が突然すぎて夢をみるまでの時間もないんですよ。サヌリムの話も急に電話がかかってきました。当時は日本人の僕が加入することをとやかく言う人もいたらしいけど、キム・チャンワン先生も僕も気にしていなかったですね。
見汐:また、チャン・ギハと顔たちのセルフ・タイトル・アルバム『チャン・ギハと顔たち』(2011年)ではプロデュースもされて、2012年の韓国大衆音楽賞で4つも受賞していますよね。チャン・ギハと顔たちにはどういった経緯で携わることになったんですか?
長谷川:初めてチャン・ギハと顔たちを聴いたときに、ロキシー・ミュージックやスパークスっぽいなと思ったんですよ。ファッショナブルで奇抜さもあって。僕は当然確信犯でやってると思って本人に聞いたら、ロキシー・ミュージックを知らなかったんです。辿ろうとすると、サヌリムの遺伝子なんですよね。そういう無意識な部分で音楽が生まれるのはおもしろいと思いました。今まで自分が培った音楽に新たな解釈が生まれる感覚で、プロデューサーとして一緒にやってみたいと思ったんです。
見汐:長谷川さんが韓国で暮らし始めて10年以上経った頃ですよね。日本で活動していても他者と何かやるということはややこしいことが多いのに、文化や習慣が違うことでもっとややこしいこともあるんじゃないかと思ったりするんですが、人と仕事をする、物を作るという経験を経ていく中で「大人になった」と思う瞬間ってありましたか?
長谷川:最後まで我慢できるようになったときですかね。僕は、プロデューサーは尻拭いの仕事だと思ってるんですよ。まずはバンドの連中にガーっと好きなだけぶちまけてもらって、手持ちにあるものを広げて確認させる。そこから繰り返しやっているうちに何か足りない部品があると気づきはじめて、くるっと僕の方に振り向く瞬間がくるんですよ。そのときに、「じゃあこうやってみたらどう?」と助言をする。その瞬間まで待つんです。最初から口出ししてしまうと、彼らのいいところが出ないような気がするんですよね。ミスしたところが、「このズレがいい」となることもあるし。
見汐:プロデューサーの仕事を引き受けようと思った時期がちょっとでも前後していたらそう感じなかったと思いますか?
長谷川:それはすごく思いますね。我慢というのはネガティヴな意味ではなくて、心の余裕が生まれて時間の進み方が変わったということなんですよね。プロデューサーもそうですが、僕は自分のことをアーティストとかギタリストだと思ったことがなくて、肩書きを聞かれたときにいつも困るんです。「音楽家」は大看板すぎるし……。
見汐:ちなみに、だいぶん昔に目にした雑誌のインタヴューで長渕剛さんが肩書きは「人間」と仰っていたのを見た記憶があります。
長谷川:それはたしかに正しいですね。それ以上でも以下でもないので。肩書きに関しては「アーティスト」がいちばん違和感があります。僕の周りにはあまりにも天才が多いので、自分は凡人だと思って生きてるんですよ。勘違いしないで済んだのは本当によかったと思ってます。
見汐:共感しかありません。私も、「ただ好きなことを途切れることなく粛々と続けられている」くらいのマインドでやっています。

長谷川:あとは、恥のかき方を理解したということもあると思います。恥のかき方を知って、いよいよ人生を折り返していると感じました。お金にしても何にしても、ここから先は溜め込んだものを吐き出していくだけだと。いい楽器欲しいとかいいレコード欲しいとか物質的な興味もまだあるけど、これからはもっと自分の内面に投資する必要があると思って、最近は突然思い立って沖縄に行ったり、そういうことをしていますね。
見汐:最近やられているDJもそのうちのひとつだったりしますか?
長谷川:DJは、自分はできないことが多いと思っていろいろやりはじめた事のうちのひとつだったんですけど、これがめちゃくちゃ奥の深い世界でした。
見汐:いつぐらいから本格的にDJされているんですか?
長谷川:初めて2台のターンテーブルの前に立ったのが2013年か2014年ですね。その時はただ曲を繋げずに流しているだけだったけど、家にターンテーブルを2つとミキサーを用意して、独自に研究するようになりました。
見汐:長谷川さんはそうやっていろんな活動を通して、人生の手綱を手繰りよせているように感じます。
長谷川:僕は手綱を引いている意識すらなくて、音楽が自分にとってのコミュニケーション・ツールだったんだろうなと思うんですよ。言葉が喋れなかったから。