ピーター・バラカンとハイレゾで聴く『魂(ソウル)のゆくえ』──60~70年代のソウル、R&Bの名曲を語る

2019年10月16日(水)に行われた第5回OTOTOYハイレゾ試聴会。今回は、ピーター・バラカンが著した『魂(ソウル)のゆくえ』新装版の刊行を記念し、オーディオ・メーカー〈Olasonic〉協力のもとでの開催となりました。司会進行はOTOTOYのプロデューサー、オーディオ評論家でもある高橋健太郎が勤め、ゲストには『魂(ソウル)のゆくえ』の著者であるピーター・バラカンが登壇。こちらのページでは、60年代~70年代のソウル、R&Bの名曲たちについて語ったふたりの濃厚なトーク・パートをお届けします。また、高橋健太郎による試聴システムの紹介も掲載しています。こちらもぜひあわせてお楽しみください。
※本記事内でのピーター・バラカン氏の発言によるアーティスト名は、書籍『魂(ソウル)のゆくえ』と表記を統一しております。
写真 : 大橋祐希
イベント協賛 : 株式会社インターアクション
イベント協力 : アルテスパブリッシング
: 株式会社小柳出電気商会
: SONY
Bluetooth接続でもハイレゾを楽しめる
高橋健太郎(以下、高橋) : 本日はBluetoothの“LDAC”というコーディックを使い、無線で飛ばしてハイレゾを楽しみたいと思います。今回、ハイレゾ音源を入れて再生しているのは、本当に小さなこの〈SHANLING〉の『M0』。普通に携帯プレイヤーとしてヘッドフォンを接続して聴くこともできますが、Bluetoothでオーディオ機器に接続することもできます。

高橋 : Bluetoothというと、以前は情報量も限られていて、あまり音がよくなかったんですが、ここ数年で音質を改善した多くのコーデックが開発されました。“LDAC”の場合は24bit/96kHzまで再生が可能です。今日使用する『M0』はこの“LDAC”に対応しています。“aptX HD”などいくつか他のコーデックも試してみましたが、“LDAC”はとても音が良いですね。値段の差が10倍くらいするプレイヤーでも、“LDAC”を使った『M0』の方がBluetooth再生では勝るという印象を得たこともあります。そして、Bluetoothの受信側で再生に使用するのは〈Olasonic〉さんのBluetoothレシーバー『NA-BTR1』です。今日は『M0』から『NA-BTR1』に“LDAC”を使ってBluetooth接続し、そこからOTOTOYに常設している〈STUDER〉のA5というパワード・スピーカーへ繋げて音を出しています。

高橋 : あとはレシーバーとパワード・スピーカーの間にヴォリュームの調整のために電源のいらないパッシヴ型のヴォリューム・コントローラーを接続しています。電源ケーブルやスピーカーケーブルは〈オヤイデ電気〉さんからお借りしています。というわけで、今回はパワード・スピーカー以外は手の平に乗るような小さな機材ばっかりで、いままでにないシステムの試聴会になります。あと開始前と、またあとで休憩のときに、この部屋でBGMを流していたのは〈Olasonic〉さんのBluetoothスピーカー『IA-BT7』です。

高橋 : これは“LDAC”でBluetooth接続できる〈SONY〉のWalkman『NW-WM1A』から再生していました。こちらもお借りして自宅で少し使ってみたんですが、このサイズでかなりパワフルに低音もなります。
ソウルの方向性を決定的に変えたアレサ・フランクリン

高橋 : 『魂(ソウル)のゆくえ』2019年版が出ましたが、初版は30年前ということは、これがはじめての本?
ピーター・バラカン(以下、ピーター) : 初めてですね。書いたというより、書かされたという感じです(笑)。
高橋 : 僕はこの本の「はじめに」のところがキャッチーですごい好きなんです。「文章を書くのが苦手」って、嘘つきだなあと(笑)。そして、新版には本と連動したSpotifyのプレイリストも掲載されていますね。
ピーター : 11年前の再出版時に、ディスクガイドの部分を新しくしました。あれから11年経って、市場に出ているCDのフォーマットが変わったり、CDもだんだん買わなくなってきたりしてますよね。いまから数年の間は、日本でもストリーミングが主流になっていくかもしれないから、編集者の鈴木さんの提案でプレイリストを掲載しようと。そのリンクQRコードをつけて、聴きながら読めるようにしました。
高橋 : “聴くこと”と“読むこと”っていうのは近くなってますよね。昔だったら音楽雑誌を読んでそのまま曲は聴けないけど、今だとWeb上の記事にはYouTubeへのリンクが付いてて、記事内の曲が聴けるようになってますよね。そんな感覚が強くなってるから、紙の本もそこに近づいていかないと、なかなか若い人たちにも届かないですよね。
ピーター : そのあたりは電子書籍だったらなおのこと簡単かもしれない。ただ、世代的なものもあるかもしれないけど、僕はまだ紙の本が好きなんです(笑)。
高橋 : 『魂(ソウル)のゆくえ』を読んでておもしろいと思ったのは、ソウル・ミュージックの聴き方が日本とイギリスで違いますよね。アメリカの音楽を1970年代当時、イギリス人と日本人がどう聴いてたのかとか、当時の評論家がどういう評論をしてたのかとか、そこが見えてくるのもおもしろい。今日はそのあたりの話もしましょう。アレサ・フランクリンが亡くなって、ちょうど1周忌を過ぎたぐらいですよね。今回はピーターにアレサ・フランクリンの曲を2曲ほど選んでもらいました。
Aretha Franklin / I Never Loved A Man (The Way I Love You) を再生
ピーター : この曲が出たことで、ソウル・ミュージックの方向性が決定的に変わったと思います。今から52年前の曲だから、どれほどの衝撃だったかはわかりづらいかもしれないけど、本当に「こんなの聴いたことがない!」っていうレコードだった。
高橋 : ピーターはこれはリアルタイムで聴いたの?
ピーター : はい。出たばっかりの頃に聴いて本当にぶっ飛んだ。それまでは、ソウル・ミュージックというとモータウンがありましたよね。そして1965年くらいからオーティス・レディングやウィルスン・ピケットみたいな、いわゆるスタックス・レコードのディープな感じのソウルが出てきた。アリーサ・フランクリンは当時はじめて聞く名前だったけど、それに比べても本当に驚きましたね。
高橋 : この曲は、アレサがマッスル・ショールズのスタジオに行って、ロジャー・ホーキンスたちとセッションして録ったんですよね。そのとき夫でマネージャーのテッド・ホワイトと、リック・ホールが喧嘩になって……。
ピーター : そうそう(笑)。ホーン・プレイヤーの誰かが失礼なことを言って、それでカチンときたマネジャーが怒ってスタジオを出ちゃった。モーテルに戻ったところを、スタジオ・オーナーのリック・ホールがなだめようとしたんだけど、さらに喧嘩になったらしくて。そこからアリーサはもう二度とマスル・ショールズに行かなかった。ただ、そのときにレコーディングに参加したミュージシャンたちに惚れ込んじゃったから、わざわざ何回もNYに呼び寄せて、60年代の終わりくらいのほとんどの作品を一緒に作ってるんですよね。
高橋 : アトランティック・レコードのデビュー1曲目を録り終えたらマネージャーが喧嘩しちゃってすべて台無しに。それまで全然ヒットも出てないし、普通ならそこでクビなんだけど、アレサはそのあと2週間くらい雲隠れ。それで姉妹のアーマとキャロルと3人で突然戻ってきて「Do right, woman, do right, man」をニューヨークのスタジオで収録するんです。その2週間の間に「アレサ・フランクリン」が生まれたような気がするんですよね。その後はコール・アンド・レスポンスのスタイルで必ず彼女たちが脇についているけど、この曲まではアレサがひとりでやってるんですよね。
ピーター : あれ、この曲はバック・ヴォーカルが入ってないんだっけ?
高橋 : 自分でハーモニーを重ねてるだけですね。アレサはマッスルショールズではひとりだったから。ちょうどこの曲はもう一回聴きたいと思っていて。今流したのはステレオ・ヴァージョンなんだけど、ハイレゾのモノラル・ヴァージョンがあるんです。これがね、死にます(笑)。
Aretha Franklin / I Never Loved A Man (The Way I Love You) (Mono) を再生
ピーター : これはいい。
高橋 : そしてもう1曲選んでもらったのは「I Say A Little Prayer」ですね。
ピーター : アリーサは本当にどんな曲でも歌える人なんですよね。彼女のお父さんは、デトロイトの大変有名な牧師さんで、大きな教会を持っていた。そこでアメリカ中の有名なゴスペル・シンガーが毎週のように歌っていたわけです。彼女は幼少の頃からそれをずっと聴いていた。ほとんどのソウル・ミュージックのアーティストは、ゴスペルを子供の頃から聴いているし、ゴスペルの音がなければソウル・ミュージックにはならないっていうくらい、切っても切れない関係なんです。でも、アリーサの凄いところは、そのゴスペルっぽい歌い方で、もっと洗練された曲を上手く歌いこなすところなんですよ。「I Say A Little Prayer」というのは、ディオンヌ・ウォーウィックが歌ってヒットしていた、バート・バカラックとハル・デイヴィッドの曲ですね。これをアリーサがやりたいって言ったら、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは「何言ってんだ、これは数ヶ月前にヒットしたばかりじゃないか」ってなるわけですよ。それでも「いや、私は絶対自分のものにできる」と言って説得したらしくて。僕はそれまで、ディオンヌの曲だと知らすにアリーサの方を聴いていたんですが、聴き比べてみても、完全に彼女の曲になっていると思いますね。
高橋 : 「I Say A Little Prayer」という曲はアメリカと日本では、ディオンヌの曲としてヒットしていて、イギリスではアレサの方がヒットしてるんですよね。当時日本で聴いていた僕は、だいぶ後になってアレサの方を知ったのかな。イギリスだけアレサの方がヒットしてる。
ピーター : でも絶対アリーサの方がいいと思う(笑)。
Aretha Franklin / I Say A Little Prayer を再生
ピーター : 音が非常に良いですね。でもアリーサはこっち、バック・ヴォーカルはこっち、というようにステレオ処理の左右の振り方がかなり極端ですよね。1968年くらいまでに作られた曲は、どの音源もモノラルで聴くにかぎると思う。ちょっと極論かもしれないけど(笑)。
〈アトランティック・レコード〉のキング、オーティス・レディング
高橋 : さて、アトランティック・レコードのソウル・クイーンがアレサだったら、ソウル・キングはオーティス・レディングかなと。なのでオーティスの名曲をピーターに選んでもらいました。「My Girl」、これは少し意外でしたね。日本ではテンプテーションズのイメージが大きいと思います。
ピーター : イギリスならではですね。テンプテイションズのオリジナル・ヴァージョンはアメリカで大ヒットしたんですけど、イギリスではヒットしてないんですよ。
高橋 : ええ!? そうなんだ!
ピーター : オーティスの『Otis Blue』というアルバムが出たときに、イギリスのアトランティック・レコードが「My Girl」をシングル・カットしました。僕はこの曲でオーティスを知ったんですね。そのときに出たシングル盤は今でも持ってますよ。
高橋 : そういうことだったんですね。日本ではテンプテーションズが大ヒット。当時、僕は小~中学生だったけど、それでも知っているぐらい。
ピーター : おもしろいね。大人になるまで僕はずっとオーティスの曲だと思ってました。
Otis Redding / My Girl を再生
高橋 : ピーターは当然オーティスが好きだと思うんだけど、1960年代のサザン・ソウルの男性シンガーで一番好きのは誰なの?
ピーター : 非常にオーソドックスだけど、オーティスかウィルスン・ピケットかな。両方好きです。
高橋 : ウィルソン・ピケットって南部の人じゃないんだっけ?
ピーター : 生まれはアラバマ州、デビューはデトロイト。ゴスペル・グループのファルコンズで歌っていて、その後にアトランティック・レコードのジェリー・ウェクスラーに引き抜かれます。ジェリー・ウェクスラーはその時、「ウィルスン・ピケットはメンフィスで録音した方がよい」と思って、メンフィスにあるスタックス・レコードのスタジオを使ってヒット曲を生み出すんです。でも、ウィルスン・ピケットは人と上手くいかない部分もあったみたいなんですよ。そのせいでスタックス・レコードから締め出しをくらってしまった。困っていたところで、先ほど話したアリーサの曲を録音したマスル・ショールズのフェイム・スタジオに行くんですね。これは、ちょうどアトランティック・レコードがフェイム・スタジオにアプローチをしかけていた時期だったんです。「じゃあ、今度はマスル・ショーズに連れて行こう」ということになり、飛行機でマスル・ショーズの飛行場に降りたそうです。そのときウィルスン・ピケットは綿花畑で黒人が仕事をしてる姿を見て、「俺はこんなところでレコーディングしたくない」と思ったらしいですよ(笑)。でも、結局スタジオに入って、リック・ホールとうまくいって、さらに素晴らしいヒット曲をたくさん作るようになるわけですね。
Wilson Pickett / Land Of 1000 Dances を再生
高橋 : これはもともと、クリス・ケナーの曲なんだっけ?
ピーター : そう。1962年に出された、ニュー・オーリンズのシンガーの曲ですね。
高橋 : たった4年でこんなに変わるんだって思いますね。凄いファンキーというか。
ピーター : そうですね。やっぱりジェームス・ブラウンの影響じゃないかな。1964から1965年くらいまでにビートが決定的に変わってくるんだよね。
ライヴ・アルバムの名作が溢れる1971年
高橋 : なるほど。では、70年代のソウル・シンガーなら誰が一番好きでしょうか。
ピーター : うーん。カーティス・メイフィールド、ドニー・ハサウェイ、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー、アル・グリーン……。
高橋 : その中なら……?
ピーター : (しばらく考え込んで)……。しいて1枚だけアルバムを選ぶというならドニー・ハサウェイの『LIVE』かもしれない。あのレコードを初めて聴いたとき、もう心が溶けたような気持ちになったんだよね。本当に名盤中の名盤だと思う。
高橋 : 僕はピーターより少し年下、それもあって自分でレコードを買うようになったときにはニール・ヤングとかロックのアルバムばかりを買ってたんですよ。その後、初めてブラック・ミュージックのレコードを買ったのが、ダニー・ハサウェイのライヴ。大学で先輩とかがソウルとかディスコの曲をやるバンドをやってて、このアルバムの曲をコピーしてた。僕にとっては自分で買って、初めてちゃんと聴いたソウルのアルバムですね。
Donny Hathaway / What's Going On (Live) を再生
ピーター : やっぱり70年代は色々な意味で、60年代と全然違いますね。もちろん録音技術も変わってるから、まず音が良い。これは1971年の録音かな。
高橋 : 1971年はオールマン・ブラザーズの『At Fillmore East』とかライヴ・アルバムがたくさん作られた年なんですよね。ライヴ録音用の車載スタジオが充実してきた年で。ロサンゼルスには以前からワリー・ハイダー・レコーディングという車載スタジオがあって、ジャズ・クラブとかで録音をしていましたが、ニューヨークでも同様のサービスが始まって。だからドニーのライヴ・アルバムも、ロサンゼルスとニューヨークで録ってる。ザ・バンドの『ロック・オブ・エイジズ』もこの年の暮れ。このあたりの年代のライヴ音源は録音がすごく良いです。
ピーター : これまで聴いてた60年代の曲って、悪い意味じゃなくて少し古い感じがするんだよね。でもこのアルバムは、今年作られたって言われても違和感がないですね。
高橋 : ダニー・ハサウェイはこのアルバムが一番好き?
ピーター : やっぱりそうですね。
高橋 : 日本だとこの辺を「ニュー・ソウル」と呼んでいたんですが、リアルタイムでは評価が低かったですね。当時日本でソウルを紹介していたのは、サザン・ソウルとデルタ・ブルースを崇拝する人たちばかりだったから、僕はアル・グリーンとかも大好きだったんだけど、当時の日本の論調だと「アル・グリーン? なにあのヘナヘナの声」みたいな感じで(笑)。
ピーター : 昔の話だけど、それはもうしょうがないよね(笑) 。『魂(ソウル)のゆくえ』を書いたのは、それまで日本ではソウル・ミュージックを論じる人が、マニアへ向けて書いていたからなんですよ。ソウルを知らない人、もしくはロックしか聴いてなかった人、ちょっと興味があるかなという人へ向けて、ソウルの魅力を基本から知って欲しいと思って書いた本なんですね。
高橋 : なるほど。じゃあ次はアル・グリーンも聴いてみましょうか。
Al Green / Let's Stay Together を再生
高橋 : これはわりと最近出たばかりのハイ・レコードのシングル・コンプリート・コレクションからかけました。これはモノラルですね。
ピーター : いいですね。当時の曲はAMラジオでかかるから、シングルは基本的にモノラルで制作してたんですね。アメリカのシングルは1970年代半ばくらいまでモノラルですね。それ以降はステレオ。
ニュー・オーリンズとドクター・ジョン
高橋 : ニュー・オーリンズR&Bも、ピーターと聴きたいなと思って僕がいくつか選んできました。ますはドクター・ジョンなんですが、ドクター・ジョンは最初なにで知りましたか?
ピーター : 『Gris-Gris』ですね。当時は高校生でした。
高橋 : イギリスでは、あのおどろおどろしい時代の音が人気だったんですか?
ピーター : 一般的にはそうではなかったと思いますね。僕も最初にどこで聴いたかハッキリ覚えていないけど、たぶんジョン・ピールのラジオだったかも知れません。まだ当時は、ニュー・オーリンズという土地の曲を何も知らない時代でしたから、「変だけどおもしろい」という。
高橋 : なるほど。僕が知ったのは当然のように『Dr. John's Gumbo』なんですけど。
ピーター : それが当然でもないんですよ。 『Dr. John's Gumbo』って何人かの凄い影響力のある人たちが取り上げたから伝わってきたけど、実際にヒットしたのは『In The Right Place』あたりですからね。
Dr John / Junko Partner を再生
ピーター : 最高! 音もすっごく良いですね。
高橋 : ドクター・ジョンはギタリストだったり、レコード会社のA&Rもやってましたよね。だから、どちらかというピアノ・プレイヤーを見てた人なんだよね。
ピーター : 手を撃たれてギターを弾けなくなってピアノを始めたら、こんなことになったんだよね。本当に凄い人だ。ドクター・ジョンには日本でインタヴューをしましたね。あと初来日のときに当時やっていたテレビ番組のゲストに来てもらって、スタジオでピアノを弾いてもらった。それは凄い衝撃でしたね。
高橋 : 急に時代が飛ぶんですけど、次は2014年にドクター・ジョンが様々なゲストと作ったトリビュートから流しましょうか。
Dr John / What A Wonderful World feat. Blind Boys of Alabama, Nicholas Payton を再生
高橋 : これは現代の音源なんですけど、どうでしょうか。
ピーター : ドクター・ジョンは世界一ヒップな人だから何やってもかっこいいんですよ。でも、裏の事情を知っているからか、いまひとつ僕はこのレコードにはのめり込めなかったんですよね。この時期に彼のバンドが、女性のトロンボーン奏者のセーラ・モロウにいきなり乗っ取られちゃったんですよ。これまでずっと一緒にやっていたバンドのメンバーやマネジャーをドクター・ジョンがいきなりクビにして、まったく新しいメンバーになったんです。どうやら、彼女が彼に葉っぱをかけて、メンバーを変えさせたようなんですね。そんな彼女がちょうど幅を効かせていた時期に作ったレコードだから、僕は少し残念な印象があります。決して悪いレコードじゃないけど、あんまり幸せじゃないドクター・ジョンの時期を思い出しちゃいますね。
高橋 : なるほど、でもニュー・オーリンズに対する想いとか、ひとことでは言えない幅や積み重なりを感じるアルバムですよね。
ピーター : それはもちろんそうですね。ニュー・オーリンズはアメリカの中の島みたいなもので、今でも街の中にクラブがたくさんあるんですよ。だから、ミュージシャンたちが外へ行かなくても生活が成り立つんですよね。そうなると変にコマーシャルな活動をする必要がない。そういう風に、ニュー・オーリンズはアメリカの他の地域とは違って、孤独とは違う形で独自の文化が続いているところがすごいと思うんだよね。
高橋 : 次はアラン・トゥーサント。
ピーター : アランも会ったことあります。エルヴィス・コステロと一緒に来日したときに、品川の教会でコンサートをやったんですけど、そのときに司会を頼まれたんです。彼はすごい紳士。音楽業界であれだけ影響力があるにもかかわらず、あんなに腰の低くて紳士的な人はいないと思うな。誰に聞いてもみんな同じように言いますね。
高橋 : 僕は初来日のときにインタヴューしました。「サザン・ナイツ」っていう曲、あれはニュー・オーリンズとも違ってちょっとオリエンタルだったから、あの感じはどこから来たのかを訊ねたら、「叔父さんが船乗りで、子供のときに彼からもらった韓国のオルゴールだ」って言っていて。そのメロディーが元にあるらしいんですよ。
ピーター : えええ! そうなんだ!
高橋 : アラン・トゥーサントの音楽性のひとつにはクラシックもありますよね。色々なアメリカの音楽や19世紀の音楽を調べていると、ひとつ元にあるのがルイス・モロー・ゴットシャルクなんですよね。アラン・トゥーサントはその末裔な気がします。ヴァン・ダイク・パークスもそうかな。
ピーター : ヴァン・ダイク・パークスの方が深く研究してそうですよね。このアルバム『American Tunes』はジョー・ヘンリーがプロデューサーなんですが、同じくジョー・ヘンリーがプロデュースしたナンサッチからの前作にあたる『The Bright Mississippi』で初めて昔のニュー・オーリンズの作品を真剣に聴いたとか。
高橋 : アラン・トゥーサントがスタジオでそういうのをずっと弾いてたら、ジョー・ヘンリーが「そんなの出来るの? こういうの今まで録音したことある?」という話になったらしくて。では、そのアラン・トゥーサントの曲を聴いてみましょう。
Allen Toussaint / Danza, Op. 33 を再生
ピーター : この影響がラグタイムにつながっていくっていうのは凄く分かるね。
高橋 : うんうん。アラン・トゥーサントってクリオールですよね。 で、ニュー・オリンズのフレンチ・クリオールの人たちは、黒人の血もひいてるんだけど、教養が高くて、クラシック音楽も演奏してる。そういう流れをアラン・トゥーサントは受け継いでますよね。スタジオのプロデューサーだったからライヴをする人じゃなかったんだけど、ハリケーン・カトリーナでニュー・オーリンズの街が壊滅的になってから、世界中をツアーするようになって、それはニュー・オーリンズのスピリットを世界に伝えるためでもあったと。
変化するニュー・オーリンズの音楽
高橋 : じゃあ次は、リー・ドーシーに行きましょうか。
Lee Dorsey / Yes We Can (Pt. 1) を再生
※こちらはCD同等ロスレス音源になります
高橋 : ピーターはこういうの好きだね。
ピーター : めちゃくちゃ好きですね。この“コケコッコ・ギター”が堪らない(笑)。
高橋 : ニュー・オーリンズには50年代、60年代前半にアール・パーマーがいて、彼がいなくなった後はミーターズが出てきて、音楽が大きく変わるじゃないですか。ピーターはどっちが好きですか?
ピーター : 僕はどっちも好きですよ。でもリアルタイムで聴いたのは1970年代かなぁ。
高橋 : 僕もミーターズ、すごい好きなんです。これはダンス・レコードだと思うんだけど、当時のイギリスのディスコでもかかってたの?
ピーター : ニュー・オーリンズ音楽とシンコペイションの効いた曲はかかってなかったね。わかりやすい四つ打ちだけだったから、そういうのに慣れている人は踊れないと思う。でも、友達の家でパーティするときに流して僕は踊ってたね(笑)。
高橋 : じゃあミーターズ関係で、もう一曲行きましょうか。
Wild Tchoupitoulas / Hey Pocky A-Way (A Way) を再生
ピーター : この曲は、ディスコの時代になった1976年に出たレコードから。ミーターズのメンバーと、のちにネヴィル・ブラザーズとなるメンバーが入っている唯一のアルバムです。これはソウル全体に言えることなんですが、70年代後期になるとレコード会社はお金を儲けなきゃいけないから、レコード会社からのプレッシャーで、アーティストはディスコでかかりやすい曲を作らざるをえなくなっちゃう。それでソウルがだんだん面白くなくなるんですよね。ミーターズはこのレコードのあとに、ドラマーとギターがLAに行って、キーボードのアート・ネヴィルは兄弟でネヴィル・ブラザーズっていう新しいグループを作るんですけど、それも軌道に乗るのにすごく時間がかかるんです。ニュー・オリンズの70年代の一番おもしろかった時代は、このレコードが最後だと思いますね。
高橋 : なるほど、ここで終わっちゃうんですね。なんだか今日は追悼ばかりになっている気もしますが、最近の訃報でびっくりしたのが、デイヴ・バーソロミューです。彼は40年代のニュー・オーリンズまで遡って、ジャズとニュー・オーリンズの間くらいからスタートした人ですよね。
ピーター : もう100歳でしたからね。まだR&Bという言葉がない時代に、バンド・リーダーをやってた人です。のちにファッツ・ドミノのバック・バンドとなったのも、全部デイヴ・バーソロミューのバンドですよね。
高橋 : じゃあ彼の曲を聴いてみましょうか。
Dave Bartholomew / Jump Children を再生
※こちらはCD同等ロスレス音源になります
ピーター : これは48年くらいかな。基本的にはルイ・ジョーダンにブギウギ・ピアノを足している感じですね。
高橋 : デイヴ・バーソロミューのもうちょっと前の曲はジャズっぽくて、すごいユーモアがある感じだよね。
ピーター : 「The Monkey」とかおもしろい曲も多いですし、時代が時代だからやっぱりご機嫌ですね。この直後くらいに彼が若者のファッツ・ドミノを発掘します。先ほどドクター・ジョンの「Junko Partner」を流しましたけど、もともと1941年にチャンピオン・ジャック・デュプリーっていうブルーズ・ブギ・ピアニストが「Junker Blues」っていう曲を出してて。ファッツ・ドミノのデビュー曲はこの歌詞をまったく違うものに入れ替えた「The Fat Man」という曲だったんです。それも全部、デイヴ・バーソロミューが仕掛けたものだったんですよね。
高橋 : 僕は最近だと、タンク・アンド・ザ・バンガスっていうニュー・オーリンズのアーティストが好きなんだけど、どうですか?
ピーター : 僕と健太郎さんは、世代はそこまで変わらないんだけど、昔から健太郎さんは、ヒップホップに対して受け入れ体勢があるんですが、僕は自分の体がヒップホップのビートに乗り切れないところがあって、頭で面白いと思うものがあっても、体が乗ってこないと、なぜか聴かないんだよね。
高橋 : なるほど。でもタンク・アンド・ザ・バンガスは凄いニュー・オーリンズっぽいラフな人間臭さみたいなのがあると思いますよ。
ピーター : わかるわかる。あの、NPRのTiny Desk Concert でやったやつが凄いよかったね。場合によっては、ただ聴くより観る方がいいと思う。それこそNPRで発見するミュージシャンも多いし。
高橋 : それでいいなと思って実際アルバムを聴いて、その動画より良いかと言われるとそういう訳でもない場合もありますよね(笑)。プロダクションされすぎて、生の感じがなくなっていることもありますからね。じゃあ、そろそろ時間がギリギリなので、ピーターに選んでもらったものに戻って、1曲流しましょうか。
ピーター : 最後の締めということで、じゃあステイプルズ・シンガーズを聴きましょうか。またマッスル・ショールズ録音ですけど。
高橋 : でもミックスは違って、メンフィスのアーデント・スタジオでテリー・マニングがミックスしてますね。
The Staple Singers / I'll Take You There を再生
※こちらはCD同等ロスレス音源になります
高橋 : このアルバムは音が凄くて、音が良いLPの筆頭ですね。
ピーター : 今日はこのシステムで聴きましたけど、粒立ちも良いし、一つ一つの楽器の音も皆んなそれぞれ素晴らしいですね。
高橋 : この「I'll Take You There」のCDとLPを比べるとLPの方が圧倒的に良いと思ってきたんですけれど、今日、聴いてる音はかなり良いですよね。Bluetoothでこの音を出している。
ピーター : ハイレゾを聴いてると、LPと比べなければ何の問題もないですね。
高橋 : ちなみに今聴いたステイプルズ・シンガーズは、16bit/44.1khzのCDクオリティの音質なんですよね。今日使用している"LDAC"というコーデックは、最大24bit/96khzまでの音源を送ることができます。でもこの〈Olasonic〉の「NA-BTR1」は24bit/96khzまで自動的にアップサンプリングしてくれるんですよね。だから最終的には、アップサンプリングした24bit/96khzの音が出ています。『IA-BT7』も同じなんですが、このように何も設定しなくてもアップサンプリングしてくれる。こういう風に音楽を楽しめる時代になったので、いろいろ試してもらえると、より楽しく音楽が聴けるんじゃないかなと思いますね。
ピーター : 僕もふだんはそんなに大きい音が出せないので、こういうイヴェントのときは「あぁ、いいなあ!」と思いますね。やっぱり音楽はある程度ヴォリュームを上げて聴かないとと思うので、そういう意味でもこういうイヴェントはすごくいいですね。

ピーター・バラカン著『新版 魂(ソウル)のゆくえ』好評発売中!

アルテスパブリッシング『新版 魂(ソウル)のゆくえ』商品ページ https://artespublishing.com/shop/books/86559-208-5/
今回使用したセッティングの詳細

今回の試聴会では、試聴用の音源を〈SHANLING〉の『M0』と SONY〈Walkman〉『NW-WM1A』に保存。このふたつから“LDAC”を使用して〈Olasoinc〉のBluetoothレシーバー『NA-BTR1』へ無線接続。スピーカーとの間にパッシブのヴォリューム・コントローラーを挟んで〈STUDER〉『A5』へXLR接続。スピーカーの電源ケーブルやスピーカーケーブル、電源ボックスやプラグなどには全て〈オヤイデ電気〉の製品を使用している。
使用機材一覧
音源再生 : 〈SHANLING〉M0 (M0はOTOTOY物販にて販売中)
: SONY〈Walkman〉NW-WM1A
Bluetoothレシーバー : 〈Olasoinc〉NA-BTR1
Bluetoothスピーカー : 〈Olasoinc〉IA-BT7
パワード・モニター・スピーカー : 〈STUDER〉 A5
ケーブル類は全て下記〈オヤイデ電気〉の製品を使用
電源ケーブル : TUNAMI GPX-R V2
スピーカー用電源ケーブル : AXIS-303 GX
スピーカーケーブル : TUNAMI TERZO V2
電源ボックス : MTS-6
(電源ボックスには下記の電源ケーブル、プラグ、壁コンセントを使用)
電源ボックスケーブル : AXIS-303
電源ボックスプラグ : P-079
コンセント : SWO-GX ULTIMO
当日に使用した機材の詳細はこちらから








過去に開催されたハイレゾ試聴会の記事はこちらから
編集 : 伊達恭平