常に全額ベット──宮崎大祐が演じる“映画監督”
個人的に「何々はヒップ・ホップ」とか「ヒップ・ホップとは何々」というエゴの力技みたいな表現に時々イラっとする事もあり、自分は言わないよう気をつけている。それでも今回のインタビュー中、思わず「それはヒップ・ホップですね!」と何度言ってしまったことやら。しかも、今月の話し手はラッパーではなく、映画監督。確かにこの宮崎大祐監督は、1人の少女が自分のラップを見出す瞬間までのドラマを追った『大和(カリフォルニア』や、漢 a.k.a. GAMIのレーベルである〈9SARI GROUP〉やCherry Brownなどのミュージック・ビデオなどを手掛けています。でも、インタビュー中にヒップ・ホップを感じたのは、監督のマインド。自分が税金として納めた以上の金を、助成金で受け取る。図太い自分を演じ、それでいて持たぬ側の立場として争い続ける。自問し、クールな表現は奪い取り、自分を常に革新し続ける。ここからはイリーガルに聞こえる、リーガルな話が満載です。この人はマジでヒップ・ホップだ‼
INTERVIEW : 宮崎大祐
インタヴュー&文 : 斎井直史
宮崎大祐監督の最新作!
ギリギリの賭けに勝ったら次もぶっこむ
──最近はどんなプロジェクトに関わっているんですか?
今は年明けに撮る予定のフィリピンと日本が舞台の映画の準備をしてます。さっきまではカナダの映画の撮影現場にいました。それは今日本のオリンピック・パートを撮っていて、僕は制作で入ってます。カメラマンがグザヴィエ・ドランのカメラです。
──そのカナダの映画はどんなストーリーなんですか?
スポーツ一筋でそれ以外なにも知らずに生きてきた十代の女の子が、オリンピックの選手村でのワールドクラスに乱れた性の現場を目撃してしまい、自己存在について問うというストーリーです。その中の東京が舞台になっているシーンを最近は毎日撮影しています。
──そのお金を出資してるのが、国とか自治体という話で。
そはい。海外のアート映画の多くは政府や自治体などの助成金で作られています。その結果、この国が出資しているからこの国の役者を出せとか、この国でワンシーンを撮れとか、その条件を満たすために映画がいびつになることもしばしばです。日本は映画産業のレベルだけでなく、そういった助成金に関し世界屈指に遅れています。とはいえ、僕の新作には幾らか出資していただいているので、これからそういう枠がどんどんできていくといいですね。海外の助成金にも幾つか応募していて、お金が下りればいいですが、最近は飛行機に乗るのが苦手で困ったもんです。
──あとはリル・Bのビデオを撮るらしいですよね。
えぇ。リル・Bに『大和(カリフォルニア)』っていう自分の映画のコメントを書いてもらったんですけど、それで覚えていたのかな。先日いきなりメールがきて。「よう、今度日本に行くから撮ってくれ。最近のお前が撮ったMVの色が好きだった。これ、俺のケータイ番号。今日本にダチのサンダー・キャットが行ってるから、良かったら繋ぐよ。あいつのも撮るといいよ」みたいな。ハイなのかも知れませんが、直接会ったこともない人にここまで親しくされてビッグネームまで出されるとビビりますよね。
──それにしてもイケイケですね!
いやいや、イケイケじゃないですよ。大和市基準の月々の家賃は払えるくらいになりましたけど鬼貧乏で、いまだ日本の最下層です。恥ずかしいことに東京に行く電車代すら厳しい。
──では制作費は調達できても、生活費を稼ぐってのは別なんですか。
全く別物です。勿論自分の取り分を予算の半分とか取っちゃう人もいますけど、僕は全額製作費にぶっ込んじゃうタイプなので、いつも全く残らないどころか他の関係ない仕事で稼いだ10万や20万まで出資することになります…。いつもお世話になっている映画批評家の樋口泰人さんも「もらった、ひろった金は全部ぶっ込んだ方がお金が回るようになるよ」っ言ってたし、自分は芸術に関し守りに入るような人間じゃないので、ギリギリの賭けに勝ったら次も全額ベットっていうのを繰り返してます。
──凄いなぁ。自治体以外からもお金を調達している話もありましたよね。
お正月にTwitterを見ていたら、Zさんっていうお金持ちがZOZOに対抗して5000万配ると言っていて。そこで「ここにこんな才能ある映画監督がいて、あなたの地元で映画撮りたいって言ってるんだから、ばら撒くくらいなら全額とは言わないけど数千万くらいくださいよ! 」ってDMを送ったんです。すると、ビッグな方だから、そういうタカリやコジキに囲まれているはずなのに「大変興味があります。どういった形でご協力できますでしょうか」ってめちゃめちゃ丁寧な返事を下さって。ツイートでは結構オラついた文体の方なだけに驚きつつ「実はこうゆう企画で、あなたの街で撮影したいです」って言ったら「協力できると思います。その代わり知り合いの○○とかをキャメオ出演させてもらえますか」となって「考えます」と保留したんです。次の日、いつもお世話になっているその街の音楽レーベルの方から電話がかかってきて、「宮崎君、昨日誰かにDM送った?」と。話を聞いてみると例のZさんは実はその街の奥の方で有名な方だそうで。曰く、「いきなり宮崎っていう映画監督から『映画撮りたいから金ください!』ってDMが来たから調べてみたら、君のレーベルと仕事してるみたいだし、面白い奴だなって思って電話したらしい」と。「じゃあお願いしたいですね…」と言いつつ、その奇跡の繋がりに驚愕しました。
──ぶっ込みますね!ちなみに、その企画は宮崎監督自身の作品なんですか?
はい、そうです。『HIPHOP探偵』っていうコメディで、その街を舞台に日本中の有名ラッパーが集って木更津キャッツアイや濱マイク的なドタバタを繰り広げるって話で、引き続き出資者募集中です。切実さを仮構した日本のワックなラップ映画との差を、ユーモアを使って見せつけてやりたいです。ともあれ、そうゆう感じで、とりあえずお金出して下さりそうな方にはチャレンジして行くっていうスタイルを確立したら、国内外問わずこんな感じになりました。『TOURISM』もそうでしたが、熱意と勢いでガンガン国境を越えます。
──そうゆう場合、主な連絡手段は?
決まってないですけど、出資してくれそうな方に直で行きますかね。ただ、向こうから来る場合も多いんです。例えば、バス停でスケボー持って並んでた人がいて、明らかに怪しいし怖いなって離れようとしたら実はペルーの文化会館とかの人で、ペルーで映画を撮れるフレキシブルな人を探してるから君の作品を観せてって言うから(『TOURISM』)を観せたら「超面白いじゃん」って褒めてくれて。
──良い流れが来てますね!
いやいやいや。自分から行かないと我々マジ仕事ないですからね。去年は大阪でもそういう感じで色々なお金をかき集めて映画を撮りました。
──エピソードが絶えませんね!
『大和(カリフォルニア)』のプロモーションでしばらく大阪に行っていたのですが、昼は暇だったんですね。だから、あっちに住んでる知り合いの西尾孔志って監督に「暇なんで映画撮りませんか?」って聞いたんですよ。そこから2週間で脚本を書き上げ、勢いで知り合い等から1ヶ月の間に数百万を集めたけど、微妙に足りない。そこで西尾さんの知り合いがビッグ・ショットな上にマジなシネフィルで、最後のピースを埋めてくれたんですよ。ホント、ラッキーです。先日大阪で関係者用試写会をやったらその方が凄い喜んでくれて「出資して本当に良かったです」って言ってもらえて、マジで嬉しかったですね。
──すごいですね。全てが順調に聞こえます。
いやいや。さっきも言ったように手元にはいくらも残らないので、生活は日本の下5%に入ると思います。恥ずかしいことに東京に行く電車代すら厳しい。だから開き直らざるを得ないというか、ガンガン行くしかない状況なんで。
──調達した映画の予算は、勿論返さなきゃですよね?
そらそうですよ。だけど、駄目になる事もある。それが映画ですって最初に誠心誠意説明します。本当に、本気で、全力で返そうとしますけど、実際に駄目な時だってあります。そこを誤魔化すつもりは一切ありません。
──じゃあクラウド・ファウンディングとかと同じなんですね。
そうっすね。それでも良いよって言ってくれる人しか、今の所投資していただいていません。低予算のヒット映画を引き合いに出して儲けとか最初から考えている人は、アート映画に出資したらダメだと思います。超リスキーです。
──アートの根本は儲け話じゃないですもんね。
そうですね、クレジットくらいは残りますけど…。
──まぁ、普通の買い物ではできない体験ですけどね。
普通の買い物ってすぐに無くなったり、翌年は押し入れに消えたりしますけど、クレジットはIMDB(インターネット・ムービー・データベース)等に自分の名前が半永久的に残りますし、その日から映画プロデューサーの何々ですって名刺も作れますもんね。とは言え、制作にも関わらず金も払わず、クレジットだけが目当てのプロデューサー気取りが大量にいるのであまりオススメはしませんがね。
心の声、自分の本当の欲望にフォーカスすることが重要
──なるほど(笑)。ちなみに初めてお会いした『大和(カリフォルニア)』公開前はとは明らかに状況が違いますが、自身ではどう感じますか?
精神性は変わったかもしれません。『大和(カリフォルニア)』を観た川崎のヤツから、「宮崎君はアーティストへの厚かましさが足りない、色々気を遣いすぎなんだよ」って酔った勢いで言われたんですよね。なんかそれが心に残ってて、今まで通りのリスペクトが基本にありつつも、ある程度お願いするときはするようにしよう、粘るときは粘ってみよう、行けるときは行ってみようと自分を設定し直したんです。
──行けるときは行ってみようって、具体的には。
単純に演出や作風もそうだし、現場でキャストやロケ地の人に何かをお願いするにしても、ここあと少し頑張れば断然よくなるなあってところは粘るようになりました。多少揉めても。仕事中の態度も、「映画監督」を演じるようにもなった。お金集めにしても、常識的な人間ならお金が返ってこないかもしれないプランに数百万から数千万出して下さいっていう交渉って、難しいじゃないですか。
──できないですよね! 社会人になるほど自分を客観視して、萎縮しちゃう。
でも俺は年々ぶっこみ、スーパーぶっこみ、よりぶっこんで行くことになりました。完全にパフォーマンスです。「助けてください!あなた、助けないと損しますよ!」という調子です。そうするとなぜか人がついてくるんですよ。「あいつ、タガが外れてる。面白い。人たらしだ」とか言って。まあでも、やっぱ慎ましさと気遣いがベースですけどね。繰り返しますが、僕は「映画監督」を演じているだけです。本当は気弱であまり人とも会いたくないし外にも出たくない(笑)。でも映画のために仕方なくやっている。
──確かに今の監督の話を聴いてると、こんな人だったのかと刺激的で面白いです!
ありがとうございます。なんか最近は、自分なりに考えてきたヒップ・ホップっていうか、スタンツ・ブランツ&ヒップ・ホップを少しずつ生きられるようになってきた気がしています。まず自分でやってみて、場合によっては少々でかいこと言ったり汚いことをしてでも、映画という夢のためには決してあきらめないし、努力も怠らない。そのためにも常にリアルでいなきゃいけないし、最新のモードに敏感でいなきゃならない。何よりも現場に、ストリートにいる。様々な最前線をクールにサンプリングしまくって、才能あるアーティストがいたら誰よりも先にフューチャーリングして、「どうだ!映画ってイケてるんだぞ!」と痩せ我慢しながら作り笑いを浮かべ、踊る。B-BOYって痩せ我慢の美学ですよね。
──ハッタリが流行る今ですからね。
まぁ、ポスト・トゥルースの世界ですからね。時代がフィットしてきたってのもあるんですかね。今のアメリカは社会自体が刹那的でパフォーマティブ。イヤな意味でヒップ・ホップ化しちゃってますよね。人の数だけ現実があるとか言ってる人ばっかりで、それって超虚無的じゃない?って思っちゃいます。
──にしても、僕が過去にギャラを払ったら「マトモなギャラは久々」なんて言っていたのに、今では国からも金を調達するようになったなんて痛快ですね(笑)。
まあ(笑)。今でもギャラが1万振り込まれてたら、すげえ有り難いって思いますよ。映画界隈って、お金にならない癖に驚くほど保守的で、同世代で刺激的な事を言ってる人ってほぼ居ない。いまだに正義の国フランスがどうこうとかしか言わない西洋に対するコンプレックスを持つ、不勉強なインテリばかり。何も考えていないボンクラのほうが扱いやすくて売れるっていうメジャー映画の現状に対するカウンターにすらなれていない。本来は総合芸術を名乗っているはずなのに、映画こそが今日本で1番保守的で程度の低いアートなんじゃないかな。上は既得権益の奪い合いで、面白い映画を撮ることよりカンヌやベルリンに行くだけが人生の目標になっちゃっている。何の面白味もない過去の人が蓋をしちゃっています。彼らは全くもって今の日本そして我々の代弁者ではありません。当然そんなものに若い子たちは夢を見られないでしょうから、自分たちは自分たちで言っていく・やっていく必要がある。
──ちなみに、自分がそのカウンター側だと自覚し始めた時ってありますか?
まぁ…カウンターかどうかわかりませんが、国家や政府、資本主義への違和感は常にありますよね。小学校高学年くらいからずっとその違和感はありました。
──そんな頃から⁉︎
要は彼らって最早僕を代弁してくれる存在じゃないじゃないですか。それでいて、税金やら年金だけは取りに来て、歯向かうと巨大な暴力を持って黙らせる。これを解決したいと論理的に考えるなら彼ら以上の暴力を持つ必要があるし、香港なんかを見ているとワンチャンあるような気もする。でも背後に控える中国が本気の暴力を振るってきた場合、彼らもひとたまりもないでしょう。
──…なるほど。
何かを代弁するということでいうと、こういう違和感もずっとあります。僕が本当に思っている事はこうして脳内で言語に変換する段階で元あったものから変質している。そして文章として口にしたら何かがそがれ、斎井さんの鼓膜に辿り着き、脳内で情報処理される段階で更に変質し、当初とはまったく違う何かとして伝わってしまうわけですよね。それが子供の頃から凄く嫌でした。もっというと、何かに名前や値段がついているのも暴力的な決めつけだと思いました。思い込みも一緒。例えば女性は弱いとか、サラリーマンはつまらない人間だとかも名前や値段をつけるのと同じ。あなたとわたしのイメージの間くらいにある最小公倍数というわけです。そうしないと生きられないことは分かっているんですが、生理的に嫌なものは嫌なんです。そういうシステムに対する怒りが徐々に蓄積して、映画という形で噴き出したのが僕の人生なのかもしれません。一方で、現代はポスト・ポストモダン、或いはポスト・トゥルース。最小公倍数もなくなり、何が真実かわからない時代。だから自分自身で何が本当なのか見極めて、決めなきゃいけない。根本的な暴力機能は変わらずとも、なぜか大きな力を持つ政府や大きな会社・組織がどんどん解体され、失効している時代で、誰も何も信じられなくもなっている。だからこそ各人に、自分って何なんだろうっていう不安が広がっているはずで、人は不安になれば保守的になってガードを固めたくなる。
──人を否定する事で自分を表現したくなる、とか。
そう! 否定するのは、自分は少なくともどっちかの側で自分の方がマシって思いたいから。だから人との比較じゃなくて、純粋に自分の心の声、自分の本当の欲望にフォーカスすることが重要だと強く思うんです。確定事項として人は必ず死ぬ。だったら、限られた時間で自分はこうだって本当に思える事を黙々と実行するしかない。今週家族の中で1番仲良くしていたと言っても過言ではない愛犬が死んだんですよ。全然健康だったのに、急に癌で死んだ。直感的に神様なんて居ないんだなあって思いました。世の中にはシンプルに3通り、神様を信じている人・信じていない人・居ないとは言いながらも断言できない人に分けられると思うんですが、いやー居ない居ない。シンプルに、意味もなく、ランダムにこの世は存在して、シンプルにランダムに、我々は消える。だからと言ってニヒルな方に折れないようにその事実を受け止めて、あらゆる瞬間が宝くじに当たり続けているくらいの気分で、その確率に感謝して生きていくしかない。その際、人種や国籍、時代などを超えた、「子供を虐待しない」とか人間としての最低限の倫理を踏まえることも非常に重要だと思います。日々目を曇らせる情報から離れてね。
──クリエイターって、色々な作品を制作してもテーマに一貫性があったりするじゃないですか。宮崎監督にとって、そういった一貫したテーマはありますか?
なんですかね…テーマがないのがテーマなのかな。でも、常にラッパーの1枚目のアルバムくらい切実で荒ぶっていたいし…。あえて言うなら今いる場所・現状への怒り、存在していることへの違和感ですかね?あとはその時その瞬間、カッコいいと思っている事を素直に反映させるっていう事です。その時好きな音楽とか哲学とかファッションとかですけどね。例えば音楽がこれだけ時代を引っ張っているのに、映画だけほこり臭い映画史に引きこもって昔を懐かしんでいてどうするって思います。尖り続けるが故の最前線、常に現在進行形で、映画こそが最高で、映画こそが時代を、世の中を引っ張っていかなければと思っています。
編集 : 鎮目悠太
上映情報
・11/23(土) 〜 11/29(金)
那覇桜坂劇場
http://sakura-zaka.com/
*『TOURISM』と『大和(カリフォルニア)』同時期公開
・11/30(土)
第29回映画祭TAMA CINEMA FORUM
『TOURISM』と新作短編『ざわめき』も同時上映
https://www.tamaeiga.org/2019/program/C-14.php
・1/11(土) ~ 17(日)
あつぎの映画館kiki
*『TOURISM』と『大和(カリフォルニア)』の同時上映
イベントや短編など特別上映あり
http://atsuginoeigakan-kiki.com/
PROFILE
宮崎大祐
映画監督。早稲田大学政治経済学部卒業後、フリーの助監督を経て2012年に『夜が終わる場所』でデビュー。昨年は『大和(カリフォルニア)』が、今年は『TOURISM』が公開された。最新作は『VIDEOPHOBIA』。
【公式HP】
https://www.daisukemiyazaki.com/
【公式ツイッター】
https://twitter.com/Gener80