ジャズ・ミュージシャンだった父に捧げるーー
KERA、27年ぶりソロ名義アルバムのテーマはジャズ
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2015年から勢力的な音楽活動をおこなっているKERAが、秋元康がプロデュースを手がけた前作『原色』(1988年)から実に27年ぶりとなるソロ名義のアルバム『Brown, White & Black』をリリース。自身のカヴァーから、往年の名曲、さらには書きおろし曲も収録。ケラの人生とも言うべきアルバムについて本人にインタヴュー。
27年ぶりのニュー・アルバム!
KERA / Brown, White & Black
【配信形態】
WAV / ALAC / FLAC / AAC : 単曲 300円(税込) / まとめ購入 3000円(税込)
【Track List】
01. Old Boys (SWING) / 02. Shine (That's Why They Call Me Shine) / 03. 半ダースの夢 / 04. これでおあいこ / 05. 学生時代 / 06. Lover, Come Back to Me / 07. ミシシッピ / 08. 流刑地 / 09. 月光値千金 / 10. 東京の屋根の下 / 11. 復興の歌 / 12. 地図と領土 / 13. フォレスト・グリーン(或いは、あの歌をいつか歌えるか)
>>16bit/44.1kHz / mp3 / AACはこちら
※ファイル形式について
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INTERVIEW : KERA
KERAの27年ぶりのソロ・アルバム『Brown, White & Black』を聴くことは、彼のミュージシャン、そして演劇人としての長年のキャリアを音で体感することに近い。『Brown, White & Black』は、ジャズ・ミュージシャンであった父親に捧げたジャズ・アルバム。KERAのパブリック・イメージから遠いようでいて、演劇で歌ったジャズの楽曲もあれば、演劇があったからこそ生まれたジプシー・ジャズもある。そして、パンクやニュー・ウェーブを通過してきたからこそ生み出されたテクノ・ジャズもあるなど、KERAの多彩な活動をジャズを通して総括しているかのようなアルバムでもあるのだ。
子供の頃、家ではジャズが流れていたKERAが制作した『Brown, White & Black』。ここにはノスタルジーでは終わらない苦味と深みがある。
インタヴュー&文 : 宗像明将
写真 : ペータ
父に聴かせることが叶わなかったジャズのアルバムのことが、4半世紀以上ずっと気になっていた
——1988年の『原色』以来、27年ぶりのソロ・アルバムを作ったきっかけは何だったのでしょうか?
KERA : もう2年半前になるのか。(鈴木)慶一さんとダブル・オーナーとしてナゴムレコードを新生しました。やっぱり、そうした「場」ができたことは大きいですね。可能な限りコンスタントにリリースしようと。ならばジャズでソロを作りたいと思ったんです。『原色』はプロデューサーが秋元康さんに決まっていて、最初はA面だけ秋元康さんで、B面はセルフ・プロデュースでジャズをやらせてくれと話していたんです。当時、父と2人暮らしだったんですけど、父親は入退院を繰り返していて、医者から「もう長くない」と言われていました。父はジャズ・ベーシストだったので、僕が子どもの頃、家では古いジャズがずっと流れていました。高校生になって、僕はパンクやニュー・ウェーブを聴くようになる。P-MODELやRCサクセションを聴いているとよく父に叱られましてね、音楽面で折り合いが悪くなっていたんです。でもいざ死んじゃうとなると、亡くなる前に父に聴かせてやりたいと思ったんですね。決してジャズを嫌いなわけじゃなかったし。でも、当時はポニーキャニオン(『原色』のリリース元)が「おニャン子御殿」と言われていた時代です。秋元康さんに「フルじゃないとやらない」と言われて頓挫したんですよ。結局、『原色』はそれで昭和の歌謡曲をリバイバルさせたフル・アルバムになりました。今はあのアルバムも気に入っていますが、父に聴かせることが叶わなかったジャズのアルバムのことが、4半世紀以上ずっと気になっていた。それがようやく結実したわけです。
——ケラ&ザ・シンセサイザーズ、慶一さんとのNo Lie-Sense、復活した有頂天、さらにソロをやってみて、感覚の違いはありますか?
KERA : まったく違います。演劇では、シリアスな脚本もナンセンスな脚本も書いていますしね。「本当に同じ人が書いたの?」と言われるくらい。だから、バンドごとに大切にするものも異なるっていうのは当然だし、そうじゃないと面白くない。まったく大変ではないですね。
——ここ数年でナゴム復活もあり、音楽活動が活発化した印象があります。
KERA : 僕は、プロジェクトを同時にいくつも抱えられないんです。でも、「この時期はこれに集中」と区切るとできる。絵に描いたようなワーカホリック。休むのがこわいんですよ。1週間休んだことは、もう20年以上ないですからね。映画を観ても本を読んでも常に自分の仕事に結び付けてしまい、なかなか「お客さん」になれないんです。
——音楽では「お客さん」になれるのでしょうか?
KERA : 音楽はなれますね。「ながら聴き」ができるからじゃないかな? やめたいときにやめられますし。最近では、慶一さん、平沢(進)さん、サニー久保田とオールドラッキーボーイズの新作は姿勢を正して聴きました(笑)。
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——最近はTwitterで3776についても発言されていましたね。
KERA : 3776は申し訳ないけど「ながら聴き」です。アイドルはまったく興味がないけど、特に今の女の子のアイドルは音楽的に自由度が高いでしょ? ナゴムがやってそうな音楽を3776がやってて面白い。現象として面白いなと思いますね。
——『Brown, White & Black』は、ジャズ・ミュージシャンだったお父様に聴かせたかったアルバムとのことですが、ご健在の頃、KERAさんの音楽については何と言ってらしたのでしょうか?
KERA : 『原色』に関しては「悪くはない」と言ってくれましたけど、有頂天についてはノーコメントでした。でも、亡くなった後、父が生前懇意にしていた友人が教えてくれたんです。「おとうさんは君のこと、『俺より才能があるんじゃないか』と言って嬉しそうに笑っていたんだよ」と。ウチの親父は晩年、ミュージシャンとしては不遇でした。多くのジャズ・ミュージシャンがそうだったようにです。10代の頃は進駐軍のキャンプで演奏したり、昭和29年ごろから数年続いたジャズコン・ブームの頃は随分と稼いだみたいですけどね。 でも、ジャズ業界ってヤクザな世界で、あぶく銭はパーッと使っちゃうんですよね。由利徹さんや森川信さんといった喜劇人が父の友達にいて、僕は喘息で外に出られなかったから、テレビで「シャボン玉ホリデー」や「てなもんや三度笠」を見ていました。 晩年の父は、昼は設計会社で働いて、夜ベースを弾いてたんです。母親は親父が音楽を続けることに反対で、僕が小学生の頃はよく家で喧嘩してましたね。「好きにやらせてやればいいじゃん」って僕は思ってました。中学生の頃に、母は男を作って出ていって。シンセサイザーズの「パパのジャズ」はその頃の体験をもとにしてるんです。今回のアルバムも私的な歌詞が圧倒的に多いですね。たとえば「フォレスト・グリーン」の「昔 僕は呼吸が止まり 壊れた」は喘息のことを言っているし、うちの猫の声も入れているし、非常にプライベートな作品と言えますね。これまで自分のアルバムに献辞文を入れたことなんてなかったけれど、今回は父に捧げてます。このアルバムへの思いは、常に父と共にありましたから。実は2014年に母も亡くなったんです。母親とは30年ぐらい会ってなかったけど、最期だからと見舞いにいって1週間ぐらいで死んじゃった。それで、親との関係に一区切りつけられた。このアルバムを作れたことで、家族へのわだかまりや心残りがすべて吹っ切れました。
ーーお母様との音楽の思い出はないのでしょうか?
KERA : 母親はとくに音楽好きではなかったからなぁ。その時々で流行っている曲、例えば「ブルー・ライト・ヨコハマ 」(いしだあゆみ)や「帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)や「黒ネコのタンゴ」(皆川おさむ)のレコードを買ってきたのを2人でよく聴いていたことぐらいですね。女性は常に現実的で、男はバカでロマンティスト。音楽に溺れたりしないんですよ。僕だって「劇団健康」から始めた演劇を、まさか30年やるとは思いませんでしたから。「よく続きましたね」とよく言われるけど、ズルズルとやめられなかっただけなんですよ。現実から創作の世界に逃げ込んで、楽しいから抜け出せずに続けているうちに、ふと気づくとこの歳でした。
僕の中ではジャズはもっと敷居が低くて、祝祭的な音楽です
ーー『Brown, White & Black』では、スウィング・ジャズの「Old Boys」に、榎本健一や二村定一を連想しました。昭和初期のSP盤時代に憧れがあるのでしょうか?
KERA : 大好きですけど憧れではないですね、あまりにも昔で遠すぎて。僕はとてもモノホンのズージャは歌えないから(笑)、フェイク・ジャズの祖として、二村定一やエノケンは大いに参考にしましたけど。とは言ってもモノマネはしたくなかったから、あくまで自分流のやりかたで歌おうとしました。アルバムでは「古きよきジャズ」の空気感を感じてもらえたらいいですね。僕の中でジャズって、お洒落なものじゃないんですよね。土着的な時代のジャズです。デッキシーランドとスウィング。その後、ビバップやモダン・ジャズやフリー・ジャズが生まれたけれど、僕の中ではジャズはもっと敷居が低くて、祝祭的な音楽です。
ーー「Old Boys」をアレンジした鈴木光介さんは、時々自動所属です。起用したきっかけはなんでしょうか?
KERA : 頼みやすかったからです(笑)。いつも舞台で劇伴をお願いしているので気心も知れている。彼はオール・ラウンドな音楽家ですけど、入り口はジャズだったそうです。今回は、身内と呼べるようなミュージシャンと、彼らが紹介してくれたかたがたで固めています。総勢30人近いミュージシャンが参加してくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。
ーースタンダードである「Shine」を明るくコミカルにしたのはなぜでしょうか?
KERA : バリエーションとしてたまたまこうなったんです。ヴォードヴィル風の歌い方ですね。「Shine」はかつて「フローズン・ビーチ」という岸田國士戯曲賞を頂戴したお芝居(ナイロン100℃)でジャンゴ・ラインハルトのヴァージョンを劇中に使用しました。「復興の歌」も昨年、太宰治の「グッド・バイ」を舞台化した際に、テーマ曲として使用させてもらったんです。「復興の歌」のオケはその時流したヴァージョンとほぼ同じで、そのときは山田参助さんに歌ってもらったんですが、今回は当然、僕のアルバムなので僕のヴォーカルに差し替え、少し長い完全版にしました。「Lover, Come Back to Me」も「カラフルメリィでオハヨ」というお芝居(ナイロン100℃)でビリー・ホリディのヴァージョンを流しました。とても思い入れのある曲です。父が亡くなるときに病院に泊まり込んで脚本を書いた作品なんです。
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——「半ダースの夢」や「学生時代」をジプシー・ジャズやクレズマーにするアイデアはどこから生まれたのでしょうか?
KERA : ジャズ・アルバムを作るなら東欧のものも、と。クレズマーはユダヤ系の音楽ですが、僕はカフカが好きで、かつて評伝劇を書いたり、「世田谷カフカ」なんていうヘンテコな舞台(ナイロン100℃)で作ったりしたんですけど、そうした舞台にはクレズマーがジャスト・マッチなんですよね。当然と言やぁ当然ですけど。今、日本でクレズマーを大々的にやっているのは、梅津和時さんや大熊ワタルさんぐらいですかね。斎藤ネコさんが音楽を担当した松本修さんの舞台も全部クレズマーなんですよね。独特の影があるじゃないですか。「これでおあいこ」は同じヨーロッパでもジャンゴっぽい匂いを意識しました。「半ダースの夢」は数え歌のように同じフレーズが繰り返される。こういうものをアレンジするときにクレズマーがいいかなと思ったんです。
——クレズマーで歌う機会はこれまでなかったのでしょうか?
KERA : 「学生時代」のようにクラリネット、アコーディオン、ヴァイオリン、チューバなんて編成で歌うことはなかったですね。
——「学生時代」の江草啓太さんは、最近だとピチカート・ワンにも参加されています。ピアニストの彼を、管楽器が活躍するアレンジに起用したきっかけは何でしょうか?
KERA : 江草さんとの出会いはツイッターなんです。YMOをひとりでヴォコーダーでやっている映像をYouTubeで見て、面白い人だな、と。その後、彼が参加しているSwing Monkeysというオールド・ジャズのクインテットにゲストで呼んでもらいまして、「月光値千金」や「Lover, Come Back to Me」とか、ヒカシューの曲のジャズ・アレンジを歌わせてもらったんです。そこだと彼は完全にオールド・スタイルのジャズ・ピアニストですから。
——「半ダースの夢」以降の10曲は特にヴォーカル・スタイルがどんどん変わる印象ですが、今回自身をヴォーカリストとしてどう扱っていますか? ソロだとバンドとも違いますよね。
KERA : 全部歌モノですからね。バンドは当然ながらメンバーの意見も大きく反映されるし、だからこそ面白い。今回は全部ジャッジは僕ですから早い。大変だったり面白かったり、両方ですね。今、CDってびっくりするぐらい売れないでしょ? 今、僕が演出している舞台のシアター・コクーンなんかでは、1公演で2万人が入るのに、CD2万枚売るとか、少なくとも今の自分じゃ考えられないし、みんな何千枚だか何百枚のためにやってるじゃない? もっと状況がよければ、2年ぐらい音楽活動だけをやることも考えなくはないんですけどね。53歳ともなるとスイッチングをするにも引きずるんですよ。ライヴの曲順を決めるのに3日間かかる(笑)。数ヶ月ぶりに演劇から音楽にシフトするために勘を取り戻して、喉も準備して、というのが年々大変になってきているのは事実です。脚本を書くときと音楽をやるときは、別の脳ミソを使ってますから。脚本を書くときは携帯を3日間ぐらい開かなかったりするし、常にピリピリしてますね。でも音楽は「楽しくやらなきゃ」って思う。演劇は「楽しい」じゃ済まないところにいる。あくまでも僕個人の事ですけど。
——そうなると、バンドのミス・タッチなどは許している感じでしょうか?
KERA : 他人の事言えるほど歌えてないからね。もっとも、もう少し緊張感のある現場でもいいのかな、とは思うかな。音楽でスマホを見ながらリハーサルするなんて、演劇の稽古場ではありえないですから。
——「これでおあいこ」のアレンジはギタリストの伏見蛍さんですが、シンセサイザーズつながりでしょうか?
KERA : 彼も芝居ですね。「祈りと怪物」という舞台で劇中の生演奏をパスカルズにお願いしたときに、欠席したギタリストの代打としてきたのが伏見くんです。
——スタンダードの「Lover, Come Back to Me」は、ストレートなジャズで勝負していますね。
KERA : こういうのが1番難しいよね、ジャズのライヴハウスにいくとジャズの歌い手さんは本当に「うまいなー」と。できないですよ、発声からして違うし。でも、「あの人たちは僕みたいには歌えない」と思い込むようにしています(笑)。バリエーションを持たせつつ、有頂天やシンセサイザーズではできない歌いかたにしましたね。
「作りたい」と思い続けることが力になるんでしょうね
——有頂天の1985年の「ミシシッピ」を、30年を経て再演したのはなぜでしょうか?
KERA : ライヴでは、ソロでやってたんですよね。収録曲中、アレンジが「KERA SOLO UNIT」名義の楽曲は、だいたいライヴで1回はやってるんですよ。「Shine」「Lover, Come Back to Me」「フォレスト・グリーン」のオケは、2014年2月に録っています。
——2年近く録音していたわけですか。
KERA : 演劇もやっていると、どうしてもそうなるんですよ。
——「流刑地」は杉山圭一さんとアレンジしたテクノ・ジャズですが、テクノをあえて混ぜたのはなぜでしょうか?
KERA : どうしてですかね(笑)。自分がやるならそういうのもあったほうがいいかなと思ったんですよ。で、杉山とふたりでスタジオに入って。これはジャズと言えるのかわからないですけどね。ロバート・ワイアットの曲みたいにしたかったんですよ。
——ロバート・ワイアットで好きな曲は何でしょうか?
KERA : 最近出た2枚組ベスト(『Different Every Time』)の曲は全部好きですね。最初に知ったのはエルヴィス・コステロの曲(『Shipbuilding』)でした。
——スタンダードの「月光価千金」は、フリー・ジャズから始まっていて驚きました。榎本健一も歌っていましたが、こうしたアレンジにしたのはどうしてでしょうか?
KERA : この曲の前に入っている「流刑地」からの流れを考えたので、その世界観を引きずったイントロに。フリー部分はノン・リズムなので、ジョン・ゾーンのコブラみたいに僕が指揮しているんです。この曲はニュー・ウェーヴのバンドにも結構カヴァーされています。リザードとか。千葉レーダやもすけさんも演ってたらしい。フリー・ジャズ風のイントロ明けからは、一転してスペシャルズやマッドネス的なスカのノリですよね。で、この曲で昭和初期にいったから、次は戦後にいく。「東京の屋根の下」、そこから「復興の歌」という、非常に演劇的な曲順の組みかたです。「東京の屋根の下」は前から好きな曲で、80年代に「東京フリークス」というイベントに出演したときに、S-KENさんが弾き語りで歌ったのが素晴らしくて忘れられず、いつか歌いたいと思っていたんです。しかし面白いですよね、戦後に灰田勝彦が歌った「東京の屋根の下」も、80年代の表層的な時代に「レトロ的なニュー・ウェーヴ」という戦略で現れたゲルニカの「復興の歌」も、今カヴァーさせてもらうと当時とはまったく異なる響きをもつ。まぁ、当時って戦後のことはリアルにはわかりませんけど。どちらもシニカルに聞こえてくる。
——その「復興の歌」をあえて歌ったわけですね。
KERA : 「復興の歌」は先程も言ったように、舞台「グッドバイ」で使ったから、というのが大きいです。というのも、自分としては、ずっと演劇のお客さんにも音楽を聴いてほしいと思っているんです。舞台を観た人にアルバムを聴いてもらいたいんです。「ユリイカ」(2015年10月臨時増刊号)も、音楽と演劇の両方に興味をもってもらうために出したところがありましたからね。昔は、有頂天の縦ノリと座って見る演劇の両方に興味を持ってもらうのは、無茶な要求だと思ってたんです。でも、今は接近してきてると思うんですよ。自分の作る音楽と演劇が。僕の音楽の嗜好が変わったのはあるでしょうね。「縦ノリはもういいや」とLONG VACATIONを始めたわけです。
——「復興の歌」をカヴァーすることで、2重のフェイク・ジャズになっている気がします。
KERA : ゲルニカは当時からすでにパロディ色というか、かつての大陸歌謡をニュー・ウェイヴの文脈で再解釈したユニットでしたから、その時点ですでにフェイクなんですね、ある意味。上野耕路さんはその後、大編成のラウンジ・ジャズ・バンドもやっておられますし、ニュー・ウェーヴなスピリットを持ってジャジーなことをやっていた人もいるんですよね。
——全体として、20世紀前半と1980年代と現在が混沌としているアルバムです。これは意識的でしょうか?
KERA : 1個だけ違うと浮いちゃうけど、ぐちゃぐちゃでいいかなと思ったんですよね。「地図と領土」は歌詞が自分のキャリアなんですよ、「旅した心 まるやけな愛 / 枯れた花 象の鼻 体と歌とメリィと / 長い休暇と ピースと」って。演奏はビッグバンド編成なんですけど、ダン池田的なセンスを間奏に入れているんです。アメリカンではない日本的なニュアンスが混在しているのが面白いですね。アレンジはNo Lie-Senseでも吹いてくれているトロンボーンの湯浅佳代子さんです。で、アルバムの最後を飾る「フォレスト・グリーン」に渋谷系の要素も少し入ってますね。
——その渋谷系の要素とは何でしょうか?
KERA : 最後のストリングスなどは、ハッピー感が極まった頃の渋谷系を意識しています。オザケン(小沢健二)の『LIFE』の頃の。誰もかれもが『LIFE』至上主義みたいな世界が半年ぐらいあったでしょ(笑)。でも、小沢君の曲名を借りれば、「痛快ウキウキ通り」はあっという間にウキウキしなくなった。渋谷系が引用した70年代の音楽の感じも少しあるかな。今回の書き下ろしの曲は、渋谷系の多くの音楽同様、全部昔の曲の引用で成立しているとも言えるんですよ、スウィング・ジャズやクレズマーとか。
——『Brown, White & Black』が完成して、次のソロの構想はありますか?
KERA : あと2枚ぐらい同じ路線で作りたいですね。時間との戦いなんですけど、「今月から作る」と言えば作れるんです。なんて言ってるとすぐに10年ぐらい経つんですけどね(笑)。ともあれ、「作りたい」と思い続けることが力になるんでしょうね。3年後に実現するのと10年後に実現するのとではまったく異なる作品になると思うし、それぞれによさがあるでしょう。そこが音楽の楽しさだと思うんですよね。
KERA's WORKS
ケラ&ザ・シンセサイザーズ / BROKEN FLOWER(24bit/48kHz)
8人の個性派ギタリストをゲストに迎え、新生シンセサイザーズが覚醒する。制作期間14ヵ月、絶望を希望に変える名盤の誕生。
有頂天が帰ってきた!25年ぶり待望の新曲完成!! これは、まぎれもない有頂天のサウンド! 後期オリジナル・メンバーが集結、はじけたパンク&ニュー・ウェイブに心が震える!
No Lie-Sense (鈴木慶一&KERA) / First Suicide Note(24bit/96kHz)
ナゴムレコード再始動第1弾。鈴木慶一とKERAのスーパー・ユニット始動! 多彩なゲストを迎え多種多様な楽器を用いて、破天荒かつ深淵な音世界を展開する! セルフ・カヴァー3曲に書き下ろしの新曲7曲を収録。奇天烈のべろべろべー、大人さん子どもさん聴いてよね。ツイッターでも話題を呼んだ二人の新プロジェクト“No Lie-Sense(ノー ライ・センス)”。収録は「だるい人」(ムーンライダーズ)、「僕らはみんな意味がない」(有頂天)、「DEAD OR ALIVE (FINE,FINE)」(秩父山バンド、慶一&ケラの企画ユニット)のセルフ・カヴァーのほか、書き下ろしの新曲7曲の合計10曲。ホーンやキーボード、打楽器類から愛猫ゴミちゃん鳴き声まで多種多様な楽器をフィーチャーして広がる破天荒で深淵な世界。さらに大槻ケンヂ、野宮真貴、坂本美雨、武川雅寛、上野洋子、犬山イヌコ、緒川たまき、ゴンドウトモヒコら縁の面々に、戸川純との共演等でも話題の大森靖子がゲスト陣が拍車をかける大問題作&大意欲作&大傑作!
元・有頂天のKERA、三浦俊一、元・P-MODELの福間創などの、ニューウェイヴの達人が集結した、ケラ&ザ・シンセサイザーズの2010年作。今回は"音楽"をテーマに、ユニークかつメロディアス、そしてもちろんエレクトリックな楽曲が並ぶ。
ケラ / アニマル・カフェ
『愛のまるやけ』と400枚プレスで同時発売された12インチEP。タイトルどおり、動物の曲ばかり集めたソロとしてのケラの初期衝動が詰まった1枚。
ケラ / 愛のまるやけ
ナゴム初期に12インチEPとしてリリースされたケラの初期作品。当時の初回特典として付いていたソノシート作品『とうふづくりせんねん』を加えたボーナス・エディション。有頂天時代にカヴァーしたチューリップの名曲、「心の旅」の別アレンジ・バージョンや10分に渡るタイトル・ソング「愛のまるやけ」などソロとしてのケラの初期衝動が詰まった1枚。
LIVE INFORMATION
Brown, White & Black発売記念ソロ公演
2016年3月13日(日)@ビルボードライブ東京
1stステージ 開場15:30 開演16:30
2ndステージ 開場18:30 開演19:30
サービスエリア¥7,000 / カジュアルエリア¥5,500(1ドリンク付き)
1月20日Billboad Live 会員向け先行発売
1月27日一般発売 チケットぴあ、イープラスにて
PROFILE
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ケラリーノ・サンドロヴィッチ(けらりーの・さんどろう゛ぃっち)
東京都出身。1982年、ニューウェーブ・バンド・有頂天を結成。並行して85年に犬山イヌコ(当時は犬山犬子)、みのすけらと劇団健康を旗揚げ、演劇活動を開始する。92年の解散後、翌93年にナイロン100℃を始動。99年には『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞を受賞。以降、数々の演劇賞を受賞。2015年に『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』(14)、『三人姉妹』(15)の演出により、第40回菊田一夫演劇賞を受賞。2016年にはKERA・MAP『グッドバイ』(15)に対し第23回読売演劇大賞優秀作品賞、優秀演出家賞ノミネート。舞台活動では劇団公演に加え、外部プロデュース公演への参加も多数。2016年5月、Bunkamuraシアターコクーンにて『8月の家族たち』(上演台本・演出)を上演予定。映像活動として、初監督映画「1980」(03年)、「おいしい殺し方」(06年)、「グミ・チョコレート・パイン」(大槻ケンヂ原作・07年)、「罪とか罰とか」(09年)、テレビドラマでは「時効警察」(第8話)、「帰ってきた時効警察」(第4話/以上EX)、「怪奇恋愛作戦」(TX)の脚本・監督を務める。
音楽活動では、2013年にはムーンライダーズの鈴木慶一とのユニット、No Lie-Senseの『First Suicide Note』をリリース、2015年6月にケラ&ザ・シンセサイザーズ『BROKEN FLOWER』と有頂天『lost and found』(ミニ・アルバム)を、同年8月にNo Lie-Senseのライヴ・アルバム『THE FIRST SUISIDE BIC BAND SHOW LIVE 2014』をリリース。2016年1月20日にはソロ・アルバム『Brown,White&Black』をリリース。3月13日にはビルボードライブ東京にてソロ・ライブを実施予定。