ジプシー・ミュージシャン 世武裕子
アカデミー賞作品も手掛ける作曲家ガブリエル・ヤレドが賞賛し、くるりの二人がその類まれなる才能に惚れ込み、即刻自身のレーベルからのリリースを決めたという、作曲家・世武裕子。作り込まれた楽曲は繊細で瑞々しく、彼女の感性が、強く、鮮やかに表現されている。「色んな音楽に影響を受けながらも、自分らしさは変わらない」と語る彼女の、ルーツや今後の展望について話を伺った。
インタヴュー:高橋健太郎
構成:井上沙織
INTERVIEW
自分が昔からやってた音楽は、何をやっても出てくる
—聴いてびっくりしました。素晴らしかったです。
「ありがとうございます」
—音楽はどのようにして勉強されたんですか?
「昔から映画が好きで、ずっと映画の何かがやりたいと思っていて。初めは監督になりたかったんですけどカリスマ性に欠けるし無理やなと思って。で、ずっと音楽やってるし、音楽が一番貢献できるかもしれないと思ったんですね。それでパリで4年弱くらい、クラシックを学びつつ、ジャズと民族音楽をかじったりしてました。音楽やってるなら、音楽シーンが強いドイツに行ったほうがいいってみんな言ってたんですけど、フランスは映画シーンが強くて。そのときは映画音楽がやりたかったので、そりゃ映画の強い国に行ったほうがいいだろうと思ってフランスに行きました」
—今のような作品というか、コンポジションはいつごろから?
「高校生のときにアイルランド民族音楽にはまって、本当にコテコテのトラディショナルなアイルランド音楽ばかりを作っていたことがあって。あと当時リバーダンスが流行っていて、来日公演を観に行ったんですけど、それもすごく良くて。当時はそればっかりやってアイルランドに永住しようと思ってました。でも結局、昔からスタイルは影響されている音楽で変わったりしてるんですけど、『自分っぽさ』みたいなものは変わっていないんですね。そのとき習ってた先生にも、「それはもったいない。自分が昔からやってた音楽は、何をやっても出てくるものだから、民族音楽に限らずもっと幅広くやって、作曲家としてちゃんとやったら?」って勧められて。考え直して、もっと幅広くやろうかなって思いました」
—アイリッシュの音楽以外で自分の中でインパクトがあったものは?
「アラブとか…モロッコあたりの音楽とか。モロッコに実際に行って、現地の音楽探求みたいなことをしてました。あとは、トニーガ・トリュフの映画にでてくるような音楽なんですけど、アルジェリアとかの音楽だったり。あと現代音楽はあんまり聴かないですけど、近代音楽はすごく好きです。バルトークとか、東ヨーロッパの近代の感じとか。ロックも好きですね」
「そうですね。キレイな音楽ってあんまり心惹かれないんですよ。やっぱりちょっと面白かったり、変だったり、あとはどこから沸いてるのかわからないパワーのある音楽はすごく好きです。でもそれだけじゃ面白くないから、そのためにラベルとかのキレイな音楽があっても、それはそれで好きです」
—曲は反復が多いですよね。
「それは多分民族音楽にもかなり影響されてると思います。またこのフレーズ!みたいな、しつこいのが好きなんですよね。大体ぱっと出てきた短いフレーズがあって、その出てきたものからインスピレーションが沸いて、脚本書いたりカメラ・ワークを考えたりして。そうすると次はその映像のイメージで曲を続ける、っていう同時進行なのが多いです。だから曲も結構ストーリーがあります」
自分の今までを整理するために選んだ曲
—アルバム制作の経緯を教えて下さい。
「曲はフランスに行く年くらいから書きためていて、歌も歌い始めていたんです。東京に帰ってきてからは弾き歌いでライブをしてたんですけど、ほとんど友達とか知り合いばかりが来る感じで、友達呼んでやるんだったら別にお金払ってきてもらわなくても、タダで友達の前で歌ったらいいしって思っていて。かといってこのままずっと趣味で音楽やっていても仕方ないですから。いいんですけど、それならそれでちゃんとした職に就くとか、そういう風に考えなきゃダメだなと思って。それで今まで作った曲の中で自分の今までを整理するために選んだのがあの曲です。自主制作で作る予定だったので、録音を友達に頼み、その友達の友達のアーティストの子に頼んで演奏してもらいました」
—じゃあ、あの音源自体は完全に自主制作で作ったものなんですか。
「そうですね。一日で録りました。学校のスタジオを借りたんですけど、かなり時間がなくて。最後のほうは「なんとなく反復やから、なんとなく!」ってやってました(笑) ピアノは自分だけなので、別にスタジオ借りて一発録りして。後でエンジニアの方に声を足してもらいました」
—日本のミュージシャンってリズム的につまらなかったり、グルーヴというか譜面にならない部分を表現してもらうのが結構難しかったりすると思うんですけど、そういう部分も含めてすごくグルーヴがあるなあと感じました。ノリがいいというか。それは曲自体のフレーズの反復なり、そういうものからでてきているところもあると思うんですけど、演奏もキレイ過ぎない肉感的な感じがあって凄くいいなあと思いました。
「そこが一番苦労しました。クラシックのキレイな演奏というのを求めているわけじゃないので、もっと土臭い感じにしたいなと。練習してる間も「優等生っぽい感じじゃなくて、もっと荒々しく!」とか言ったり、楽譜にも演劇的な要素を書いたりして。アーティストの人に「よくわからないんですけど…これはスタッカートなんですか?」とか言われても「いや、スタッカートとか技術的な問題じゃなくて、心理的なんですよ」とかいって。そういうところを一番出していきたいなって思って」
—京都的な風土みたいなものは自分の中にあると思いますか?
「京都は高校生とかの大事な時期を過ごしていたので思い入れが深いですね。あとは小学生のときからずっと京都に音楽を習いに通っていたので、景色としての京都はすごく断片的に覚えています。そういう意味では下手したら滋賀県よりも色んなものが心に残っている街かなあと思ってます」
—京都の音楽風土はどうですか? 京都だとロックとかクラブ・ミュージックとかクラシックとかジャズとか、あんまり分かれてない気がしますけれど。
「ああ、そうですね。あんまりジャンルは目立たないかもしれないです。京都のアーティストは面白い人が多いんじゃないかなと思います。音楽とは関係ないんですけど、お笑いの人とかでも好きな人は京都の人が多いんですよね。そういう京都のテンポ感ってあるんじゃないのかなって」
—クラシックの世界とそれ以外の世界は、最近近くなった気はしますか?
「クラシックの人の活躍は確かに前より目に付くことは多くなったかな、とは思います。若い人がクラシックやってたり、のだめ(カンタービレ)があったりとか。でもクラシックを知ってもらうのにポップス的にクラシックをやってしまうのは、あまり私の好きな広め方じゃないというか…。クラシックって堅いイメージがあるから、それもひとつの有効な方法だとは思うんですけど、やっぱり大作の凄いものは大作の凄いもの、と私は思っているので、そういう堅さを残したまま一般の人も聴けたらいいのになって思います」
—これからの活動について、聞かせて下さい。
「ライブをすごくやりたいですね。今回のCDに入っていない、レコーディング後にできた曲とかもありますし。でもリズム的にコロコロ変わる曲が多いから、アーティストを集めても、みんな通しては弾けないんですよね。レコーディングは細かく断片的に録って、編集していけますけど、ライブでちゃんと一曲として演奏するとなると、なかなか難しいんですよね。それから、歌ものを書くのも好きなので、2枚目は歌を中心に作ろうと考えています。最近は日本語で歌もちゃんと書いたりもしていて。元々散文とか書くのが好きで、歌と関係なく文を書いたりしてたので、そういうのをちゃんと歌に出来るようにしたいですね」
LINK
世武裕子 MySpace http://www.myspace.com/sebumusique
NOISE McCARTNEY RECORDS website
せぶひろこ。滋賀生まれ、京都育ち。5歳で初めて曲を書く。02年、音楽を学ぶためにフランスへ渡る。パリ・エコールノルマル音楽院映画音楽作曲科へ入学。在学中、96年公開アカデミー賞受賞作品「イングリッシュ・ペイシェント」のスコアを手掛けたことで有名な作曲家"ガブリエル・ヤレド"と、ジャン=リュック・ゴダール監督「気狂いピエロ」を手掛けた作曲家"アントワーヌ・ドュアメル"と知り合い、その作曲能力 に賞賛を得る。民族音楽への造詣も深い世武はモロッコ、アイルランドへ数週間渡り、民族音楽を学んだ。05年、同校を首席で卒業、活動拠点を東京へと移し、作曲活動を開始。08年、デビュー・アルバムとなる『おうちはどこ?』をNMRよりタワー・レコード限定でリリース。現在、今作あまり見せていない、ボーカルとしての高い才能を発揮した2ndアルバムを来春リリースに向けて制作中。