2018/01/11 19:00

2017年を象徴する作品、シーンはどんなものが印象的だった?──『Year in Music 2017』

OTOTOYが主催するオトトイの学校にて、音楽評論家として活躍する岡村詩野のもと、音楽への造詣を深め、「表現」の方法を学ぶ場として開講している「岡村詩野音楽ライター講座」。

2013年より、年末に製作してきた『Year in Music』。その名のとおり、受講生の選盤によって、その年のベスト・ディスクのレヴューを集めたものになります。今回はそれぞれが2017年に聴いたベスト・ディスクを選定し、レヴューを執筆、さらにその作品が現在のシーンにおいてどういった立ち位置にあるのかを考察し、そのつながりを紐解いた、シーンの総論を掲載します。

ひとりの師を仰ぎながらも音楽の趣味嗜好の異なる書き手たちが選んだ2017年のベスト・ディスクを、2018年につながるひとつの指標としてお楽しみください。

>>スカート・澤部渡が語る2017年に聴きたい旧作<<

『Year in Music 2017』

>>> 共生するために、共鳴する祈り(Text by 高久大輝)
Kendrick Lamar『DAMN.』 / Future『FUTURE』、『HNDRX』 / Lil peep『Come Over When You're Sober,pt1』

>>> 鏡に写った私のように、貴方のことがわかるなら(Text by 井草七海)
The xx『I See You』 / MURA MASA『Mura Masa』 / Loyle Carner『Yesterday’s Gone』

>>> 蛍光色の警鐘(Text by 佐藤みなと)
St. Vincent『Masseduction』 / Tara Jane O'Neil『Tara Jane O'Neil』 / Perfume Genius『No Shape』

>>> (Text by 田島佑香)
DYGL『Say Goodbye to Memory Den』 / never young beach『A GOOD TIME』 / TENDOUJI『MADCITY』

>>> 愛を乞うこと(Text by 及川麗菜)
Tyler,The Creator『Flower Boy』 / Syd『Fin』 / LANA DEL REY『Lust For Life』

>>> かつてなく聴きたかった音(Text by 松本由美子)
高田漣『ナイトライダーズ・ブルース』 / 細野晴臣『Vu Ja De』 / シャムキャッツ『Friends Again』

>>> この時代の「ロック・バンド」として(Text by 尾野泰幸)
The National『Sleep Well Beast』 / LCD SOUND SYSTEM『American Dream』 / Arcade Fire『Everything Now』

>>> 時を超えるように、そばにあるものを(Text by 高久大輝)
PUNPEE『Modern Times』 / BAD HOP『Mobb Life』 / ゆるふわギャング『Mars Ice House』

>>> 時代に寄り添いながらも、ロックの可能性を広げた傑作(Text by 北村奈都樹)
Beck『Colors』 / HYUKOH『23』 / サニーデイ・サービス『Popcorn Ballads』

共生するために、共鳴する祈り(Text by 高久大輝)

Kendrick Lamar / DAMN.

人の感情と向き合うとき、それを受け止めた自分は壊れてしまうかもしれないという一抹の恐怖から、無意識に感受性に蓋をしてしまうことがある。それは自分自身と向き合うときでさえも、例外ではない。

ケンドリック・ラマー『DAMN.』は、その蓋を取っ払い、真っ向から人の感情と自らの罪を受け止める。畳み掛けるようにスピットするラップ・スキルの高さはもちろん、感情の不安定さや登場人物をピッチや声色を巧みに操り表現し、U2、リアーナ、キッド・カプリらが参加し彩りを加える。まさに現行ヒップホップ・シーンの王者たるアルバム。

だがしかし、「BLOOD.」、「LOVE.」、「FEAR.」といった曲名の通り、人間を構成する要素と一つ一つ向き合ってゆく中で繰り返されるのは、“Nobody prayin' for me(誰も僕のために祈ってくれない)"という痛切なメッセージだ。それはトランプ政権誕生の前後、あるいは、人種、宗教、国籍、あらゆる線引きが生まれたときから、他者と共に生きることと、自らの思想や意思、安全の狭間で揺れ動く人々の感情を、そして、自分自身もときに感受性に蓋をしてしまう人間の1人であるという自戒をも、一身に受け止めた男の悲痛な叫びではないだろうか。

そんなメッセージを象徴するように、ジャケットに写る彼の表情は暗い。それが相互理解への諦念、つまり自分の叫びが届くことはないという諦めを意味するとしたら。そう考えたとき、私はハッとした。人は皆違っていて、その差異によってお互いを補い合い、生きているのだと。差異を受け入れることは自分をも受け入れることであり、受け入れたいと願うことこそ、彼の叫ぶ祈りではないかと。

最後にレコードが巻き戻される描写があるように、人は同じ過ちを繰り返してしまうのかもしれない。ただ、それでも諦めず祈ろう、晴れやかな表情でお互いの存在を讃え合うために。(Text by 高久大輝)

トラップ! そのムーヴメントは止まらない!

忙しなく鳴るハット、あるいはスネアの刻みはジョージア州アトランタを爆心地として世界中でラッパーたちのインスピレーションを刺激し、昨年以上に盛り上がりを見せた1年だった。

その中心、アトランタからミーゴスがリリースした『CULTURE』が2017年が始まって早々ににビルボードの1位を飾ると、同じくアトランタからフューチャーが『FUTURE』、『HNDRX』を連続でリリースし、ビルボードで二週連続で1位を獲得する快挙を見せ、まさにトラップ・ミュージックがメインストリームを飲み込んだといっていい。因みに上記したケンドリック・ラマーも、『FUTURE』に収録されたフルートの音色が印象的なヒットチューン「Mask Off」にremixで参加している(世界は繋がっている!)。

またLil peepのリリースした『Come Over When You're Sober,pt1』はエモーショナルで退廃的なギターの音色とトラップのビートが混ざり合う、ロックとヒップホップの間を行き来するような作品だ。ロックとヒップホップの融合は今まで何度も行われてきたが、それはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやリンプ・ビズキットらロック・バンドからのアプローチが主であった印象が強い。しかし今作は早耳なメディアがLil peepをヒップホップ界のグランジと評すほどにヒップホップ側に主導権があることは興味深い。しかしながら先日、Lil peepは21歳という若さでこの世を去ってしまった。死因は精神安定剤と鎮痛剤のオーバードーズ。「シラフになったら会いに来いよ」というアルバム・タイトルが切ない。悲運は彼を27クラブと同じように神格化するかもしれないが、同時にこのムーヴメントの抱える闇を垣間見た出来事だった。

日本でもKOHHをはじめ、BADHOPやYEN TOWNなどのクルーやASIAN KUNG-FU GENERATIONのGotchのソロ作品でもトラップの影響を感じる。その盛り上がりは日本でも存分に味わうことができるのだ。また、ミーゴスの次回作『CULTURE2』はもう既に完成しているらしく、Lil peepについても未発表曲が残っているとの噂もある。来年もトラップ・シーンから目が離せない状況は続く。抱える闇だって克服するだろう。ロックとヒップホップがそうであるように、人はお互いにないものを補い合って共に生きていけるのだから。僕らは目を輝かせて、身体を揺らして、目一杯楽しもう! (Text by 高久大輝)

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鏡に写った私のように、貴方のことがわかるなら(Text by 井草七海)

The xx / I See You

新曲も披露された昨年末の豊洲での来日公演には、その年の中でも屈指の感動があった。壮大さを得たサウンドスケープが、彼らの、他者への積極性を予感させてくれたのだ。その開放感の賜物である本作『アイ・シー・ユー』。だが、果たしてこれはハッピーな作品だろうか? 歌われているのは“私と貴方"それだけ。ヴォーカルの掛け合いは、二つのパラレルな“私"の独白であり、孤独や渇望、やるせなさや切実さが空を切るよう。ではこれらは失恋ソングだろうか? いや、「相手のことがわかればいいのに」という願いはなにも恋愛に限った感情ではない。

昨年ブレグジットの国民投票を突きつけられた彼らが見たのは、何もかもが「あちらか / こちらか」の二項対立に収斂し分断されていく世界の一端だ。鏡張りのブックレットに書いた二つの鏡文字「私が貴方を見るように、貴方が貴方を見られたら良いのに」が彼らの本音だろうーーまさに鏡越しに自分が自分と向き合うように、である。理解できない相手にレッテルを貼り、なじり合う光景は世界の至るところで今日ますます増え続けている。そんな時勢に歌われる「貴方を分かりたい」というメッセージは、極端に普遍的だが、なによりも尊かった。(Text by 井草七海)

枠組みと分断の外へとしなやかに抜け出すUKニュー・カマー

そうだ、ビートに身体を揺らしてステップを踏んで、皆で一緒に歌ってしまおう! どう言われようと、それは幸福なひとときなのだから。ザ・エックスエックスが緻密なアンサンブルで生み出す静と動のうねりに心を踊らせれば、誰もがそう思えるはずだ。普段聴いている音楽も、話す言葉も関係なく。

けれど、他人と手を取り合うことの難しさもまた、昨今の私達は思い知らされている。最たる例が、EU離脱へ向かう彼らの国イギリス。外から遮断された社会は、人々の差異が「アイツは右だ/左だ」などとレッテルを貼り合う図式に絡めとられる危うさも孕む。だからこそ彼らは、今年の頭のアルバムに“貴方を見ている”と名付けたに違いない。それは、イギリスのニュー・カマーたちが、その華やかなトラックに宿すしなやかな価値観とも、大いに共鳴する感覚だ。

たとえば、ガーンジー島出身のトラック・メイカー、ムラ・マサの1stアルバム『Mura Masa』。聴けば一瞬でトリップできる紛れもない楽園ポップスだ。だがあくまで、それを可能にするのはチャーリー・エックス・シー・エックスからデーモン・アルバーンらまで多種雑多なアーティストの客演を、箱庭的なミニマル・サウンドでダンサブルにまとめあげる才覚。つまりは、細分化された多ジャンルを丸ごと呑み込む、包容力のなす業なのだ。

また、サウス・ロンドンのラッパー、ロイル・カーナーは、その暖かな感覚が全く新しい。ふくよかなサウンドで鳴らすゴスペルやソウル、R&B調のトラックには90年代西海岸のヒップホップからの影響を感じるが、本作『Yesterday’s Gone』(2017年)はギャングスタ・ラップ的な男尊女卑とは真逆。母や継父、祖父を題材にしたリリックや、料理をしたり赤ん坊を抱くMVで表現する「男 / 女」という家父長制的な二項対立へのアンチテーゼに、ヒップホップというフィールドにおける新しい感性の萌芽を感じ取れる。

今年のフジロックのステージで、今回のアルバムの名を「ここから君達を見ているってこと」と語ったザ・エックスエックスのオリヴァー。そんな風に、寛容と優しさをオーディエンスに向けるポップ・ミュージックがこれまでイギリスにあっただろうか? セックス・ピストルズのような反抗とも、ブリット・ポップのような英国的な生活の謳歌とも、レディオヘッドのような内省とも、違う。ムラ・マサやロイル・カーナーらからも確かに感じ取れる、この類い稀な懐の深さ。これこそ、分断の外へ一歩踏み出すために、その当事者である国から今まさに発信する感覚だ。(Text by 井草七海)

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蛍光色の警鐘(Text by 佐藤みなと)

St. Vincent / Masseduction

アルバム全体に漂うのは不穏なムード。繰り返すビートに絡めとられて身動きがとれず、聴いているだけで苦しくなってくる。だが次第にそのビートが癖になり、無くてはならないもののように思えてくるから不思議だ。そのインダストリアルな響きは、工場のベルトコンベアに乗る量産型商品になったような気持ちにさせられる。

「まさに今の私だ」と思った。情報を追いきれないからと言い訳をし、興味のある事だけを掘り下げて、自分のカプセルを作って他を遮断して暮らしていたのだ。アメリカでとんでもない大統領が誕生したらしいとか、隣の国からミサイルが飛ぶらしいとか、耳にしても無関心。気に入りの情報だけを鵜吞みにして仕立て上げられた「商品」に成り下がっていた。セイント・ヴィンセントはそんな私に警鐘を鳴らしている。「いい加減目を覚まして、世界は酷いことになっているよ」と。

そして、大切な人と別れた悲しみを冷たいピアノとビートで表した「New York」によって、私が感情を持ったひとりの人間であった事を思い出させてくれた。(Text by 佐藤みなと)

開かれる「苦しみ」が「救い」となる

  「わたしは苦悶の表情が好き、真実なのだと分かるから」とかつてエミリ・ディキンソンは記した。苦しみこそが、噓偽りなく直に人に届くものである事は音楽でも同じだ。作者の苦しみが幾度もの鍛錬を経て音楽へと結晶化した瞬間、それは崇高な響きとなり聴く人を浄化へと導いてくれる。そういった音楽は、生きる上で大きな「救い」となる。

たとえば、タラ・ジェイン・オニール。世界に馴染めない苦しみ、あるいは生きることそのものの悲しみを歌い、内に深く沈殿するような作品で自らをも助けていたタラ。その音楽は、同じ悲しみを持つ者にどれだけ救いとなったことだろうか。前作は自身の喪失体験を癒すような、かさぶたに包まれているような作品だったが、今作『タラ・ジェイン・オニール』は光に満ちている。盟友の死がタラの中に根を下ろし、「死」を内包した「生」としてタラの中で芽吹いているのを感じる。

パフューム・ジーニアスも、新たな地平を開き続けている。自身の存在価値を問い続け、自分と他者、身体と心のずれや違和感を作品にしてきたパフューム・ジーニアスだが、もうそのような苦悩から別の次元にいる。「辿った跡を全て燃やし尽くせ」「枠組みを少し超えて行くよ」と力強い光のようなエレクトロ・サウンドを纏って歌われる今作『ノー・シェイプ』は、苦しみながらも、進もうとする決意が感じられる。自分の音楽が世に受け入れられ、人前で繰り返し表現することが、彼にとって大きな力となったのだろう。その力は、自分という「形」を超えて、ますます外へと開かれている。

そして、セイント・ヴィンセント。彼女は『マスセダクション』において、あえて自身の個人的苦悩を開示してみせた。現代が混乱極まる世界である事を、まず気付かせるために、目の覚めるような極彩色のアルバムを作り、呼び水となるよう戦略的にパーソナルな楽曲を配置している。ひとりの人間としての「生」を呼び覚ましてくれると共に、「いつまでも自身の苦悩に閉じこもっていてはいけない、世界を見渡そう。」と強く思える作品だ。

苦しみにもがきながらも向き合い、やがて外へと開いていくアーテイストの音楽には、力強い「救い」がある。それは混乱極まるこの世界で、嵐の中の灯台のように光っている。(Text by 佐藤みなと)

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多重露光のような1枚(Text by 田島佑香)

DYGL / Say Goodbye to Memory Den

DYGLにとって初のフルアルバムである本作は、ストロークスのメンバーのアルバート・ハモンドJrがプロデュースを務めている。シンプルなロック・サウンドだ。力強く前進する主旋律、淡々としたリズムも曲全体の力強さを引き立てている。本作を聴いてガレージ・ロック・リバイバルを思い出す人も多いだろう。だが私はザ・ビートルズを思い出したのだ。

正直に言ってしまおう。私は00年代のガレージ・ロック・リバイバルを知らない。触れる機会がなかったため、そのジャンルすら知らなかった。それに代わってか、本作を聴いたとき、ザ・ビートルズが思い浮かんだのだ。母親が好んで聴いていたため、普段の生活にザ・ビートルズの音楽があったからだろう。曲の構成や音色などザ・ビートルズのような部分も感じるが、本作がただのコピーではないことは、聴いていて感じる。勢いがありながらも鳴らす音は、丁寧につくられており、またその芯のある音の良さを直球で伝えてくるクリアなハイファイ録音。そういった面から新しい音楽のように聞こえる。まるでモノクロ写真に色をつけたようだ。また、R&Bやホップなど様々な音で装飾された音楽が目立ついま、シンプルな構成のギター・ロックは新しくも思えるのかもしれない。逆に00年代ガレージ・ロック・リバイバルと共に青春時代を過ごした人にとっては当時を思い出すきっかけの1枚になるのではないか。新しく感じる人にとっても、懐かしく感じる人にとっても、本作は過去のロックを改めて聴くきっかけの1枚になるだろう。(Text by 田島佑香)

記憶のレコメンドをたどって

日常にはあらゆる音楽が潜んでいて、テレビや店のBGMなど、身近な場面に音楽はいつも控えめに存在している。そういった身近に潜んでいる音楽の力はすごい。意識して聴かなくても人々の頭の中に存在の記憶を刻んでいくからだ。では存在の記憶を刻んでいくトリガーとは一体何だろう。ひとつは単純接触効果。もうひとつは、聴いたときに音楽にガツンと体を刺されるような衝撃を感じた時だと考える。「何だこれ… かっこいいぞ…」。そんな惚れてしまった言葉を心で熱く叫びながらも表情は恍惚としてしまう、なんとも言えないあの衝撃を忘れないのだと思う。そうやって日常体験から音楽と出会い、音楽を吸収している。

2017年は過去の日常で吸収した音楽に再び出会わせてくれた音楽が私のなかで印象深かった。これは私の体験となるが、DYGL『Say Goodbye to Memory Den』を聴いたとき、ガレージ・ロック・リバイバルを知らなかった私は、前述のように母親の影響で幼い頃から聴き親しんでいたザ・ビートルズを思い出した。クラシック・ロック=ザ・ビートルズという結びつきが日々の生活の中で無意識に出来上がっていたのだろう。定期的にテレビで放送される昭和歌謡の特集番組をよく見ていたからか、never young beach『A GOOD TIME』は加山雄三を思い出した。TENDOUJIの『MADCITY』を聴いた時、子供の頃に見ていたアニメの主題歌に似ている気がして、その主題歌は誰の歌か気になり検索した。歌っていたのはBEAT CRUSADERSだった。こうして今年の音楽を通じて、とうの昔に出会っていた音楽に再会した。単純接触効果もあるだろう。だかそれよりも大きいのは過去の私に無意識に衝撃を与えていた音楽の力のおかげだ。記憶の隅に残っていた音楽を思い出したいがために、これら3作に惹かれてしまったのかもしれない。

SNSがマスメディアよりも力を持つ時代、流行りの音楽と出会うきっかけはマスメディアよりもSNSの方が多いだろう。「#Nowplaying」でシェアされたり、レコメンド機能で出会ったり。お洒落な音楽や芸人のようなアーティストが話題だから聴いてみる。そんな出会いも楽しいし、新しい音楽を知るっておもしろい。だけど自分が過去に良いと評価した音楽と再び出会ってみるのも、おもしろいのではないか。私はそのおもしろさをこの3作に気づかされた。記憶の引き出しを開けて宝探しをするように昔をたどってみる。見つけたその宝は、いまの流行に評価されないかもしれないが、見つけた本人にとってはかなり価値のあるものになるだろう。そんな音楽の聴き方があってもいいと思う。流行なんか気にしないで個人が好きだと思った音楽を思う存分に聴いたっていいじゃないか。多様性な「いま」なのだから。(Text by 田島佑香)

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愛を乞うこと(Text by 及川麗菜)

Tyler,The Creator / Flower Boy

前作”Cherry Bomb"は、「夢を叶えること」が主題に置かれ、タイラーが成功を遂げたことを示す作品だった。今作ではその反動が起きたのか、成功が終わることや、また同性を愛することへの不安を打ち明けている。

同性愛を匂わすリリック自体がこの作品を価値づけるのではない。自身が手掛けるトラックは丁寧に音が重ねられ、メロウで儚げですらある。そのサウンドの上で愛と孤独を描いていることが、この作品の美点ではないだろうか。

会うことのできない想い人を歌った「See You Again」に、胸が締め付けられる。思えば初期から彼は、一貫して愛情を乞い続けていた。女性への暴力衝動を伴った執着も、失踪した父親への憎悪も、愛情を求めてもがいていることの裏返しだった。しかし今作で彼は、そのいじらしくも痛々しい想いを、美しい音楽に昇華することができたのだ。

報われない愛を歌う姿は滑稽で悲しいかもしれない。だが、それが人間の美しさでないとしたら、一体何なのだろうか。(Text by 及川麗菜)

心の窓を開けて

タイラー・ザ・クリエイターの自主企画フェスで、ヘッドライナーを務めたラナ・デル・レイ。またタイラーの盟友であり、バンドとソロの両方で出演したジ・インターネットのシド。この三者は今年、パーソナリティを前面に打ち出しながらも開放感を持つ作品を発表した。

タイラーの最新作では、強烈なワードセンスはそのままに、素直に不安や孤独が吐露されている。しかし嘆くことに終始するのではなく、ストリングスやシンセを重ねた美しいトラックで聴き手を引き込む。彼の音楽的成長を確かに感じさせる作品だ。

シドのソロ作品では、90年代R&Bに強く影響を受けたトラックの上で、羽衣のように舞う歌声を聴くことができる。その声は、ボーイッシュな外見から想像がつかないほどあどけなく、可愛らしさすらある。しかし同性への愛を歌われると、どうにもこうにも艶っぽい。唯一無二のキャラクターを持つ歌い手であることは間違いないが、その個性をあくまでスムースなアーバン・ミュージックとして披露している。

そしてラナ・デル・レイ。これまで「退廃的」などと語られており、閉塞感をも感じさせる作風を築いてきたが、最新作はコーラスを重ねた軽やかさを持つものとなっている。自分の欲求より聴き手を優先させた結果とのことだが、歌声の倦怠感と美しさを生かしたつくりになっている。

三者ともアクは強いが、そのアクの強さは抑圧への反動とも言える。反動を攻撃という形で示すのではなく、親しみやすさを以てリスナーに語りかけているところがポイントだろう。他者と自分の差異をあげつらう風潮に背を向けながら、自分の世界から窓を開いた作品は、リスナーの心にそっと心地良い風を吹かせている。(Text by 及川麗菜)

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かつてなく聴きたかった音(Text by 松本由美子)

高田漣 / ナイトライダーズ・ブルース

今回のアルバムは、かつてなく“自分が聴きたい作品”のアルバムだと高田漣は言う。本作に至るまで、彼は父・高田渡の曲をカヴァーするアルバムを出し、ツアーもするなど、一定の“修行期間”のようなものを自分に与えてきた。おそらく、そうした“修行”が彼独自のスタイル、“自分が聴きたい音”に辿り着かせたのだろう。

そのカギを握っているのが本作における歌詞の大きな変化だと思う。これまでも自作の詞で歌っているが、それほど多くはなかった。だが本作ではほぼ全曲、素のままの自分の言葉で書いている。それはもしかしたらカッコのいいものではないかも知れない。だが、生身の言葉だけに説得力もあるし、人間味もある。そうした変化があったのは父・渡のカヴァー集を出し、それに伴ったツアーもこなしたことで、一皮剥けたからではないか。それによって、曲調や演奏まで変わってきた。「ハニートラップ」はニューオリンズの三管編成にユーモアのある歌詞を乗せ、華やかな感じだ。これまでもジャズ、ブルース、ブギなどのルーツ・ミュージックを取り入れているが、本作では、よりリラックスした演奏で彼自身、楽しんで演奏しているようだ。「Take It Away, Leon」には〈私弾きますスティールギター あなたの街までやってきた〉となんと旅烏のスティールギター奏者高田自身が登場するではないか。

かつてなく“自分が聴きたい作品”のアルバムだと高田は言う。それは、父・渡の曲を歌うなかでいろいろ吹っ切れて、自然と自分の内からでた言葉が歌詞となり、どこにもない桃源郷のようにリラックスした風合いのあるアルバムが出来たということなのかも知れない。

そんな渾身のこの作品が日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞したのも象徴的だ。これまで彼のことを知らなかったような人の元にも届くかも知れない裾野の広いポップ・アルバムになったことこそが、あるいは高田にとっての“自分が聴きたい作品”である証なのではないだろうか。(Text by 松本由美子)

音を旅する音楽家達

流行りに無理に迎合するのではなく、自分に関わりの深いもの、自分のすべき仕事、自分が心地良いと思えることを掘り下げていって熟成されたものは、人の想像力を掻き立て、心を打ち、人の心を癒すだろう。

高田漣は『ナイトライダーズ・ブルース』で、自分の内からでた言葉で詞を書くことで“自分の聴きたい作品”に辿り着いた。

また細野晴臣の『Vu Ja De』はこれまでやってきた思い入れのあるルーツ・ミュージックをカヴァーしたり、過去作では歌入れを断念した「Retort」を自身の歌入りで再録するなど、集大成的なアルバムだと思う。「天気雨にハミングを」は細野の気持ちの良い時のハミングを残している。細野はハミングで曲を作ることがよくあるというが、そんなところからも楽しくチャーミングな作品が生まれたりするのだろうか。サウンド面も丁寧に仕上げている。70歳を過ぎでも尚、音楽への探求心を失わない細野の音楽は私達にイマジネーションを与えてくれる。

シャムキャッツは2016年自主レーベルを立上げてから『マイガール』『君の町にも雨はふるのかい』を発表し、様々な表現を試行錯誤し雑多な音楽を展開していた。そうした過渡期を経た2017年、『Friends Again』で、敢えて音を減らし説得力のある太い音を使ってシンプルに、ひと回り大きくなった安定感、清涼感のあるサウンドで戻ってきてくれた。30代になった彼らの等身大の季節の移ろいを、柔らかく、優しく丁寧に歌いあげる。その世界観は私達に変わらず生きていくことの大切さを伝えようとしているように思える。

それぞれが自分のルーツに立ち返り、こだわりをもって作った音楽は私達の心に深く浸透し、多くのイマジネーションを与えてくれると思う。(Text by 松本由美子)

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この時代の「ロック・バンド」として(Text by 尾野泰幸)

The National / Sleep Well Beast

かつて、R.E.Mは共和党政権という暗闇の中、自らの国の希望ある未来を歌いあげ、ジャック・ケルアックへ捧げられた文学的な詩で、青春への決別をなだらかに歌った。それが、『オートマティック・フォー・ザ・ピープル』(1992年)である。

時は2017年。R.E.Mがいなくとも、私たちにはthe Nationalがいる。共和党政権下のアメリカを取り囲む混乱の中、彼らは本作で、(政治的)暗闇の中でもがきながらも、光を探し求める人々を鼓舞した。そして、ジョン・チーヴァーを引きながら、普遍的なラブ・ソングを紡いだ。そのように、政治性と普遍性を備えつつ、ギターとピアノを基調とした、何よりもキャッチーなポップ・ミュージックを内包した本作に、『オートマティック・フォー・ザ・ピープル』を重ねずにはいられない。本年、その作品が発表から25年の時を経て再発されたことも、the Natinalをめぐる象徴的な出来事としてある。

the Nationalはポリティカルであることと、ロックをただ鳴らすことの間で揺れている。しかし、R.E.Mが類似した葛藤を乗り越え、あえて政治的な役割を選び取ったように、ポピュラリティと政治性を有した音楽を届けることができる、時代を代表する「ロック・バンド」はやはり、the Nationalであると本作は伝えるのだ。(Text by 尾野泰幸)

アメリカの混迷へと向き合うロック・ミュージック

2017年1月。アメリカでトランプ政権が誕生した。彼が声高に叫んだ、移民排斥、白人至上主義、そして多様性の排除の象徴たる国境にそびえたつ「壁」の建設。そのような社会的分断と「他者」の排除が生み出すのは、まさに暴力と不寛容にあふれたディストピアに他ならない。多様性への寛容的精神と「他者」の承認というテーゼを携え、その歴史を培ってきた(アメリカの)ロック・ミュージックは、そのような迫りくるディストピアの足音に対し耳を閉ざすことも、目をそらすこともなく、はっきりと「ノー」を示した。

もちろん、ここでロック・ミュージックに「政治性」が結びつくことの規範性を声高に主張したいわけでは、決してない。しかしながら、2017年という時代において、数々のミュージシャンが、自らの国が直面した、危機的な社会的背景を一因として作品を生み出していったこと。それらの作品が(各々の受容場面における理解は如何にせよ)、ビルボードやSpotifyのヒット・チャートで確実な結果を生み出し、多くの人の耳に届いたということは、本年のロック・ミュージックをめぐる「事実」としてある。

そのような、自らが住まう国 / 地域の政治的混迷に向き合うミュージシャンたちが絞り出し、かつヒット・チャートを確実に上り詰めたという大衆性をも内包しているロック・ミュージックの作品が、本年のポピュラー音楽を駆動したことは忘れられるべきではない。the National、LCD SOUND SYSTEM、そしてArcade Fire。2000年代半ばより、(インディー・)ロックを牽引してきた三者が2017年に生み出した、これらの作品はそのような2017年を象徴するロック・ミュージックとして、まさにふさわしい。(Text by 尾野泰幸)

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時を超えるように、そばにあるものを(Text by 高久大輝)

PUNPEE / Modern Times

目に映るものが全てではないということを、僕らは何度、忘れてしまうんだろう。『Modern Times』はそんなどうしようもない僕らへのギフト。

全編を通して韻に囚われず、日本語特有の語感を活かしたフロウ。要所要所に用いられたオートチューン。「宇宙に行く」でみせるピッチの高低を自在に行き来するメロディ・ライン。そして、いかにもヒップホップ的な金やドラッグ、暴力などのイリーガルな匂いはなく、得意の自虐や映画ネタを交えながら、しがらみの多い世界を、視点を変え楽しむことを提示するリリック。これらは、一聴してこのアルバムがヒップホップ・シーンだけに向けられたものでないことを知らせる。

しかし他方で、ISSUGIが東京のヒップホップの持つクールネスを示す「Pride」や、RAU DEFが長く続くPUNPEEとの師弟関係をライムに込める「Bitch Planet」にストリートからの信頼が滲む。つまり、聴くものを選ばぬ軽やかさを纏うサウンドの中に、PUNPEEの歩んできたヒップホップの世界を確かに感じる。それはきっと、いつもと違う路地を通る帰り道のような、いままで見ていた世界に新たな色を見つけたときの鮮烈な胸の高鳴りだ。はじめからストリートと僕らの見ている世界は地続きだった。気付かされ、視界が開けてゆく。

クレジットをみると“scripted by PUNPEE”と表記されている通り、サウンドからリリック、客演まで俯瞰した視点から自覚的に、意図を忍ばせて描く作家性は宇多田ヒカルや加山雄三らも惹きつけている。

SNSのタイムライン、YouTubeのオススメ動画、Amazonのオススメ商品。見たかったはずのもの、欲しかったはずのもの。無意識に自分という檻に閉じ込められてしまう時代でも、ありふれた日常に潜んでいたものに実態を感じた瞬間、僕らは生きながら、生まれ変わったように世界を楽しむことができる。大丈夫、世界は繋がっていて、どこへだっていける。そう思えるきっかけが、この1枚に詰まっている。(Text by 高久大輝)

誰のためでもなく、パーティーへ向かおう

ZORNが〈洗濯物干すのもHIPHOP〉と宣言し、C.O.S.A.が〈心のGhetto〉と表現したように、アメリカから海を渡りやってきたヒップホップは、ここ日本でも破壊と再定義を繰り返している。

たとえば、BAD HOPの初の全国流通盤『Mobb Life』は、まるでアトランタのギャングの一室から漏れたWeedの煙が、川崎市南部の工場地帯から吐き出される煙と混ざり合うように、現在進行形のトラップ・ミュージックとの親和性の高さをみせる。生まれた街に縛られて、生まれた街で繋がった仲間。劣悪な環境で出会ったヒップホップは少年たちのそれまでを武器に変えた。そんな奇跡は、徐々に貧困の差が拡がるここ日本で、ロック・バンドに取って代わりキッズを勇気づけ、また新たな奇跡を生むだろう。

一方で、ゆるふわギャング『Mars Ice House』の放つ極彩色の輝きは異質だ。ザ・ブルーハーツの歌詞のサンプリングや独特な比喩表現を含むリリックが、Automaticによるカラフルで浮遊感のあるトラックと重なると、別の次元へと吸い込まれるような感覚に襲われる。孤独だった過去を持つ2人が、ステージ上でフィールし合うとき、1人でいるとき不意に襲う孤独も、都会の雑踏の中で浮かぶ孤独も、SNSの中ですら感じてしまう孤独も、好きな人と笑いあったときの素晴らしさを際立たせるためにあるのだと信じられる。

紹介した2作品が弱さを強さに変えたように、そして仙人掌が〈HIPHOPが全て肯定に変える〉と叫んだように、過去、現在、環境、差別や偏見まで、全てを肯定に変えるヒップホップが音量を上げている。まだ体感していないなら、週末はパーティーにくり出そう! 怖いイメージもあるかもしれないけれど、この音楽は確かに、君を肯定している。ちょっと強面のお兄さんも、キラキラ眩しいお姉さんも、同じ音楽で繋がっている。たった1歩でも、踏み出すことは難しかったりするけれど、心配はいらない。この音楽はその1歩を、しっかりと肯定に変える。(Text by 高久大輝)

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時代に寄り添いながらも、ロックの可能性を広げた傑作(Text by 北村奈都樹)

Beck / Colors

本作『Colors』はポップなアルバムであると同時に、ロックというジャンルの可能性を広げようとした作品であると思う。たしかにこれまでだって、ベックは挑戦してきたかもしれない。だが、Apple MusicやSpotifyの普及によって新しい音楽が次々と配信されているこの時代に、ロックにこだわった作品をつくることは難題だったはずだ。それでも、ベックは「ロックへの愛」を崩さずに作品を作つくり続けている。その事実に、私は強く感動するのだ。

といっても、このアルバムはとりわけポップだし、隆盛するブラックミュージックの要素もある作品だ。ただ一方で、確かに感じるのは、後期ザ・ビートルズからブラーまでのバンドたちの存在。いってしまえば、時代に寄り添った音楽をつくりながらも、そのなかにロックを溶け込ませているような感覚すらある。そういった点からは、ベックのチャレンジ精神を感じずにはいられないし、本作でのこの試みは、ロックがいかに様々なジャンルに溶け込み変幻自在に形を変えられるものであるかを、私たちに気づかせてくれたのだ。

自分はどうしてロックに夢中になったんだろうか、そんなことすら考えるようになっていた近年。こんなアルバムが出るなんて思いもしなかった。ベックは、ロックに私を再び向き合わせてくれたのだ(Text by 北村奈都樹)

2018年ロックの再定義

23

HYUKOH

¥ 3,300

2017年もやっぱりロックがおもしろい。この1年は、ジャンルの形が変わっていく過程をみているようだった。しかも、決してロックという大きな基盤を壊して造り直して… という感じではない。どちらかといえば、“スルスル”である。スルスルといろんなジャンルに入り込んで、新しいロックを形成していく、そんなイメージだ。わたしはそんな動きを、いままでみたことがなかった。だからこそ、ワクワクして仕方なかった。

その筆頭といえるのがヒョゴの『23』。レッド・ホット・チリペッパーズを思わせるファンキーなギター・サウンド、伸びやかでソウルフルなオ・ヒョクのボーカル… その他にも感じ取れるヒップホップやR&Bなどのブラックミュージック要素。それをあくまでも生バンドで成立させようとする点からは、彼らがブラックミュージックを「ロック」として昇華させようとしてることがうかがえる。

そして、その動きは海外だけではない。日本だってそうだ。その代表作としてサニーデイ・サービス『Popcorn Ballads』が挙がるのではないだろうか。特筆すべきは、3曲目「街角のファンク(feat. C.O.S.A & KID FRESINO)」。曲がはじまってすぐのファンクなビートには驚かされ、やっとサニーデイらしいメロディが入ったかと思ったら、次はC.O.S.A、KID FRESINOのラップが繰り広げられるという流れ。現代のブラックミュージックとロックが互いに歩み寄って溶け混んでいるような感覚を覚える。

ブラックミュージックに溶け込んでいくというロックの新しいカタチが形成されはじめた頃に、私たちの前に現れたのがベックの新作『Colors』だ。この作品は、2017年の音楽を総括しているだけでない。ロックは様々なジャンルにも溶け込ませることができ、実に幅広い表現力を併せ持つジャンルであることを教えてくれた。これまでは、ロックという大きな基盤に別の音楽が入り込んでいくことはあったかもしれない。けれど、いまはそんな時代じゃ無い。ジャンル同士互いに歩み寄っていくことで、新しい音楽がつくられていくのだ。(Text by 北村奈都樹)

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1月期のテーマは「新人を発掘し、紹介する方法を学ぶ」です。 YouTubeやSoundCloudなどの出現によって、まだCDリリースをしていないバンドやミュージシャンの音楽を簡単に聴くことができるようになった現代。「実はこんなかっこいいバンドいたんだ……!」なんて経験をしたことはありませんか? 今回の「岡村詩野音楽ライター講座」では、CDのリリースもまだ1枚、さらに言うとCDリリースもまだしていないような新人アーティストをピックアップしていきます。ライティング技術の向上を目指し、多くの方にその音楽の良さを伝える方法はもちろん、アーティストをいち早く探し出し、どうしたらその音楽の良さを伝えることができるかというテクニカルな部分も存分に伝授します。さらに最終的には、そんな新人アーティストをまとめ、『ルーキー・ブック2018』の製作を目指していきます。あなたの書いた文章で、まだ世の中に知られていない若手アーティストの魅力を伝えてみませんか?

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