2024/05/24 19:00

ボズ・スキャッグスが歩んだ音楽性

本記事でフィーチャーされている楽曲のプレイリストはコチラ、ぜひ聴きながらお読みください

高橋 : 1979年にリッキー・リー・ジョーンズのデビュー・アルバムが出て、あれが70年代最後の西海岸のシンガー・ソングライター名盤という感じで、でも、本当にそういうアルバムが数少なくなって、一方ではイギリスのニューウェイヴ系の音楽が刺激的だったから、僕もあまり米西海岸の音楽を聴かなくなってしまった。でも、そういう中でもスティーリー・ダンとボズ・スキャッグスは失速しなかった。時代に左右されず、頑固に自分達の進むべき道を進んでいた気がして、だから、よく聴いたんですよね。どちらもブルーズが底にあって、その上で洗練された音楽に向かっていったアーティストだったからなのかもしれない。6曲目に選んだ「How Long」は、そのボズの最初期の録音です。

山本 : これ、調べましたけど、1965年みたいです。

高橋 : 一人でカントリー・ブルース、フォーク・ブルーズを歌ってて、やっぱり原点はここなんですよね。

山本 : 初めて聴いたんですけど、すごくいいアルバムですね、これ。ボズは60年代前半からイギリスに行ったり、結構ヨーロッパで過ごした時期が長かったみたいですね。これはスウェーデンのポリドールから出ています。

高橋 : スウェーデンでこのソロ・アルバムを録音した後、アメリカに戻り、サンフランシスコでスティーヴ・ミラー・バンドに参加するんですね。その後、1969年にマッスル・ショールズに行って、アトランティックからのソロ・アルバム『ボズ・スキャッグス』を作ります。ボズのキャリアって、カントリー・ブルーズ、フォーク・ブルーズから始まり、この『ボズ・スキャッグス』ではシカゴ・ブルーズの曲を取り上げたり、非常に泥臭いブルーズ・ロックをやっていた。そこからアルバムをごとに、だんだんソウル・ミュージック的な感覚、現代的な洗練を加えていって、『シルク・ディグリーズ』まで行きつく。

山本 : そうですよね。スティーブ・ミラー・バンド時代から知っているリスナーは、1976年の『シルク・ディグリーズ』の大ヒットでびっくりしちゃった。でも、彼の中では矛盾ない流れだったのかも。

高橋 : うん、何か一人でブラック・ミュージックの歴史をなぞっているようなところがあるんですよね。『シルク・ディグリーズ』の一枚前の『スロー・ダンサー』というアルバムは、ジョニー・ブリストルというモータウンの裏方だったミュージシャンにプロデュースを任せています。1974年、ジョニー・ブリストルがソロ・アーティストとして最初のアルバムを出したのも同じ年ですね。『スロー・ダンサー』はミュージシャン・クレジットがないですが、たぶん、ジェームズ・ガドソンとか、ブリストルお抱えのミュージシャン達とのセッションで、ここでボズは完全にその時代のソウル・ミュージックに追いつくんですね。その先の一歩進んだ音楽に挑んだのが『シルク・ディグリーズ』で。

山本 : 「Lowdown」はびっくりしましたよね、最初聞いた時。フルートが入ったりストリングスが入ったりするのは、もとはフィリー・ソウル影響なんでしょうが。

高橋 : もうソウル・ミュージックの真似ではなく、TOTOのメンバーとともに、新しいものをクリエイトしようという意識が強くなったんだと思います。

山本 : それで、『シルク・ディグリーズ』と『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』はエンジニアがトム・ペリーでした。スタジオはハリウッド・サウンド・レコーダー。それが『ミドル・マン』になると、エンジニアがビル・シュネーに代わる。そこでちょっと音が変わった感じもしますが、ビル・シュネーが根城にしてたスタジオはどのへんですか?

高橋 : シュネーはロスアンジェルスのベテラン・エンジニアで、アメリカン・レコーディングというスタジオ出身ですが、この頃はいろんなスタジオで仕事していますね。1981年に自身のビル・シュネー・スタジオを建設しますが、『ミドル・マン』はその直前で、サンセット・サウンドとチェロキー・スタジオでレコーディングされています。ボズがここでビル・シュネーを使ったのは、やっぱりスティーリー・ダンのへのライヴァル意識からじゃないかという気がしますね。シュネーはスティーリー・ダンの『エイジャ』のレコーディング・エンジニアでしたから。

山本 : それは面白い指摘ですね。

高橋 : スティーリー・ダンのエンジニアで一番有名なのはロジャー・ニコルスという人です。彼はロスアンジェルスでバンドのデビュー前から一緒にやっているメンバーの一人みたいな。でも、だんだんエンジニアというよりは、ドラム・コンピューターの開発とか、そっちに重心が移っていった。で、『エイジャ』ではロスアンジェルスとニューヨークを往復してレコーディングするようになり、ニューヨークのA&Rスタジオではエリオット・シャイナーがエンジニアを手掛けた。ミックスもシャイナーですね。ロサンジェルスではビル・シュネーが主にレコーディングを担当したようです。

山本 : なるほどね。『シルク・ディグリーズ』〜『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』と『ミドル・マン』って、ちょっと音調の違いがあって、どちらも音は良いと思うんですが、 後者の方がちょっときらびやかで、ちょっと厚ぼったい感じ。

高橋 : そうそうそう、濃厚な、肉っぽい、脂っこい感じのテイストがありますよね。

山本 : 『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』は楽器数も少ないし、もっとエアー感のあるサウンドだった。

高橋 : 『ミドル・マン』はぐっと肉厚ですよね。それはTOTOのサウンドというか、スティーリー・ダンにはない感覚。そういえば、スティーリー・ダンにはTOTOのメンバーはほとんど起用されない。ジェフ・ポーカロは1975年の『Katy Lied』でたくさん叩いていましたが、『シルク・ディグリーズ』以後は使われていない。そのへん、ちょっとスタジオ・ミュージシャンの派閥とか、世代とか、そういうものが感じられる。

山本 : そうですね。こういう妄想をたくましくするのは楽しいですよね。

高橋 : で、TOTOのメンバー、とりわけ、スティーブ・ルカサーをフィーチュアして、スティーリー・ダンが使うような大人のスタジオ・ミュージシャンではできないことをやったのが『ミドル・マン』じゃないかなと。『ミドル・マン』の、この肉厚なロック・サウンドが良いと思うんですよね、僕は。

山本 : うんうんうん。やっぱり、1980年という時代の変わり目を感じる音ですね。この頃って、それこそリンダ・ロンシュタットとかも、ニューウェイヴのロックっぽい方向に行きます。

高橋 : ナックの「マイ・シャローナ」が大ヒットして。

山本 : そうです、そうです。ダニー・コーチマーなんかも、この頃、そういう方向に行きましたよね。

高橋 : ワディ・ワクテルと二人で、ギターをがーんと鳴らす。

山本 : はいはい、それが格好良かった。

高橋 : 『ミドル・マン』もそういう感じはありますね。スティーヴ・ルカサーは『ダウン・トゥー・ゼン・レフト』の頃はギブソンのES-335を弾いてたんですよ。それがロスアンジェルスのスタジオ・ミュージシャンのスタンダードだったから。でも、『ミドル・マン』ではレス・ポールを弾きまくっている。ラリー・カールトンみたいなスタジオ・ミュージシャンのプレイじゃない。ロックンロールですよね。

山本 : レスポールだと音が太い?

高橋 : 太いし、伸びるし、弾くことが自体にハードな肉体性がありますね。あと、時代の変わり目といえば、「Angel You」のイントロでデヴィッド・ペイチが弾いているポリフォニック・シンセ。このサウンドが80年代の幕開け感があります。

山本 : でも、80年代っていうと、ドラムの音をやたらいじるようになるじゃないですか。ノイズゲートかけたり。

高橋 : サンプルで完全に音を差し替えたり。

山本 : まだ、そういうことはやっていないですね。

そして現在のボズ・スキャックスへ

高橋 : ボズ・スキャックスは70年代を通じて、泥臭いブルースから洗練されたソウル・ミュージックへ、さらにはTOTOのメンバーと作り上げるモダン・ロックンロールへと進んだ感じですけれど、この『ミドル・マン』がひとつの到達点で、以後は安定した感じになりますね。そして、現在までずっと安定した活動を続けている。日本ではずっと人気があって、来日コンサートもいつも盛況です。

山本 : 日本では『ウィー・アー・オール・アローン』の人気が大きかった。今年2月ぐらいに来ましたよね。

高橋 : 近年のアルバムも良いんですよね。

山本 : 最近めちゃくちゃいいですよね。もう80歳ぐらいですが。

高橋 : プレイリストでは2018年のアルバム『アウト・オブ・ザ・ブルーズ』の中からニール・ヤングのカヴァーを入れました。

山本 : 2010年代に入ってから、『メンフィス』、『ア・フール・トゥ・ケア』、『アウト・オブ・ザ・ブルーズ』という3枚のアルバムを出してますが、これ僕、3枚ともめちゃくちゃ好きなんです。

高橋 : 原点に帰ってきた感じのブルーズ色の濃い内容でけれど、ボズにしかない洒落っ気や滋味みたいなものがある。どのアルバムも安定して良いですね。それから昨年、『コロムビア・レアリティーズ(1977〜1981)』というレア・トラックを集めたコンピレーションが出ました。これがまた良いんですよ。その中から「Look What You’ve Done」というバラードの曲をプレイリストに入れました。

山本 : これ、マスタリングもいいですね。それと、2013年のアルバム『メンフィス』以後、三枚のアルバムをLPで持ってるんですけど、ジャケットのクレジット見るとね、スペシャル・サンクス・トゥのところにパス・ラボの名前が入ってるんですよ、

高橋 : アンプ・メーカーのパス・ラボですか?

山本 : そう、このメーカーの総帥のネルソン・パスというのは、伝説的なアンプ設計者で、スレッショルド作って、その後、パス・ラボというアンプ・メーカー作って、まさにアメリカンハイエンドの伝説的な人物なんです。

高橋 : パス・ラボのアンプって、すごい大きなフィンのついてる。

山本 : そうですそうです、この人もサンフランシスコの人なんですよね。で、サウサリートに自分のファクトリーを持ってて、ボズがパス・ラボのアンプをレコーディングで使っているのかちょっと分かりませんが、おそらく同世代。パスの方が少し若いくらいで、70年代にはロック・バンドのPAの仕事なんかもやってたんじゃないかと思うんですよね。

高橋 : サンフランシスコって、そういうのがありますね。グレイトフル・デッドのPAを作っていたのが、マーク・レヴィンソンのデザイナーだったジョン・カールだったり。

山本 : そういう風土があるんでしょうね。ネルソン・パスもずっと長髪だしね、今はデヴィット・クロスビーみたいな感じになってますけれど。

高橋 : ボズはオーディ・オマニアじゃないかって気がしますね。

山本 : うん、そんな感じしますよね。多分、ネルソン・パスと色々やってるんじゃないかと思います。いやもう、スレッショルドもパスラボもね、めっちゃ音良いですからね、非常にシンプルな回路のアンプですが。

高橋 : 発熱が凄そう。でも、ボズの『ミドル・マン』なんかは確かにそういうアメリカン・オーディオで聴きたい感じがします。

[連載] Boz Scaggs

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