駆り立てて、何かを能動的にやるきっかけを与えたかった
──ファースト・アルバムは表題曲の1曲を除いてオオスカさんが歌唱を。今作はぺやんぐさんが全曲歌唱している。メンバーが同じなのできちんとファーストから地続きな感じはするんですが、大きく変わった部分もあるわけです。驚いてる方もいるのではないかと。
オオスカ:俺的にはセカンド・アルバムでベヤングが全部歌うみたいなことは、バンド組んだ時から自分の中で決まってたんで、そんな驚くんだな、っていう感じ。別にみんな曲書けるんだったらみんな曲書いて歌えばいいんじゃないかって思ってる。で、うちはメンバー2人しかいないんで、それぞれわかりやすい挨拶盤を作りたくて、この2枚のアルバムができました。
──ファースト・アルバムが名刺的なアルバムになったとnoteで読んでから今作を聴くと、ファースト・アルバムだけじゃNikoん全体の名刺としてはまだ完成していないなと感じていました。
オオスカ:そうそう。変な話、ファースト・アルバムでダブルCDセットでもいいんですけど、ツイン・ボーカルのバンドにしたいわけじゃなくて、フロントマンが2人いるバンドにしたかったんで、わかりやすいように分けました。
──ありがとうございます。とても腑に落ちました。前作はメールで購入の旨を伝えたら音源が無料で送られる。そのうえで、自身が感じた価値を指定口座に振り込む、という投げ銭制を採っていましたよね。
オオスカ:あれに関しては、俺たちのアルバムが聴き手からみて、どれくらい金額払う価値があったんだろうっていうのを一回考えてもらいたかった。考えればその人の心の中には思考が残るわけで、同じくらい葛藤してくれるんじゃないかなって思った。葛藤してくれなかったらその程度の作品なんだなって自分で思うし。
──ファースト・アルバムのリリースのタイミングで「現段階のNikoんでは、サブスクをやる意味を特段感じない」みたいなことをおっしゃっていたと思うんですが、今だったらどうですか?
オオスカ:サブスクやった時もやってない時も、損したとか得したみたいなことは感じてない。ただ、目に見えないデータ上の統計で何万再生されても、そのうちの人がどれくらいの熱量で聴いてくれてるかは分かんないわけで。それを、より分かりやすく、自分たちが見える形にしたくて今の聴かせかたを始めた。って感じです。
──なるほど。配信をしないことに対して、周りに波及してほしいみたいなことも思ってないわけですね。
オオスカ:うーん。いろんな形があっていいんじゃない。って思ってる。別にCDのカルチャーがまた復活してほしいとかも思わないけど、みんな好きにやってくれればいい。けど、逆に言うとみんながみんなサブスクだけじゃないですか、いろんなやり方があるはずなんだけど、みんながやってるからって同じ向きに倣うのって不自然ですよね。
──そのうえでNikoんはCDという選択肢をとった。冷静に見ると特別なことはしていないですね。
オオスカ:単純に作った側の意見として、手に取れるもので欲しかったっていうのもある。9月からはファーストもセカンドも全国のレコード店で流通するわけで、通販でも買える。サブスクよりちょっとめんどくさいくらいですよ。家にいても送料込みで3,000円台で買えるわけで。その分努力したものって、俺は価値があるのかなって思うし、俺はリスナーの時にそうだった。CD屋とかライブハウスに買いに行って得たものって大きいんじゃないかな。
──CDは形の一つでしかないわけですよね。ツアー・ファイナルで入場者に無料で配っていた“さまpake”のCDは、ディスクにシールが貼れるけど、貼る前に取り込んで聴いてくださいと注意書きがありました。フィジカル媒体を盲信しているわけではないし、そこでMVで聴ける音源を選んだのも、あえてCDで聴かなくて良いよと言っているようで、説教臭くCDの良さを説くわけでもないのが凄いなと。
オオスカ:「CD買って聴くって文化ってなんなん?」っていう価値観もそれは正論なわけで。今一番わかりやすい媒体としてCDが残ってくれてるからそれを使ってるけど、作品は作り手としても受け取り側としても、大事なのは熱量の有無で。説教するというか、駆り立てたかったっていうか、何かを能動的にやるきっかけを与えたかった。
──CDに親しみがない人へ、フィジカルに触れるきっかけを提供するというのは意図としてありましたか?
オオスカ:自分が享受してる芸術や生活の一個一個のことにちゃんと向き合うこととか、自分はどう思うかを考えてるのってカッコいいよって言いたい。まあそれが説教臭いところもあるんだけど...。それくらい言わないとみんなやんないし分かんないっていうところもあるから。
──これをきっかけに所有欲、購入体験みたいなものに気付いてくれたら最高ですよね。
オオスカ:まあそうですね。これが窓口になって、映画館に映画を観にいくでもいいかなと。究極、サブスクって、まだ作り手が想定してない受け取り方だと思うんですよ。サブスクしか経験していない音楽家っていうのはまだあんまりいないわけじゃないですか。ロック・バンドは特に「ながら聴き」されることは誰も想定してないと思うし。
──CDをレンタルして音楽と出会う、みたいな印象的な体験は今でも感じることはありますか?
オオスカ:俺は音楽以外のカルチャーで感じることが多いかな。映画館という場所は、絶対に映画を見なきゃいけない場所じゃないですか。携帯も触っちゃダメだし。でもだからこそ良いところもある。コンサートとかクラシックとか、逆にプロレスとかもそうで、生で見て、経験する。あの映画館のあの席で見た映画すごく良かったなとか、あの時ああいう思いで聴いたあのCDがすごく良かったなとか。リアルに自分で能動的に動いてチケットを取りに行ったりとかして、ある程度制限されたほうが感動することが多いと思いますね。
──ライブハウスも最たる例ですよね。体を動かして、感じる。
オオスカ:まあ感じなくてもいいね。その表現だけを、その人が、その瞬間は絶対に享受する。そういう一番いい状態で提供するわけじゃないですか。小説だったら本の装丁とかまで考えて、こういう重さで、こんな風に手に取って、この肌触りだったらすごくいいものだなとか。CDもこの肌触りでこの歌詞カード持ってるときはこういう開き方のほうが見やすいよなとか。そうしてくると、自分が勝ち得た娯楽の深さが違うっていうか、表現する側の意図もより感じれるんじゃないかなと。
──もちろん自分も利用していますが、サブスクって「聴けるけど所有していない」という不思議なシステムじゃないですか。オオスカさんはどう考えていますか?
オオスカ:サービス自体を否定はできないかな。便利だし、サブスクがあったからこそ広がった音楽もある。昔の音楽がまた新しく再ブレイクするとかって、CDだけだったら絶対にないじゃないですか。だから全くもって悪いサービスだと否定したいわけじゃないし、下げるつもりもない。なんなら俺らもサブスクで音楽聴いてるけど、ただ、俺らの音楽は、俺らが思ってる形で受け取ってほしいなって。
──今の若い人はサブスクがスタンダードの世代になっています。Nikoんの施策で、熱量の込められた音楽がそういう人にも届いて欲しいという想いはありますか?
オオスカ:届いて欲しいというか、そういう形をかっこいいと思う人もいたらいいなって思う。音楽や表現を享受するときに「あっちもあんだけ気合い入れて作ってるんだから、こっちも気合い入れて聴かなきゃな」みたいな文化が流行っていけば嬉しいですね。「君はサブスクで音楽を聴いてるから何も分かってないよね」とか言われる世代になっちゃったら可哀想じゃないですか。そんなことこっちも言いたくないし、生きてる時代が違って知らないだけなんだから、まずは知ってほしい。