大西順子が語る、ジャズ・ピアノ──アート・テイタムから現代まで
つい先ごろ、約8年ぶりのピアノ・トリオ・アルバム『Glamorous Life』、そして初のバラッド集『Very Special』と2枚同時に新作をリリースしたばかりのジャズ・ピアニスト、大西順子。OTOTOYでは新作に関するインタヴューに続いて、こちらのページではその後編、特別企画として、ジャズ評論家、柳樂光隆を聞き手に、大西にレジェンダリーなアーティストから現代にいたるまでのジャズ・ピアノに関して語ってもらった。レジェンダリーなジャズ・アーティストたちに直接師事、またはバンドのいちいんとして共演し、まさに世界レベルで活躍してきたピアニストたる大西の、その審美眼を通して分析される、ジャズ・ピアノはまさに目から鱗ものの情報ばかりです。
8年ぶりとなる待望のレギュラー・トリオ作品
大西順子トリオ / Glamorous Life(24bit/96kHz)
【Track List】
01. Essential
作曲 : 大西順子
02. Golden Boys
作曲 : 大西順子(モントルーLIVE盤『Play Piano Play』より再演)
03. A Love Song (a.k.a Kutoubia)
作曲 : 大西順子
04. Arabesque
作曲 : 大西順子
05. Tiger Rag
作曲 : Nick LaRocca, Eddie Edwards, Henry Ragas, Tony Sbarbaro,Larry Shields / 1917年にODLJが録音。ジャズ誕生100周年。
06. Almost Like Me
作曲:Hasaan Ibn Ali(ハサーン)
07. Hot Ginger Apple Pie
作曲 : 大西順子
08. Fast City
作曲 : Joe Zawinul(ウェザーリポート)
09. 7/29/04 The Day Of (from "Oceans 12")
作曲 : David Holmes
【配信形態 / 価格】
24bit/96kHz WAV / ALAC / FLAC
AAC
単曲 324円(税込) / アルバムまとめ購入 2,700円(税込)
パーソネル
大西順子(piano)、井上陽介(bass)、高橋信之介(drums)
10年以上も前から温め続けたという、ホセ・ジェイムスも参加の初のバラッド集
大西順子 / Very Special (24bit/96kHz)
【Track List】
01. Very Special~Intro~ feat. 高橋信之介
作曲 : 大西順子
02. I Cover The Water Front feat. 馬場孝喜
作曲:Johnny Green
03. Lush Life feat. ホセ・ジェイムス
作曲:Billy Strayhorn
04. Easy To Love feat. 馬場孝喜
作曲:Cole Porter
05. 舟歌(ピアノ曲集『四季』第6曲より)feat. 大西順子(Rhodes)
作曲:Pyotr Ilyich Tchaikovsky
06. 柳の歌(オペラ『柳の歌』第4幕より)feat.森卓也, 佐藤芳恵
作曲:Giuseppe Verdi 編曲:狭間美帆
07. Começar De Novo (The Island) feat. 馬場孝喜
作曲:Ivan Lins
08. A Flower Is A Lovesome Thing feat. ホセ・ジェイムス
作曲:Billy Strayhorn
09. How Do You Keep The Music Playing feat. 馬場孝喜
作曲:Michel Legrand
10. After The Love Has Gone feat. 馬場孝喜
作曲:David Foster, Jay Graydon, Bill Champlin
11. Very Special~Outro~ feat. 井上陽介
作曲 : 大西順子
【配信形態 / 価格】
24bit/96kHz WAV / ALAC / FLAC
AAC
単曲 324円(税込) / アルバムまとめ購入 2,700円(税込)
03「Lush Life」、08「A Flower Is A Lovesome Thing」は単曲購入不可、アルバムまとめ購入のみダウンロード可能。
パーソネル
大西順子(piano, rhodes on 5,9)、馬場孝喜(guitar on 2,4,7,9,10)、ホセ・ジェイムス(vocal on 3,8)、狭間美帆(arrangement, conduct on 6)、森卓也(clarinet on 6)、佐藤芳恵(bass clarinet on 6)、高橋信之介(cymbal on 1)、井上陽介(bass on 11)
INTERVIEW : 大西順子が語るジャズ・ピアニスト列伝
インタヴュー : 柳樂光隆
構成 : 河村祐介
──後半では大西順子さんにジャズ・ピアノの話をしてもらいたいなと思っていて。例えば今回の資料にはアート・テイタムという名前が出てきます。大西さんにとってアート・テイタムはどんな存在なんですか?
すべてと言っていいかもしれません。本当に唯一無二の天才ってこの人しかいないなっていうぐらいの。まず、ピアノの楽器としての扱いが他のアーティストではありえないですね。しかも誰かのレッスンを受けているわけでもないでしょうし、しかも目も見えない。あの時代に点字の楽譜なんかないわけですから。すべて耳と手の感覚を頼りに独学で習得したスタイルですからね。当時のピアニストは、ベーシストの役割とピアニストの役割を両方担うというのがいまと違って当たり前だった時代で、その機能を完璧にできた上で、さらにありえないテクニックがあった。これは生まれつきピアノとの相性が良かったとしかいいようがないかもしれませんね。
アート・テイタム(Art Tatum)
1909年10月13日生〜1956年11月5日没
先天性的な視覚障害者ながらすばらしい技巧を誇ったピアニスト。1920年代半ばから死没する1950年代中頃にかけて活躍し、同時代のアーティストはもちろんのこと、チャーリー・パーカーなどにも影響をを与えた。
──なぜそんなアーティストになったんだと思いますか?
視覚がダメな分、聴覚が鋭くなったのかもしれません。彼の聴力は普通よりも(時間軸的に)速くて、普通の人が速すぎて聴き取れない細かいフレーズも普通のテンポで聴こえていたと言われていて。そこから細やかなグルーヴの表現が出ているんだと。そこでは、ベーシストが引っ掛けるフィールとか、もちろんスピードの速い曲でも、全部ピアノと指だけで、ブラシとか、キックとか表現してしまうんですよ。
──アート・テイタム、注目はどの時期ですか?
前期のソロ・ピアノはバカテクで、音源的にもものすごい残っているので有名ですよね。でもやっぱりすごいのは後期、1940年代だと思います。1940年代に成立したビバップは、(その特徴として)一般的にハーモニーのことを言うじゃないですか。具体的にいうと、チャーリー・パーカーの演奏したあの“ウネウネ”のラインだと言われるわけですけど。あれは管楽器でハーモニーを表現するための動きになったわけで。でも、そういったハーモニーのアイデアは1940年代になる前からアート・テイタムのなかにはあるんですよね。
チャーリー・パーカー(Charlie Parker Jr)
1920年8月29日生〜1955年3月12日没
1940年代のジャズにおける一代革命、ビ・バップ奏法を生み出したアルト・サックス奏者。1947年にディジー・ガレスピーとともにビ・バップの誕生を宣言したと言われるアルバム『Bird & Diz』と言われている。若き日のマイルス・デイヴィスを起用したことでも知られている。
──なるほど。
これはメアリー・ルー・ウィリアムスという人も認めているんですけど。この意味で、すでにアート・テイタムは発明をしていますよね。当時はみなアート・テイタムを目指していた。例えば、パーカーも地元の家庭を捨ててまでLAに行った。それはアート・テイタムを見るためなんです。そんな状況からしてもアート・テイタムの存在は唯一無二じゃないですか。(セロニアス)モンクもアート・テイタムだけは避けて通れないことを自覚しているところは絶対あると思うんですよ。スタンダードばっかり集めてるピアノ・トリオの作品とかも、モンクの選曲からしても確実に意識していると思います。その時代の流行り曲というのももちろんあるんですけど、その曲をあえて選ぶというのは、絶対にアート・テイタムに自分を、モンクなりに挑戦させようとしていると私は思っています。アート・テイタムを超える人はいまだにいないと思いますね。
──パーカーのフレーズにはテイタムの弾いたフレーズがすごい入っているっていう話はありますよね。
そうなんですよ。アート・テイタムのフレーズのなかにはもちろん当時の管楽器奏者のフレーズとかも入っているでしょうけど。でも、当時はほとんどの人がアート・テイタムのやっていることを意識していたと思いますね。
モンク、その左手の秘密
──さっきモンクの名前が出てきましたけど。セロニアス・モンクのことはどう見ています?
やっぱりモンクは作曲でしょう。当時のシーンのなかで、彼はピアニストとして結構特殊すぎて敬遠されがちではあるんですけど。そんななかで彼が断固として自分を曲げなかったのは、作曲に関して自信があったからだと思うんですよ。当時はハービー・ニコルスとかね、ちょっと変わった作曲家というのがたくさんいたんですよ。当時の他の作曲家の存在を考えると、「コレをやったらアイツぽくなるから……」とかいろいろ考えて作ったんだろうなというのをを感じる曲はありますね。ハサーン・イブ・アリみたいな人もいましたね。そういう意味では当時にすごく考えていろいろやってたんじゃないかなって思いますよ。
セロニアス・モンク(Thelonious Sphere Monk)
1917年10月10日生〜1982年2月17日没
1940年代初頭よりジャズ・ピアニストとして活躍。ブルーノートやプレステッジといった名門に作品を多く残す。また「Round Midnight」などジャズ史に残るスタンダードを作曲した。1970年代以降、死没まで一線を退き、その生涯には謎も多い。
ハサーン・イブ・アリ(Hasaan Ibn Ali)
1931年5月6日生〜1980年没
1940年代〜1960年代を中心に、主にフィラデルフィア・ローカルで活躍したピアニスト。唯一のレコーディング作は、ジャズ・ドラマー、マックス・ローチがリーダーとなったトリオ作『The Max Roach Trio Featuring the Legendary Hasaan』のみ。
──小節数が変だったり、拍子が変だったりするところですかね。
あとはハーモニーに関して、ビバップがはじまって、ハーモニーはどう動いてもいいという。それは表現として、すごい開けたわけじゃないですか。ものすごく自由に作曲しまくってますよね。だから当時、変拍子の曲とかもやっていたかもしれないですね、音源として残ってはいないけど。そのぐらいのことを考えたくなることを当時、作曲でやっていますね。
──あのモンクの個性的な左手とかはどこから来ているんだと思いますか?
それには諸説あるんですけど、あの人は手が大きいんですけど、あまり開かないんですね。あれだけ大きな身体をしているのに、10度が届かないっていう。10度が届かないなかで、いわゆるクローズド・ヴォイシングの時代が来る前ですから、7度、6度のなか、プラス右手で彼の求めているサウンドを出すために、ああいう感じになったんじゃないかっていう説が結構あります。意外なんですよね。手が大きいからちょっとやれば届きそうなのに。
──その説はすげー面白いですね。いま、ハービー・ニコルスの話も出て来て、僕もすごい好きなんですけど。ハービーはいかがでしょうか?
ハービー・ニコルスの曲に関しては、私自身「彼の曲をやりたい、でもピアノレスでやりたい!」って昔から思ったんですよ。そのためだけに岡崎好朗、多田誠司なんかに参加してもらってピアノレスのカルテットを編成して、アルバムをプロデュースしていて(多田誠司カルテット『THE GIG』)。ハービー・ニコルスの曲があって、この編成でとにかくやりたいと。でも多田誠司にすごい嫌がられたんですけど、もう無理やりやらせる感じで(笑)。CDを聴いたブランフォード(マルサリス)が「ハービー・ニコルスかっけええ、俺はいままでちゃんと知らなかったよ」みたいに言ってくれて。そのエピソードを聞いたら、多田誠司がすっかり気をよくしたっていう(笑)。
──いい話(笑)。ハービー・ニコルスは作曲家としてはどんなタイプの作曲家ですか?
私はもともとビリー・ホリディがらみで聴いてたんですけど。最初はモンクよりもつかみどころがなくて、「これはどういうこと?」みたいな感覚で聴いてて。はじめは聴いたあとに頭の中は「?」マークで終わるみたいな感じだったんですけど。でもあるときからそれがクセになってしまうんですよね。おそらくですが、彼のなかには確固たる作曲法があるんでしょうけどね。
ハービー・ニコルス(Herbie Nichols)
1919年1月3日生〜1963年4月12日没
ジャズ・ピアニスト。1950年代に活躍、ビリー・ホリデー「Lady Sings the Blues」の作曲家として知られる。
教育者としてのピアニストたち
──あとは名前が出て来たなかで珍しいなと思ったのがメアリー・ルー・ウィリアムス。
私たち、女子ジャズからすると教祖みたいな人なんですけど。あとはドロシー(・ドネガン)っていうのもいますけどね。彼女は亡くなってますけどね。
メアリー・ルー・ウィリアムス(MARY LOU WILLIAMS)
1910年5月8日生〜1981年5月28日没
1920年代のスウィング時代からモダン〜モードを経て1981年の死没まで活躍した、女性ジャズ・ピアニストのパイオニア的存在。
──メアリー・ルー・ウィリアムスは、日本のジャズ文章を読んでいても目立たないイメージの人ですが、アメリカの文章を読んでるとよく名前が出てくるし、すごく尊敬されている人という印象があって。
(名前が出てくるというのは)やはり教育者というのが大きいんじゃないですかね。それは女性というのもひとつ要因としてあると思います。女性の場合、家庭を持ったり、子供を育てたりということをすると、どうしても演奏活動が継続してできない時間が出てくる。そうなると、その間で「教える」という活動がでてくる。当時はハーレムにジャズ・ミュージシャンがたくさんいたころで、彼女の経歴はすばらしく、そのことは周知のことなんでいっぱい生徒が集まってきたということだと思います。それを考えたら彼女の名前がたくさん文献に出てくるみたいなことはなんら不思議ではないと思うんですけど。
──なるほど。
モントルーで、ソロをやっているDVDとかも出てますけど、もちろん演奏者としても、かっこいいですよ。
──では、アンドリュー・ヒルとかどうですか?
あ、大好きです。何度かお会いしたこともあるし。やっぱり作曲がおもしろいですよね。ジョーヘン(ジョー・ヘンダーソン)と演奏していたので、そのつながりでアンドリュー・ヒルを紹介してもらったりして。少し独特のヴォイシングとかもあって、そこなんかはすごい勉強になりましたね。もうその頃にはいわゆる「Violence」(1966年『Change』収録)みたいな曲とは全然違って、すごいフローするような曲も多かったですし、演奏もそんな感覚でしたね。
アンドリュー・ヒル(ANDREW HILL)
1931年6月30日生〜2007年4月20日没
その作曲センスと独自のリズム感で、1960年代のブルーノートから強力にプッシュされリーダー作を多く残している(最も多いときで約半年間で5枚ものアルバムを連続リリースしている)。
──大西さんもツイン・ベースのバンドとかもやられてましたけど、アンドリュー・ヒルもやってましたよね。
そう、その辺に憧れているからです。
──やっぱりお好きなんですね?
正直言うと、アンドリュー・ヒルの作品はずっと聴いていると気が狂いそうになることもあるんですが(笑)。毒と薬の紙一重みたいなところが結構あって、聴きすぎると気持ち悪いんですけど、でもそういうの好きなんですよ。
楽器を凌駕する力
──デューク・エリントンとかはどうですか?
エリントンだけじゃなくて、アート・テイタムとかファッツ・ウォーラーとかもそうですけど、とにかくあの時代のひとたちは楽器がうまいんですよ。楽器に勝っちゃうんですよね。ピンボールで、ボールが悪いところに落ちそうになると台ごと動かしたりして、ボールを戻そうとするような感じでピアノを弾くんですよね。楽器ごと揺らすので、平気でキーが揺れるし、細かいところは外すんですけど、でも、とんでもない音を出しますから。エリントンは、そんな感覚の典型的な人ですよね。彼の演奏のタイム・フィールとか、すごい前にグイグイもっていくじゃないですか。それに関して「タイムが悪いんじゃないの?」っていうような批評家もいるんですけど。あれがかっこいいんですよ、あの楽器を凌駕している、あのスタイルがかっこいいんですよ。
デューク・エリントン(Edward Kennedy "Duke" Ellington)
1899年4月29日生〜1974年5月24日没
スウィング・ジャズ期を代表するピアニストで、作曲家兼ビッグ・バンドのリーダーでもある。自身の楽団とともに「A列車で行こう」など、さまざまなスタンダードを生んでいる。
ファッツ・ウォーラー(Fats Waller)
1904年5月21日生〜1943年12月15日没
1910年代後半にはキャリアをスタートさせた、アート・テイタムとともに近現代のジャズ・ピアノのスタイルに影響を及ぼしたピアニストのひとり。ストライド奏法(左手でリズムを刻みながらベースラインとコードを交互に弾きながら、右手でメロディーを奏でる)の名手で知られる。
あれがたまらないんですよね。
──音とかも大きかったんでしょうね。
そうでしょう。マイクとかも発達してない時代ですから、ビック・バンド対ピアノでピアノが勝っちゃってたりするんですからね。
──単純に鳴らす力がすごかったと。
自然にやってるんですけどね。大きな身体がグルーヴしたのが楽器に乗るから、自然にそういう音が出ちゃうんでしょうね。
変化するピアニストたち
──さっきマルグリュー・ミラーの名前が出て来ました(前編インタヴュー)、その時代で好きなピアニストっているんですか?
マルグリューと、あとはジェリ・アレンはすごく憧れの対象ですよね。
──ジェリ・アレンはどんなところが?
最初にジェリ・アレンを知ったのはラルフ・ピーターソンのバンドをちょっとやっていたときなんですけど。そのときに(参考の)音源として聴かされたのが、ジェリが入っているときの音源で。これは私が未熟だったせいもあるんですけど、当時はなにをジェリが弾いているのか全然わからなくて。それこそ「この人はタイムがおかしいんじゃないか」って思ってたぐらいで(笑)。でもなにか心に残るというか、やみつきになるというか。なんか「弾きたい」と思ってしまう魅力があって。
ジェリ・アレン(GERI ALLEN)
1957年6月12日生〜2017年6月27日没
1980年代から2017年の癌による死没まで活躍した女性ピアニスト、作曲家。ピッツバーグ大学ジャズ科ディレクターをてがけるなど、後進を育てる教育者としての評価も高い。
──なるほど。
当時、M-BASE周辺を積極的にレコーディングさせていた〈Verve〉ドイツのステファンというスタッフがいて。その人からジェリ・アレンのデビューの頃の音源をもらったりして、それがすごくかっこよくて。音源の“ウネウネ”感はいわゆるビバップのものとも似ているんですけど、でもフレーズとしては違っていて。それでいてハービー・ハンコックのリハモも出てくる。とにかく不思議なピアニストで「どうなっているんだろう?」とずっと思っていて。彼女のリーダー作で『The Nurturer』(1991年)が好きなんですけど。そこで演奏しているソロは、本当にひとつのストーリーのようですごい好きでよく聴いていて。彼女も結婚・出産という時間があったんですけど、その後、あるときからすごいインサイドの演奏、言ってみればすごいマルグリューそっくりの演奏になってきたんですよ(笑)。すごいアッパー・ストラクチャーだし、コルトレーンに戻った、そんな演奏になってて。「彼女はそこを集中的に勉強してたんだな」と感じて。
──変化を感じたんですね。
私が尊敬する人たちというのは、1回売れちゃって、そのスタイルでずっと行くんじゃなくて、つねに自分のなかで粗探しをして目標を持って勉強をしている人なんですね。それはどんなに売れても変わらないというか。女性でそれをやるのはものすごくむずかしいと思うんですけど、ジェリは、それを貫いた人ですよね。「今後、どこまでなにをやるんだろう」と楽しみに思えるピアニストの1人だったので、早く亡くなってしまって本当に残念ですね。マルグリューにいたっても勉強に勉強を重ねた結果、あるときからハンク・ジョーンズの初期とかファッツ・ウォーラーとかの感覚に戻っていったんですね。彼も今後どうなんだろうというときに亡くなってしまって、非常に残念ですね。私は、こういった現状には絶対に甘んじない、そんな姿勢のピアニストがすごく好きなんですね。あげていくと、たぶんジェフ・キーザーとかもそうだし、最近、ベニー・グリーンどうしてるのかなっていう感じで。
──ベニー・グリーンはけっこう来日してますよ。
そうなんですか。とにかく、アメリカの人たちはよく勉強しますよ。ひとつはアメリカン・ピアノというものの歴史にすごい誇りがあるんでしょうね。いま世の中的に「ブルースって、いまどきどうよ?」っていうような空気も漂ってますが(笑)。なんだかんだアメリカン・ピアノは奥が深いと思いますよ。
マルグリュー・ミラー(MULGREW MILLER)
1955年9月13日〜2013年5月29日
ピアニスト、1970年代中頃より、デューク・エリントン楽団(当時のバンマスはエリントンの息子のマーサ)、さらに1980年代にはアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーなどで活躍。1985年に初リーダー作。
──ジャズはある年齢ぐらいまでいって、またもうひとつ変わるっていう音楽でもありますよね。
時代的にも、コンボになってからのピアノの役割と、それ以前のアート・テイタムの頃のピアノの役割が全然違うので。コンボでやって、改めてその前の時代を学ぶと、そこでやっていたことにびっくりするんですよね。少なくともそういう年齢が必ず来ますね。
心を射止めるフレーズ
──では、ジャッキー・バイアードはどうですか?
私は一時期追っかけてましたからね。しばらくクィーンズの彼のもとにも通ってましたよ。ジェイソン(モラン)なんかもしっかりレッスンを受けていたと思うので、たくさんマテリアルを持っていると思うんですけど。ジャッキーは独自のハーモニーの法則があって。端から見ると、ちょっと頭がおかしい感じの理論なんですけど。たまに使うとハマるんですよね(笑)。私はそれが勉強したくてレッスンも受けて。そういった独特のハーモニーとかとは別に、彼の大きな一番のベースはアート・テイタムももちろんなんですが、すごくファッツ・ウォーラーなんですね。その辺の彼の書きためた曲とかトランスクライブ(演奏を譜面に起こしたもの)とかも私もけっこう持ってますよ。
ジャッキー・バイアード(Jaki Byard)
1922年6月15日生〜1999年2月11日没
1930年代、15歳から射殺(!?)で死没する直前まで活動したピアニストで、作曲家。同時にトランペットやサクソフォンなども演奏するマルチ・プレイヤーでもあった。
──例えばその彼独自のハーモニーがわかる曲ってなんでしょうか?
えっと、一番、顕著なのがミンガスのバンドにいたときの「So Long Eric」(Charles Mingus Sextet with Eric Dolphy『Cornell 1964』収録)という曲で、テーマ冒頭の「タララララーラー、ジャン」っていうのの“ジャン”が「え?」というサウンドなんですけど。あとは彼のトリオでの「Out Front!」(1965年)かな、1曲目がブルースなんですけど。そこで使ってるハーモニーのリフすごいうまいことはまってますね。
──『Glamorous Life』で(ジョー)ザビヌルの曲が選ばれているのは、ザビヌルの変なフレーズが好きなのかなと。
なんだかんだそういうフレーズが私には響きますね。具体的に言えばあの曲(「Fast City」)のセカンド・リフのハーモニーが響きますね。ぶつかったときに「おおかっこいい」って。
ジョー・ザビヌル(Josef Erich "Joe" Zawinul)
1932年7月7日生〜2007年9月11日没
ピアニスト、シンセ奏者。1969年代末、キャノンボール・アダレイのバンドでエレクトリニック・ピアノを演奏していたのをマイルスに見初められ『In A Silent Way』や『Bitches Brew』などいわゆるエレクトロニック・マイルス期の作品に参加。その後、1970年にウェイン・ショーター、ミロスラフ・ビトウス、アイアート・モレイラらとともにウェザー・リポートを結成、フュージョンの波を起こした。
──では、マーカス・ロバーツとかはどうですか?
若い時は夢中になりましたね。あれは真似していると楽しくて、気持ちいいんですよ。ウィントン(マルサリス)とやってた頃のリズムの遊びかたとかは、本当に一時期真似してましたよ。彼もそんなに手が大きい方じゃない。おそらく全キーで10度が届くというわけではないので、そういう意味では歌い方とか勉強になるところがたくさんあって。いまだにすごい好きですよ。
マーカス・ロバーツ(MARCUS ROBERTS)
1963年8月7日生
盲目のピアニスト。1982年にジャズ・コンペンション全国大会で新人賞を獲得、ゲストで来ていたウイントン・マルサリスと出会う。就学後の1985年にウィントンのバンドで本格的活動。近年では小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラも。
唯一無二のサイドマン、ケニー・カークランドの魅力
──近いところだと、ケニー・カークランドとか。
ケニー・カークランドは、バークリー時代の私の、決定的なアイドルでしたよ。いまだに、フレーズとかまんま出してますからね(笑)。自分からしたら「それ恥ずかしくないの」っていうぐらい出してますよ。ブランフォードからも「ケニー・カークランドだね!」とか言われたことありますからね(笑)。
ケニー・カークランド(Kenneth David Kirkland)
1955年9月28日生 〜 1998年11月11日没
クラシックの演奏技術や理論、編曲などを学んだこともあり一時期は教鞭も。1970年代後半より、プロのジャズ・ピアニストへ。ブランフォード・マルサリス、ウィントン・マルサリスのグループで活躍。スティングや日野皓正の作品にも参加している。
──ケニー・カークランドは、作品がそんなに残っていないのもあって、ちょっと忘れられているところがあるような気がしますが。
サイドマンとしてあそこまでみんなに重宝されていた人はいないんじゃないですかね。有名な話で、彼の現役当時オファーは、電話と留守番電話しかない時代で。留守番電話といっても別に機械をつけるタイプ。ケニーはかかってきた電話は絶対にでない。で、留守番電話にいっぱいオファーが来るんですが、必ずそこにギャラの値段を言わせているんですよ。そのなかで一番高い値段にコールバックするっていう有名な話で(笑)。「サイドマンってそういうもんなんだね!」っていう憧れがありましたね。
──この記事は若い人も読むと思うんですが、ロバート・グラスパーとかジェイソン・モランとかはみんな知っていると思うんですけど、ケニー・カークランドとかマーカス・ロバーツとかって実は抜けているところな気がするんですよ。
ああ、そうなんだ。
──ジャズを演奏している人はもちろん聴いていると思いますけど、リスナー的に。その辺って、ガイドブックとかにもあまり出てこないから。
作品が本当に少ないので、サイドマンとしての良さしかなかなか聴けないですけどね。例えばウィントンの『Black Codes』(1985年)は、どの曲の演奏もケニー・カークランドが一番かっこいいですからね(笑)。そういう聴き方をするのがいいかもしれませんね。
──カークランドが入ってる楽曲はすごいですよね。
どの曲聴いてもすごいというか。おそらく、どれもその日に譜面を渡されてとか、その日にリハをやったりとかの楽曲だと思うんですけど、よくもここまで彼の持っているフレーズだけですべてを凌駕してしまう演奏をしてしまうなという感じで。そこがすごいですよね。
──実はロバート・グラスパーもケニー・カークランド風のフレーズとかあるんですよね(笑)。
いや~みんな憧れるでしょう。全員が憧れる存在ですよね。ケニー・カークランドなんて生で聴くと、ジェフ・ファッツよりも音が大きかったですよ。
──体は大きいんですか?
体自体はそんなに大きくはないんですけど、もともと小児麻痺だったらしいですし。だから出てくる音は「どういうこと?」っていう感じなんですけど。もう指がそのままハンマーっていう感じでしたね。
──鳴らす技術はすごい高かったというところですよね。
そうでしょうね。力みは一切なく鳴らしていて。
──速いっていう感じはありましたか?
いや、「重い」ですね。音が一音、一音重くって、でもちゃんとスピード感があって。だから「ゴーーー」って言ってる感じですよね。あれはもう憧れて。来る日も来る日も同じフレーズを練習しましたよ。
そして現在へ
──他に好きなピアニストってどんな人ですか?
ダラー・ブランドとかあの辺も結構好きで。何かしらがぶち壊れているところが好きですね、大雑把に言うと。でも、そこにはその人にしかわからない裏付けがあるみたいな人が好きですね。
ダラー・ブランド(DOLLAR BRAND)
現在はアブドゥーラ・イブラヒム / Abdullah Ibrahimとして活動
1934年10月9日生
南アフリカ出身のピアニスト、1960年代に南アではじめて、自身のグループ、ザ・ジャズ・エピストルズでアフリカ系のアーティストによるジャズのLPをリリース。1970年代にはいるとヨーロッパに活動の拠点を移す。1970年代中盤、イスラム教に改宗し、アブドゥーラ・イブラヒムに改名、さらに一旦南アに帰国した際にケープタンのミュージシャンたちとレコーディングした音源が、その後のケープ・ジャズの発生に寄与することになる。NYでの活動を経て現在は南アを拠点に活動中。
──ホレス・パーランとかもそうですよね。
そうですね、結構カヴァーもやってましたね。あの人は左手だけで、あそこまでやりますからね。逆に無駄がなくて素晴らしいんですよ。できることをできるようにしかやらない。そこって究極ですよね。
ホレス・パーラン(Horace Parlan)
1931年1月19日生〜2017年2月23日
幼少期のポリオの罹患で右手が変形してしまったが、逆にその手が独自の演奏法を生み出した。1950年代から本格的な活動を開始し、1960年代にはブルーノートからも録音を残している。
──大西さんって左手を結構がんがん出すじゃないですか。ベーシスト選びは重要じゃないですか?
いや(笑)。普通ですよ。
──ベーシストは音がぶつかるかもしれないから嫌がったりしないんですか?(笑)。
あー、今回やっているようなことはベーシストは嫌がりますね。だから、今回は細かくいっぱい弾かなきゃいけないので、だから(井上)陽介みたいなタイプを選んだんですけど、もともとロドニー・ウィテカーとか、レジー(レジナルド・ヴィール)とか、ビート重心な感じなんで。彼らはトップのほうを弾くのも好きなので、私が下のほうにいったらトップにいくみたいな感じで、黙っててもやりますよ、彼らは。ロン・カーターには怒られましたけど(笑)。
──そこ気になってたんですよ
でも、意外とピアノの下の方ってベースと相性いいと思うんですよね。かっこいいと思うし。
──ジェイソン・モランとは割とそういうのやるタイプですよね。
チャールス・ロイドなんかは、ルーベン・ロジャースが他の仕事で捕まらなかったら、そこは(ピアノの)ジェイソンに任せてベースレスでやってますね。すごいですよね、そんなこと思わせるピアニストって。
ジェイソン・モラン(JASON MORAN)
1975年1月21日生
ストライド・ピアノなど古典的なプレイから現代音楽、ヒップホップなどを取り入れたいわゆる現代ジャズまで横断するピアニス。1990年代後半のグレッグ・オズビーのバンドでデビュー後、1999年に初のリーダー作をブルーノートから発表。
──ちなみに年下のピアニストで気になる人はいますか?
えっと、もう、いろんな人が年下なんですけど(笑)。ブラッド・メルドーは私がプロになってNYでやっているときにしょっちゅう観にきてくれたような人で。シットイン(会場に来ていた若手のアーティストなどを呼び込んでその場でセッションさせること)とかやると、「わ、うまいなー」って思うような人で、その後、すごいことになってて。年下……、ピアニストとしてはイタリア人でECMから出している……そうステファノ・ボラーニ、ラグタイムを自分なりにやっていてそれが良くて。やっぱり下の世代だとジェイソン・モランですかね、いちおしなんですけど日本で全然人気がないんですけど、彼は本当にすごいことやってるんですよ。
ブラッド・メルドー(Brad Mehldau)
1970年8月23日
サックス奏者のジョシュア・レッドマンのバンドで活動後、1995年にリーダー作を発表。レディオヘッドのポストロック的なサウンドを生楽器で幾度もカヴァーするなど、多ジャンルとの冒険的な創作も行なっている。
ステファノ・ボラーニ(Stefano Bollani)
1972年12月5日生
ミラノ生まれで、活動は1980年代後半の15歳から。イタリアを代表するジャズ・ピアニスト。上記で言及されているのはECMリリースの『PIANO SOLO』(2005年)。
ジャズ100年、その歴史を横断し、楽しさを伝える鼎談本『100年のジャズを聴く』
著 : 後藤雅洋 x 村井康司 x 柳樂光隆 / 刊 : シンコーミュージック
ジャズ100年を節目に、世代を超えた3人の評論家によるジャズの魅力を伝える鼎談本。先ごろ、50周年を迎えた老舗ジャズ喫茶 いーぐるの店主でもある後藤雅洋、多数のジャズ関連著書を上梓している村井康司、そして本稿でインタヴューを担当している、『Jazz The New Chapter』シリーズの監修者、柳樂光隆の3人。100年のジャズ史のなかを時代を超えて縦横無尽に駆け巡る感覚の鼎談、ジャズの魅力を語り尽くしております。ジャズのその歴史のなかで生まれた多様なスタイルを横断して、音楽ファンとしてはもっとも知りたいそのサウンドのおもしろさが端的に会話のなかでフォーカスされ示されていきます(もちろんさまざまな歴史や演奏、アーティストに関する知識もすっと、その音楽の楽しさに寄り添う感覚とともに入ってきます)。掲載されている作品をまずは聴いて確かめたくなる、そんな内容。言ってみれば、音楽的知識の濃い友だちとの楽しい時間──「あれとアレって実はいま聴いたら、コレだよね」ってな会話、それがどんなディスクガイド本よりも有益な情報だったり、音楽を見つける楽しさに満ちてたりしますよね。あの感じです。そんな感覚でジャズの100年の大河に散らばる名所をひとっ飛びできるそんな本です。つまりはこのインタヴューを楽しめた人はぜひとも手にとってみることをおすすめ。これまで数多のジャズ入門本やディスクガイドで知識だけは入ったけどなんだか……という人には特におすすめです(あ、俺か!)。(河村)
https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0645014/
TOUR INFORMATION
大西順子 Very Glamorous Tour 2018
@Billboard Live OSAKA
2018年1月25日(木)
出演 : 大西順子(pf) / 井上陽介(b) / 高橋信之介(ds) / 馬場孝喜(g)
問い合わせ : Billboard Live OSAKA 06-6342-7722
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=10732&shop=2
@Blue Note 東京
2018年2月7日(水)
2018年2月8日(木)
2018年2月9日(金)
出演 : 大西順子(pf) / 井上陽介(b) / 高橋信之介(ds) / 馬場孝喜(g)
問い合わせ : Blue Note 東京 : 03-5485-0088
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/junko-onishi/
@Blue Note 名古屋
2018年2月23日(金)
出演 : 大西順子(pf) / 井上陽介(b) / 高橋信之介(ds) / 馬場孝喜(g)
問い合わせ : 名古屋 Blue Note : 052-961-6311
http://www.nagoya-bluenote.com/schedule/index.html
ほかオフィシャルHPで随時発表
大西順子オフィシャルHP
PROFILE
大西順子
ピアニスト
1967年4月16日、京都生まれ。東京に育つ。
1989年、ボストン、バークリー音楽大学を卒業、ニューヨークを中心にプロとしての活動を開始し、ベティ・カーター(vo)、ジョー・ヘンダーソン(ts)、ジャッキー・マクリーン(as)、 ミンガス・ビッグ・バンド、ミンガス・ダイナスティらと共演する。
1993年1月、デビュー・アルバム『ワウ WOW』を発表。大ベストセラーとなり、同年の『スイングジャーナル』誌ジャズ・ディスク大賞日本ジャズ賞を受賞。
1994年4月、2neアルバム『クルージン』が米国ブルーノートより発売される。
5月、NYの名門ジャズ・クラブ“ビレッジ・バンガード”に日本人として初めて自己のグループを率いて出演し、1週間公演を行う。同公演を収録した、『ビレッジ・バンガードの大西順子』は、『スイングジャーナル』ジャズ・ディスク大賞銀賞、出光音楽賞を受賞。 1995年のスイングジャーナル誌読者投票では、ジャズマン・オブ・ジ・イヤーをはじめ、「アルバム・オブ・ジ・イヤー」、「コンボ」、「ピアノ」の4部門を受賞。人気実力ともに日本ジャズ・シーンのトップに昇りつめる。その後日本のジャズの牽引者として縦横無尽の活躍を果たし、近年の本格的な女性ジャズ・ ミュージシャン・ブームの先駆けともなるが、2000年3月の大阪公演を最後に突然の長期休養宣言。
そして2007年、多くを語らず活動再開。かつての力強く、グルーヴ感あふれるプレイに加えて、繊細さも兼ね備えたダイナミズムあふれる演奏は、大きな話題を呼ぶ。 2009年7月、実に11年ぶりのアルバム『楽興の時/Musical Moments』よりリリース。11月にはベルリン・ジャズ・フェスティヴァルに自己のトリオで出演。
2010年2月、『楽興の時』がフランスにてリリース。3月には、ユニバーサル移籍第一弾と なる新作『バロック』を、かつてプロとしてのキャリアをスタートさせたニューヨークでレコーディング。同世代のファーストコールのミュージシャンをずらりと揃え、ダイナミックでリッチなアコースティック・ジャズ・サウンドを存分に披露。この作品は全世界発売され、米ジャズ雑誌でのポール獲得など、高い評価を得た。オーチャードホールでのCD 参加メンバーによる豪華なコンサートは大きな話題となる。
2012年夏、突然の引退宣言。
2013年9月、クラシックの祭典〈サイトウ・キネン・フェスティバル松本〉へ出演。小澤征爾氏の猛烈な誘いに負け、一夜限りの復活とし出演を決める。小澤征爾率いるサイトウ・ キネン・オーケストラと大西順子トリオの共演は、この夏の大きな話題となり、素晴らしい反響を呼ぶ。
2015年9月、東京JAZZへ出演。日野皓正&ラリー・カールトンSUPER BANDのサポー ト・メンバーとして出演し、その圧倒的な存在感でシーンに復帰を飾る。 2016年6月、菊地成孔プロデュースによるニュー・アルバム「Tea Times」をリリースする。