新たな幻影を見つけるために、わたしは自由になる──ブライアン・イーノ『The Ship』ハイレゾ配信
ロックと現代音楽、アフロ・ミュージックにニューウェイヴなどなど、さまざまな音楽の境界線を横断し、コンセプトを作り出し、そしてアーティストたちをその手腕で結びつけ、さまざまなエッジをシーンに刻印し続けてきた巨星、ブライアン・イーノ。グラミーにもノミネートされた2012年の『LUX』以来ひさびさとなる新作『The Ship』をリリースした。アンビエントやモダン・クラシカル、エレクトロニクスなど彼が結びつけてきたさまざまな音楽が壮大なスケールで結びつき、まさにブライアン・イーノにしかなしえない世界観がそこには広がっている。OTOTOYでは『The Ship』を24bit/44.1kHzのハイレゾ版で配信開始、またアルバムまとめ購入では、日本盤CDと同様のライナーノーツがPDFで付属、さらにはボーナス・トラック「Away」も収録。
Brian Eno / The Ship(24bit/44.1kHz)
【Track List】
01. The Ship
02. Fickle Sun (i)
03. Fickle Sun (ii) The Hour Is Thin
04. Fickle Sun (iii) I’m Set Free
05. Away (Japan Only Bonus Track)
【配信形態 / 価格】
24bit/44.1kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC
まとめ購入 2471円(税込)
アルバムをまとめ購入をするとCDと同内容の、畠中実によるライナーノーツがPDFで付属
まるでドキュメント映画のような壮大な作品
アンビエント・ミュージックの提唱者、故デヴィッド・ボウイとのベルリン三部作、U2、トーキング・ヘッズやコールドプレイを手がけた名プロデューサー、そしてひとりのアーティスト。さまざまな顔で音楽をつねに刺激的なものとしてプレゼンしてきたブライアン・イーノ。
1970年代のはじまりとともにキャリアをスタートさせた彼も御歳、67歳。しかし、その作品の制作のペースは緩むことなく、2010年の〈ワープ〉への移籍以降も変わらず、コンスタントに作品をリリースし続けている。2014年には、アンダーワールドのカール・ハイドとともに、スティーヴ・ライヒ+フェラ・クティ=ミニマル・ミュージック+アフロビート=“ライクティ”ミュージックなるコンセプトで、イーノ・ハイドとして2枚もアルバムを矢継ぎ早にリリースしている。
そして本作『The Ship』は、ソロのオリジナル・リリースとしては『Lux』以来の、約4年ぶりの作品となる。本作はイーノ・ハイドなどで見せた、ミニマル・ミュージックやアフロビートなどのリズム寄りのアプローチではなく、どちらかと言えば彼のポスト・クラシカルやアンビエント・ミュージック的な方向性の作品と捉えることができるだろう。壮大なスケールを持って迫ってくる表題曲を筆頭に、ある歴史をひとつの参照点として、メッセージ性を持ってコンセプチャルに展開した作品だ。作品を通して聴くと、まるで荘厳な歴史ドキュメンタリー番組を観たような、そんな感想すら生まれてくる。
全体の構成としては21分を超えるアンビエント的なアプローチのタイトル曲。そして「Fickle Sun(きまぐれな太陽)」と名付けられた3曲の組曲という計4曲で本作は構成されている。前者はアルバムの半分を重い空気で覆い尽くし、そして「Fickle Sun」は、「The Ship」のヘヴィーな雰囲気をさらに増幅させた、ある種暴力的な「Fickle Sun(i)」、淡々とした朗読と静かかなピアノだけの「Fickle Sun (ii) The Hour Is Thin」、そして故ルー・リードの、ヴェルヴェット・アンダーグラウド時代の楽曲、「Fickle Sun (iii) I’m Set Free」の希望に満ちたイーノ自身の歌によるカヴァーで終わる。
第一次世界大戦、そしてタイタニック号の沈没
アルバムを聴いて、そのはじめの印象として強く残っているのが、とにかくその重さだ。悲哀ともまた違った、重み、特に冒頭の表題曲に漂う重さは、むしろ死の匂いすら感じる。
「The Ship」は、もともとインスタレーション用に作曲された楽曲だそうだ(詳細な楽曲の背景などに関しての解説は、OTOTOYでもアルバム購入時に付属する日本盤のライナー・ノーツに詳しいのでぜひともそちらを)。楽曲は中盤に差し掛かると、文字どおり“唸る”ようなイーノの電子変調された低い歌声が、ゆっくりとメロディを繰り返す。「この曲は、他とは異なる種類の「歌」へと変貌していった。ヴォーカルが、あらゆるリズムの枠組みから解き放たれ自由に漂う、これまで私が作ったことのないタイプの曲となった」(以下、「」内のイーノの発言はBeat Recordsの日本盤リリース・ページより)という本人の言葉通り、どこか不気味な雰囲気を導き出す。死者の声か、むしろ大きな存在による問いかけか。楽曲全体にはダーク・アンビエントの“暗さ”とも違った、まさに淡々と人類に起きた災禍を検証するドキュメンタリー番組を観ているかのよう独自の“重さ”のなかを進んで行く。浮世離れするわけでもなく、淡々と淡々とほの暗い霧のなかをゆっくり進む「The Ship」だ。
本作のテーマとしてイーノが選んだのは、1914年に開戦した第一次世界大戦。そして『The Ship』とは、その直前、1912年の沈没した巨大客船、タイタニック号。どちらの事件も、近代化による技術の発展、それによる希望的観測と慢心、そこから導き出される災禍という意味でイーノは同質ものとして捉え、本作のテーマとしているのだという。イーノがいま思う“第一次大戦的なもの”の象徴としてタイタニック号の沈没があり、そこに本作のテーマがある。開戦当初は、軍事技術の近代化によって早期終結すると言われていたものの、実際には戦闘は長期化。塹壕戦、毒ガスにいたる近代兵器の使用などで多大な死傷者を出した第一次世界大戦。そして当時の技術力を結集し不沈艦と呼ばれながらも、自然の脅威の前にはもろくも沈んだタイタニック号。ずばりイーノには、いま目の前の現実の世界が、まさにこうした事態の愚かな繰り返しに見えているということだ。それはリリース時にプレスにて発表された自身のコメントに端的に表れている。
「人類というのは慢心と偏執的な恐怖心(パラノイア)との間を行きつ戻りつするものらしい : 我々の増加し続けるパワーから生じるうぬぼれと、我々は常に、そしてますます脅威にさらされているというパラノイアとは対照的だ。得意の絶頂にありながら、我々は再びそこから立ち戻らなければならないと悟らされるわけだ…自分たちに値する以上の、あるいは擁護しきれないほど多大な力を手にしていることは我々も承知しているし、だからこそ不安になってしまう。どこかの誰か、そして何かが我々の手からすべてを奪い去ろうとしている : 裕福な人々の抱く恐怖とはそういうものだ。パラノイアは防御姿勢に繋がるものだし、そうやって我々はみんな、遂にはタコツボにおのおの立てこもりながら泥地越しにお互いと向き合い対抗し合うことになる」(イーノ)
少々余談となるが、タイタニック号の沈没と言えば、その名もそのまま、イーノのキャリアを少しばかり知る人にとっては、ギャヴィン・ブライヤーズの『タイタニック号の沈没』をすぐに思い浮かべるだろう。イーノの〈オブスキュア〉レーベルから1975年にリリースされた現代音楽の作品だ。「甲板上で、最後まで演奏を続けていた楽団員たちの演奏を生き残った乗客や船員たちの証言を元に再現する」をテーマに演奏された楽曲で、新たな調査結果とともに新たな要素が加えられ、これまでに数回再録がなされている(1995年版ではエイフェックス・ツインがリミックスを行っている)。賛美歌「オータム」を中心に奏でられたこの作品は、はかなく美しい、ある種のロマティックな作品といえよう。そもそも「沈みゆく船の楽団」というテーマ自体、悲運だが非常にロマンティックなモチーフでもある。しかし、対照的に本作の「The Ship」は目前に迫った災禍をそのまま示すような重さ、それこそ現実の重さを示すような重厚さがある。「The Ship」、そこに続く「Fickle Sun (!)」はその末に起きたカオスティックなカタストロフィを、そして「Fickle Sun (ii) The Hour Is Thin」はすべてが終わった後のただただ虚しい風景を想起させる。
ヴェルヴェツ「I’m Set Free」カヴァー、そのこころは?
そしてアルバムはヴェルヴェット・アンダーグラウンド「I’m Set Free」のカヴァーによって終わりを告げる(オリジナルは1969年ヴェルヴェッツの3rdアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』に収録)。キーボードは彼の弟子でもあるジョン・ホプキンスが担当してる。アルバム中、唯一、ポジティヴな雰囲気に彩られた作品だ。ふわりと気分をあげるようなサウンドが、ゆっくりとルー・リードの歌詞とともに希望を描いていく。この楽曲に関してイーノはこう語る。
「この曲はずっと私の心に響いてきたけど、歌詞の意味に向き合うのには25年もかかってしまった。“新たな幻影を見つけるために、わたしは自由になる”。なんて素晴らしいんだろう。幻影からは現実に辿り着かない(これは“真実を追い求める”という西洋の思想)と言っているが、むしろ我々はひとつの実現可能な解答から、より最適な解決方法を見出していくんだ」(イーノ)
そしてこうも言う。
「結局のところ、その実態がなんであれ、我々が真実を常に追い求めるなんて不可能だと思っている。我々にとって重要なのは、実用的で知的なツールと発明を持っているかどうかだ。ユヴァル・ノア・ハラーリは、著作の『Sapiens』の中で、大規模な人間社会は、共通の“筋書き”のために一体化し、実現に向け動くことができると述べている。民主主義も、宗教も、お金も、その“筋書き”となりえる。この考えが“新たな幻影を見つけるために、わたしは自由になる”という部分にしっくりと当てはまるんだ。手招きしながら我こそが“正しい道”を知っていると主張している人々の存在は、いまわれわれに必要ない、と私は思うよ」(イーノ)
単なる明確なファシズムの否定とも取れる(もちろんそのメッセージはあるだろう)。が、ここ最近、イーノといえば関係の近かったイギリスの中道左派政党、自由民主党(Liberal Democrats)に見切りをつけ、労働党の党首、左派のジェレミー・コービンに明確な支持を表明し、応援演説などを活発に行うほどである。そのあたりの行動と上記の発言、そして「I’m Set Free」をカヴァーしたイーノの感覚を照らし合せてみると、やはり本作に対して込めたメッセージ性の高さが伺い知れるのではないだろうか。もちろん音楽は自由なので彼の政治的なスタンスに同意するのかどうかはともかく、67歳の音楽家が、ここにきてこんなメッセージ性の強い作品をリリースしたという現実ぐらいは誰もが直視してもいいだろう。そのあたりもまた、ライナーノーツでのイーノ自身の解説メッセージじみた発言のなかにも見え隠れしているので、ぜひともそちらも。
最後にひとつ、本作はイーノの朋友であったデヴィッド・ボウイにささげられた作品だと言われている。本作のパッケージ盤には「to dawn」という献辞が記されているのだそうだ。“dawn”とは、朋友デヴィッド・ボウイが死の直前にイーノに当てたメールに記されていた名前だという(彼らはいつもユーモアとしてさまざまな偽名でメールを送り合っていた)。そして、「Away」と名付けられたボーナス・トラックもどこかそういった意味でも示唆的だ。
PROFILE
BRIAN ENO
ブライアン・イーノ(Brian Eno 本名:Brian Peter George St. Jean le Baptiste de la Salle Eno)。 1948年5月15日生まれ。イギリス・サフォーク州のウッドブリッジ出身。1970年代初頭にロキシー・ミュージックに参加、1973年に脱退(セカンド・アルバムまで制作に関わる)。以降ソロを中心に、さまざまなアーティストとのコラボレーションで多数の作品を発表していく。1978年『Ambient 1 / Music for Airports』にてアンビエント・ミュージックを提唱し、そのコンセプトは1990年代のクラブ・カルチャーを含め多大な影響を与える。故デヴィッド・ボウイの代表作でもある『Low』『 "Heroes"』『Lodger』の通称ベルリン三部作(イーノ三部作とも)、U2、トーキング・ヘッズ、ペンギン・カフェ・オーケストラ、ディーヴォ、コールドプレイなど数多くのプロデュースを手がけている。マイクロソフト社のオペレーティングシステム、「Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」は彼の作曲によるものである。