dip 孤高のバンドの歩む道
90年代から現在まで、オルタナティブ・バンドとして圧倒的な支持を得るdip。私事になってしまうが、dipのヤマジ氏にインタビューするのはこれが3度目。以前、インタビューしたのは『love to sleep』(95年)の前後に1度ずつで、今回は約17年ぶりのインタビューになる。そしてdipの前身であるDIP THE FLAG からライヴは観ていたし、ヤマジ氏がギターで参加しているバンド、After The Sludgeには、昨年、自分が企画したライヴに出演してもらった。別に自慢しているわけじゃなく、つまり私はdipの、ヤマジ氏の活動を同時代的に接してきたのだ。しかし、dipとはどんなバンドなのか考えるとコレがなかなか難しい。「孤高のギターロック・バンド」、私はdipにそういった印象を持っていたのだが、勿論、そんな言葉じゃ全然足りない。そこに4月にリリースされた『love to sleep』、『13 TOWERS / 13 FLOWERS』、『TIME ACID NO CRY』、『WEEKENDER』のRe-issue盤と6月にリリースのV.A.『dip tribute~9faces~』。この一連の作品を聴いて改めてその軌跡を振り返ることができた。dipを確認、いや新たな発見があった。この一連の作品は、dipを昔から聴いていた人にも、まだdipを知らない人にも必聴だ。 今回のインタビューは、孤高のバンドであるdipが、何故、孤高であったのかを探り、dipの魅力を紐解いて行く。
インタビュー&文 : 遠藤妙子
『dip tribute ~9faces~』よりヤマジカズヒデソロ曲を先行配信
ヤマジカズヒデ / GARDEN
日本に於けるオルタナティブ・ロック・バンドの先駆け、dip(ディップ)。dipに影響を受け、彼らの後を追ってきた後輩たち、共に切磋琢磨し歩んできた同年代の仲間たち、dipが尊敬してやまない先輩たち。3世代に渡る音楽家たちによるトリビュート・アルバムが完成。今回は、その中から、ヤマジカズヒデ(Vo. Gt)のセルフ・カヴァーによるdipの名曲「GARDEN」を先行配信!!
V.A.「dip tribute ~9faces~」収録曲
・MO'SOME TONEBENDER / TIME ACID NO CRY AIR
・POLYSICS / SUPER LOVERS IN THE SUN
・THE NOVEMBERS / human flow
・花田裕之・井上富雄・池畑潤二 / SLUDGE
・te' / IT'S LATE
・近藤智洋 / 13階段への荒野
・木下理樹 / no man break
・dip JAPAN / FASTER, FASTER
・ヤマジカズヒデ / GARDEN
豪華メンバーによるトリビュート・アルバム『dip tribute~9faces~』について
――きっかけは何だったのでしょう?
「Quip」って雑誌の編集の方とUKプロジェクトの遠藤さんが、「出そうよ」って話してたみたいで。なんか2人で勝手に盛り上がってたみたい(笑)。ちょうどその頃、自分でもdipのトリビュート出したいな、誰にやってもらおうかなって書き出してたりして。俺も勝手に妄想してたの(笑)。で、その時の自分が書き出していたリストと今回の実際のリストがほとんど同じだった。面白いなーって思った。
――ヤマジさんがカヴァーしてもらいたいミュージシャンを選んだのは、どういう理由で?
やっぱり最近一緒にやらせてもらった先輩や同世代のミュージシャン、あとdipを好きだって言ってくれている若いバンドがいいって選んでいて。
――ホントに3世代に渡るメンバーですよね。選曲に関しては?
そこまでは妄想しなかったな(笑)。実際には、「コレどうですか?」ってこっちから言ったバンドもいるし、「コレやりたい」って向こうから言ってきてくれたバンドもいるし。印象的だったのは…、THE NOVEMBERSかな、原曲とずいぶん違うし。コード進行も変えてるしね。
――dip JAPANではチバユウスケさん(Vo)、クハラカズユキさん(Dr)、TOKIEさん(B)、そしてヤマジさん自身が参加してますね。
最初はThe Birthdayに頼んだんですよ。で、The Birthdayのメンバーで俺と関係あるのはチバ君とキュウちゃんだから2人が参加することになって、TOKIEさんはたぶんチバ君が誘ったんじゃないかな。で、俺がギターを弾いたのは、チバ君に「弾け」って言われたんだよ(笑)。
――自分の曲を自分以外の人が歌っていて、自分はギターを弾く。どういう感じでした?
「こう歌うんだ」って思った。俺には歌えないヴォーカルだなって。勉強になったよ。ていうか、自分は歌わないから楽だった(笑)。ギターだけ弾くってのはいいよね、楽しかった。
――作品全体を聴いていかがでした?
良かったよ、凄い良かったと思う。
――どのミュージシャンもdipへの愛情を感じますよね。
うん、感じました。嬉しいです。各々の解釈が出ていて良かったよね。「こういうふうにdipを聴いてるんだ」って。
――ええ。みんな各々の個性を出してバラエティに富んでいますし。で、これだけバラエティに富んでいるのは意外でもあったんですけど当然だとも思って。実はdipがバラティに富んだバンドですから。
あぁ、dipはいろんなことやってきたバンドだからね。
――ですよね。だからここにあるバラエティは、各々のミュージシャンがdipを通して自分の個性を出したとも言えるけど、でも実はdipが元々内包しているものが強調されているわけで。MO’SOME TONBENDERがヴェルヴェット・アンダーグラウンドっぽかったり、POLYSICSがグループ・サウンズっぽかったりするのも、それは元々dipにあったものなんですよね。
確かにdipはそういう要素もあるよね。
――dipの中に内包されていたいろんなサウンドが、各々のミュージシャンによって、ある意味、わかり易く表現されている。
あぁ、種明かしみたいな?
――そうそう、種明かし。
確かに。自分で言うのもナンだけど、dipは幅の広いバンドだと思う。これほどいろいろやってるバンドも少ないんじゃない?(笑) だから捉えにくく感じるかもしれないしね。
――そう。しかも、何でもやっちゃうってことを前面に見せているバンドじゃなくて、スタイルとしてはむしろオーソドックスなのに。だからdipは非常に珍しいバンドで。私はずっと孤高のバンドって印象を持っていた。昔から他のバンドとつるんでいるってことも全くなかったし。
つるめるならばつるみたかったよ。そこは俺の人見知りが災いして(笑)。孤高のバンドって勝手に思われていたとこもあるけど、それもいろんなことをやっていたからじゃない?「コレしか出来ません」ってことをやっていたら、もっとつるめたのかもしれないけど。dipはいろんなことをやっていたから周りとつるめなかったし孤高って思われていたんだね。
“そうなのだ。私はdipに孤高のバンドという印象を持っていて、それは頑固に己の音楽を追求しているバンドという印象に繋がっていたのだ。勿論、それは間違いじゃない。dipは己の音楽を追求してきたし、今もそうだ。しかし決して頑固なバンドではなかったのだ。むしろ逆で、いろいろなサウンドからの影響を柔軟に吸収し、己の音楽へと転換していった。”
曲作りでそんなに悩んだことないんだよね
――今回の一連のリリースで、トリビュートではdipの幅の広さを感じたし、Re-issueでは、dipは時代の音楽とリンクしていたバンドだってことに改めて気付きました。
うん。辿ってみるとわかるかもしれないね。俺、すぐ影響されるから。影響されるというか、すぐにやっちゃってるんだけどね。海外のバンドからも友だちのバンドからも影響されるし。
――トリビュートでは花田裕之さん、井上富雄さん、池畑潤二さんがカヴァーしていて、Re-issueでリリースされた『love to sleep』に収録されている「sludge」は、80年代に活動していたバンド、Sludgeから影響を受けて作った曲なんですよね?
うん、凄く影響受けた。短期間の活動で休止したバンドだけど、ライヴもカッコ良かったよ。お客さん、全然いなかったけどね(笑)。凄く好きなバンドで、それで曲も作っちゃった。メンバーだった片岡(理)さんの鋭いギターが凄く好きで。
――現在、SludgeはAfter The Sludgeとして復活していますが、そこではヤマジさんもメンバーで。ヤマジさん、R&Rギター全開で(笑)。
最初は片岡(理)さんのギターを真似してたの。でもそろそろ自分のギターを弾いてもいいかなって。
――Sludgeが好きだから「sludge」って曲を作った。ヤマジさんって曲作りの発想は凄くストレートなんですね。
俺ね、曲作りでそんなに悩んだことないんだよね。何にでも影響されるから。テレビから流れてきた音に合わせてちょっとギターを弾いているうちに曲を作っていたり。昔は家でも常にギター握ってたから。それこそ何からでも曲は作っていけるタイプ。だからね、真似したりもするんだけど、真似したつもりが気付かれなかったりするよ。「コレ、何々っぽいでしょ」って人に言っても「全然違う」って(笑)。だいたいdipの結成も、ドラムの中西と「ツェッぺリンとドアーズを合わせたものやろう」って言って始めたんだし。全然違う音になったけどね(笑)。だから、曲が出てくるのはそんなに苦しまないけど、まとめる作業は苦しいよね。イメージがなくて苦しむことはないんだけど、それを具現化するのが苦しい。
“80年代後半に活動していたDIP THE FLAG解散後、91年にdipは結成。思えばDIP THE FLAGの頃から幅広い音楽性を持っていた。ニューウェイヴの要素は勿論、70年代末期の東京ロッカーズに通じるストイックで鋭利な面もあったし、ビートルズを筆頭とした60年代のバンドが持つメロディ、更にそのメロディは日本のフォークに通じるものもあった。dipになってからはマンチェスター・ブームも素早く吸収し、更に深くサイケデリックでアシッドな世界も打ち出していった。”
ただただイカれて、破綻してきただけ
――私は『love to sleep』がリリースの頃にインタビューさせてもらっているんですが、あの時、確かヤマジさんは「昼間にヘリコプターの音が聞こえてくるのは妙に気持ちいい」って言っていたんですよ。私はそれで、「なるほど、サイケデリックな感覚はそういうとこから出てくるのか」って思って。
たぶんそれ、「「地獄の黙示録」のヘリコプターの音ってハマるよね」って話から、そういうこと言ったんだと思うよ。当時、ベースのナガタが「地獄の黙示録」のヘリコプターの部分をサンプリングして曲を作ってきたことがあって。それでそういうこと言ったんだな。そんな深い意味はないよ(笑)。
――そうだったのか(笑)。でもポップでメロディアスなバンド・サウンドの中にサイケデリックな面も出てきたのが『love to sleep』であり、それが更に深く表現されていたのが、当時、2枚同時発売となった『13 TOWERS / 13 FLOWERS』ですよね。
『13 TOWERS / 13 FLOWERS』は集大成的な感じはあったかもね。
――あの頃は、催眠術のようなサイケデリックでアシッドな感じからメロディがフワッと浮かび上がって、それが凄く快感で。ライヴでは映像的なことも出していましたよね。渋谷クアトロで、ライヴ中、ずっとステージに幕を張って、dipは幕の向こう側で演奏していてシルエットだけが見えて。アンコールでやっと幕が降りるってライヴがありましたよね。
あったねー。なんだったんだろう。アシッドな感覚に憑りつかれていたんだね。でもアレがあるから今があるんだし。
“90年代半ば、マンチェスターからアシッドと海外のサウンドに同時代的に反応していたdipは、次の『TIME ACID NO CRY AIR』ではガラリと変化。荒々しいバンド・サウンドを叩きつけている。そしてそれも当時、隆盛していたグランジなどと鮮やかにリンクしていた。”
――『TIME ACID NO CRY AIR』は生々しいバンド感に溢れていましたよね。グランジを意識していて?
グランジっていうか、完全にペイヴメントだね、あのアルバムは。サイケデリックな広がりよりも、ライヴでパッと再現できるようなシンプルでザックリしたサウンド。でも何より当時は生活が楽しくて、まぁイカレていたんです(笑)。そのイカレた生活をそのまま出しただけで(笑)。このアルバムと次の『WEEKENDER』はホントに生活がそのまま出てる。
――『WEEKENDER』は各曲にカラーがあってバラエティある作品ですよね。
バラエティって言えばそうだけど、バンド感があるものではないよね。『TIME ACID NO CRY AIR』は躁状態だったからバンド感があったけど、『WEEKENDER』それを通り過ぎて沈んでいった時期。メンバー全員が不摂生をしていたから、レコーディングにメンバーが来なかったり。だからメンバーが揃って演奏してる曲の方が少ないよ(笑)。俺も自分のことにしか興味なかった時期だったし。
――当時、私は、ヤマジさんって音楽っていうのは孤独じゃなきゃ作れないって感覚があったのかと思ってました。
いや。そんな深いものじゃない。ただただイカれて、破綻してきただけ。破綻の象徴だよね『WEEKENDER』は。でも曲はどんどん作れたな。『WEEKENDER』に入ってる曲は好きなんだ。今でもライヴでやってる曲あるし。ただ録音状態が悪いけどね。だから俺、凄くわかり易い人間なんだよ。何故、こういうサウンドになったのかって、生活とか精神状態がそのまま出ているからね。
“自分の周りで鳴っている音楽、いや音楽だけではなく日常で聞こえてくるノイズをも、そして自身の生活そのものも曲に昇華していったdip。確かにわかり易いかもしれない。わかり易い変化こそが孤高のバンドとなった理由かもしれない。しかし何より、全てを音楽に繋げていく、生きている時間の全てに音楽があるような、そういった精神が、dipの音楽が唯一無二である理由なのだと思う。”
――サウンド的に一つの方向を目指さず、その時その時でやりたいことに集中していたし、その中には危い時期もあった。そう考えると長く続いているのが奇跡なバンドですね。
長いよね。dipをやってないとただのイカれた奴だった時期もあったから(笑)、だからdipをやっていたのかもしれない。dipをやっているから自分でいられる、つまり自分の存在理由としてのdip。それは今もそう思っている。
“そして現在。先にあげたAfter The Sludgeに、1stアルバムがリリースされたuminecosounds、更に早川岳晴(B)、藤掛正隆(Dr)、吉田肇(G)との崖っぷちセッションなる企画でインプロビゼーションのバンドにも時折参加。”
現実ってかなり楽しいんだなって
――After The Sludgeではギター少年みたいだけど、インプロのバンドでは、ヤマジさんは大人に見えますよ。
周りが大人なバンドだから。早川さんや藤掛さんが大人だからね。
――いや、ヤマジさんと吉田さんのツイン・ギターで、ヤマジさんが吉田さんに「弾いてみろ」って駆け引きを仕掛けてる感じで。
あ、そう見えるんだ。実際はね、何していいかわからなくて眺めてるだけ(笑)。あのインプロ・バンドは早川さんが速弾きとかやり出すとわけがわからない音になっていって、そうなったらとりあえず様子見ようって(笑)。でも、面白いよね。音聴いてすぐに反応するってのは。
――なんだー、凄い落ち着いて見えるのに(笑)。それにしてもdip以外の活動も活発ですよね。ヤマジさんがこんなにいろいろ活動してるの、ちょっと前まで知らなかったですよ。
うん。ここ数年なんだけどね。昔も友だちとはセッションみたいなことしてたけど外の人ともやるようになって。前に豊田(利晃)さんを通じて(中村)タツヤさん(ex BLANKEY JET CITY)と知り合ったり、近藤(智洋)くん(ex PEALOUT)を通じて池畑さんと知り合って、池畑さんが俺を気に入ってくれてARABAKI BLUESってセッションに誘ってくれて。それが外の人達とやるきっかけになったのかな。
“豊田利晃監督の9月公開の映画「I’M FLASH!」では、チバユウスケ、中村達也、Ken Kenと共にI'M FLASH!BANDなるバンドを結成、主題歌を担当する。”
今の状況? やっとリハビリを終えて外に出られたって感じ。催眠術から解けた感じですよ(笑)。夢の中から現実に出て来て、現実ってかなり楽しいんだなって。
――dipは今後、どうなっていくでしょう?
やっと新曲も作ろうって気分になってきた。
――これまでのように、時代の音楽を吸収して変化し続けていきそうですか?
変化はするだろうけど、今はその時その時の音楽は、以前ほどには聴いてないからね。これからは、これまで自分の中に蓄えてきたものを出していく、そんな感じになるんじゃないかな。
――今までが全部並列にある中から出てくるってことは、益々広がって太くなりそうですね。楽しみです。
うん。全部混ざって出せたらいいよね。
RECOMMEND
THE NOVEMBERS / To (melt into)
今回のトリビュート・アルバム参加者の中では最年少ながら、「HUMAN FLOW」の意外なカヴァーでヤマジを驚かせた彼ら。重厚感と鋭利さ、光と闇など、両極端の要素を併せ持つTHE NOVEMBERSを体感できる、サード・フル・アルバム。轟音の中ではっきりと際立つエモーショナルなサウンド、何気ない生活に潜む狂気を白日のもとへ引き曝す歌詞世界は必聴。
>>小林祐介(THE NOVEMBERS)×下津光史(踊ってばかりの国)の対談はこちら
te' / ならば、意味から解放された響きは『音』の世界の深淵を語る
残響recordを代表するバンドte’の1stフル・アルバム。今回のトリビュート・アルバムでは唯一のインスト・バンドでもある彼ら。繊細かつ大胆な彩りとエモーショナルさを持ち、ギター、ベース、ドラムス、全て楽器が一体となって、ひとつの歌を生み出しているかの様な彼らの神髄が余す事なく発揮されたアルバム。
GHEEE / Ⅲ
90年代中盤以降、渋谷系の流れを受けて先鋭的かつ洋楽志向のギターロック・バンド達が独自のシーンを築く中、その代表的存在として活躍していたPEALOUT、PLAGUES、ZEPPET STORE。その中心メンバー達が集って結成されたGHEEE。ヤマジとも交流のある近藤智洋(PEALOUT)と、深沼元昭(PLAGUES)の各フロント・マンがツイン・ボーカルをとる夢の2トップによる、1st フル・アルバム。
PROFILE
dip
1987年から活動していたDIP THE FLAGを母体に、91年にdipとしてのライヴ活動をスタート。93年、ミニ・アルバム『dip』をリリース。インディー・チャートで1位を獲得。同年シングル「冷たいくらいに乾いたら」で東芝EMIよりメジャー・デビュー。
その後、EMIからは4枚のアルバム(『I'LL』、『love to sleep』、『TIME ACID NO CRY AIR』、『WEEKENDER』)と2枚のミニ・アルバム(『13FLOWERS』、『13TOWERS』)をリリース。 『love to sleep』が“ぴあ 90年代の名盤100”に選出されるなど、各方面にて高い評価を得る。
01年、V.A『natural born errors』(UK Project)に参加するほか、映画『ポルノスター』(監督:豊田利晃/主演:千原浩史)の音楽を担当。 のちにナガタが脱退、新たなメンバーにヨシノトランスを迎え、03年7月にはリトルモアレコーズよりアルバム『underwater』とオリジナル・サウンド・トラック「9souls」(監督:豊田利晃/主演:松田龍平)を同時リリース。
04年にはニューヨーク録音によるアルバム『funmachine』を、05年にはライヴ・アルバム『pharmacy』をリリースするほか、斉藤和義/MO'SOME TONEBENDER/bloodthirsty butchersらとTHE ROOSTERSのトリビュート・アルバム『RESPECTABLE ROOSTERS→Z a→GOGO』に参加。 同年、ヤマジは、UAへの楽曲提供(監督:豊田利晃/主演:小泉今日子による映画『空中庭園』主題歌)を手がけるなど、ソロでの活動も再開するようになる。
07年には、ナガタがギターでカムバックし、アルバム『feu follet』をリリース。 その後、ヨシノトランスが脱退。ナガタがベースに戻り、09年、オリジナル・メンバー3人によるアルバム『afterLOUD』をリリース。
10年2月からバンドは約1年の充電期間に入り、その間、ヤマジはソロでの活動を活発化。 自身のソロ・ライヴのほか、花田裕之/大江慎也/池畑潤二/井上富雄(THE ROOSTERS)、中村達也(LOSALIOS、FRICTION)チバユウスケ/クハラカズユキ(The Birthday)らとのセッションのほか、トム・ヴァーレイン(ex. TELEVISION)ら国内外のミュージシャンとの競演を果たす。
充電期間を終えた11年4月には、バンド結成20周年ちなんだライヴ・イベント"trick star"を展開。以降、都内各所でライヴを行う。 12年には、EMI時代にリリースし、既に廃盤となっている作品4タイトルが同時一斉発売(4月)となるほか、そのリイシューを記念した国内3カ所をめぐるツアー、そして、6月には錚々たる参加ミュージシャンによるdipのトリビュート・アルバムが発売される。