2012/04/17 00:00

ロリータ・ゴー・トーキョー

——まあ『デトロイト・メタル・シティ』の主人公の根岸君そのまんま、みたいな感じですね。日本中にあんな感じの男子が結構な数いたはずなんです。東京でおしゃれな服を着て、おしゃれな部屋で、おしゃれな音楽を聞きながら暮らしたい、そして、カヒミ・カリィみたいな可愛い彼女と付き合いたい! みたいな。小山田さんは、その後の草食系とカテゴライズされていくような男子の先駆けだった。草食系男子というのは、結構最近まではマイノリティで、存在を認知されていなかったと思います。コーネリアスはそんな日本各地で肩身の狭い思いをしていた男子を勇気付けるような存在だったんですね。喧嘩弱そうでもいいんだ、ヤンキーじゃなくても堂々としていていいんだ、と。

ジュリ : 私は大阪出身なんですけど、日本で、東京以外って、やっぱりヤンキー文化が主流じゃないですか。特に大阪はヤンキー社会で。
美島 : ジュリちゃんはヤンキーではなかったの?
ジュリ : 私はヤンキーは… 無理でした。だから肩身は狭かったです。

——じゃあ、東京に対する憧れは強かったんじゃないですか?

ジュリ : 大阪の子供は常に「大阪は日本で一番やで」って言われて育つんです。だから、憧れはそれほど強くはなかったんです。でもモデルとして事務所に所属することになって、上京して、東京で暮らすようになってから「東京って色々な人たちが集まっていて面白い場所なんだな」って知ったんです。私にとって東京はすごく刺激的な街でしたね。

——リアル『下妻物語』だ…。

ジュリ : そうなんです。

——日本で元祖ロリータ、元祖ガーリーと言えばカヒミ・カリィさんですけど、彼女の存在感というのは、大阪のガチヲタ・コスプレ少女からは、どう見えていたんですか?

ジュリ : 私、CDはジャケ買いする派なんです。可愛い女の子のジャケットのものばかり買っていて。

——それこそアイドル・トレカと同じ感覚で?

ジュリ : そうですね。でも実際に買って聞いてみると、音楽がジャケットのイメージと一致しなくて、え? っとなることが多かったんです。そんななか初めてカヒミさんに興味を持ったのは、タワレコの店頭で『GIRLY』のジャケットを見つけたときで。モノクロの写真でぬいぐるみを抱いていて、尖った表情なんだけど、すごく可愛いなあと思って。それで聞いてみたら音も声も甘くて、もうジャケットのイメージとぴったりだと思って。

——当時日本で、カヒミさんのようなウィスパー・ヴォイスで歌う人はいなかったので、あの声は衝撃的でしたね。

美島 : 現場ではもう、声小さい! どうやって録るんだ! って感じだった(笑)。

——美島さんは1曲目の「CANDYMAN」にkeybordsとしてクレジットされていますね。ジュリさんは当時、カヒミさんのプロデューサーとしてコーネリアスがいるということは知っていたんですか?

ジュリ : はい。さっきも話に出てましたけど、男性ファッション雑誌の「smart」に小山田さんとカヒミさんが一緒に載ってたりしてましたよね。

——そうですね。当時の宝島社のファッション雑誌は、男性向けも女性向けも、単なるファッション雑誌を越えて、サブカル流行発信基地みたいな感じでしたね。音楽情報はもちろん、岡崎京子さんや安野モヨコさんの漫画が連載されていたり、グラフィック・デザイン的にも内容的にも、マガジンハウスの雑誌よりも尖っていて、格好良かったですね。

ジュリ : 「CUTiE」とか「SPRiNG」とか、宝島社のファッション誌はミュージシャンをモデルに起用することが多くて、カヒミさん以外にも、CHARAさんや、YUKIさんを見たくてよく買っていました。

——当時「smart」ではじまった「ちんかめ」という企画があるんですが。

ジュリ : はい。ありましたね。「smart girls」という派生企画のムックもありましたよね。

——今でこそ珍しくはないのですが"ちんかめ"は、初めて「女の子にも受けるおしゃれなヌード」というものを世の中に提示したと思うんです。1991年に篠山紀信撮影の宮沢りえ写真集『Santa Fe』で、なし崩し的にヘア・ヌードが解禁されて以降、ヘア・ヌードを掲載する週刊誌がガンガン部数を伸ばして、サブカル誌だった「宝島」も、いつのまにかヘア・ヌード雑誌とまで言われるようになっていて。思春期の男子としては、とても嬉しい状況ではあったのですが、一方、自分のなかの草食系男子の部分は、何か食傷気味だったんですね。加納典明的な、いかにも肉食系な感じが、どうも居心地が悪いというか。そんな風潮のなか「ちんかめ」という企画がはじまって、同じ宝島社の雑誌なのに、全然異質なおしゃれ感がありました。自分の見たかったグラビアはこれだ! って思いましたね。なんだか一方的に語ってしまいましたが、女子的には、どうだったんですか? "ちんかめ"や"smart girls"というのは、実際に女の子の受けも良かったんでしょうか。

ジュリ : 一時期は、私の周辺の女の子たち皆、出たがっていましたね。"ちんかめ"、"smart girls"は、読モも、AV女優も、グラドルも、ファッション・モデルも、垣根なくモデルに選んでいたし。

——"ちんかめ"効果で「エロではなく、おしゃれで可愛い写真ならOK」という意識の子は増えましたよね、多分。でも実際のところ女の子を可愛くおしゃれに撮るのって、難しいことじゃないですか。ジュリさんは女の子の写真を撮るときは、モデルさんとは、どんなふうに接するんですか? 先ほど「一眼レフを持ったオレ登場」と言ってましたが、やっぱりちょっと男子目線で撮るんですか?

ジュリ : いや、男子目線というのは考えないですね。女子目線で、どうしたらもっと可愛く撮れるか、ということばかり考えてますね。

——そうですか。やっぱりガールズ・トークをしながら、なんですね。その話術的な事が非モテ男子にはなかなかできないんですよね。遠慮してしまって女子と打ち解けられない、ぎくしゃくした感じが、どうしても写真にも出てしまう。

マスヤマ : そういうことなら常盤響さんに聞いてみるといいよ。
ジュリ : そうですね、常盤さんって、モデルと会った瞬間に、もう親密なムードを作り出してしまうという術に長けているんですよ。

——ああ、常盤さんってやっぱりモテるタイプなんですね。常盤さんといえば、小山田さんと並んで、草食系男子的には、一度はあのポジションに立ってみたい、という憧れの一人です。写真家であり、デザイナーであり、DJであり、レコード・ショップ・オーナーであったり、おしゃれな家具に囲まれたおしゃれな事務所で、ときどきちゃちゃっとMacで仕事をして一丁上がり、的なイメージで… うらやましすぎる! そういえば常盤さんの写真と、ジュリさんの写真には、ちょっと共通した要素があると思います。ガジェットと女の子を掛け合わせることによって生まれる萌え感とか。常盤さんはミッドセンチュリーな家具やオーディオ機器、ジュリさんはレトロなゲーム機やシンセサイザーを小物として多用しますよね。

マスヤマ : でもジュリちゃんのやっていることは、今、この時代にジュリちゃんがやっているから意味があるのであって、同じことを男子が… それも非モテ系がやっても、意味がまったく違うものになるでしょうね。

——確かに、そうですね。それにしても、いつのまにか「ちんかめ」的な写真も、今の時代の空気感、気分を特別感じられるものでは無くなってしまった気がします。

マスヤマ : もはや見慣れてしまったんだろうね、そういうものに。

ハードコア・ハードディスク・マニュピレーション!

——90年代も後半になると、渋谷系という言葉も徐々に使われなくなっていき、渋谷からは徐々にマニアックなレコード屋が消えていきました。渋谷系の音楽と言えば、いかに元ネタになっている海外の楽曲を見つけるか、という楽しみ方もあったんですが、そもそもそのためのレコード屋が無くなっていったという…。コーネリアスの音楽も、それほど元ネタありき、というものではなくなっていきましたね。

美島 : そうですね。

——と、同時に、カラオケで歌って楽しいというようなタイプの曲ではなくなっていきましたね。メロディよりも、音色や音の質感といった要素に拘った音楽になっていったというか。「STAR FRUITS SURF RIDER」はとても好きな曲なんですが、カラオケで歌っても、アレ? なんか違うなー、と。

美島 : それはオレのせいじゃないよ!(笑)

——もちろん、わかってます(笑)。『69/96』のクレジットでは、美島さんは単にManipulationsと記載されていたのが、『FANTASMA』ではHard、Core Hard、Disk Manipulations and keyboardsと、なんだかすごいことになっていますね。このクレジットから察するに、レコーディングの手法も、相当ハードコアな変化があったのでは、と思うのですが。

美島 : そうですね。ハードディスク・レコーディングにどんどん移行していってました。

——美島さんは今度オトトイの学校でLogic講座を開講することになっていますが、この頃からLogicを使ってハードディスク・レコーディングを始めたんですか?

美島 : いや、最初は、当時発売されていた音楽制作ソフトを全部買って、試しましたね。

——そうだったんですか! そのなかでなぜLogicを選んだのですか?

美島 : まずPro Toolsは当時、MIDIを扱えなかったんです。
マスヤマ : Pro Toolsはテープ・レコーダーの進化したものという位置づけでしたよね。やっぱり美島さんは、シンセサイザー、キーボード畑の人だからMIDIが重要。
美島 : そうですね、Digital Performerはステレオ・アウトができなかったりとか。それで残った選択肢がLogicだった。

——これから音楽制作を始めようと思っている人たちに、オススメのものはありますか?

美島 : 今はどれでも基本的な性能は備えているからなあ…。

——レコーディング・スタジオだとPro Toolsを導入しているところが多いと思いますが…。

美島 : コーネリアスの場合、小山田君のスタジオとオレの自宅の作業だけで完結できるので、外のスタジオと互換性が無くても特に困らないんだよね。

——mishmash*Julie Wataiのレコーディングも同じように、外部スタジオを使わずに、Logicで行ったんですか?

美島 : はい。ジュリちゃんの歌入れのときだけ、マスヤマさんの事務所がある目黒のビルの一室に機材を持ち込んで。あとは千葉の自宅で作業して、ある程度できたところでファイルをDropboxでマスヤマさんに渡して聞いてもらって… というやりとりをしながら進めましたね。

——美島さんは千葉出身で、現在も千葉にお住まいなんですよね。フリッパーズ・ギターや初期コーネリアスの頃も、レコーディングのたびに千葉から通ってたんですか?

美島 : そうですね。

——うーん。憧れの渋谷系音楽が実は千葉で生まれていたという事実は、千葉育ちの私には感激もひとしおです。千葉も捨てたもんじゃない。やっと田舎者コンプレックスから解放された気分です!

美島 : いや、録ってたのは東京だけど…。でもまあ、オレのハード・ディスクのなかに保存されているから、千葉と言えば千葉か。

——美島さんには、東京への憧れは無かったんですか?

美島 : うーん、千葉って東京のベッドタウンで、一時間ちょっとで行ける距離だし。憧れっていうほどのものは無いなあ。あ、でも友達の女の子から、江戸川を越えるときは気合いを入れるって話は聞いたことはある。やっぱり近所を歩くような普段着では東京には行けないって。

——すごくよくわかります、その気持ち。ところで、レコーディングの機材が劇的に変わることによって生まれてくるアイデアというのもあったんですか?

美島 : それはもちろん。

——「STAR FRUITS SURF RIDER」のCDシングルは、短冊形のジャケットに2枚の8cmCDが収められているというものでした。このアイデアはどこから?

美島 : 最初に言い始めたのはエンジニアの高山君かな。もうトラック数が膨大なことになっていて、ソニーの3348っていう48トラックのテープが2台回っていて。だからいっそのこと2枚で出しちゃえばいいってことで。

——disc1の2曲目が「STAR FRUITS GREEN」、disc2の2曲目が「SURF RIDER BLUE」になっていて、この2曲を同時に再生すると「STAR FRUITS SURF RIDER」になるというものでしたね。このアイデアもすごいですが、実際にこの特殊な形態でリリースをできたということもすごいと思います。

マスヤマ : 当時はまだCDが売れて業界が潤っていた時代だったから、そういうこともできたんじゃないですか。

——でも当時はCDを2枚同期させて再生できる環境を持ってる人って、あんまりいなかったですよね。私もこのシングルCDを買いましたけど、本当に同時再生すると「STAR FRUITS SURF RIDER」になるのか、確かめることはできませんでした(笑)。今ならCDJやPCDJ用の機材、DAWなんかもかなり普及しているので、簡単に確かめられると思いますけど。さて『FANTASMA』の次のコーネリアスのアルバム『POINT』での美島さんのクレジットはrecording & programmingと、かなりシンプルになっていますね。音のほうも『69/96』『FANTASMA』の頃のような、とにかくCDに情報を詰め込めるだけ詰め込んだ、というものではなくなっていますね。

マスヤマ : 足し算の表現から、引き算の表現になった。僕がコーネリアスの本当のファンになったのは『POINT』を聞いてからですね。

——『POINT』以前は?

マスヤマ : まあジャミロクワイやスタイル・カウンシル、プライマル・スクリームなんかの、よくできたコピーという印象のままでした。常に音楽好きではあったんですが、積極的に音楽情報を仕入れるということをしなくなっていた時期があって、その頃はコーネリアスもほとんど聞いていなかった。でも海外に出かけたとき、たまたま読んだ飛行機のなかの英字新聞に「最近海外で成功した日本の輸出品」という記事があって、コーネリアス、世界で30万枚という数字が出ていて。そこで、あれ? ただのコピーが世界で30万も売れるわけないよな、と気づいた。それで『POINT』を聞いて、ぶっ飛んで、それからはもう本当にただの追っかけですよ。『SENSUOUS』のツアーは高松まで観にいったり、シークレット・ライヴも数回行きました。

インディーズ。ボーダーレス

——そこから実際に美島さんと一緒に音楽を作るところまで行ってしまうというフットワークの軽さと人脈の広さが、マスヤマさんのすごいところというか、え! 何者なの? と思わせるところというか…。美島さんは、マスヤマさんと仕事をするにあたって、どんなことを考えましたか?

美島 : マスヤマさんと一緒にやるなら、コーネリアスとはまた違ったことをやりたいとは思っていましたね。

——mishmash*Julie Wataiは、作詞がマスヤマさん、作曲と編曲が美島さん、と役割分担がされているんですか?

マスヤマ : 基本的にはそうですね。最初、美島さんは「自分は曲はかかない! 」と頑なに言っていたんですが(笑)。でも、私も曲は書くので、ジュリちゃんの次のフィーチュアリング・ヴォーカリストでは、私の曲を美島さんがアレンジしてるものがあります。そういえば、明日、そのレコーディングなので歌詞書かなきゃ…(笑)。

——さすがに一筋縄ではいかないメロディになりましたね。

ジュリ : 歌うのが難しかったです。

——イタリア語の曲「Un Buco Nella Sabbia」のカバーもレコーディングしたそうですね。

マスヤマ : 美島さんはカヒミ・カリィの仕事もしているし。「カヒミがパリなら、こっちはローマだ! 」みたいな(笑)。

——もしジュリさんがいなかったら、最近流行りのボーカロイドで、ということは考えなかったんですか?

マスヤマ : 僕は、初音ミクには興味があって、最初のバージョンから実際に買って試したりしていましたよ。でも、初音ミクの歌を、他の人の作った初音ミクの歌とは違う、個性的なものにするということは、ものすごく大変なことじゃないですか。今はそういうことに長けた「P」と呼ばれるような人もいるわけですけれども。でも自分が「P」になることと比べたら、「ちょっと曲作ったんだけど、歌ってよ」って実際に女の子に頼むほうがずっと簡単じゃないですか。最近は大体誰でもカラオケで歌を歌うってことには慣れてるから、「歌うのがイヤだから」と断られることもまずないし。

——いやあ、自分が作詞作曲した曲を歌ってくれと女の子に頼むのは、なかなか自信がないとできないんじゃないですか…。

マスヤマ : 曲を作ること自体は、実は簡単なんですけどね。イイ曲、売れる曲が作れるかどうかは別として。もっと皆やればいいのに。オヤジ・バンドでコピーとかばっかりやってないで。
ジュリ : 私の知り合いで、有名なボカロPさんがいるんですけど、その人はボカロの仕事は寂しいって言ってました。
美島 : ああ、その寂しさっていうのは、わかる。今はPCで一人の作業だけで楽曲制作が完結できるようになってますからね。
ジュリ : ボカロの曲を作ってる数週間、誰にも会わないから寂しいんだよって。その人は、ボーカロイドの仕事だけじゃなく、生身のボーカリストの仕事もしているんですけど、そっちの方がいいって。
美島 : 一人でできちゃうということは、全部自分の思ったように好きに作れるからいいような気もするんですが、でもそれだとどうしても、音楽というものをひとつ上の次元に持って行けないんですよ。
マスヤマ : 上の次元になるというのは、平面が立体になるようなこと?
美島 : そうですね。mishmash*Julie Wataiの場合でも、まずオケを作って、そこにジュリちゃんの歌を入れて、その後に、またアレンジを変えて、という相互作用で音楽が立体的になっていく。

——なるほど。相互作用というのは、音楽の聞き手側のことまで、考えている感じですか?

美島 : いや、最終的にどういう人が音楽を買っていくのか、というところまでは僕は考えていないですね。
マスヤマ : まあ、それはプロデューサーの役割ですよね。

——今はまったくCDが売れない時代と言われていますね。渋谷系音楽の発信地であったHMVも渋谷から撤退してしまいました。そもそも最近の若者は物欲が少なくて、商品を消費するという行為も、あまりクールなこととはされなくなってきたようです。

マスヤマ : 僕は大学で講師を20年以上していますけど、学生を見ていてもそれは感じますよ。
ジュリ : 音楽好きな子とかでもそうなんですか?
マスヤマ : 今って音楽はお金を払わなくても聞けるものになってしまっているから。
ジュリ : ああ、なるほど。

——そんな音楽業界の構造不況のなか、mishmash*Julie Wataiは活動をスタートさせるわけですけれども、誰に向けて作っている音楽なのか、どんな人が聞くべき音楽なのか、ということは、プロデューサーであるマスヤマさんには見えているんでしょうか。

マスヤマ : そもそも僕がコーネリアスの大ファンだから、そのコーネリアスのレコーディング、プログラミングをやっている美島さんの作る音だったら、聞き手としての僕は間違いなく興味を持ちます。コーネリアスのCDは、世界中で何十万枚も売れている。つまりmishmash*Julie Wataiの音楽に興味を持ってくれる人は潜在的に何十万人もいるわけです。ジュリちゃんにしても、イタリアの新聞で連載をしていて、写真集も売れていて、ジュリちゃんという人、現象、イメージにちょっとでも興味を持っている人というのは、百万人以上いることがわかっている。こういった数字が事実としてあるわけなので、そこに向かって球を投げていく。そこはやっぱりプロデューサーとしては重要で、決して闇雲に突き進んでいるわけではないです。

——オトトイでは、曲をトラックごとに分けて、バラ売りもするんですよね。

マスヤマ : 美島さんに興味を持つ人というのは、やはり音楽制作にも興味のある人たちだろうと思うんです。そのような人たちにmishmash*Julie Wataiの曲を素材として使ってもらえたらと思っています。美島さん的には、手品の種明かしをするようなものなので、抵抗があるかもしれないですけど…。
美島 : いや、抵抗はないですね。むしろ、そういうことは楽曲の権利をクリエイターが自分たちで持ってるインディーズでしかできないことだから、ぜひやってみたいことです。メジャー・レーベルではこういうことは、まずできないでしょう。
マスヤマ : mishmash* Julie Wataiは、今、この時代に、インディーズという手段で、音楽を世の中に広めていくという行為がどういう意味を持っているのかということを、実践しながら問うていきたいという、試みでもあるんです。

——話を聞いていると、初ライヴも初リリースもまだなのに、インディーズ/メジャーとか、日本/世界という枠組自体を、とっくに超えてしまっている感じがしますね。iTunesでの配信は、アメリカのアグリゲイターであるtuneCOREを通じて行うそうですが。

マスヤマ : もう始めてます。ただ、無料でダウンロードできるのは、今のところオトトイさんだけ(笑)!。音楽に限った話じゃないですけど、日本のマーケットだけ見てると、ショボい話しか無いですからね。私の仕事は、コンテンツ制作以外にも金融商品への投資というのがあって、その世界では、日本は世界の中の一部でしかない、と考えるのが常識になってます。で、mishmash*の英語の歌詞は、私が書いた日本語をもとに、アメリカ、ボストン在住でMIT大学院生の人とskypeしながら書いているんです。それもあって、5月からはボストンにも拠点をかまえることにしました。

——ではmishmash*Julie Wataiはボストン発の音楽ということになるんですね。

マスヤマ : んー、どこどこ発っていう概念が、もうあまり意味無いような気が…。一般には日本の会社と思われているソニーやキヤノンだって、株主のほとんどは外資ですからね。ジュリちゃんはローマ郊外に拠点があるし、僕はミラノの広告代理店やオーストラリアのミュージアムとも日常的に仕事してるし、美島さんだけは、千葉の成田空港の近くで、留守を守っててください、的な(笑)。ところで僕には出身地のことは訊かないんですか? 美島さんやジュリちゃんには訊いていたのに。

——マスヤマさんは、生まれも育ちも目黒で、都会っ子ですよね。今も目黒ですし、だから東京に対するコンプレックスとか無さそうだな、と思って尋ねなかったんですが。

マスヤマ : まあ、まず都会とは何かという概念がないけどね。

——やっぱり、そうなんじゃないですか!

マスヤマ : でも昔は東京の中心といえば銀座で、この辺りは場末という感じだったんだよ。渋谷の西武だって「シブヤのニシタケさん」と呼ばれていたくらいで。

——そういう話がさらっと出てくるあたりがやはり東京の人という感じですが。マスヤマさんはニューヨークで暮らしていたこともあるんですよね。

マスヤマ : 映像を学んでいました。パンクが下火になって、カルチャー・クラブとかニューウェーブ・バンドが流行っていた頃で、元セックス・ピストルズのジョン・ライドンが新しく組んだバンドのパブリック・イメージ・リミテッドのライヴを観にいったとか、そういうニューヨーク現地レポート的なコラムを「宝島」に寄稿したりしてました。

——「宝島」がまだ小さな版型で、アングラな雰囲気が強かった頃ですね。

マスヤマ : ボストンってまだ行ったことはないんだけど、まあニューヨークから見たら千葉みたいなものだよ、きっと。

永遠に進化していく音楽

——mishmash*Julie Wataiでは楽曲配信に留まらないマルチな展開をしていく計画もあるそうですが、どんなことを考えているのか、少しヒントをください。

マスヤマ : 最近、ニコ動とかで、未完成の状態の曲をとりあえず「upしてみた」というのがありますよね。
美島 : ああ、β版的な感じで公開しちゃうという。
ジュリ : ゲーム・ソフトの公開テストみたいな感じ?
マスヤマ : うん。それでコメントで散々叩かれたりしながら、だんだん修正していくという。
美島 : それは凹みそうだけど。

——アメリカのヒップ・ホップがディスり合いながら進化していったみたいなことに近いですかね。

マスヤマ : でも永遠に完成しない音楽。そういう音楽のカタチもあるんじゃないかな、といようようなことを、先日、とあるクリエイターさんと話していて。

——それは面白そうですね。

マスヤマ : これ言っちゃっていいのかな。4月14日のライヴで色々と発表すると思いますけど。

——どんどんmishmash*の正体がわからなくなっていく… 。でも何か楽しいことをやってくれるはずだという気がします。

マスヤマ : 最近、会う人皆に「マスヤマさん、楽しそうだね」って言われるんだよね。実際、超楽しいです! 期待していてください。

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コーネリアスのサウンド・プログラマを長年つとめ、2008年には米グラミー賞にもノミネートされた美島豊明が、音楽制作ソフト"Logic"の講師として、オトトイの学校に登場です。美島豊明が、音楽制作ソフト“Logic”の使い方を、生徒代表Julie Wataiに手取り足取り教えていきます。受講者はその様子を見ながら、自然と“Logic”に馴染んでいく…、そんな講座をまずは1回限定で行います。

講師 : 美島豊明(サウンド・プログラマ / mishmash*)
生徒 : Julie Watai
司会 : 桝山寛(フリー・プロデューサー/mishmash*)

2012年5月12日(土)19:00〜22:00(開場 : 18:30)
受講料 : 3,500円(税込)
定員 : 30人

詳しくはオトトイの学校HPから

PROFILE

mishmash* Julie Watai(ミッシュマッシュ・スターリング・ジュリワタイ)
コーネリアスのサウンド・プログラマを長年務める美島豊明が、プロデューサーにマスヤマコムを迎えてスタートさせたソロ・プロジェクト。フィーチャリング・ヴォーカリストには、写真家/アーティスト/モデルとして活躍するジュリワタイを起用。2011年春よりプリプロダクションに入り、同年10月に「恋のタマシイ」とその英語版である「Roll of Love」のティーザー映像をYouTubeで発表した。そして遂に2012年4月14日、音楽実験室新世界で行われた初ライヴでプロジェクトの概要を公表。同時に海外iTunes Storeで「Roll of Love」をリリースし、日本に於いてはオトトイで「Roll of Love」「恋のタマシイ」のフリー・ダウンロードを開始した。この「恋のタマシイ」「Roll of Love」は、5月12日より、楽曲の制作素材となっているトラック毎の有料ダウンロードもオトトイで行われる。同日にはこの音素材を使用しした美島豊明によるLogic教室もオトトイの学校で開催される。さらに6月には第二弾シングル「リバーブの奥に」「Veiled by Reverb」、7月にはミニ・アルバムのリリースが予定されているほか、web、スマホアプリ等でのマルチな展開も計画されている。

official HP

菅原英吾(インタビュアー)
1972年生まれ。インディーズ・レーベル「ブリジニア」所属のDJ。

mixcloud URL

[インタヴュー] mishmash*Juile Watai

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