2010/01/13 00:00

新しい10年の幕開けに、これ以上ない4人が集まった。”ケイイチ鼎談”と銘打って行われた座談会は、高橋健太郎の司会をもとに2時間を越える盛り上がりをみせた。始めの15分間はustreamでライヴで放映され、その勢いは中継終了後さらに加速していく。年齢こそ違えど、インディペンデントにレーベルを運営し自身の活動も積極的に行っている3人の話は、2010年以降の音楽業界をいち早く予見している。キーワードは<だだ漏れ文化>!? 音楽だけでなく、それを取り巻く環境に関しても深く切り込んだ4人の話をじっくりご覧ください!

司会 : 高橋健太郎 / 文 : 西澤裕郎 / 写真 : sasaki wataru

変化したタイムラインの速度

——今日なんで3人に声をかけたかというと、全員レーベルを運営していたり、twitterを活用しているなど共通点があるんですね。2010年代に突入して、レコード会社やミュージシャン、あるいはレコード屋、僕らOTOTOYのような配信サイトなど、それぞれの関係が色々変わっていくんじゃないかと思って、その辺を訊いてみたいなと思っています。そうしたことをふまえて、新春対談プラス「テン年代」幕開けの・・・

鈴木慶一 : 「テン年代」っていうんだ! 「ジュウ年代」じゃないんだね?
渋谷慶一郎 : 「テン年代」っていうんですよ。賛否両論ですけど(笑)。
曽我部恵一 : でも、若い人は10年単位で区切るってことをしないですよね、基本的に。10代の子とか、20代の子とか。「60年代ってさ〜」みたいに言っても、あんまりわかってないですよね。「何ですか60年代って?」みたいな感じで。何でその10年区切りにするかイマイチ分かってない気がしますね。

——世代的に3人はバラけた感じがしますけど。

曽我部恵一 : 僕と慶一郎さんは近いですよ。僕は71年生まれなので2歳しか違わない。

——慶一さんが51年生まれで、僕が56年生まれだから、60年代がギャップになっているのか。

渋谷慶一郎 : 同じ歳くらいのミュージシャンに会うことって、実はあまりないんですよね。だいたい5年前くらいに辞めちゃったりする人が多かったんですよね。だから、30代半ばから前半っていうミュージシャンは僕のまわりは少ないです。10歳年下のあたりのほうが、かえって沢山いますね。

渋谷慶一郎&曽我部恵一

——1回そこでリタイアしちゃう人が多いってこと?

渋谷慶一郎 : なんかね、僕が30歳前後の時って不況まっただ中だったんですよね。2002年とかそれくらいかな。だから自分でレーベルを始めたっていう部分もあるんですけど、ATAKを始めたのが2002年なんです。不況の時って発注はしやすいじゃないですか。でも逆に仕事が欲しいっていっても仕事が全然来ない状況だから(笑)。だったらやった方がいいんじゃないかみたいな感じで始めたってのは結構ありましたね。
鈴木慶一 : CDの最高の売り上げは99年?

——1998年くらいですね。

渋谷慶一郎 : それとシンクロしてテープを回さなくなって、Pro Toolsになった頃ですよね。

——だからコストはぐっと下がったんですよね。1980年くらいから98年までの音楽産業の上り坂はスゴかった。95、96年くらいってメジャー・レーベルがものすごくお金を持っていて、とにかく金使って何かやれ状態だったんですよね。

曽我部恵一 : 10万枚くらい売れてましたもんCDが。それで、10万枚程度じゃあって言われる時代でしたから。5万枚だと次出せませんくらいの状態。今思うとすごいですよね。当時メジャーのレコード会社にいた時、3万枚売れたらメンバー全員がサラリーマン程度の収入を得る暮らしが出来るよって言われてましたね。それを考えるとメジャーのシステム、印税のシステムの中で、今誰が暮らせてるのっていう。だって印税って3%くらいですから、1万枚売れても全然暮らせないですよね。
鈴木慶一 : 21世紀に入ってから自分らのレーベルを作ってやっているんだけど、すごくシンプルな感想を言えば、レコード会社は社員が多くて大変だなって思うよね。だって今、moonriders recordsだと2人だよ。作ったときはマネージャーの野田さん一人とバンド・メンバー、7人。それだったら何とかなるじゃんって感じだからさ。
渋谷慶一郎 : 僕は実質、最初は妻と2人で始めて、ATAKという仲間みたいな感じで連帯していたり、マネージャーやデザイナーはいるけど所謂社員はいないんです。今は会社という意味では実質僕だけだから、普通に郵パックとか発送してますよ(笑)。経理をやってくれる友達がいたり、デザインもwebデザインのプロがいるから、メンバーなんだけど、僕が給料を払って養っているわけではないし、だからかなりフレキシブルにやっていますね。
曽我部恵一 : 僕も発送していましたよ。宛名書いて。
渋谷慶一郎 : ディストリビューターが近所で、すごく助かってますもん。持ってけるから。ギリギリまでマスタリングをつめられる(笑)。
鈴木慶一 : なんだこんな短期間でCDって出来ちゃうんだっていうね。

鈴木慶一

——やっぱり、完成してからお店に出すまでメジャーだったら3ヶ月でもプロモーションには足りませんって言われてましたからね。だからインタビューを受けるころ飽きちゃってたりするんですよね(笑)。

鈴木慶一 : 3ヶ月も経っているから、もう次のこと考えているんだよ(笑)。その頃に取材を受けたりするわけじゃない。

——「今度のは作りたくなかったんだよ」とかそれくらいのことまで言っちゃうんだよ慶一さんは(笑)

鈴木慶一 : すごい過去のことのような気がするんだよね。だからタイムラインの感じ方が昔と今では、かなり違うと思うんだよ。
渋谷慶一郎 : 違いますね。でも一昨日発売になった『アワーミュージック』は結構短かったですね。マスタリングが終わったのが11月末とかそれくらいだったかな。だから1ヶ月ちょっとくらい。
曽我部恵一 : お店の受注期間っていうのがあるから、商品が店に並ぶスパンはメジャーでもインディでもそんなに変わんないですよね。でも、そういうことを度外視すると明日にでも出せますからね。例えば、まつきあゆむ君の新作っていうのは個人to個人でサーバーにアップされて、zipファイルで送って。あれはすごい革命的にいいアルバムのリリースの仕方だと思いましたけど、そういうことすら出来るようになってきている。

——音楽配信って、明日売り出そうと思えば明日売り出せちゃうんですよ。さすがに明日はないにしても1週間あれば特集記事を作れる。だから、ミュージシャンが音源を持ってきてくれるとそういうことって実際あるんですよね。週刊誌みたいに新譜とその記事を出している。昔は大体25日発売だとかに向けて、月間ペースで新譜を聴いたりしていたんだけど、そういう意味で感覚は変わりましたね。音楽を聴く感覚が週刊誌ペースになった。

[インタヴュー] Moonriders, keiichiro shibuya, 曽我部恵一

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