三浦コウジ(Vo/G)、伊藤 祐介(B)、斉藤 正樹(Dr)からなるスリー・ピース・バンドacariの2年ぶりの新作『陽がよく当たる』が完成! ライヴ・ハウス・シーンを中心に着実に認知と支持を拡大する彼ら。しなやかでありながら芯の太い良質なメロディー・センスは今作でも健在で、深沼元昭(PLAGUES、GHEEE、mellowhead)プロデュースの元、研ぎすまされたサウンドをつくり上げました。OTOTOYではCDの発売から2週間先駆けて販売開始。さらに、「点と線」を期間限定でフリー・ダウンロードでお届けします!
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CDの発売に先駆けて販売開始!
acari / 陽がよく当たる
Vocal三浦コウジの独特で繊細な歌声と甘く切ないメロディ、60'sソフト・ロックからオルタナティヴ・ロックまで様々な音楽要素を消化したサウンドは、センチメンタルでありながらも激しく包み込まれる独自の世界。プロデューサーに深沼元昭(PLAGUES、Mellowhead)を迎えて制作された全11曲。
acari 三浦コウジINTERVIEW
新メンバーを加えて臨んだ前作『プリズム』から一転。プロデューサーに深沼元昭(PLAGUES、Mellowhead)を迎え、再び3人で完成させた3作目『陽がよく当たる』で、acariは格段にソリッドでグルーヴィな演奏を手にした。環境の変化こそあれ、常にメロディに重きを置く実直なソングライティングに挑戦してきた彼らのキャリアを考えると、このとことんまで削ぎ落としたアンサンブルこそ、彼らが結成以来ずっと求めてきたものだったのだろう。現在のacariが過去最高のコンディションにあることを実感させられる快作だ。
そこで今回は新作の深部に迫るべくフロント・マンの三浦コウジに話を聞いたのだが、これが思わぬキーワードの頻出によって何度も脱線。結果的には三浦のルーツに迫る内容となった。いや、まさかこれほど熱い人物だったとは。
インタビュー&文 : 渡辺裕也
本当はずっと前から、メンバーでアイデアをぶつけあいたかった
――今回からまた3人体制に戻ったんですね。
もともとこのバンドは今の3人で始まったんですけど、1枚目は友達や知り合いにゲストミュージシャンとして手伝ってもらってたんです。その頃はライヴもサポートの人に参加してもらっていたし、レコーディングも宅録に近いやり方だった。でも今回はアレンジも含めて、基本的にはすべて3人だけでやりました。ライヴもいまは3ピースでやっているから、演奏への意識が1枚目を作った頃と比べると各自まったく変わっていると思うんです。で、それは前作を作った時と比べてもそうで。単純にずっと一緒にやってきた僕ら3人が、しっかりとした音を出さないとこのバンドは成り立たないんだと痛感したんですよね。逆に言うと、今まではそれができていなかったんです。
――単純な原点回帰というわけではないと。
そうですね。それこそ1枚目の頃はけっこうのんびりとやっていたんですよ。でもそこから3年間やっていくうちに、各自のやりたいことがより骨太で力強いものに変化していって。ドラムとベースがあって、そこにギターと歌があるという、それだけの編成の中でぶつかり合うやり方が、バンドとしての化学反応を起こすためには一番だなと思ったんです。それが今回のアルバムでようやくやれそうな気がしたというか。すごく自信を持って臨めた。そこが大きいですね。僕が思いつかないようなアレンジをメンバーがどんどんぶつけてくるようになったんです。曲の最終型をバンドに任せることができたのは今回のアルバムが初めてで。
――これまではアレンジをメンバーに委ねることが難しかったということ?
もちろん信用はしていましたけど、投げてもなかなかうまくまとめられないことが多かったんです。アイデアをもらっても僕がそれを一度持ち帰って、整理し直したものをまたメンバーに投げるような形をとらなきゃいけなかった。つまり、宅録の感覚と同じで自分のアイデアに肉付けしていく方法しかなかったんですけど。でも本当はずっと前から、メンバーでアイデアをぶつけあう今のやり方でやりたかったんです。いろんなフレーズが加わったり、新たな曲構成に変化していくことを今回すべて受け入れられたのがよかったですね。やりとりに無駄がなくなりましたね。
――そうした制作プロセスの理想型はいつ頃から抱えていたものなんでしょうか。
ファーストを出す前の頃は僕自身の意識がそこまで外に向いてなかったんです。宅録の延長だったこともあって、とにかく自分のイメージ通りにやりたかった。すごく極端に言えば「余計なことはしなくていいからこのデモの通りにやってくれ」くらいの感じで(笑)。あと、ライヴの面白さもなかなか見出せてなかったこともあって。出演していた場所もどちらかというとカフェ寄りのところが多かったし、僕らのお客さんもあまりいなかった頃だったので反応も薄かったんです。ライヴを見てる人も共演者とお店の人と友達くらいで。それがいろんな人との出会いをきっかけとしてちゃんとしたライヴハウスに出るようになって、自分の音楽を伝えていくためにはこのままじゃだめだと思うようになったんです。あのまま続けて、なんとなく土日に費やす趣味みたいな感じにはしたくなかった。それからですね。特に新宿ロフトに出始めたのは大きかったです。自分たちの目指すべき方向性を確認できた。
――とはいえ、acariの音楽性には1作目から一貫したものがあるとも感じていたのですが。
そうですね。1作目にアコースティックの要素が強かったのは、当時ゾンビーズとかニック・デカロとか、ソフトロックが好きだったからなんですけど、その界隈の音楽を知ったきっかけは、僕がもともとGREAT3の片寄明人さんのファンで、片寄さんが紹介していた音楽をひたすらチェックしていたからなんです。それ以前の中学とか高校生くらいの頃は、グラム・ロックとかブリット・ポップあたりをよく聴いていました。その前まで遡ると布袋寅泰さんになりますね。それが僕のルーツです。
――布袋さんは意外ですね。
小4くらいの時だったかな。近所にレンタル・ビデオ屋さんがあって。個人経営でプロレスとロックがかなり充実した店だったんですけど、僕はプロレスがめちゃくちゃ好きだったので、ひたすらそこに通いつめてたんです。そうしたら、そこでバイトしている大学生くらいの人たちが毎日のようにやってくる小学生の僕を面白がってたみたいで、いろんな音楽を半ば無理やり聴かせてきて(笑)。お店にあるCDやテープもタダで貸してくれたんですよね。そこで聴かせてもらったもののなかにBOOWYがあって。当時はもうリアルタイムではなかったんですけど、それがけっこう衝撃的だったんですよね。
――BOOWYのどういうところに衝撃を受けたんですか。
他に聴かせてもらった音楽、たとえばレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなんかはさすがに小学4年生には少し難解で。歌詞も日本語じゃないってこともあるし、とっつきやすくはなかったんですね。その中で聴いたBOOWYの音はすごくかっこよく聴こえて。当時の僕はCHAGE & ASKAと徳永英明しか知らなかったから、余計に衝撃的だったんですよね(笑)。そこでギターが布袋さんっていう人だと知って。その当時の布袋さんはもうソロで活動していたので、CD買ったり、ライヴにも行くようになって、中学校の時にエレキを買ってもらったんです。
――まさかビデオ屋さんのバイトも、その小学生がミュージシャンを目指すとは思わなかったでしょうね。
(笑)。当時はまわりが塾とかに通い出す中で僕だけがすごく暇で、遊ぶ友達があまりいなくなってきて、初めて虚無感を覚えた時期でもあったんですけど(笑)。その人達のおかげで、それがまったく苦じゃなかったんです。そうやって大学生に遊んでもらったりしていると、やっぱり同級生とは音楽の話とかあまり話が合わなくなってくるし、年上の人たちからいろんなことを教えてもらえるのが楽しかったんです。ビデオ屋さんとの出会いは大きかったですね。いつも夜中まで入り浸っては、親が迎えに来てました(笑)
――そういえばプロレス好きはその後どうなったんですか。
プロレスのことは話し始めると5時間くらいは必要になってしまうんですけど(笑)。当時はテレビでもまだプロレスがけっこう放送されてて、僕も最初は訳のわからないまま観てたんです。で、当時スーパーファミコンで「ファイヤープロレスリング」っていうゲームがあったんですけど、知ってます?
――はい。やったことあります。
あれを友達が持ってて。2Dの荒い画面上に登場するゲームの選手とテレビに出ている実際の選手を照らし合わせて観てたんです。で、ゲーム上で覚えたいろんな選手の得意技を実際の選手が本当にやる場面を見たとき、僕は初めて自分が興奮する感覚を味わったんですよね。それで一気にのめり込んで。その当時は武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也あたりが一線で張ってて、その上の世代の長州力や藤波辰巳なんかと、世代抗争があったりもして。で、そこには必ずひとりは負けなきゃいけないレスラーがいるんですよ。僕はそこにロマンを感じたんですよね。
自分の願望をちゃんと口に出せるようになってきた
――プロレスラーの生き様に引かれたんですね。では、布袋さんで始まった三浦さんの音楽遍歴は、どこでGREAT3に辿り着いたのでしょう。
ギターは布袋さんがきっかけだったんですけど、その頃はまだ日本の音楽をほとんど聴いてなかったんです。自分が歌うこともまったく考えてなくて、ギタリストとしてただギターばっかり弾いてた。それが20歳くらいになって、自分の思っていることを歌にしてみたいと思うようになったんです。それで日本の音楽をちゃんと聴いてみようと思って。
――つまり音楽を作るための参考として日本の音楽を聴き始めたということ?
そうですね。地元の友達とバンドをやりながらも、本当に自分がやりたい音楽はどういうものかを自問自答していた時期だったんです。で、また話が中学生の頃なんですが、布袋さんの『King & Queen』を商店街のCD屋で買った時に、そのアルバムが陳列されていた“は行”の新譜コーナーにフィッシュマンズの『空中キャンプ』が並んでたんです。その時はジャケットの印象で、なんとなく「スチャダラパーみたいな感じのやつかな」くらいに思っただけで終わったんですけど、そのジャケットをなぜか20歳の時にふと思い出して。それで買いに走って、再生ボタンを押した途端に「あ、これはすごい」と思ったんです。日本の音楽もちゃんと聴かなきゃ損だなと思った。それからサニーデイサービスや、はっぴいえんどを聴いていくうちに、GREAT3と出会って。そこでまた「これだ! 」と。それから片寄さんの帯コメントなんかを目にしてはいろんな音楽を手に取るようになったんです。
――今でも音楽を聴くときは、自分の創作活動の糧にしようという気持ちが強いのでしょうか。
どうなんだろう。それも前作のレコーディングを終えたあとに片寄さんと話したことが大きいかもしれないですね。探究心は元々あるんですけど、もっといろんな音楽を聴かなきゃと思ったし、そう考えたら聴きたい音楽もたくさんあったんですよね。リハの時も片寄さんはいつも「これは聴いといたほうがいいよ」「アレンジの参考にいいかもしれないよ」みたいな感じで、セレクトした音楽を持ってきてくれてたんです。しかもそれがことごとくツボだったので、僕からも「こういうのないですかね? 」と聞いたりしたり、もう話が止まらなくなるくらいいろんなものを教えてくれて、全部買いに行ってましたね(笑)。その時は自分の幅を広げたいという気持ちもあったかもしれない。
――ちなみにどうやって片寄さんにプロデュースをお願いしたんですか。
スタッフから客観的にジャッジしてもらえるプロデューサーを立てようという案が出て。好きな人を言っていいよと言われたので、最初はダメもとで片寄さんにお願いしたいなと思ったんです。それで実際にプロデュースをお願いしたら、片寄さんは既に僕らのことを知ってくれてたんですよ。というのも、僕はファーストを出した時に片寄さんのmyspaceにメッセージを送っていたんです。そうしたら本当に聴いてくれてたみたいで。嬉しかったですね。実際のレコーディングでは迷ったらすぐにジャッジを求めました。片寄さんは指示を与えていくというより、バンドの中に入って一緒にセッションしていくような方だったので、感覚としてはメンバーに近い接し方で臨んでくれたんです。
――そして今回はプレイグスの深沼さんがプロデュースを担当されていますね。恐らく片寄さんの時とはまた違う経験になったと思うのですが。
深沼さんからはいろんなことをすごく論理的に教えてもらいました。特に印象的だったのが「三浦くんは中指の力がちょっと強くて、コードを押さえた時にそこだけシャープしてるから、あらかじめチューニングを緩めておいた方がいいよ」と言われたことで。もう、そんなこと考えたこともなかったから、発見の連続でしたね。それに深沼さんは3ピースでがっつりやってこられた方だし、全パートの完成型を見据えた上で臨んでくれていたので、とにかく心強かったです。ひたすら感心しながらのレコーディングでした。
――トータルではどんな作品を目指していたのですか。
アルバム単位での方向性は特に決めていなかったです。それよりも1曲1曲をいい形にしたいというのが大前提で、3人それぞれの見せ所を力強く出したかった。同時に僕らはファーストの時から、メロディを生かすことにものすごく気を使って取り組んできたんです。主張することはあっても、歌のうしろに行く心意気をみんなが持ってるというか。
――では、リリックに関してはどうでしょう。
実体験は間違いなくすべてに含まれているとは思いますね。たまに他の人の曲で、あきらかに日常のなかでは使われないような言葉が歌詞に使われていることってよくあるじゃないですか? それこそ、途中で英語が入ってきたり(笑)。そういうのが僕はあまり好きではなくて。出てくる言葉とメロディの関係ってすごく密接だと思うし・・・。“たとえば~”という歌いだしで始まる「観覧車」っていう曲があるんですけど、その“たとえば”はメロディが浮かんだ時には既にでてきた言葉で、そこからイメージを膨らませて書いたんです。ファーストの頃は歌詞が先だったんですけど、言いたいことを先に書き出すと、どうしても曲の構成が似てしまって。2作目ではそこをうまく両立させようとメロから書くことが多かったんですけど、やっぱり一番いいのは歌詞とメロディが「せーの」で同時にでる時なんですよね。今作の曲には今までなかなか言えなかったような赤裸々なところもけっこう出ていて。
――それこそ、三浦さんがプロレスに夢中だった時のような感覚的な部分が、より強く楽曲に反映されるようになってきたのかなと、今日のお話を聞いてて思ったんですが。
自分の願望をちゃんと口に出せるようになってきたんでしょうね。願望というより妄想というか。それと回想がリンクしていくというか。歌詞もサウンドも以前はもっと曖昧な表現が多かったと思うけど、いまはもっとはっきりとしたメッセージとして、表現できているような気がします。それがバンドの調子のよさにつながっているし。曲ってどうしても自分が剥き出しになるじゃないですか? それをメンバーも自分のものとして接してくれるから、すごく嬉しいんです。こういう風にできたのは今回が初めてだし、今の3人でやれることがすごく自信になっています。
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acari / プリズム
フジファブリックも手がけた片寄明人(Great 3)をプロデューサーに迎えて制作された、初のフル・アルバム。珠玉のメロディーと、三浦コウジの繊細で響く歌声。センチメンタルながら激しく包み込まれる独自の世界で、シーンに急浮上することになる。
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90年代を唯一無二のR&Rで駆け抜けたプレイグスが2010年に突如、復活。自らその軌跡を辿り直したリテイク・ベスト・アルバム。全て新録によるオール・キャリアの代表作に加えて、新曲2曲をCD2枚組に全30曲収録した、あらゆる世代を震撼させるマスターピース。こちらは全曲24bit/48kHzの高音質HQDバージョン!!
GHEEE / III
90年代中盤以降、渋谷系の流れを受けてギター・ロック・バンドたちが独自のシーンを築く中で、代表的な存在として活躍していたPEALOUT、PLAGUES、ZEPPET STORE。その中心メンバーが結成したバンドの3rdアルバム。メンバーそれぞれが別の活動を行う中、GHEEEとして年間20~40本ものライヴを精力的に行い、ロック・バンドとして類稀なパワーを身に付けた、その真価をまざまざと見せつける作品となっている。
acari LIVE SCHEDULE
2012年5月31日(木)@下北沢CLUB Que
2012年6月3日(日)名古屋MUJICA 「SAKAE SP-RING 2012」
acari 『陽がよく当たる』Release TOUR 2012
2012年6月22日(金)名古屋 ell.SIZE
w / 空中ループ / MILKBAR / merodian
2012年6月24日(日)京都 VOX HALL
w / コンテンポラリーな生活 / それでも世界が続くなら / ジェノバ・カタストロフィ / 限りなく透明な果実 / クリストファーロボ
2012年6月25日(月)大阪・心斎橋 Pangea
w / TBA.
2012年7月7日(土)下北沢CLUB Que
ワンマン・ライヴ
acari PROFILE
三浦コウジ(Vo/G)、伊藤祐介(B)、斉藤正樹(Dr)からなるスリー・ピース・バンド。
独特で繊細な歌声と歌詞世界、一度耳にした者を魅了する甘く儚いメロディ、様々な音楽要素を消化したサウンドは、激しく包み込まれる独自の世界。タワーレコード・バイヤーの口コミで評判となった、1st『片想いのレッスン』に続き、2010年6月、プロデューサーに、片寄明人(Great 3、Chocolat & Akito)を迎えた、2nd『プリズム』を全国リリース。TOKYO-FMを始め、各地FM局のパワープッシュや、Rockin 'on JAPAN誌の “NEW COMER” に選ばれるなど、期待の新人として一躍脚光を浴びる。
2011年4月、名古屋CLUB QUATTROを皮切りに、acari TOUR 2011『 春爛漫 』を開催。6月、ライブサーキット「SAKAE-SPRING」、続いて10月「MINAMI WHEEL」に初出場。出演ライブハウスの最高動員数を記録し、大きな話題となる。11月、acari自主企画イベント『とけない魔法』を下北沢CLUB Queにて開催。ゲストに札幌からシュリスペイロフを迎えて、初のツーマン・ライヴは大盛況の内に終える。2012年2月、渋谷CLUB QUATTROに初出演(共演:音速ライン、PLAGUES、BORZOIQ)。2012年3月、acari自主企画イベント第二弾『とけない魔法 vol.2』を開催(ゲスト:片寄明人-Great 3、Chocolat & Akito-、OLDE WORLDE)。
ライヴ・ハウス・シーンを中心に、着実に認知と支持を拡大する中、深沼元昭(PLAGUES、GHEEE、mellowhead)をプロデューサーに迎え、2012年6月6日、2年ぶりとなるnew album『陽がよく当たる』をリリース!