東京では生まれない最新型シティ・ソウル──新潟の双子ユニット、haikarahakutiの2nd先行配信

曽我部恵一が主宰する〈ローズ・レコーズ〉の秘密兵器、新潟の双子ユニットhaikarahakutiが3年8ヶ月ぶりにフル・アルバムをリリース。前作の1stアルバム時には曽我部がストーン・ローゼスやフリッパーズ・ギターの名前を引き合いに出し、その音楽的素養と先進性に賛辞を送るほか、やけのはらをはじめ様々なミュージシャンや音楽関係者たちを虜にした彼らの満を持しての2ndアルバムである。
ソウルのしなやかさ、ラヴァーズ・ロックの陶酔感、ネオアコのきらめき、ロックンロールの躍動感を随所に散りばめた珠玉のポップ・ソング集として仕上がった今作を、1週間先行でハイレゾ配信スタート! ベールに包まれたふたりのインタヴューもお届けする。
haikarahakuti / TWO BILLION LIGHT YEARS OF MUSIC
【Track List】
01. intro
02. setuna
03. berlin
04. igai na ketumatu
05. sting
06. sabaku
07. saturday night
08. hurry
09. ginga
【配信形態】
[左]24bit/96kHz(WAV / ALAC / FLAC) / AAC
[右]16bit/44.1kHz(WAV / ALAC / FLAC) / AAC / MP3
【価格】
単曲 200円(税込) / アルバム 1,050円(税込)
※アルバムご購入で歌詞ブックレット(PDF)が付属します
haikarahakuti / saturday nighthaikarahakuti / saturday night
INTERVIEW : haikarahakuti
5月4日に〈ローズ・レコーズ〉からhaikarahakutiのニュー・アルバム『TWO BILLION LIGHT YEARS OF MUSIC』がリリースされる。haikarahakutiは、新潟県在住の一卵性双生児の鎌田俊、鎌田悠による音楽ユニットだ。幼い頃からラジカセを遊び道具に音楽と戯れながら育ってきた彼ら。生粋のミュージック・ラバーであり、レコード・ディガーでもあるふたりはこのオルタナティヴ・ロックからハウス・ミュージックまでを縦横無尽に横断するポップ・アルバムを作り上げたのか。北陸という場所で、都市の熱狂をある種の醒めた目で見つめながら、ただひたすらに実直に音楽を作り続ける兄弟の今を生きる言葉を紐解く。
インタヴュー&文 : 小田部仁
ポップス自体が、世の中にある音楽の集合体だと思う
──今回のアルバムは『TWO BILLION LIGHT YEARS OF MUSIC』って付けられてますけど、名前の由来を教えてください。
鎌田俊(以下、俊) : 谷川俊太郎さんが昔からすごく好きで。谷川さんの詩集『2億光年の孤独』からきてます。2曲目の「setuna」の歌詞なんかは、もろに「どうやったらこの詩の世界観を自分なりに表せるんだろう?」と思って書いたんです。あと、実は今回のアルバムを〈ローズ・レコーズ〉から出すことと関係してて。谷川さんがエッセイの中で「詩」というものを解説するときに「薔薇(ローズ)」っていうモチーフを使って、表現しているんですね。それにかけてみました(笑)。
──アルバムのサウンド自体は、生粋のミュージック・ラヴァーでありレコード・ディガーなんだなっていう、マニアックなモチーフを感じさせながらも、ロックとかオルタナって言葉で表せるような曲もあって。
鎌田悠(以下、悠) : ふたりともロックやオルタナは大好きです。というよりもいわゆる『rockin’on』だとか『CROSS BEAT』に載ってるような音楽も昔から聴いてはいるんです。ああいう「王道」っていわれるものも好きで、影響は自然と出てきてしまいますね。

──インスピレーションになる音楽というのは、一貫して変わらないですか? それとも、その時々の興味関心によって異なる?
悠 : その時々だと思います。例えば、意外かもしれませんけど、今回自分が書いた曲だと「hurry」だったらOasisですね。「Stay Young」のフィーリングを作りたくて、ドラム・パターンとか似ていると思います。
──ただ、haikarahakutiのおふたりのルーツには、ハウスとかテクノみたいな音楽だったり、ブラックなものも明らかにあって。ただ、結果としてポップスという形で出力されているのは何故なんでしょうか?
俊 : ポップスっていうもの自体が、世の中にある音楽の集合体だと思うんですよ。ダリル・ホール&ジョン・オーツなんかもそうだと思うんですけど、当時、流行していたフォークとソウルを同時にやりながらジャンルを超えていった。だから、幾つかの要素を入れてアウトプットを取ろうとするとポップスが1番やりやすい。
──音楽を聴きながら得た知見みたいなものを表す「研究結果」としてポップスという枠組みが1番やりやすいわけですね。
俊 : そうだと思います。J-POPなんかも分析の極致だと思うんですよ。例えば、アシッド・ハウスだったりヒップ・ホップを通ってきた人たちが聴くと、ある特定のJ-POPはシカゴ・ハウスに聴こえたりする。あるいは、制作者のある種の葛藤が見えたりする(笑)。単純にPerfumeとかBiSとか、すごいなって思いますよ。少し昔になりますけど、モーニング娘。とかは完全にディスコですよね。しかも、全力のディスコ(笑)。
ライヴハウスでやることも考えたんですけど、クラブでプレイする方が楽しかった
──haikarahakuti(はいからはくち)というユニット名自体に、まず自分はひっかかったんです。日本語ロックのオリジネーターである、はっぴいえんどの曲名っていうことは、少し音楽が好きなら誰でもわかる。こういう名前を自分たちにつけるっていうことは、ポップスやロックっていうものに意識的なのかなって。
悠 : 細野(晴臣)さんもはっぴいえんども大好きだし、めちゃくちゃレコードも買ってるんですけど、名前自体には意味はなくて。haikarahakutiっていう名前は僕が高校の時に作ったアルバムの名前で。そのあと、兄とやるってなった時に名前が決まらなかったので、そこから持ってきたってことなんです。
俊 : わりと、ありふれた名前なのかもって思ってます。大阪にも同じ名前のバンドがいるんですよ。Twitterでたまたま見かけて。やっぱりみんな考えることは一緒だなぁ〜って思いましたね(笑)。
──そういえば、おふたりは一卵性双生児だそうですね。ビデオ観た感じだと、失礼ですけど、あまり似てらっしゃらないですよね?
悠 : そうなんです、似てないんですよ(笑)。小さい頃は見分けがつかないくらいだったんですけどね。双子でも第二次性徴に入ると違いが出てくるみたいですよ。同じもの食べてるはずなんですけどね(笑)。

──おふたりは2001年から音楽活動を始めたそうですが、これって、小学校5年生とか6年生ぐらいですよね。どんな「活動」をしてたんですか?
悠 : とりあえず、MDプレイヤーの録音機能を使って曲を作ってました。今考えるとただのノイズとかスカムなんですけど…… 内容的にはむちゃくちゃでしたね(笑)。
──小学5年生で、スカムとノイズ…… 才能というかなんというか。兄弟の遊びの一環として、曲作りは始まった?
悠 : 1番最初の録音みたいなのは、遊びから始まったんだと思います。ラジカセにマイクがついてるから、じゃあ何か声とか音を録音してみようって感じで。ちゃんと音楽を作ろうって思ったのは、そのあと、洋楽を聴くようになってからだと思うんですよね。
──haikarahakutiとして活動し始めたのは2007年と伺っています。それまではバンドなどの音楽活動はやられてたんですか?
悠 : 僕たち、haikarahakuti以外にもいろいろやってるんですよ。でも、基本的には兄弟でずっと一緒にやっていて。他も似たようなメンツでしたね。クウチュウ戦ってバンドで活動してる五十嵐馨(ベントラーカオル)とかとやってました。具体的に何をやっていたって言われても困るんですけど…… ソロでは俊はハウスとかを作ってて、僕は僕で曲を書いてて。でも、haikarahakutiでは明確にポップスみたいなものをやろうって決めてました。
──そういうユニットを組もうと思った、きっかけはあったんですか?
俊 : もう閉店してしまったんですけど、ディスク・ガレージっていうレコード屋が地元にあって。そこに僕らは中3ぐらいの時から通ってたんです。で、そこにいる音楽をたくさん知ってる年上の人たちに誘われて、高校卒業くらいの頃からクラブでプレイするようになったんですよ。だから、毎月曲を作らないと次のライヴに間に合わないってことで、ふたりで活動することを決めて。
──プロ顔負けの締め切り生活じゃないですか(笑)。
俊 : 締め切りってわけでもないんですけど……。でも、それがおもしろかったんですよね。ライヴハウスでライヴやることも考えたんですけど、クラブでプレイする方が楽しかった。僕らより少し年上になると90年代にバッチリ青春時代が当たってる人が多いじゃないですか? MUROさんとかそういうDJがグッド・ミュージックをディグるっていう文化を作っていって。単純にライヴハウスに出て「バンドとは何か」とか知らないおっさんに説教されるよりも、クラブで「俺らこういう音楽知ってるぜ」って言ってる人達の話を聞く方が楽しかったんです。
──ディスク・ガレージというレコード屋さんの存在はすごく大きかったわけですね。
悠 : そうですね。中学生の時に「定番ロック200選」みたいな本を読んで、ここにある音楽は全部聴こうと思って実際に聴いたんですよ。で、その大人達にそこで得た知識を話すと話が通じるわけじゃないですか? それがすごく10代の頃は嬉しかったんだと思うんです。人もそうですけどディスク・ガレージ自体にも、いろいろな音楽があったんです。高柳昌行のライヴ盤とか。そういうのを売ってくれてるわけですよ。
俊 : あと、フリッパーズ・ギターのアナログも全部売ってましたね。ほぼ買いました。
「音楽」というものの積み重ねの上に少しでも貢献できたら

──新潟って豊かな音楽のシーンがあるんですか? それとも、そこだけですか?
悠 : 土壌っていうのかどうかはわかんないですけど、新潟の小千谷の方だったらハードコアパンクのシーンがあったりするんです。GASTUNKのベースの人の出身地だったり……とか。音楽自体は盛んだったんじゃないかと思いますよ。自分たちの周りでもハウスが流行ってたし。いうても、港なんでいろんな音楽が集まって来やすいんだと思います。
──ちなみに今も新潟を拠点にしてる理由って何かあるんでしょうか?
俊 : 地方にいるってことで何かをレペゼンしてるとかそういうつもりは全くないんです。単純に仕事とか家が新潟にあるっていうだけで拠点にしているだけですし。ただ、地方にいるってことの良さも最近わかってきて。情報が都会よりも遅れて入ってくるんですよ。だから、新しく騒がれてるものを冷静に見ることができて、体感的にもあんまりノれない。新しいものって判断されずにただ騒がれているだけだから、その真価がわかるのはもう少し後なんですよね。
悠 : 正直、新潟だからとかっていう意識はないんですよ。どこでだってできると思って、イキってたいし。ただ、人間も環境に左右される生き物なので、僕が今いちいちここで「新潟からの影響」って言わなくても、いいところも悪いところも受けてると思うんです。ただ、音楽を作ってる身からすると、どこでだって一緒だよって言いたい気持ちがある。
──どこか別の場所に行って音楽をやってみたいという気持ちはないですか?
悠 : 呼んでもらえたらやりたいですけど、「拠点をロンドンに移すぞ!」とかそういう考えは僕らにはないですね。音楽で飯食ってる人…… 身の回りだと、クウチュウ戦のベントラーカオル(key)とかすごいと思うんですよ。覚悟があるし、努力をしているし。結局、僕らは音楽で飯を食っていなくて。だから、どんなに命をかけて作ってても「趣味でしょ、それ」って言われたら何も言い返せないんですよね。でも、こっちもそれで終わるわけにはいかないじゃないですか? そんな俺らでも出せるものはあるんだって思ってるんで。そういう1曲を作りたいですね。
──音楽を作る1番のモチベーションになっているものは何ですか?
俊 : 周囲の音楽家の存在かな。同世代でお医者さんなんですけど、Osamu Ansaiっていう人がいて。この人が、tofubeatsのリミックスをやってたりとかする。マルチネ・レコーズのコンピからも出したり。彼はもともと、ジャズ・ドラマーなんですけど、今回のアルバムでもドラムを叩いてくれてるんですね。彼からはすごく刺激を受けました。
──さっき「冷静さ」っていう言葉がありましたが、やっぱり地方にいるとある種の都市の熱狂に対する醒めた視点みたいなのも出てくるんじゃないかと思って…… 端的に、これからどういう作品を音楽家としてこれから作りたいですか?
俊 : 個人的には音楽っていうのはメッセージを伝える媒体としては、非常に不完全だと思っていて。音楽っていうのはコードやメロディとか曖昧なものに縛られているものなんですよね。そういうルールの中では、きちんとした言葉や思いを100パーセント齟齬なく伝えることはすごくむずかしい。例えば、音楽を政治活動に使うことに人を「扇動」してしまうわけです。だから、新潟には柏崎に原発があって、僕らは反対派なんですが、ただ、そういう思いを音楽にのせたいとは思わない。
悠 : 震災後にそういうタイプの音楽がもてはやされたときは、ある種の危機感を持って受け取りました。素晴らしい音楽やそれを生み出す音楽家っていうのは、いつの時代も存在していて。リスナーとしては、そういう素晴らしいものにずっと耳を傾けたい。僕らが新しい音楽を作る理由は、もちろん自分たちが楽しいからっていうのが原動力ですけど、少しでもそういう「音楽」というものの積み重ねの上に少しでも貢献できたらなって思うんです。
俊 : 音楽的には、アシッド・ハウスを作りたいかな(笑)。それぐらいの軽いノリでしかないんですけど。今回のアルバムでミックスとか録音に関して、ブレイクウォーターとかceroの3rd(『Obscure Ride』)はかなり意識して作ったんですけど、それがあんまりうまくいったとは思ってなくて。だから、もう少しあの録り方っていうのは研究していきたいですね。
──最後におふたりから、何かメッセージはありますか?
俊 : じゃあ新潟らしいことを言おうかな(笑)。みなさん、スーパーササダンゴマシン(プロレスラー・マッスル坂井のマスクマン名)のDVDを買ってください(笑)! 地元なんで、よく会ったりするんですよ。本当に最高なんで、是非観てみてください。
LIVE INFORMATION
ときどき地球に仲間を欲しがったりする
2016年5月4日(水・祝)@新潟 88
出演 : haikarahakuti(bandset)※LIVE後楽曲解説トークあり / ハル(ニッポンミュージック)(DJ)
時間 : OPEN 16:00 / START 17:00
料金 : 当日 1,500円(1ドリンク付)
詳細・チケットは こちら
The Bootleg TWO BILLION LIGHT YEARS OF MUSIC version
2016年5月13日(金)@新潟 Editors cafe
出演 : haikarahakuti(bandset)/ The Bootleg DJs(DJ)
時間 : OPEN/START 21:00
料金 : 当日 1,000円(1ドリンク付)
詳細・チケットは こちら
ROSE RECORDS presents 下北沢サマーナイトカーニバル
2016年8月6日(土)@下北沢THREE
出演 : haikarahakuti / 曽我部恵一 / ランタンパレード / やけのはら(DJ)
時間 : OPEN/START 18:00 / LIVE START 19:00
料金 : 前売 2,500円(ドリンク代別)/ 当日 3,000円(ドリンク代別)
予約 : イープラス / THREE メール予約 [ticket3@toos.co.jp]
info : THREE 03-5486-8804(16:00〜)
PROFILE
haikarahakuti
鎌田悠、鎌田俊による兄弟ユニット。2001年頃から音楽活動を開始、新潟を中心に自主レーベル〈haikara records〉を名乗り様々なバンド・ユニットの音源制作 / ライヴを行い2007年にhaikarahakutiとして活動を始める。同時期に新潟の老舗レコード店、Disc Garageと共同で主催したDJ/LIVEイベント「the bootleg」を毎月第二金曜日に開催し、定期的なライブ活動と音源制作を行う。音楽ジャンル、編成を目まぐるしく変化させながらGood Musicの探究し続ける。