2014/07/04 15:40

「荒いところは荒いまま」ーーデビュー40周年目にして初のライヴ・アルバムをハイレゾで配信!

ソウルフルかつ伸びやかな歌声と、豊かな表現力でヒット曲「たそがれマイ・ラヴ」などを歌い上げてきた実力派歌手、大橋純子。リアル・タイムで虜になったファンはもちろんのこと、シティー・ポップスや歌謡曲好きの若い世代からも支持されている彼女の新作は、なんと自身初となるスタジオ・ライヴ作。OTOTOYでは24bit/96kHzのハイレゾ音源で配信! 高橋健太郎によるインタビューで、デビュー40周年を迎えた彼女が明かした歌手としての誇り、今作を制作するに至った経緯とは?

大橋純子 / LIVE LIFE(24bit/96kHz)
【配信フォーマット / 価格】
wav / alac / flac : 単曲257円 まとめ購入2,592円

【Track List】
01. WELCOME TO MUSIC LAND -2014-
02. SOUL TRAINまっしぐら -2014-
03. クリスタル・シティー -2014-
04. SMILE AGAIN -2014-
05. 眠れないダイヤモンド -2014-
06. 鍵はかえして! -2014-
07. ビューティフル・ミー -2014-
08. たそがれマイ・ラブ -2014-
09. シルエット・ロマンス -2014-
10. サファリ・ナイト -2014-
11. ペイパー・ムーン -2014-
12. 愛は時を越えて -2014-
13. シンプルラブ -2014-
14. RAINBOW

INTERVIEW 大橋純子

大橋純子の『LIVE LIFE』は、彼女のデビュー40周年を記念するアルバムだ。といっても、40年前のデビューの頃を記憶している読者は少ないかもしれない。実を言うと、僕も1974年には高校生であり、大橋純子というシンガーのデビューは記憶していない。その存在が強烈に焼き付けられたのは、1977年のヒット曲「シンプル・ラヴ」によってだった。

この「シンプル・ラヴ」は大橋純子&美乃家セントラル・ステイションというグループ名義で発表されたシングルだった。美乃家セントラル・ステイションという大編成のグループのファンキーなサウンドと、エネルギッシュなヴォーカルの中にしなやかなポップ性も覗かせる大橋純子というシンガーのコンビネーションは、当時の日本には他に見当たらないものだった。

美乃家セントラル・ステイションの第一期のメンバーには、後に一風堂やジャパンでも活躍するギタリストの土屋昌巳もいた。メンバー・チェンジを経て、1980年までバンドは続いた。

ソロとなった大橋純子は、美乃家セントラル・ステイションのメンバーでもあった作曲家の佐藤健をパートナーに、その後も活動を続けていく。そして、1990年代の半ばから、ツアー・バンドには美乃家時代のメンバーが復帰していたのだという。今回のデビュー40周年を記念するアルバム『LIVE LIFE』は、そのバンドとともにレコーディングされた。

全14曲の収録曲中、新曲は1曲のみ。残る13曲はセルフ・カヴァーだ。デビュー曲の「鍵はかえして!」や1975年にレコード大賞を受賞した筒見京平作曲の「たそがれマイ・ラヴ」もアレンジを変えて収録されている。収録曲の多くは1970年代に発表されたもので、2014年ヴァージョンに生まれ変わりつつも、そのサウンドの核心にあるのは70年代のソウルやファンクやAORの匂いだ。

こんなアルバムをデビュー40周年記念で制作したいきさつをインタヴューしてみると、冒頭から美乃家セントラル・ステイション時代の話になった。やはり、このバンドこそが彼女のやりたいことの原点。そして、それが現在の活動とも直接的に繋がっているということが、よく理解できた。

インタビュー & 文 : 高橋健太郎

バンド・サウンドで、ポップスをやりたかったんです

—–今回、40周年で、セルフカヴァーのアルバムを出すというアイデアは、どういうところから始まったのですか?

大橋純子(以下、大橋) : まずは今、私が一緒にやっているバンドが、美乃家セントラル・ステイションのメンバーが三人いて、あと、美乃家を解散した直後に一緒にやっていたメンバーが一人いて、ドラムは少し若手なんですけれど、それでも、コーラスを二人入れた7人のメンバーでもう20年、ずっとライヴを一緒にやっているんです。でも、これまで私、ライヴのアルバムというのを作ったことがなかったんで、まずはこのバンドでライヴ盤を作りたいよね、というのが一番最初の発想。ただ、普通はライヴ・アルバムってコンサート・ホールとか、お店とかで録るんですけれど、今回はスタジオ・ライヴという形で、音の録り方は昔ながらのせ~のの一発録りで、それでライヴの空気感とか緊張感みたいなのを伝えることにこだわった。あと、セルフ・カヴァーっていうのは、ライヴ・アルバムで人のカヴァーをやっても仕方ないので、自分の音楽のベースであったシティ・ポップを中心にした選曲で作ろうと。ずっとやってきた中で、今になって掘り返してみると、これ意外にいいねと思える曲とか、自分がこだわってきたシティ・ポップスとして、この曲はヒットはしていないけれど、やりたいよね、というのを選んでいって、それでまあ、ヒット曲である「たそがれマイラブ」と「シルエット・ロマンス」はサービスとして、いつもライヴでもやっているから入れると。そういう選曲ですね。

––美乃家セントラル・ステイションも大型編成のバンドでしたよね。大型編成のバンドの中で歌うということに、こだわりがあるんでしょうか。

大橋 : もともとアマチュア時代からバンドの中で育ってきたんで、美乃家以降もそうですね、結局、ライヴやるにはバンドがないとできないし、何々バンドという名前こそないけれど、だいたい固定のメンバーでやってきて、常に自分にはバンドが必要だったんです。スタジオ・ミュージシャンでは駄目だったんですよね、バンドである程度こなれないと、自分の思っているビート感が出ないので。

——でも、シティ・ポップスって、どちらかというと、スタジオ・ミュージシャンが作る音楽っていうイメージもありますよね。

大橋 : 私達の時代は確かにそうでしたね。たいていのレコードはスタジオ・ミュージシャンが演奏していて。でも、私は美乃家というバンドでアルバムを作り始めて、美乃家というのは土屋昌巳のカラーと、佐藤健のポップス的なカラーと、その時々のキーボードの人のカラーと、三人の違った個性が合わさって、バンドのサウンドができていたんですよね。で、マー坊(土屋昌巳)のカラーはファンクとかロック色だったりしたけれど、でも、私はポップスにこだわっていたんで、それを最終的にはポップスという盤に乗せて音作りするのが美乃家だとイメージしてたんですよね。スタジオ・ミュージシャンよりも、みんな荒削りだし、技術的にも若いけれど、でも、回数やってバンドとして固まったノリというのは独特で。そのバンド・サウンドで、ポップスをやりたかったんですね。

——大橋さんは夕張出身ですよね。私の友人のお父さんが、炭鉱街だった時代の夕張で、クラブでジャズ・ピアノを弾いていたそうなんですが、そういうバックグラウンドもあったのかと…。

大橋 : 炭坑が賑やかだった頃は、映画館が四軒くらい、ダンスホールが二軒くらいあって、モダンな街だったんですよ。夕張を含め、北海道の人は割と何でも受け入れるタイプだから、そういうところはあるかもしれませんね。新しい物好きというのはあると思いますね。

楽だからビブラートつけて歌うなんて、私はしたくない

——今回のアルバムのレコーディングはどこで行われたのですか?

大橋 : スタジオはサウンドインですね。大きな部屋で、私もステージやっているのと同じように、バンドと一緒に歌って録りました。後から歌だけやりなおそうと思っても、上手くいかなかなかったので、基本はバンドと一緒に歌ったテイクをそのまま使っています。だから、今のデジタルなレコーディングとは正反対というか、かなり荒い部分も残っています。

——何日間くらいのレコーディングでしたか?

大橋 : 全員で録ったのは五日間。コーラスも含め、演奏は五日間で14曲録りました。ジャズのレコーディングみたいですね。その後、ミックスダウンのまえに、三日間、歌の細かいところのなおしをやりました。

——セルフ・カヴァーの選曲は70年代、ということは、美乃家セントラル・ステイション時代が多いですね。

大橋 : 多いですね。やっぱり、自分にとって思い入れのある曲、いいなと思う曲は70年代に集まっているんですよね。80年代、90年代になると、サウンドも変わっていったじゃないですか。打ち込みが増えていったりして。そうすると、当然、曲作りも変わっていく。で、新しいアルバムを作れば、ひとときは新しい曲をライヴでもやるんですけれど、だんだんやらなくなってしまう。それで90年代の中頃かな、もう打ち込みは嫌だなと思って、生にこだわり出したんです。

——やっぱり、演奏して楽しいのは、70年代のバンド・サウンドの曲だったと?

大橋 : そうです。それでバンドで演奏して楽しいのは、やはり70年代の曲なんですよ。曲作りとして、よく出来ていたんですよね。その後のサウンド志向であれこれ作り込んだりした時代は、あんまり一般的にポピュラー性のある曲は作れなかったかなあ、とは思いますね。

——多くの曲を書いている佐藤健さんとは、美乃家時代からずっと一緒にやっている訳ですが、佐藤さんの書く曲も時代によって、変化してきたということでしょうか?

大橋 : 変化してきましたね。プロデューサーっていう人がいなくなって、自分達が歳を取って、レコード会社の人がみんな私達より若い、という状態になってくると、レコード会社から求められるものも変わってきますよね。あるいは、私達にお任せになっちゃうんですよ。すると、私達も同じことは出来ないから、その時々の流行りのことを考え過ぎたり。それでちょっと違った方向に行ってしまっていた。

——20年前くらいに、それに気がついて、原点回帰が始まった?

大橋 : そうです。20年くらい前に、生に戻ろうということで、昔のメンバーとやり出して。でも、考えてみると、25周年、30周年の時にもアルバム作ってはいるんですけれど、バンドでは作ってないんですね。曲ごとにギタリストがレコーディングに来たりとか、そういう形で。

——今回のアルバムを聞いて、気づいたのですが、大橋さんの歌い方は70年代から基本的に変わっていないですね。すごくストレートに声がすーっと伸びた歌い方で。

大橋 : 変わらないです。

——日本人のヴォーカリストって、歳を取ると、変わっていく人が多いじゃないですか。洋楽志向だったはずの人が、いつのまにか演歌的なコブシをまわすようになっていったり、ジャズ的なフェイクが増えていったり。

大橋 : ああ、アクが強くなりますね。やけにビブラートついたり。

——そうです、そうです。大橋さんはよけいなビブラートもなくて、スパーンと行くところが、70年代から本当に変わらない。

大橋 : そういう風に思ってもらえたら光栄ですけれど、でも、私でも自分ではつけたくないビブラートがついていることがあるんですよね。それを佐藤健にも指摘されたりする。ビブラート付けて歌うのは楽なんですよ。歳とともに筋肉とかが落ちて来ると、楽だからビブラートつけて、歌うようになってしまう。私はそれはしたくないんで、気をつけています。

荒いところは荒いまんま、なるべく整理しないで聞かせたい

——佐藤さんのようなバンド・メンバーと作ってきた曲と、筒美京平さんのような所謂、作家の先生に書いてもらった曲というのは、歌う上で違いがありますか?

大橋 : 違いはありますね。とりわけ、京平さんの曲作りは独特ですから。

——僕などの場合は、その前の「シンプル・ラブ」の方が大橋純子というヴォーカリストを強烈に印象づけた曲でした。

大橋 : シンプル・ラヴ」はスマッシュヒットでしかなかったけれど、でも、それで美乃屋セントラル・ステイションが一時期、一世を風靡できたのは、やっぱり、さっき言った土屋昌巳のカラーと佐藤健のカラーの両方があったからだと思うんですね。私の中ではずっと、その両方の色合いがなくせない。両方あったおかげで、私自身、歌謡曲だけではない存在として、人の中に残ったんじゃないかと思うんですよ。私の中でもそれは自負としてあります。

今作のレコーディング風景

——そういう意味では、ギタリストが重要だと。

大橋 : そうですね。今のギターは土屋昌巳が抜けた後に入ったギターなんですけれど、土屋昌巳とはまったく違うタイプのギタリストで、もっと渋めというか、スティーリー・ダンのウォルター・ベッカー系なんですけれど、私にとっては強力な助っ人でした。彼がバンドに戻ってきてくれたのは、大きかったですね。

——今回、オトトイでは24/96のハイレゾ・ヴァージョンで配信させていただくんですが、こういう大編成のバンド・サウンドをCDに詰め込もうとすると…。

大橋 : くっと詰まっちゃいますね。こんなアナログなレコーディングをしているんですから、そのままを聞かせたい、というのはありますね。ラフかもしれないけれど、荒いところは荒いまんま、なるべく整理しないで聞かせたい。それは今回、貫いたつもりです。

RECOMMEND

一十三十一 / CITY DIVE

都会の夜を甘く彩る歌声とトラックで、様々なシーンを魅了した、一十三十一によるシティー・ポップ名作。プロデューサーにクニモンド瀧口、演奏にDORIANやKashifが参加するなど現在のシティー・ポップ・ブームを立役者が勢揃い。70、80年代ライクなサウンド・メイキングも作品の質の高さを際立てている。

Avery*Sunshine / The SunRoom

ソングライター、ピアニストとしての才能を持ち合わせたディーヴァ、エイヴリー・サンシャイン。聴く人々を優しく撫でるような歌声と、力強く歌いあげる表現力を持ち合わせた彼女だからこそ生み出せる楽曲はまさに“嗜好品”。れまで彼女が築いてきたキャリアがぎゅっと凝縮された仕上がりになっている。

>>Avery*Sunshineを取り扱うSWEET SOUL RECORDSの特集ページはこちら

Lamp / ゆめ

作品ごとに、ナードながらも、それに留まらない上質なポップ・ソングを紡ぎだすLampの最新作。埃の匂い漂う80年代AOR、MPBサウンドと日本の情緒感を混ぜ合わせたソング・ライティングのセンスで聴く人々を魅了している。

PROFILE

大橋純子

小学生の頃からポップスに興味を持ち、短期大学在学中には北大軽音楽サークルでバンド活動をする傍らHBCラジオで深夜放送のDJを務める。 1974年6月デビュー。 1977年『大橋純子と美乃家セントラルステイション』として「シンプル・ラブ」のヒットで日本人離れした歌唱力と音楽性が認められ、その存在を世に示した。その後「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」「愛は時を越えて」等、ソロシンガーとしての不動の地位を築く。

>>大橋純子 OFFICIAL HP

[ライヴレポート] 大橋純子

TOP