2012/01/20 00:00

嘔吐感と恍悦感が共存する世界 -LIVE REPORT 2011.04.06-

グロテスクとビューティーの象徴としてのエリザベス・テイラー、その喪に服すため… 菊地成孔率いる楽団“ペペ・トルメント・アスカラール”によるエリザベス・テイラーの追悼公演は突然開催が決まった。元々来日する予定だったミュージシャンの渡航キャンセルの穴を埋めるために… というには贅沢過ぎる内容だが、来月のその日ともいえる5月6日に同じペペ・トルメント・アスカラールでの公演が控えていたのにも関わらず、あえてこの公演に臨んだ菊地成孔からは、並々ならぬ気迫を感じていた。

Blue Note Tokyoには幾度となく足を運んだことがあるが、入れ替えなしのまるまる当日1公演のみという内容自体、僕には初めてだったし、そもそも商売的なところを度外視している(翌月ほぼ同じメンバーで公演をやることなども含め)この公演の開催には正直驚いた。まるでマラソンのようなライヴでしか伝えられない内容とはどういうものなのか、それを知りたくて、4月6日Blue Note Tokyoの扉を開けた。

photo by 沼田学

そもそも僕はなぜ菊地成孔に惹かれ続けているのだろうか。菊地成孔の音楽、文章、そして彼自身の魅力について問われると、彼の一冊目の著書『スペインの宇宙食』からの一文が頭の中にこびりついて離れない。

「… 世界は僕に永遠に続く嘔吐感と恍悦感を与える場所であり、世界の住人は常に天使を求めていることに不思議はない」

嘔吐感と恍悦感が世界に共存している感覚、それが彼の表現するものには色濃く反映されている。エリザベス・テイラーへの畏敬の念も、そのようにアンビバレントな彼女そのものを彼自身がこの世界のアイコンとして求めてきたからであろう。僕もまた世界はまさにそのような形で出来ていると考えているし、彼のライヴに身を委ねているとそのことを再び深く理解することができる。その体験が忘れられないから通い続けてしまうのかもしれない。そして、常に新種の面白さが潜んでいることもまた彼のライヴが強烈な磁場を形成していることの1つの要因でもあるだろう。

いつも2ndステージからしかライヴに出かけない自分にとってはかなり早い会場入りだ。突如決まったとは思えない超満員の聴衆を見て、彼の人気の高さを実感する。既に空気はあたたまっていた。菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのメンバーが、拍手が鳴り響く中、Blue Note Tokyoのステージに立つ。菊地成孔によるMC。毎度思うことだが、彼の喋りの饒舌さは普通のミュージシャンとは全く種類の違うものだと感嘆させられる。その喋りを封印して、これから2時間はひたすらぶっ続けで演奏するという。ライヴが始まった。そして一気に彼の世界に引きずり込まれる。

彼自身が歌う、濃密で気怠いスロー・バラードが聴こえてくる。彼が少年時代を過ごし、世界のパノラマとして認識した銚子市の場末のストリップ小屋で、度々耳にした「いつ死んでも構わない、死ぬ瞬間まで痺れていればいいの、さあ踊りましょう」と問いかけるマンボ音楽、その場末の甘美さがこの音楽にはある。それはBlue Note Tokyoで聴くことはあまりない種類の音楽だ。この時代や場所を超越したストレンジな魅力を特に“ペペ・トルメント・アスカラール”からは強く感じる。

photo by 沼田学

菊地成孔はまるで『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のガトー・バルビエリのようにカタルシスに満ちたサックスを吹いたかと思うと、楽団に対してはコンダクターとしてふるまい、CDJをそつなく使いこなしてみせる。僕ら聴衆は彼の一挙手一投足に、目を、耳を向ける。

中盤では招き入れたソプラノ歌手林正子が「アリア私が土の下に横たわる時~オペラ『ディドとエネアス』」を歌う。Blue Note Tokyo中央に掲げらたヴィヴィアン佐藤によるエリザベス・テイラーの遺影がくっきりと浮かび上がる。これは彼によるエリザベス・テイラーへのレクイエムだ。ハリウッド・バビロンから遠く離れ、震災と原発の恐怖に慄くこの日本で、エリザベス・テイラーを弔うことの意味を考える。そのとき僕には、音楽家というものがどういう人種なのかということを、あらためて彼が問いているようにも思えた。

アリアが終わると、この混成楽団ならではの喧騒に満ちた音色がBlue Note Tokyoを呑み込み始める。疾走するピアノ、パーカッション、ストリングスに、バンドネオン、ハープが優雅に絡み合う。サックスは咆哮し続ける。熱気に満ちた会場からは溜息がもれ、拍手が渦巻く。僕の額からも汗が滴る。彼が望んでいる全ての感情や事象が内包されたような、そんな音楽がステージから溢れ出しては消えていく。残響すら熱を帯びている。

まるで壮大なサウンド・トラックのような一夜が終わりに近づく。ほぼ2時間休むことなく演奏し続けているステージの演者達からは疲れはうかがえない。皆が満足しきった表情を浮かべており、僕らもこの夜この演奏を目の当たりにできた幸運にただただ感謝する。そして訪れる鳴り止まないアンコール。アンコールのスピーチで彼はこう言った。「人生にはチーク・タイムが必ずある。でも厳密には音楽が人の人生を真似たのだ」と。

2時間という長い演奏の中で彼が表現したかったもの、それは、エリザベス・テイラーの人生そのものを模写してみたかったのかもしれない。グロテスクとビューティーという両義的な価値を、彼にしかできない追悼公演という形で、見事に描ききったように僕には感じられた。

アンコールの後には、彼らしいチャリティー・ライヴはしない信条、その純潔をギリギリ守りきった、彼も含めた楽団員全員によるこの度の震災への聴衆への任意の募金というのもあり、こちらにも僅かではあるけれど、ご協力させていただいた。彼の言葉を借りるわけではないけれど、ステージを降りて1人1人から募金を頂くという、そんな行為が、二度と必要ない世の中になるように、僕自身も切に願うばかりである。 (text by 原口大助(haraguchic))

photo by 沼田学

4/12(木) DCPRG、新木場STUDIO COASTでの公演が決定

菊地成孔 presents DCPRG
日時 : 2012年04月12日(木)
会場 : 新木場STUDIO COAST
OPEN 18:00 / START 19:00
前売券 : スタンディング 6500円 / 指定席 7000円
当日券 : 7500円
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PROFILE

菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール
2005年に発表した「南米のエリザベス・テイラー」の世界観をシアター・アートとして表現するために結成されたストレンジ・ラウンジ・オーケストラ。スペイン語で“ペペ”は「伊達男/女たらし」、“トルメント”は「拷問」、“アスカラール”は「砂糖漬けにした/甘ったるい」を意味している。

>>菊地成孔 official Web

[レヴュー] 菊地成孔, 菊地成孔とペぺ・トルメント・アスカラール

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