2011/04/26 00:00

Play for Japan in Sendai (2011.4.23)

OTOTOY発の東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム『Play for Japan』。そこから生まれたイベント『Play for Japan in Sendai』が4月23日に行われた。この企画は、OTOTOYのチーフ・プロデューサーである飯田仁一郎と、仙台のロック・バンドrunny stoolsのメンバーである八巻祐介とのやり取りから始まったもので、その詳細は当人たちがすでに実直な言葉でつづっているので、そちらを読んで欲しい(Play for Japan in Sendai 特設ページ)。ライターの西澤裕郎がすでに書いているとおり、OTOTOYのライター陣からも有志で仙台に行こうという話が持ち上がったので、僕もそれに手を挙げて参加したのだ。ここでは『Play for Japan in Sendai』のライブレポートを中心に、仙台の街の様子についても知ってもらえたらと思う。

開始時間は昼の12時30分からだったので、当日の早朝に東京を出発した。今回イベントに協賛しているロンタカーの車に乗り込み、高速道路を順調にとばし、5時間ほどかけて仙台に着いた。市内に入ったところで、桜の咲いている公園に花見客を当てこんだ屋台をいくつか見つけ、そのぐらいの活気は戻ってきているということがわかった。生憎の雨ですべて閉まってはいたが、それを見て被災地に来ているんだ、という緊張感が少し和らいだ。そしてイベントの会場となる、仙台駅近くのライヴ・ハウス、FLYING STUDIOへ。主宰の一人である八巻祐介や、ミュージシャンたちに挨拶をしていると、一発目のGong Gong Valleyの演奏が始まったので、早速中へ見に行った。

『Play for Japan in Sendai』には仙台から5組、東京から7組、山形から2組、京都から1組の計15組が出演するので、持ち時間は一枠20分と短いのだが、Gong Gong Valleyは最初にふさわしく勢いがあって激情的なプレイで楽しめた。気分も上がったが、イベントは21時過ぎまでの長丁場だったので、全力で楽しむためにエネルギーの補給も必要、ということで昼食に行く。仙台の街は補強が施してあるビルが多く、そこに震災の影を少し感じさせはしたが、休日らしく人通りも多かったし、ライブで気分もほぐれていたので、ミーハーに名物の牛タンを食べに行った。そして、やはり、普通ににぎわっていた商店街の店でおいしい昼食を済ませ、会場に戻る。

Limited Express (has gone?)

FLYING STUDIOに再入場すると、飯田仁一郎を擁するLimited Express (has gone?)が、いつも以上に爆音かつキテレツなサウンドでお客さんたちを踊らせている真っ最中だった。人数も多くなっていて、大分会場があったまっている。僕も前のほうに行ってぶんぶん頭を振った。好調な再スタート。そこから、次々に出てくるバンドを見ていった。cooking for youのフォークトロニカ、サカモト(elekibass)のギター弾き語りでまったりし、kokyuのファンキーなジャズにラップを乗せた熱っぽい演奏に再び会場がわく。色んなアーティストが色んなことをしているという、こういったイベントの楽しみをきっちり味わえた。

お客さんも酒を飲んで体を揺らしたり、友達同士で話しながら見たり、そこら辺に座りながら眺めたりと、思い思いに楽しんでいたし、演奏する側も震災への考えを語ったり語らなかったりと、チャリティー・イベントいうことに縛られず、やりたいことをやっている。中には近くのZepp Sendaiで行われていたフリー・ライヴと行き来している人もいた様子で、あっちもこっちも盛り上がってるなと、なんだか楽しい気分になる。その後も波に乗ってイベントは続き、runny stoolsの変則ハード・コアやゆーきゃんのTHE BLUE HEARTS「1001のバイオリン」のアカペラでのカバーに度肝を抜かれたりして、いよいよトリのbloodthirsty butchersの吉村秀樹による弾き語りが始まった。 吉村秀樹は「みんなが元気で本当によかった」と笑顔で語り、時にはユーモアを交えて話し、演奏では貫禄と瑞々しさが入り混じった情感たっぷりの演奏を聞かせてくれた。この時ばかりは、みんなが彼に視線を注ぎ、耳を傾け、チャリティー・イベントらしくみんなが気持ちを確かめ合うような雰囲気に場が染まっていく。そして、アンコールも終わり、仙台の人たちへアーティストから食品や衣服などが無料で配られて、『Play for Japan in Sendai』は無事に終了した。

吉村秀樹

振り返ってみれば、僕も、来ていたお客さんたちも、「普通」に音楽を楽しんでいたように感じたし、イベントが終わった後はいい居酒屋を見つけて料理を楽しんだりと、仙台の街を観光することさえできた。もちろん、少し滞在しただけの人間が見た範囲ではあるし、同じ仙台市でも海岸沿いの津波の被害が大きい地域はまだひどい状況だろう。しかし、被災地に被災地として接することが必要であると同時に、復興している最中の地域の度合いに応じて、徐々に「普通」に接することも必要なのだ。『Play for Japan in Sendai』はチャリティー・イベントだが、仙台のインディー・ロック・シーンが「普通」に戻ることにも貢献できたと思う。

(text by 滝沢時朗)

>>INTERVIEW : 八巻祐介(runny stools)

>>INTERVIEW : 佐々木章宏(FLYING STUDIO 店長)

>>救援物資を届けに、石巻市へ。 (2011.4.24)

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