
満たしていく声
16歳の時にたまたま見つけたという1枚のポスター。今でもベッド・ルームに貼ったままだというそのポスターに写し出された女装の麗人は、その後のアントニー・ヘガティに最もインスピレーションを与える存在となった。麗人の名は大野一雄。アントニーの初来日公演は、その大野一雄という日本の舞踏家に捧げるためのものとして今年2月に実現した。赤坂の草月ホールを舞台として、大野の映像、そして彼の息子である大野慶人の舞踏との共演という、所謂コンサートとはかけ離れた変則的なステージだったのにも関わらず、私はここで初めてアントニーというアーティストの核心に触れたような気がした。だからこそ、6月に大野の訃報を耳にした時は、どうしてもアントニーの胸中を思わずにはいられなかった。 本作の収録曲は、前作『クライング・ライト』とほぼ同時期に書かれたものだという。大野の写真がジャケットを飾り、そのまま彼に捧げる作品としてリリースされた前作との姉妹作であるこの『スワンライツ』は、期せずして大野への追悼作となった。前作に引き続きオーケストラ・アレンジを担っている前衛音楽家のニコ・ミューリーが今回は2曲で作曲にも関わっている他、2月の公演でもアントニーの隣でギターを奏でていた、バンドの要とも言える人物、ロブ・ムースが「Salt Silver Oxygen」でコンダクトを務めている等、前作で大きな役割を果たしていた顔触れが本作でも素晴らしい活躍を見せている。ハイライトのひとつでもある、ピアノのみの伴奏によるビョークとのデュエットには誰もが息をのむはずだ(両者は以前もビョークの作品『ヴォルタ』で共演を果たしており、デュエットは今回で2度目)。

ひたすらに緻密だった前作と比べると、演奏の起伏に生々しさが強く表れているが、2作目『アイ・アム・ア・バード・ナウ』まで顕著だった、強くトランスジェンダーを意識させられる言葉は本作でもあまり聴こえてこない。そして、すべてが最終的にはアントニーの歌声に包まれていくような印象も前作と変わらない。躍動しながらも常にあたたかさを失わないアントニーの声から、聴き手はゆっくりと身体を包まれ、満たされていくような感覚を受け取るだろう。 彼の歌声を表現しようとすると未だに言葉足らずになってしまうのは、無論彼が両性具有者であることも大きいが、それ以上に、彼の体現しているものが私達にとって馴染みのあるポップスの領域をはみ出しているからなのだろう。4作目となった現時点でも、彼に迫る程の高みに達した者を私はまだ知らない。だが、ここで聴ける彼の声からは、その荘厳で慎ましい雰囲気だけでなく、いつでも私達の傍らにいるような親しみやすさも感じる。しかもそれはあの日の草月ホールで感じたものと同じで、本作を繰り返し聴く度に、私は彼の存在を改めて尊く思うのだ。(text by 渡辺裕也)
大野一雄に捧げた『The Crying Light』
『クライング・ライト』は偉大な舞踏家の大野一雄に捧げられています。舞台公演で、彼がステージの上に光の輪を投影し、その輪のなかに入って、彼の心にある夢や幻想を露わにするところを私は見ました。彼は何か神秘的で創造的なものの目の中で踊っているようでした。あらゆる所作の中に、彼は子供と神の女性的な側面を表現していました。彼は、芸術家としての私にとって親のような存在です。(アントニー)
世界中に感動の渦を巻き起こした前作『アイ・アム・ア・バード・ナウ』から4年。本作は、アントニーがこよなく敬愛する日本の舞踏家、大野一雄に捧げられており、ジャケットには、1977年、写真家の池上直哉によって撮影された、大野一雄のポートレイトが使われている(本作に先駆けて発売された5曲入りEP『Another World』にも、ピエール・オリヴィエ・デシャンによって撮影された大野一雄の写真が使用されている)。
PROFILE
ANTONY & THE JOHNSONS アントニー&ザ・ジョンソンズ
本名アントニー・ヘガティ。1971年、イングランド南東部に位置するサセックス地方の町チチェスターに生まれる。1977年にはアムステルダムに、さらに10才の頃にはカリフォルニアのサン・ホセに移住。80年代初めに相次いで登場したカルチャー・クラブのボーイ・ジョージやソフト・セルのマーク・アーモンドといった英国のシンガーを知り、そのジェンダーを越えた中性的な魅力に強い影響を受ける。地元の大学に進学した10代の終わり頃には、ジョン・ウォーターズの映画を元にした舞台劇を演出する。1990年、ニューヨークに移り、NYUの実験演劇コースに入学。サンフランシスコのヒッピー文化とゲイ解放運動が結びついた異色の演劇集団、コケッツの中心メンバーのひとりだったマーティン・ウォーマンに出会う。1992年の夏には、ジョアンナ・コンスタンティンらと共に前衛的なパフォーマンス・グループ、ブラック・リップスを結成。イースト・ヴィレッジのピラミッド・シアターで毎週月曜日の夜に定期公演を行い、NYのアンダーグラウンドなクラブ・シーンで注目を集める。1995年にブラック・リップスが解散した後は、演劇性を残しつつもより音楽に傾斜した新たなグループ、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズを率いて活動。2000年、カレント93のデヴィッド・チベットが運営するUKのレーベル、デュルトロより、セルフ・タイトルのデビュー・アルバムを発表。さらに、翌2001年にリリースしたEP『I Fell in Love With a Dead Boy』がプロデューサーのハル・ウィルナーの目に留まり、ウィルナーを通じてルー・リードにも紹介される。2003年、リードの世界ツアーでバッキング・ヴォーカルに抜擢され、アルバムの録音にも参加。2005年、アメリカではシークレットリー・カナディアン、ヨーロッパではラフ・トレードより、セカンド・アルバム『アイ・アム・ア・バード・ナウ』をリリース。同作により、英国最高の音楽賞とされるマーキュリー・プライズを受賞。MOJO誌の「アルバム・オブ・ジ・イヤー」にも選出された。2009年1月、敬愛する日本の舞踏家、大野一雄の写真をジャケットに配したサード・アルバム『クライング・ライト』を発表。ビルボードのヨーロッパ・チャートで1位を記録する。ビョークとルー・リードの他にも、ルーファス・ウェインライト、ブライアン・フェリー、マリアンヌ・フェイスフル、Hercules and Love Affair、マシュー・ハーバート、ヨーコ・オノやローリー・アンダーソン等々、様々なアーティストとコラボレーションを行っている。