2011/11/05 00:00

9/28-29 ソウル・フラワー・みちのく旅団 被災地ライヴ・ツアー

photo by 上野祥法

震災から半年以上が過ぎて、被災地にいない人間は震災のことも意識の中から薄らいでいるかもしれない。また、原発事故から起きた様々な問題により身動きが取れなくなっている人もいるかもしれない。しかし被災地は復興にはまだ遠く、そしてそこで生きている人々がいる。ソウル・フラワー・ユニオンは、そこで生きる人々の現場に行き続ける。何度も現場に行き、現地の人々との繋がりを深くしていく。続けること、繋がっていくこと。それがいかに大切か。ソウル・フラワーの活動から、私はそれを教わり続けている。

5月17日から19日の第1回、6月21日から23日の第2回に続いて、“ソウル・フラワー・みちのく旅団 被災地出前ライヴ・ツアー”の第3回が、9月28日と29日に行われた(他にもリクオとのソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンで被災地ライヴを行なっている)。ツアーは宮城県の3ヶ所。前日の27日は仙台のLive House enn2ndで、“ホモサピエンスはつらいよ ツアー・ファイナル”が行われ、そのライヴに行けなかった私は28日の午前に仙台のホテルで合流。前日のライヴは3時間に及んだそうで、更にその後、被災地ツアーを現地で支えているトモちゃん等と語り飲み、ホテルに戻ったのは丑三つ時。ロビーに現れ「おはよう」と言うメンバーはサスガに寝むそうだが清々しい表情だ。

今回のメンバーはソウル・フラワー・ユニオンの中川敬、高木克、JIGEN、美保子。震災当初から石巻でボランティアとして動いている上野祥法(ロフト・プロジェクト)、ライターの岩崎眞美子、小説家の木村紅美、私。そして、避難所を経て現在は仮設で暮らし、今回のブッキングも担当している内田兄弟の弟さんのトモちゃんなど現地のスタッフ。現地との連携なくしてこのツアーはあり得ない。2台の車に分かれ、震災の跡はほとんど見当たらない仙台市内から最初の会場、石巻市中屋敷の中島産業前へ向かう。道中、真っ青な空に広々とした景色。実に気持ちいい。しかし、海沿いに近づくにつれ建物の残骸があり津波の大きさが今なお生々しく迫ってくる。ライヴの前にメンバーが音合わせをする間、近くを散策。メインストリートの建物は損壊が激しく営業している店はほとんどない。が、一店、和菓子屋さんが営業している。美味しそうな最中を買い話を伺うと、老舗であるその店、「店を開けていることでみんなが元気になれば」と言う。最中はとても美味しかった。

photo by 上野祥法

さぁ、いよいよライヴだ。会場は住宅街の一画の空き地。住宅街といっても都会のそれとは違って広々として、やはり実に気持ちいいのだが、そこも津波の前は違う風景だったのだろうか? 津波の前はもっと家々が建っていたのだろうか? 必死に想像する。 ピースボートの宣伝により、スタート時間が近付くとちらほらとお客さんが集まり始める。仕事の手を休めて来てくれているようだったり、学校帰りにたまたま通りがかった中学生がいたり、近所に住んでいるのであろう3歳ぐらいの女の子が走り回っていたり。生活の合間に音楽を聞きに来てくれる、この感じがいい。「飲み物買ってきたから小さい子達にあげて」と差し入れを下さったおばちゃんもいた。“ソウル・フラワー震災基金・ギター大作戦”(註1)でギターを受け取った高校生のナナちゃんも駆け付けてくれた。気付けば準備した椅子は満席。フラッと立ち寄った人も、この日を楽しみに駆け付けた人も、みんな一緒に晴れた空の下で手拍子をして歌う。今回のツアーで初めて披露された吉田拓郎のカヴァー<落陽>のように、沈みかけていく太陽が目にも心にも沁みた。 ピースボートによる炊き出しで豚汁がふるまわれ、JIGENと美保子の別ユニット・桃梨が全国から募ったTシャツを手渡し、ライヴの後は各々でお喋りをし、そしてまた各々の生活に戻る。ひと時とも言える時間が各々の生活の力になったと思うし、私自身が大きな力を貰った。

その夜、女川の蒲鉾本舗高政という笹かまぼこ屋さんへ。ボロフェスタにも出演した高政さんの店だ。高政さんとソウル・フラワーとの出会いは、4月、震災後、初めて東北に行った中川敬が女川で瓦礫の中にターンテーブルを見つけたのがきっかけ。それをツイッタ―で呟いたところ、ターンテーブルの持ち主が高政さんで、ソウル・フラワー・ユニオンのファンであるという。その後、現地のスタッフとしてツアーを支えてくれているのだ。笹かまを頂き、店内の製造所を見学し、その立派な店から高政さんの努力と覚悟が伝わってくる。(註2)4月にはもう一つの出会いがあった。漁船が突き刺さったビルを見たソウル・フラワーの面々。そのビルの2階にはラ・ストラーダというライヴハウスがあり、そのオーナー・カップルとの出会いだ。場所を変えてオープン間近のラ・ストラーダにも立ち寄る。新しい店の匂いはとてもいい匂いだ。(註3)

 翌日は正午から牡鹿半島の荻浜でライヴ。会場へ向かう前に女川の港へ。半年以上経ったとは思えないほどの津波の痕跡。直前には台風もあり水かさは足元まで増し、近くの家のものか遠くから流れ着いたのか、賞状の筒、割れた茶碗など生活の痕が板きれやゴミと一緒に汚泥となった波間を漂っている。彼方の海は輝くような美しさなのに。被災者ではない私がこんなことを言っていいのかわからないが、悔しい。半壊・全壊した建物と波間を漂う生活の痕を見て、これが東京のような都市だったらすぐに復興していたかもしれないと思うと、本当に悔しい。心が痛む。  そんな光景を見た後なのに、見た後だからこそか、ソウル・フラワーの演奏は素晴らしかったのだ。  前日よりも更に広々とした絶景の会場。ここでもピースボートが炊き出しの準備をしていて、若く元気なその姿に、まず私も元気をもらった。そしておじちゃん、おばちゃん、子供達、漁師の男衆と、お客さん達もとても元気だ。ソウル・フラワーの演奏も広い空に届くように伸びやかだ。

photo by 上野祥法

今回のツアーの選曲は、宮城県の民謡<斎太郎節>、遠洋漁業を生業にしている者なら誰でも知っているという<おいらの船は300とん>とみちのくツアーならではのナンバーに、<ドンパン節>、<安里屋ユンタ>、<アリラン>、<竹田の子守唄>に<男はつらいよ>のテーマソング、そしてチビッ子が大喜びの<アンパンマンのマーチ>、阪神淡路大震災の後、被災地でのライヴから作り上げられた<満月の夕>、大きく手を広げる振付もある曲などお客さんに大ウケだった桃梨のナンバー、先ほども書いた新たなレパートリーである<落陽>など。この曲、「50代あたりの人が喜んでくれる曲はなんだろう? 」と考えたところ、仙台のバンドで前回のみちのくツアーに同行したソンソン弁当箱のカジカ君が「<落陽>がいいですよ」と提案したそうだ。確かに“苫小牧発仙台行きフェリー”って歌詞がある。そうやって、どういう歌なら楽しめるかを考えての選曲。押しつけではなく、こちらからお客さんに寄り添うような選曲。だから自然にリズムをとり、歌を口ずさみ、手拍子をしてくれる。私は途中から空いている椅子に座り隣のおばちゃんとお喋りしてしまい、お喋りをしながらもサビでは一緒に歌うおばちゃんがとても楽しそうで、ライヴに集中していたとは言い難いのだが、これこそがライヴなんじゃないかって、おばちゃんとのお喋りをやめることが出来なかった。そのお喋りの中で、一人で暮らす仮設に台風で雨水が浸みてきたこと、流されてしまった2年かけて育てた牡蠣の、その殻を削ぐ日が本当は今日からであること、神社の階段をピースボートの若い人達が一段ずつ掃除してくれたのが嬉しかったことなどを話してくれた。

ずっと広い空の下にいたい気持ちだったが、最後の会場、南三陸志津川・中瀬町の仮設住宅二期集会場へと急ぐ。会場を仕切ってくれたのは、この仮設で暮らすトモちゃんを中心に、中川敬の旧友であるex.THE LOODS、ex.THE GROOVERS、現LOUDSでバンド活動をしつつ介護士として何度も被災地に行っている西村茂樹が派遣してくれていたボランティア達。集会場である部屋で、徐々に集まってきたお客さんに語りかけるように演奏はスタート。その音を聞きつけお客さんもどんどん増え、語りかけるような演奏は賑やかな宴に変化していく。状況を瞬時に判断してライヴを進めるソウル・フラワー、見事だ。三線をボランティアから習ったという仮設で暮らす高校生の弥生ちゃんが参加して<満月の夕>をセッション。震災後に弾き始めたとは思えないほど、三線の音色は美しかった。ライヴが終わった、<ドンパン節>を小さな女の子が口ずさんではしゃいでいた。なんかもう、音楽が繋がっていく様子が手に取るように感じられて、その場にいるお年寄りやチビッ子達にやたらと話しかけたくなった。私も興奮していたのだろう。

photo by 上野祥法

音楽にどんな力があるのか? 震災以降、そんな議論めいた話を聞くが、音楽には心を開く力がある、心を解きほぐす力がある、私はそれだけはハッキリと言える。

私にとって、前回の6月に続いて2度目の同行(前回のレポートは「STORY WRITER vol.6」に寄稿)。前回のツアーでは、お客さん達はその日を生きることを一番に考えていたように見えた。今回は新しい生活を築き始めていると感じた。まだまだ不便なことはたくさんあるだろうし悲しみが失せたわけではないだろう。だけど、各々が次の一歩を踏み出している姿を見た。私はその気持ちを、その状況を、ほんの少しかもしれないが共にしていきたいと思った。何をすればいいのか自問は続くだろうが、自問を続けていこうと決めた。そして、ソウル・フラワーの活動は、ソウル・フラワーの音楽はこれからも続いていくはずだ。(text by 遠藤妙子)

註1 : 『ソウルフラワー震災基金2011』HP http://www.breast.co.jp/soulflower/sfu20110328.html

註2 : 『DJターンテーブルがつなげた思い』(日本経済新聞 8/4)

註3 : 石巻ラ・ストラーダ http://www.la-strada.jp/

[ライヴレポート] ソウル・フラワー・ユニオン

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