2010/03/07 00:00

VOL.4

こんにちは、福島のあやぽんごです。随分と筆無精になっており、申し訳ございませんでした。さて、今回も福島の近況報告をして参りたいと思います。3月ともなると、流石に福島も春めいた日が多くなります。しかし、タイヤを交換するのは未だ早いです。そう、東北の最南端と言えども、3月中は未だ雪が降る心配があるのです。おまけに山際の地域とも成れば目に見えるほどの杉花粉が舞い、意外としんどい福島の春のはじまりはじまり。

しかし、春は最も家計の節約になる季節でもあります。このコーナーの最下部に掲載している私のプロフィールで、私は福島を「普通に暮らすとロハスになってしまう町」と表現しております。そして、正しくその称号に相応しい時期が、春なのです。一歩外を歩けば、太良の萌、コシアブラ、蕗の薹や木の芽などの山菜が沢山採れます。もう少し暖かくなれば、蓬、土筆、筍やクレソンなども豊富に採れます。遠方からいらした方々は、【山菜採り】などと銘打って、こぞって山野に分け入って行きます。しかし、私は釣りのついでに山菜採りをやってしまいます。ロッドとビニール袋と軍手とiPhone(ポータブル・ナビとして)。これさえあれば、福島の最高の春の醍醐味を味わえます。また、福島市には春になると全国の写真家が挙って登る『花見山』という桃源郷があります。その絶景、見た後にしばらく声が出なくなりますよ。

そんな素敵な春ですが、今年の立春は決して穏やかなものではありませんでした。何があったと問われれば、「大好きなバンドのギタリストが脱退した」、只それだけの事なのですが、私にとってはEarthquakeよりもAtomic bombよりも強い衝撃だったのです。

実はこのバンドについては、ローカル・レポートの依頼を頂いたときから構想を練っており、第二回でも第三回でも掲載するタイミングはあったのです。しかし、私の稚拙な文章で彼等の織りなす音楽を形容するのは非常にエネルギーを要したこと、メンバー全員が私にとっては非常に親しい存在で気恥ずかしかったこと、という二点により1000字程度書いてはDeleteを連打の繰り返しでした。しかし、今回のオリジナル・メンバーの脱退という春の嵐は、否が応にも私に筆を執らせました。無論、以前より腰が引けるのですが、私が彼等の存在を知らしめるには、なんとなく絶好の機会だったのかなと思っています。

今から紹介するのは、『福島が育んだ寵児』と言うべきバンド、THE FANです。はじめにお伝えしておきます。彼等の今後の演奏予定は、現在のところ白紙です。

THE FAN(2006-)

Vo,Gu : GON
Gu : カンノ ヨシト
Dr : イジー
Ba : hiropon(在籍2006-2010.2)

まず、どこから手を付けて良いのか分からないので、出会った頃の話を突破口にタイピングを進めようと思う。私が彼等に出会ったのは4人ともほぼ同時で、9年前。その頃の福島市には、才能溢れる演者が右から左にごろごろ転がっていたのだ。その幾つかが、THREE PIECE、HIGH KICKS、優しさライセンス、Silly Junk、NEUTRINO、King-Beeや狂犬である。この固有名詞の羅列の中に、現monokuro磯谷氏やsominica橋本氏などのバンドもある。幼い頃からクラシック漬けで軽音楽に対する一切の知識がなかった私にとって、ロックンロールと言うのはビキニ水爆級の衝撃だったのだ。そして、彼等の中で一際、異彩を放っていたのがNEUTRINOのフロントマン、GON氏であった。

この人の素晴らしいところは、音楽の才能に偏りがないところである。ある時はロサンゼルスのエリック・ドルフィーが、またある時はカリフォルニアのジョン・フォガティが、シアトルからはカート・コバーン、インディアナからマイケル・ジャクソン…と、ステージ毎はおろか、曲毎に目まぐるしく様々な人が降臨してくる。しかし、GON氏は彼等に帰依することはない。彼は、往年のジャズ・スター、サザン・ロック・スター、オルタナ・スターやポップ・スターを反芻し、終いには消化してしまうパワーがあるのだ。音楽を志す後身達にとって、GONという男の存在が既にスターなのである。敢えて深くは触れないが、彼の最大の魅力は抜群の歌唱力である。そして、その歌唱力を培わせたのもまた、彼自身の意表を突きまくった作曲センスであろう。とにかく曲を、ライブを味わって欲しい逸材である。

次に、脱退したので容赦なく書かせて頂きたいのが、ベースのhiroponである。彼は、このコーナーのVol.1で力説した飯坂温泉の『生ける特産品』である。出会いは私が16歳、上記に記載していたKing-Beeという飯坂温泉のしみったれバンドのライブで。私は彼のベースに出会うまで、ベースが何を担ったパートなのかよく分からないでいた。しかし、彼は違った。ベースという楽器を用いているものの、根本的にやろうとしていることが違うのである。縁の下の力持ち系パートであるにも関わらず、メロディが如実なのだ。そして、超絶技巧から紡ぎ出されるそのメロディ・ラインは、他のパートをあっさりと引き立ててもいる。一体、どれほどの洞察力と瞬発力が働いているのだろうか。後にも先にも、私は彼以上のベーシストを観たことはない。そして、感謝の意を込めて付け足したいのは、私は彼から音楽は元より『人間として学ぶべきこと』を多く教わったということである。人間関係が希薄になっていく昨今、大切な人と酒を酌み交わし時に苦言を呈すこと。これは飯坂の男達の良き精神だ。脱退に関しては、愛のある公式サイトで彼自身の言葉で綴ってあるのでそちらを参照いただきたい。そして、hiropon自身の音楽性を評価しているからこそ、快くリスタートを切らせてあげた他のメンバーと同様、私からも今後の音楽活動について、餞の言葉を贈りたい。「ヒロポン、福島の重鎮として死ぬまで音楽続けて下さい! 肉! 」

ギターのカンノヨシト氏には、自分が中学校を卒業する直前、15歳で出会っているのではないだろうか。当時、バンド・シーンで『会長』と呼ばれていた彼は、在籍する高校で生徒会長を務め、吹奏楽部でバリトン・サックスを吹く傍ら、狂犬という3ピース・バンドを組んでいたのだ。私はそのバンドの大ファンで、先日発見した当時の手帳には彼等のライブ予定が沢山書き込まれていた。私が彼を最も尊敬する点、それはGON氏とは対照的で、彼の傾倒する音楽が一極集中であることである。具体的に言えば、60年代UKと言って良いのだろうか。見た目からしてマンフレッド・マンな彼は、ある意味誰よりも音楽的頑固さがあるかも知れない。彼の車に何度か乗せて貰っているが、恥ずかしながらこれまで一度も知っている曲がかかった試しがない。唯一分かったのがPerfumeだけである。この青年は50年近く前のアーティストに敬意を表し続けているのである。先日、私は彼のDJデビューに際した。彼は思いの外緊張していたようだったが、私は「大丈夫、君の持ってきている音源なら間違いないから。」と送り出した。事実、彼のDJデビューは好評を博した。ちなみに我々の共通の趣味であるバス釣りにおいても、ベイト・リール+ハード・ルアーしか使わないという男仕様。

大好きなデザートのように最後に取っておいたのが、このモンスター・バンドのリーダーを務めているDrのイジー氏である。正直、彼には触れずに逃げたい。小中学校の大先輩である彼を語るなんて、非常に荷が重く畏れ多いことこの上ないのである…とか言ってると「なんでだで! 」と福島弁で軽く突っ込まれそうなので、頑張って紹介してみよう。彼は、一言で言うと『秀逸』だ。『秀逸』とは、「他に類を見ないほどずば抜けて、際立って素晴らしく優れていること。そういうもの。」のことである。彼はバンドへの構え、話術、部屋の掃除、ファミコンの収集やデコメ使い…どれを取っても『秀逸』である。そして、GON氏を理解した者にしかできないドラム変化(へんげ)が、何より秀逸なのである。本人が敬愛しているという“ボンゾ”よりも“チャド”よりも、“GON”に対する愛こそが彼のドラム・ワークの礎となっている、と私は思う。また、GON氏が奔放に歌っていられるのも、他でもない彼のドラム・プレイに依る所が大きいだろう。そんな彼に出会ったのは、やはり16歳の頃。全員アロハ・シャツを着ていたNEUTRINOというバンドで、意地悪そうな眼鏡とは対照的にご機嫌なカウベルを叩いていた。私は初めて観た彼を「このバンドで唯一まともに話が出来そうな人だ! 」と直感し、見事メール・アドレスをゲットした。その後、現在に至るまで、微に入り細に入り面倒を看て貰っている。

このTHE FANというバンド、上記の通り、地元では泣く子も黙る面子で構成されている。そのため、結成した当初はモンスター・バンドが誕生したと大いに話題になった。自分のバンドのメンバーにも「あやぽんごの好きな人しかいないバンド」と、よく言われたものだ。実は、私はhiropon以外の3人とバンドを組んでいたことがある。憧れのメンバーに囲まれ、何よりも敬愛するGON氏の曲と彼の声に合わせてバイオリンを弾くことは、私にとって至極の喜びだった。また、3年ほど前にGONちゃんの結婚式用にGON,hiropon,ayapongoで結成された『寿』という3ピース・アコースティック・ユニットがあり、こちらは現在進行形で活動中である。私は『寿』のリハに出かける度、夫に「あやちゃん、ヒロポンさんとゴンちゃんとバンドをやれるなんて、贅沢なことなんだよ。」と諫められる。ちなみに、5年前、我々の結婚パーティで総合司会を務めたのもGON氏である。

「昔の音楽に敬意を表している人が好きなんですよ。」これは先月、GON氏と飲み明かした際に耳にした言葉である。「昔の音楽に敬意を表すこと」と「自らすすんで死なないこと」、この2点がGON氏の座右の銘と言って良いだろう。私も、本当にそう思った。近年、刹那的に生きるアーティストに対し、寛大なまでの許容があるリスナーが増えている。また、過去の偉人の功績と自らの作曲は、まるで無関係と言わんばかりのアーティストも増えている。しかし、GON氏のベクトルはそれらの潮流とはまったく逆行している。大好きなカート・コバーンや加藤和彦よりも、ボブ・ディランの方が偉いのである。テクノやパンクよりも、アメリカ南部で綿花を摘んでいた黒人達の音楽は尊いのである。この2本のGON哲学の柱が、我々の深い部分を彼の音楽へと誘い、魅了し、虜仕掛けにするのだ。彼は、大好きな演歌歌手の島津亜矢に習い、演奏中に時々こう言うことがある。「ヨイショっ! 」と。死にたい人の音楽で何が与えられよう。彼の歌には生命力が充ち満ちている。

THE FANの音楽を蘊蓄するほど滑稽なことはないので、そろそろ閉じよう。何かしら感じ取ってくださった方は、HPより音源が無料で「持ってけ、コンニャロ」なのでどうぞ。最後に、「すぐには無理ですが、次のTHE FANのアクションを見守っていて欲しいです。」とブログに綴った安斎氏。現在、事実上の活動休止を余儀なくされている彼等だが、私を含めTHE FANフリークスのみんなは、むしろこの【解散しない宣言】の迅速さを高く評価しているのではないだろうか。私自身、今回の記事を書くのは非常に躊躇った。しかし、打診したGON氏から「光栄です。」という返事を頂き、一念発起した。私に出来るのは、彼等の存在を1人でも多くの人に認知して頂くことである。さすれば結果は自ずとついてくる、と私は確信している。彼らはどんな時も互いを信じ、惑わされず己の道を突き進むのみ。いつかまた、あの奇跡のように神々しいライブを繰り広げてくれることを信じている。THE FANの未来に幸多からんことを願って、筆を置きたいと思う。

THE FAN web site

PROFILE

千葉あやa.k.a あやぽんご。9歳からバイオリンを始める。様々なオーケストラやバンドで演奏活動を努める傍ら、地元のオーケストラで子供たちへの指導も行っている。バロックからテクノまで、頼まれたら如何なる演奏も断らない。オーケストラ歴15年、社会人歴5年、バンド歴5年、主婦歴4年、大学生歴3年、人間歴23年の女子。好きな言葉は『民度高い』。『普通に暮らすとロハスになってしまう町』福島で、元気に活動中。趣味は釣りと山菜採り。

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