2015/06/03 16:57

“静”と“動”を行き来する、美しくも希有な八重奏——DSD+ハイレゾで室内楽アルバムを発表する中島ノブユキに柳樂光隆が迫る

NHK大河ドラマ「八重の桜」の劇伴でその名を世間に知らしめ、ジャズやクラシックなどあらゆるフィールドで活躍する音楽家、中島ノブユキ。そんな彼が自身のレーベル〈SOTTO〉から、『散りゆく花』をDSD5.6MHzと24bit/88.2kHzのハイレゾ音源でリリースした。ピアノ1台によって作り上げられた前作『クレール・オブスキュア』とは打って変わり、ピアノ、ギター、バンドネオン、オーボエ、弦楽三重奏、コントラバスという異色の八重奏で織りなされた本作。“静”と“動”を大きく行き来する、その美しくも希有なアンサンブルを、ライター柳樂光隆(『Jazz The New Chapter』監修)によるインタヴューと、繊細な音質でお楽しみいただきたい。


中島ノブユキ / 散りゆく花

【収録曲】
01. エレメント・オブ・ディスタンツァ
02. 追憶のワルツ
03. スプリング・ナーヴァス
04. 散りゆく花
05. 木洩れ日
06. スパルタカス 愛のテーマ
07. ディスタンツァ
08. エスペヒスモ ~蜃気楼~ レント
09. エスペヒスモ ~蜃気楼~ エレガンテ・コン・モート
10. エスペヒスモ ~蜃気楼~ カルマンド
11. フーガ ニ短調
12. その一歩を踏み出す
13. ラスト・トレイン・ホーム

【価格】
3,000円(税込)(まとめ購入のみ)

【配信形態】
5.6MHz dsd + 24bit/88.2kHz

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DSD 5.6MHzの再生方法

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再生ソフト

Windows

MAC OS

  • Audirvana Plus (DoP方式、ver.2.0.1で11.2MHzまでの再生に対応)[$74]

iOS (iPhone / iPadなど)

  • Hibiki (DoP方式)[500円]
  • ONKYO HF Player (PCM変換)[DSD再生には1,000円の「HDプレーヤーパック」が必要]

INTERVIEW : 中島ノブユキ

「音に向かう光を変える」ような編曲の方法

——そもそもSOTTOレーベルを始めたきっかけはなんですか?

元々レーベルを始めたきっかけは、ここ数年ドラマの音楽などを担当させてもらうようになってそれらの音楽を届けたいという気持ちからです。大河ドラマや映画のような長いスパンのプロジェクトはサウンドトラックのCDが出しやすくて、人の耳に届きやすいんですけど、同じように情熱を傾けて作っているTVの単発ものや、その一週間限りの、一回だけの放送のものはなかなかパッケージ化されたサントラにならないんです。自分としてはその音楽にも愛着や愛情を持っているので、きちんとした形でリリースして、届けることができたらいいなと思っていたので、レーベルがあれば、送り出すプラットフォームになるんだろうなと思って、具体的に動き出しました。

——では、ソロ作品やサントラ盤としてリリースしたもの以外にもかなり曲がたまっているんですね。

NHKだったらBSで「神様のボート」や「リキッド ~鬼の酒 奇跡の蔵~」っていう作品があったりだとか、民法だとテレビ朝日の「いねむり先生」っていうドラマがあったり、それらも自分としては大切な作品なんです。もともとそれらの音楽を作っているときはドラマのために書いていて、一回の放送のために作っているんですけど、CDとか何かしらの流通に乗せることによって、別の聴き方をしてもらえるかもしれないというのがありましたね。

——『散りゆく花』はSOTTOレーベルの第2弾ですね。どのくらいの期間で作ったんですか?

レーベルからアルバムを出そうと思ったのが、去年の10月くらい。編成とかも漠然としていて、どんな方向性の作品にするかまだ分かっていない時にだんだん曲を集めたり、曲をスケッチしていく中で、少しづつ編成も決まっていったというところですね。古い曲も何曲かあって、フーガを一曲入れているんですが、これは数年前に書いている曲ですね。それから「その一歩を踏み出す」という曲があるんですが、これはNHK BSのドキュメンタリー「旅のチカラ」のテーマ曲で、2011年に書いた曲ですね。録音は去年の12月の末から1月の上旬にかけて行いました。

——新曲はどんなイメージで書き始めたのでしょうか。

不思議な縁があったんですけど、去年10月に北村聡さんのソロ・リサイタルが東京オペラシティであって、曲を委嘱されました。それはバンドネオンとチェロのための二重奏の曲で、「エスペヒスモ ~蜃気楼~」という曲なんですが、その素晴らしい演奏を聴いて、「なるほど、この曲はもしかしたらより大きい編成に編曲しなおしても、この曲のスタイルとか、ウネリとかは伝わるんじゃないか」と思って、今回、バンドネオン + 弦楽三重奏 + コントラバスという編成に編曲し録音しました。

——アルバムに収められている「エスペヒスモ ~蜃気楼~」のアレンジや編成は北村さんのリサイタルでの演奏を聴いてすぐに浮かびました?

もともとの二重奏版はそれぞれの楽器に無理をさせている曲なんですよ。チェロは高音から低音まで、重音っていう複数の音を同時に出す奏法だとか、あるいはリズム的なものであったり、縦横無尽なスタイルで書かせてもらっているし、バンドネオンにも、いろいろ旋律から、リズムから変拍子のポリリズムのところまで一人で全部をカヴァーするような、つまり二人しかいないので、それぞれのパートに相当な負担がかかるような曲なんです。今になって思うと、これは二人には申し訳ないんだけど、もしかしたら自分の頭の中にはもっと大きい編成で鳴っていたものを、オペラシティの時のアレンジではそれを無理やり二つの楽器に落とし込んでいたのかもしれないなと。いうなれば、二つの楽器のための編曲を解きほぐして、より大きな編成に配分したという、そういう編曲になっているかもしれないですね。

——解きほぐしたにも関わらず、このアルバムのバージョンでもバンドネオンは相当演奏するのが大変なアレンジになってますよね。

相当大変ですね。でも二人のバージョンはもっと大変なんですよ。そのぶん、二重奏のバージョンは別の良さがありますよ。

——書いた曲を編曲しなおすことはよくあるんですか。

あります。元々の編成を大きめで作っていたりすると、どうしても演奏会でやらやることが難しかったりするので、小さな編成に変えたりはしますね。

——では、逆に編成を大きくすることは珍しいかもしれないですね。

例えば、ファースト・アルバムの『エテパルマ』ではフェデリコ・モンポウの曲を録音していますが、それはもともとピアノ・ソロのために書かれていた曲を室内楽的な編成に編曲しなおしました。そういうのも好きなんですよ。

——その場合は音を足すんですか?

音は足してないですね。もともとモンポウが書いた曲に和音を書き足すような形では音を加えてはいないですね。“置き換える”ということですね。その発想の源はモールス・ラヴェルの編曲の理念があるのかもしれないですね。響きを書き足すということではなく音色のパレットの幅で、音を充実させるという考え方です。音への光の角度を変えるつまり“音の色彩を変える”ような編曲の方法が僕にはしっくりきています。

密なアンサンブルを目指しました

——光の当てる角度を変えるっていうのは面白いですね。では、このアルバムに収録されたカヴァー曲の話をしてもいいですか? まずは「スパルタカス 愛のテーマ」。どういったきっかけでこの曲をやることにしたのでしょうか。

ユセフ・ラティーフによる、「スパルタカス 愛のテーマ」
ユセフ・ラティーフによる、「スパルタカス 愛のテーマ」

有名な曲なので、たくさんの方が演奏していると思うんですけど、僕が知っているものがどちらかというとジャズの演奏スタイルによって、この曲をもう一度甦らせるというような演奏が多いと思うんです。メロディーがシンプルゆえに、ジャズ的なリハーモナイズと親和性があると思うんですよ。どんどん和音を複雑にしていっても、もとにあるメロディーの美しさは消えないというか。そこがジャズの演奏家のかたがたが演奏する理由かなと。そういった中で「この曲のもともとの形ってどんなものなんだろう」って思って、キューブリックの映画を観直したんですよ。当たり前ですけど、ジャズのスタイルではなくて、もっとシンフォニックでした。僕はこのオリジナルのバージョンは、和声的解釈が不可能な、もしくは曖昧な響きによってこの曲が支えられていると思ったんですね。オーケストレーションが思いのほか複雑で、コード・ネームで書き表せないような得体のしれない響きに支えられて、この美しいシンプルなメロディーが奏でられている。ということは、この方法、この響きの方角で、元々のオーケストラ・サウンドを、室内楽的に編曲し直すと、この曲に新しい光が当たるんじゃないかと思いました。

——意外とジャズが多いですね、ユセフ・ラティーフやビル・エヴァンスなどいくらでも浮かびます。ちなみに、その譜面に書き表せないようなアレンジをこの曲にはどうやって入れたんですか?

この曲は金子飛鳥さん、北村聡さん、藤本一馬さんと僕と四人で演奏しているんですけど、もちろんお渡しする譜面はメロディーとコードが書いてあります。だけど、この曲に関しては、デモ・テープを作りまして、それを聴いてもらって、この響きで行きたいんだということを伝えました。コードで書き表せない響きやタイム感など聞いてもらったんです。今、その時作ったデモ音源を探しますね。「ラスト・タンゴ・イン・パリ」とかもやろうとしていたんだな。データがあるけど、やらなかったんだな。

〜※PCから<スパルタカス 愛のテーマ>のデモを流す〜

——すごい危ういアレンジですね…。

危ういでしょ。この危ういリズムのなんともいえない揺れを作っていて(笑)。これをみんなでスタジオで聴いてから、演奏したんです。これは今作が譜面的な再現性に重きを置いた室内楽的な作品でありつつも、演奏者の人の瞬発性とか、その瞬間にしか出ないエモーションとかとか、絶対再現できない呼吸とかといった、音楽にとって重要な何かが記録されている作品になっていると思いますね。

——パット・メセニーの名曲「ラスト・トレイン・ホーム」もカヴァーされています。原形をとどめないアレンジになっていると言っていいと思いますが、何故、この曲を選んだのでしょうか?

曲の美しさと言っていいんでしょうね。パット・メセニーのオリジナルのバージョンを聴いていると、曲の美しさをもっと聴きたいのにって思っちゃうんですよね。楽器の組み合わせが絶妙すぎて。電車の走るさまとか汽笛とかを各楽器が表現しているじゃないですか。ドラムのブラシであるとか、ギターやベースのアプローチであるとかで。そういう部分を排してしまって、メロディーの骨だけになっても曲のえもいわれぬ美しさがあるなと気が付いたことがあって、いつか演奏したいなと思っていたんですよね。

PAT METHENY GROUP - Last Train Home
PAT METHENY GROUP - Last Train Home

——この曲は曲名が電車に由来していて、メセニーが好きなスティーヴ・ライヒのミニマリズムが生むトランス感が楽曲の胆なわけじゃないですか。そこをばっさり切るのは面白いなと思いました。メセニーのバージョンとは全く違うこのアレンジもすぐに浮かんだものですか。

そうですね。この曲のアレンジはこのアルバムの中でジャズ的なアプローチに一番近いスタイルで演奏していると思うんですけど、それはそうするために人数を2人というミニマムなところに限ったんです。ここで別の演奏者が加わってトリオもしくはカルテットでやるとなったら、僕の個人的な志向としてはどこかで譜面的なアプローチが入り込んでいたと思います。もっとテンポをかっちりとって、より編曲されたものにしようと思ったこともあったんですけど、アルバムの他の曲が室内楽的なアプローチに思いのほか向かったので、一曲くらいは別のアプローチでと思ったんです。風通しのいいと言ってもいいかもしれないタイム感であるとか、空気感にアプローチしたくて、敢えてデュオという編成にしました。より自由度を求めて、と言い換えてもいいかもしれない。

——この曲における即興の部分と書かれた部分の割合はどんな感じですか?

これはギターの(藤本)一馬くんとの完全に2人だけなんですけど、譜面には一応、4/4拍子、2/4拍子も時折入ったりするんですけど、時間を自由に感じようという部分に、とある記号を書いたんです。といっても簡単な棒線ですけど、ふと、誰かが決めた個所を弾き出せば、そこに戻るんだなと思う様にしようと。テンポの揺れという意味ではテンポルバートという記号もあるので、テンポルバート・アテンポって書いても良いんですけど、この曲はテンポが一度無くなって、またテンポに戻るっていうのが頻繁に行われる曲なので、敢えて、そういう記号にしてみました。旋律が始まってすぐに時間が失われて、テンポが戻る、ちょっと呼吸があって、フレーズが合ったかと思うと、また失われる。といった感じで、二人でそれぞれの時間軸をさまよっている。そんなやり方で(藤本)一馬くんと演奏していますね。

——藤本さんのギターのフレーズがパット・メセニーのイメージからすごく遠いものだったのも面白かったです。すごくきれいなフレーズで、あんなにメセニーっぽくないギターなのにこの曲のいいところだけは伝わってくる演奏でしたね。

そうなんですよ。それすごく僕も感じました。

——あれは中島さんが書かれたものじゃないんですね。

和音は書いてありますけど、フレーズとかは一馬くんがその時にふと出してしまったフレーズなんですね。

——へー、藤本さんの即興なんですね!中島さんの曲って基本的にどこまで書かれているのかよくわからないじゃないですか。全部書かれているようにも聴こえるというか。「The Piano Era 2013」というソロ・ピアノだけのイベントの時に中島さんが何曲かを即興で演奏されていましたが、言われなかったら書かれているようにも聴こえるなって思っていたんです。ここでは他の人の即興演奏でも、中島ノブユキのペンで書かれたかもしれないって自分が感じてしまっていたのが面白かったです。そういえば、中島さんが行っている《『散りゆく花』先行試聴会&トークイベント》で、流されているレコーディング風景の映像を見た時に、金子飛鳥さんが「自分はこう思ったから、(自分の判断で)ピッチを上げて演奏した」って言ってて、でも、中島さんが「やっぱり戻してやってみましょう」って言って、やり直すシーンがありましたよね。演奏する側に委ねられている部分がかなりあることに驚きました。

ありますね。逆に言えば、音楽の中で能動的に音を出せる人でないと一緒にコンサートをしたりレコーディングする意味がないというか。特に木管楽器、弦楽器などは音符として書かれていますし、その他の各パートも比較的書かれている曲が多いのですが、その譜面も僕にとっては脚本に過ぎないんですね。それを肉体化してもらって、録音する。肉体を持った演奏者、映画で言えば役者がいないと意味がないんです。僕は脚本も書き演出もするけれども、演じてくれる人(= 演奏者)がどうしても失うことができない癖とか、パーソナリティーとか、音楽的背景やその人の人生観とかそういったものが全部音になると思うので、それがポロリと出てしまう瞬間こそ、僕が録音したいものなんですよ。

——どうしてもクラシックや室内楽のイメージだと譜面があってそれに忠実に演奏するイメージがあって。個人よりもバンドってイメージもあります。個人を出すっていうのは意識してますか?

個人が出ればいいかっていうとそうでもない気がしていて、バランスだと思うんですよね。とにかく譜面を渡すと譜面はもう弾けちゃうような人たちなので、最初にさっと音を出した瞬間に、サウンドとしてはある種の完成はしているんですよ。そこから先、テイクを重ねていく中で、お互いがお互いの音を聴き合うような瞬間が生まれて、「なるほどそこにそういうフレーズや、フレーズ感がそこに眠っているんだったら、私はこうやって抽出しよう」とか、そういったことが少しづつ積み重なって行って、正にこの瞬間しかないっていうテイクが生まれると思うんですよね。だから、ファースト・テイクからほぼ完成しているんだけど、そこからさらにみんなで掘り起こしていくんです。僕が掘り起こしていくんじゃなくて、ある瞬間から演奏自身がその音楽の中に入り込んでくれて、演奏自体が掘り起こされていく作業にある瞬間から変わるときがあるんですよね。それがすべて集約されて行ったのが、ベスト・テイクと呼べるんじゃないかと思うんですよ。

次項
ちょっとした反抗心から始まったんですよ / 1番は、ラヴェルの影響

[インタヴュー] 中島ノブユキ

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