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2019/10/29 18:00

 

白波多カミン、舞台『ルイ・ルイ』出演の日々を語る

 

OTOTOYで連載コラム『引き出しからこんにちは』を隔週金曜日に連載中のシンガーソングライター白波多カミンが、今年9月に劇団「快快(FAIFAI)」の新作公演「ルイ・ルイ」(2019年9月8日(日)〜9月15日(日)KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ)に出演した。自身初の舞台に、彼女はどのような思いで日々立ち続けていたのだろうか。

――舞台出演から1ヶ月ほど経ちましたけど、振り返ってみていかがですか?

結構、終わってから時間が経ったので、「終わっちゃったなあ」っていう寂しい気持ちからは離れていて、「あれは何だったんだろう」ということを考えてる感じです。言語化するのが難しい作品だと思ったので。

――確かに、あの舞台を見て何かを書けるかと言ったら難しかったので、話を聞いた方が良いなと思って。あの舞台はもちろん全部のシーンに意味があるのだろうけど、最初からこちらが答え合わせみたいな目で見ると楽しめないと思ったから、単純に何も考えずに観てました。

素晴らしいと思います。どんな風に観ても良いし、間違いとか正解とかないと思います。自分で楽しめるように工夫して観ることも味わいのひとつですよね。もし私がお客さんとして観たら、舞台上に出てくるめくるめく物事や人をひたすら目撃して感じることに専念しちゃうと思います。

――じんわりしながら、観てました。

じんわりしますよね。出ている方もじんわりしてました(笑)。

――そもそも、どんな経緯で舞台に出演することになったんですか。

オファーは「こういう作品があって、出て欲しい」って結構急に言われたんですけど、「快快」自体とは結構長いお付き合いで。初めて観たのはかなり前で、京都で『Y時のはなし』という作品なんですけど、それからちょっと時間が経って、大阪で『SHIBAHAMA』という公演をしていたときに仲良くなって。脚本の北川陽子さん、大道寺梨乃さん、野上絹代さん、山崎皓司君とは、お友だちという感じです。今回客演した初音映莉子さん、石倉来輝さん、声で出演していた毒蝮三太夫さん、ルイくんを作ったぬいぐるみ制作の片岡メリヤスさんとは初めてでした。

――そういうお付き合いがあった上でオファーがあった?

それもあるかもしれません。よんちゃん(北川陽子)が制作の人伝いに企画書を送ってくれて。この作品は、絶滅したニホンオオカミがぬいぐるみで出てきて、リチャード・ペリーの『ルイ・ルイ』という、もう原型がないぐらいに色んな人にカバーされている曲の2つを軸にして「もともとあったけど、ないようなもので、だけど確かにあった」っていう、命の寂しさみたいなものをテーマにしたいっていうことを企画書で読んで、すごく私の興味があるテーマだなって。おこがましいけど、「私じゃないとこれはできないんじゃないか、というか、私がやりたい!」と思ったんです。きっと快快のみなさんもそう思って私にオファーしてくれたんじゃないかなぁと思ってます。

――歌手というよりは、人として選んでもらった感じ?

いや、それはやっぱり歌が必要だったからというのもあって、私が歌っているようなこと、死生観とかも知っていてくれていたからだと思うし、きっと何か「この子かな」というものがあったんだと思います。なんでオファーしてたのかは聞いてないんですけど(笑)、めっちゃ嬉しかったです。自分がめちゃくちゃ好きな劇団に一緒に立てるなんて、そんな夢みたいな話があるのかって。しかも、KAAT 神奈川芸術劇場という大きな舞台で。「なんて幸せなんだ!」と思って、ず~っと浮かれてました(笑)。

――どれぐらい前から準備してから始まったんですか。

核になるものは既にあったんですけど、細かい部分はほとんど決まっていない状態で。それまでは快快のみなさんが詰め作業をしながらお稽古されていて、私を含めた客演の人たちが参加したのは8月中旬からです。小屋入りが9月5日だったので、3週間ぐらいお稽古して本番に臨みました。舞台の全てが初めての経験だったので、ひとつひとつのことにいちいち「へぇ〜!へぇ〜!」って驚いたり、関心したりしてました。

――本番を迎えるまでに、役作りってどうやるものなんですか?「この役をこういうことを表現してほしい」とか事細かに言われるものなのか、それともある程度自分で理解したもの解釈したもので演技するものなのか。

もうほとんど、自分がどうしたら良いのかをこちらから聞かない限りは、自分で考える期間の方が稽古中は多かったです。通しで何度も稽古をしてどんどん変わっていくんですけど、そのときによんちゃんから「もうちょっとこういう風にした方がいい」ということは言われました。演出はみんなで考えて創っていった感じでしたね。私は理解というよりは、感覚として覚えていって、テーマとテーマがどんどん1つに固まっていくさまをずっと見ている感じで。寂しい感じとか、存在していたのに今はしていないとか、「あるけど無い」っていう感じが核になっているところに、人間は考えすぎていて頭が大きいから二足歩行になったとかっていうこととかが表現されていて。それで、2人(フライヤーデザインに出ている2人)は頭が大きいらしいんですけど。

――ああ、なるほど。それで原始人が骨を持って出てきたり。

そうそう。本物の獣の骨をお客さんに渡してまわしてもらう場面があったり(笑)。たくさん要素がバーっとあって、それが上手く繋がっていく様を見て、「こことここが繋がるんじゃないか?」みたいなことを考えてみんなでくっつけていく感じに見えました。

――今回の舞台は、ほぼ四方からお客さんに観られる感じでしたよね。

四方から、しかも私はすごく動き回るから、全部観られている感じがありました。歌は、直線的に出てきて歌って帰るっていうすごくシンプルなものなので、そこが全然違って面白かったです。自分が投げておしまいじゃないというか。ライヴのときも、曲を歌ってお客さんに聴こえてそれが返ってくる感覚はあって、でもそれは自分の歌が持って行く世界みたいな感じがあるんです。舞台の場合は、毎回同じセリフをパーンッて言っても、笑ったりシュールな雰囲気になったり、お客さんによって毎回全然リアクションが違うのが面白かったです。それと、舞台に立っているときセリフを言うときにお客さんと目が合っていいのかということも結構相談したんです。その中で印象的だったのが、よんちゃんが、お客さんと目が合っていいかどうかは俳優さんに聞いてほしいけど、「お客さんは共犯関係なんだよ」って言っていたんです。それを聞いて「わあ~カッコイイ!」と思って(笑)。観ている人がいないと成り立たないということがあって、お客さんをいかに出演者にするか、いかにこっちの世界でお客さんが一緒に遊んで、作品を創れるかっていうところが、アツいな~って思いました。

――それは、ライヴで歌ってるときと全然感覚が違うものなんですか。

お客さんが、もっと「何が起こるかわからない」って思っているから。私がライヴをやるときは、「だいたいこんな曲をやるだろう」って予想できるし、全然私を知らない人だとしても、シンガーソングライターの女の子が出てきたっていう時点で想像できるというか。そんなにわけがわからないことが起こるようなことも今までしてこなかったので。

――今年の誕生日ライヴで、ドラムを叩きながら歌ったときは変わったことやるなとおもいましたけど。

ああ~(笑)。そういう、予想外のことをすごくしたいっていう気持ちはあるんですよ。でも、今回は始めから何をするかわからない、「『ルイ・ルイ』って何なん?読んでもよくわからへん」っていう時点で、パワーが余計強くいるし、結構みなさん冷静に観てるから。舞台って「いったい何をするんだろう?」ということを思いながら観ている人が多いのかなって思いました。それがすごく新鮮でしたし、普段私のことを観るような人じゃない人たちのリアクションがヒリヒリ伝わってきて、自分的に最高すぎたというか(笑)。

――ライヴでも、予定調和的な想像できる範囲のことが起こるのはあんまり楽しくない?

はっきり言うと、そうです(笑)。前からそういうタイプではあったんですけど、今年に入ってから特に、「いつでも何が起こるかわからない状態でいたい」というのがずっとあって。自分1人の歌で、自分でも想像がつかないところへ行くっていうことをすごくがんばっていたんですけど、環境からガラッと変わったところに入ったときに、「ああ、やっぱりこういう何が起こるかわからないのが好きだ~!」って(笑)。やっぱりそうだったんだって思いました。だから、そこから自分の表現に返していけたらなって今は思ってます。

――じゃあ、良いタイミングで今回の出演があった感じですか?

そうですね。どういう風にしたら、自分がワクワクするかなっていうことを考えていた時期なので。今回舞台に出たことで、だいぶ勉強になったし、良い経験させてもらったなって思いました。

――こちらも、こういう白波多カミンがいるんだなって思いながら観てました。前半と後半ではガラッと役の雰囲気も変わりましたよね。

あれ、役名がなかったんですよ。脚本のセリフには「カミン:「ダンサーやねん」」とか書いてあって(笑)。ピクニックの場面で『ルイ・ルイ』のテーマソングを弾き語りで歌って、「いい曲ですね。ミュージシャンなんですか?」って聞かれる場面で、「ううん、私ダンサーやねん。舞台に立ってるねん」っていうセリフがあって。それはたぶん、ダブルミーニングなんですよ。劇の冒頭にルイくん(ぬいぐるみ)が上から降りてくるときに、毒蝮さんの声で「人生は舞台、人はみな役者。ここに血気盛んな役者たちが集まっていると聞いています!」って言ってから客席にいた演者がステージに上がるんです。最初はみんな客席にいるから、“人生は舞台、人はみな役者”というところにお客さんも入っていると思うんですけど。でも私の「私、ダンサーやねん」は嘘じゃないですか?突拍子もないことを堂々と言う(笑)。その感じがめっちゃ楽しかったです。ちなみにそのセリフは、あとのダンスについてのシーンのすべてがダンスだと言うおじいさんが出てくるんですけど、そことも繋がっていると思います。それと、関西弁でセリフを言って欲しいということだったので、より異物感があって面白かったです。私の役は、媒体っぽい感じでしたね。私自身が何かの役をやっているというよりは、テーマを体現する物体として舞台に立っていました。

――それでああいう異星人的なビジュアルだったのかな。

あはははは(笑)。ちょっと宇宙人ぽかったですよね。

――最後の方は、デヴィッド・ボウイのジギー・スターダストっぽいファッションでエレキギターを弾きながら歌ってましたね。

そうそう、やっぱりバレちゃった(笑)。私、デヴィッド・ボウイが大好きすぎて。どんな風にライヴをやりたいか聞かれて、「ジギー!」って言いました(笑)。快快は、時事問題にすごくアンテナを張っていて、その上で自分はどう思うのか、自分の頭で考えて態度を示すところがすごくカッコイイと思っているんですけど、あのシーンは、激化していた香港のデモのニュースの音が最初に流れていて。自分の中での感覚ですけど、そんな中でどういう風にライヴが出来るのか考えて。オーダーとしては、『ルイ・ルイ』をもう1パターン作って、カッコイイ感じでヒリヒリ歌ってほしいということだったんですけど、でも香港のデモのニュースが流れて、ヒリヒリした歌と言ったら、大スターみたいな人がドンッと立って、希望を与えるような感じのイメージでやると良いのかなって考えました。それで、ベルリンの壁が壊れるときのデヴィッド・ボウイの映像とかをもう1回見直して、「なるほど、こんな感じか。どうやったら人に希望を与えられるんやろう?」って思いながら、自分で勝手に考えてたんですよ。デヴィッド・ボウイ先生を参考にさせていただきました。

――それはしっかり伝わりました(笑)。

あはは、そうですか(笑)。「あれは誰なの?」って言われたりもしました。誰でもないんですけど、イメージとして、火星からきたジギーの宇宙人っぽさがあの世界観に合うなと思ったし、尚且つ救世主なんだったら、そういう人になりたいなと思って頑張りました。スポットライトを当ててもらって、感無量っていう感じでしたね(笑)。

――終盤、シリアスになっていく中で、あのキャラクターは、「みんな1人ひとり、こういう輝かしいものを持っているんだ」っていうことを象徴している感じがあって。物語が向かう方向とは逆の方向に登場した感じが面白かったです。

私は、前半が物語で後半がドキュメントみたいな感じがしていて。皓司君がセミになってハシゴに登って降りてきてから死ぬんですよね。ホッとしてから死ぬ「ホッ死」ってやつで(笑)。そこからそれぞれの役のシリアスな展開になって行くんですけど、八百屋さんのシーンでは、梨乃ちゃんは実際イタリアという異国の地で八百屋さんの仕事をしていることが反映されているし、絹代ちゃんは母である生活が反映されていて、来輝くんはクラブが自分のシェルターのようなものだと思っているという考えが反映されていて、初音さんも演じることの始まりみたいなことがシーンになっている。みんなそれぞれのさみしさとか切実な部分が描かれて、エンディングに向かいます。エンディングには、結局みんな、生きて死ぬんだっていう儚さを感じました。

――儚い作品でしたね。悲しい気持ちにはならなかったけど、しんみりした気分になるというか。

私も、毎回しんみりした気分になってました(笑)。

――7日間で計9回(初日は台風のため休演)続けて同じ場所で同じことをやるって、音楽だとまずないじゃないですか?

そうですね、ないですね。

――それはどうだったんですか?

はじめは、「同じことを毎回やるって、どんな感じやねん?」って思ってたんです。大丈夫なのかなって。

――できれば、毎回違うことが起こる方が良い人ですもんね(笑)。。

自分の性格的にはそうなんですけど(笑)。本番が始まるまでにずっと練習しているうちに、ライヴのシーンで「歌に飽きてきたぞ」って思ったんですよ。これはヤバいと思って。それと、また違う問題にぶち当たって。それは、「ライヴをする感覚で舞台に立つと、変なことになる」と思ったんです。練習のときに舞台に立ってから歌うと、歌詞を飛ばしたり間違えたりしちゃって。ライヴでこんなに歌詞を飛ばしてしまうことはないなと思って、原因を考えたんですけど、劇の中で自分のライヴをやろうとしてもそれは違うんだと思って。それですごく工夫をしなきゃいけないと思ったときに、「これは面白いぞ!?変なことをしてる!」って(笑)。

――ははははは(笑)。変なことって?

劇の中のシーンの1つとしてライヴがあるっていうのが、変やなあって。ライヴと演劇って似てるようで全然ちがうことをしてるんだなって気づいて。だから劇の中の一つのシーンとして”ライヴ”っていうのが組み込まれてるのって変やなあ、面白いなあって。そこから、デヴィッド・ボウイの映像とかを観て、どうやって舞台に立ってライヴをやればいいかを工夫して考えました。毎回の公演で1つの作品を創って、毎回また更地に戻って次をまた創るっていう感覚で、ある曲をドーンと出すというよりも、みんなでその場で一緒に創ることを9回やったという感じでしたね。

――公演が進むにつれて、心境も変わっていきましたか?

変わっていきました。初めから、終わるのが寂しいと思っていて、「終わってほしくないから始まってほしくない」みたいな(笑)。それぐらい、終わってほしくなくて、13日(金)ぐらいが、一番寂しかったんじゃないかな。でも、やっと掴めそうだなって思ったのがそのあたりで。最後の日に、「あっ掴んだ」って思ったんですけど(笑)。俳優さんもみんな、「掴んだと思ったら終わる」って言っていて。ああ、そうなんやって。もっとやりたい気持ちはあったけど、感覚として自分の中で完成した感触が千秋楽で得られたというのは、すごく尊い感じがしました。

――7日間の公演に至るまでに、長い期間稽古をしているわけで、それこそセミの一生みたいな感じですよね。クライマックスのシーンと重なるものがあるし、そこにも儚さがあるなって。

ああなるほど、確かに。セミについてピクニックで喋るシーンがあって、皓司君が「セミって無様だよね。ずっと土の中にいてやっとできてたらすぐ死んじゃうんだもんね。でも、バーッて鳴いて、バタッと死んで、やっぱり楽しい!」って言うんですよ。その感じとリンクして面白いですね。

――舞台を観ただけだとわからなかったことが、今日話を聞いて、今改めて楽しめました。

ああ~、本当ですか?そういえば、よんちゃんが言っていたことで、一番印象的だったのが、「お客さんを殴りたい」ということで。

――えっ「殴りたい」ってどういうこと?

お客さんが演劇を観て「よかったね~」って帰って行くのは、お客さんに失礼だって思うらしいんです。それで、「今回、私はお客さんをジャックして、お客さんを殴りたい」って言っていて。その場で楽しいというのもあるだろうけど、ショックを受けるというのはすごくまともなお客さんというか(笑)。どんな風に観てもいいし、実際にユーモアで笑えるところもたくさんある作品だし、私が快快を大好きなのも、ユーモアのあるところだし。でも、見た人の感想で、「あれはなんだったんだ…」って結構ボコボコにくらってる人もいて面白いと思いました(笑)。この作品が出来上がっていくところに立ち会って、公演することで、たくさんのことを学びました。ワクワクすることを実践して行動するまでにどんな工程が必要なのかとか、どこかのだれかの意見ではなく、自分の感覚や考えを信じること、それをみんなで伝え合ってひとつの作品を作ること。それはすごくタフでハードだということ。そして、実現すれば、素晴らしい経験ができるということ。シンガーソングライターとしても、一個人としてもとても良い経験をさせていただいたなと思います。

――また舞台に立つ日を楽しみしてますし、白波多カミンがこれからどんな歌を歌っていくか楽しみです。

私も楽しみにしてます。歌も、きっと何かこれに影響されていくんじゃないかなって思っています。

舞台写真撮影:加藤和也
取材・文:岡本貴之

白波多カミン オフィシャル・ウェブサイト
http://shirahatakamin.com/
・快快 オフィシャル・ウェブサイト
https://www.faifai.tv/
・快快『ルイ・ルイ』特設ウェブサイト
https://www.faifai.tv/louielouie/

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