ひとひら工房

地球の孤独
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地球の孤独

Pop

下田逸郎

2023年11月1日リリース。下田逸郎75歳のニューアルバムです。地球時空から宇宙時空へと唄の背景は移行しました。頭の中での物語づくりはあまりに漠として、我ながら、ミックスダウンの時、ひさしぶりにクラクラしました。そして58年前に、はじめて唄というものをつくった時の感覚を思い出しました。あの夢遊病みたいな、快感ともいえる感覚です。年齢(地球時間)を重ね、身体がポロポロになり頭がヘロヘロになってゆくことからはじまることは、とてもきわどくて素敵なことかもしれません。ポツンとひとりになれた時に聴いてもらえたら幸いです。(by 下田逸郎)

河を渡る
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河を渡る

Pop

下田逸郎

2021年8月15日リリース。 最初のアルバム『遺言歌』から50年。73歳の下田逸郎の30枚目のアルバムです。人との出会い、その背後に広がる景色との出会い、それを自分の中にゆっくり沈殿させて、時を経て浮かび上がってくるものをすくい取るのが「唄づくり」という作業です。アルバムづくりは自分の物語づくりです。生きるというのは、その物語を自分で演じてゆくことかもしれません。演じるステージは地球ですが、最近そのステージは宇宙ではないかと感じるようになりました。その宇宙が自分の中にも広がりはじめたことを感じはじめるなんて楽しいことです。宇宙との出会いから、永遠なる「唄づくり」がやっとはじまりました。 from 下田逸郎

ひとひら
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ひとひら

Pop

下田逸郎

1992年リリース。ギターの大村憲司、パーカッションの斉藤ノブとのトリオ。南米音楽(特にブラジル)にはまった夫婦デュオのHALUとの博多トリオ。有山じゅんじ編曲による大阪ユニットによるレコーディング。それに韓国ソウルでのセッション。人との出会い、場所との出会いが続くことによってできたアルバムです。このインディーズアルバムからの数曲とフランス録音の数曲を合わせたアルバム『花よ鳥よ風よ月よ』がその後、キティからリリースされました。(by 下田逸郎)

桑名正博 下田逸郎を唄う
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桑名正博 下田逸郎を唄う

桑名正博&下田逸郎

2012年8月30日リリース。桑名正博21歳、下田逸郎26歳。六本木の交差点で出会い(その前にプロデューサーに紹介はされていましたが)、その日のうちに私の部屋で飲みつつ、ふたりでつくったのが「夜の海」でした。その後いろいろあって、いっしょにたくさんの唄づくりをしました。そして「月のあかり」にたどり着きました。さらにいろいろあって、桑名は下田の唄を唄ってくれました。「ぼくが下田の唄を唄いつづけないと、下田の唄が残らない」とまで言ってくれました。そしていろいろあって、桑名はひとりになりました。弾き語りで全国を巡りはじめ、その音源を集めてソロアルバムをつくるという時に、それならいい唄があると渡したのが「はじめようと思う」でした。アルバムが完成する前に、桑名正博は59歳でこの世から旅立ちました。来年(2022年)で10回忌です。彼は私の数少ない「ともだち」のひとりだったと思っています。(from 下田逸郎)

六角精児と下田逸郎の坊津コンサート 2018年8月26日
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六角精児と下田逸郎の坊津コンサート 2018年8月26日

Pop

六角精児と下田逸郎

2019年11月リリース。六角精児バンドのCDの中で、私の「早く抱いて」が唄われていて、NHK-BSの番組「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」の中に「漂々」が使われているということを、下北沢「ラ・カーニャ」のマスターから聞いて、何度か六角といっしょに飲んだのが、2016年くらい。そこから始まって、唄ものがたりCD『緑の匂い』。映画「百憶年」の制作で鹿児島の坊津でのロケーション。そしてついでにやったコンサートのライブ録音盤がこのアルバムです。人との出会い、場所との出会い、そしてそのむこうに広がる景色があって、私は唄をつくりつづけられている。ということを再認識させられている今日この頃です。(by 下田逸郎)

早く抱いて/唄う女たち
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早く抱いて/唄う女たち

Anime/Game/Voice Actor

V.A.

2019年8月1日リリース。荒井晴彦最新映画(監督・脚本担当)「火口のふたり」が同年8月23日に公開されるのに合わせて企画された、下田逸郎作品集。「火口のふたり」の挿入歌、伊東ゆかり「早く抱いて」、下村陽子「この世の夢」、同「紅い花咲いた」他、荒井が敬愛する音楽家=下田逸郎が作り、これまで荒井作品に登場した歌を集めた。「早く抱いて」は下田自身のアルバム『泣くかもしれない』(1991)に収録されたものがオリジナルだが、山崎ハコ(本アルバム収録)、桑名正博、浜田真理子、宍戸留美、六角精児など多くの人が唄い、「セクシィ」「ラブホテル」と並んでスタンダードの域に達した名歌である。

下田逸郎伝説(18曲中9曲)
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下田逸郎伝説(18曲中9曲)

Pop

下田逸郎

2023年2月発売。おもに30代にインディーズ盤としてつくられたアルバムから、下田自身が選んだ9曲です。選曲するために20枚ほどのCD盤を聴きながら、本人が下田逸郎の唄づくりの流れの原点に迷いこみ(2、3ヶ月かかりました)、なかなか面白い旅ができました。もうすぐ75歳(2023年2月現在)、「伝説」から「詠唱」へ、次のアルバムづくりにとりかかっています。自分の物語もしくは伝説づくりで人はこの世を渡ってゆくのだと、しみじみ感じています。なお、「下田逸郎伝説」のフルアルバム(写真と歌詞カード付で全18曲入り)は、下田逸郎公式サイト=「ひとひら通信」をご覧になれば、その購入方法がわかります。(by 下田逸郎)

下田逸郎歌謡ショー
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下田逸郎歌謡ショー

Pop

V.A.

2015年10月1日リリース。17歳ではじめて唄をつくりました。2021年、もうすぐ74歳ですがまだ唄をつくっています。ミュージカルの作曲もやりました。シンガーソングライターも、そして作詞家にも、プロデューサーらしきものもやりました。この頃しみじみ思うのは、唄をつくることが好きという以上に、唄をつくることで生きていられるということです。この音源は、神戸のチキンジョージというライブハウスで行われた、下田作品をいろんな人に唄ってもらうイベントです。10曲目の「海も山も」を唄ってくれている大江紀子のプロデュースです(彼女のアルバム『ブランコに乗ろう』もよろしく)。9曲目の「この世の夢」を唄っているロイヤル中安は最近亡くなり、葬儀の折、この唄がずっと流れていたとのことでした。(from 下田逸郎)

ワレワスレルマデ〜下村陽子 下田逸郎を唄う〜
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ワレワスレルマデ〜下村陽子 下田逸郎を唄う〜

Anime/Game/Voice Actor

下村 陽子

2021年12月15日リリース。2010年ニューヨーク公演「ラストゴールデンバット」は1970年のキッドブラザーズの「ゴールデンバット」への鎮魂歌として創ったものです。そこにリードヴォーカルとして参加したのは、京都のライブハウス「拾得」で発見した下村陽子でした。唄うために生まれてきたような魅力的な歌手でした。その後、年に3、4回「拾得」でいっしょに演るようになり、彼女の唄う下田作品は30曲を越え、拾得ライブに加わったベースの東ともみにアレンジを頼み「ワレワスレルマデ」というタイトルの下村陽子ソロアルバムをつくりました。選曲も下村陽子に頼みました。彼女の選んだ「タバコ」という曲は、1972年ニューヨークの半地下のアパートに、ひとりでポツンと途方に暮れていた頃に、つくった唄でした。(from 下田逸郎)

ブランコに乗ろう
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ブランコに乗ろう

Pop

大江紀子

2016年4月リリース。神戸のライブハウス「チキンジョージ」で生まれた"OAアンサンブル"(編曲:大江汽笛)による、下田逸郎「ひとひらあわせ」シリーズの第3弾(第4弾が六角精児の『緑の匂い』となる)。大江紀子はその声と歌唱力で神戸では知る人ぞ知るヴォーカリストで、下田の唄をレパートリーに入れてくれていて、神戸在住13年目(2019年現在)下田と飲み友達であり、CDをつくってみようかとなり、チキンジョージと淡路島の旅館「うめ丸」のスタジオでのレコーディングまで一気に突っ走った。下田はひさしぶりに4曲を描き下ろし、これもひさしぶりにプロデューサーとして全面的に関わった。(by 下田逸郎)

紅い花咲いた
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紅い花咲いた

Anime/Game/Voice Actor

下村 陽子

2011年10月リリース。2010年ニューヨーク・オフブロードウェイ公演「ラストゴールデンバット」(下田逸郎作品)に出演した下村陽子(ヴォーカル)と柴田奈穂(バイオリン)と下田逸郎が帰国後、沖縄で行ったコンサートライブ盤。現在も3人は全国で時々共演している。2019年の荒井晴彦監督作品「火口のふたり」では下田が音楽を担当、柴田のバイオリンが背景音楽で流れ、挿入歌として、このアルバムに入っている「この世の夢」と「紅い花咲いた」は下村陽子の唄が話題になっている。彼女と下田は、京都のライブハウス「拾得」での共演を年に3回ぐらい今も続けている。(by 下田逸郎)

離島にて
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離島にて

Pop

下田逸郎

1996年9月リリース。大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ)のスタジオにて、音響学科の生徒達による編曲(打ち込み)とデジタル録音。1995年、ほぼ1年かけて、旅の途中に何度かスタジオに立ち寄り数曲ずつレコーディングしながら完成させた。この年は神戸の震災、オーム真理教の事件などが重なり、時代の曲がり角を感じさせた。アルバムラストの唄「モンスターの気配」に、その予感が色濃く出ていることを、最近久しぶりにライブで唄った時に思った。今やすべてがデジタル化された世界になったが、唄は人間というアナログであってほしいとつくづく想う今日この頃です。(by 下田逸郎)

唄物語 / 緑の匂い
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唄物語 / 緑の匂い

Pop

六角精児と下田逸郎

2017年4月リリース。役者の六角精児に、酒とギャンブルにはまっていた青春時代から私の唄を聴いていたんだと言われ、それならいっしょにアルバムをつくろうと、これも酒の上で決まり、これもまた淡路島の旅館うめ丸でレコーディング三昧、毎日打ち上げで酒飲み三昧の末、完成したアルバムです。「唄物語」とサブタイトルをつけ、物語と作詞作曲が下田逸郎、語りと唄が六角精児でつくったのは、私の音楽家としてのデビューが、1969年にニューヨーク公演、アングラロックミュージカルの作曲・音楽監督としてのことだったからなのでしょう。その後六角とは映画「百億年」をつくることになります。(by 下田逸郎)

忘我
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忘我

Pop

下田逸郎

2018年6月リリース。下田逸郎は歌手ではなく、唄作家なんだなと、しみじみ思うようになったのは、60歳代になってからです。その頃からいろんな歌手に唄ってもらってアルバム制作もしました。70歳に突入した時、もう1枚ぐらい自分で唄うアルバムを残しておこうと思ってつくったのが『忘我』です。この世とあの世の境い目がボケたり溶けたりしはじめてきてるので、今のうちにつくっておこうと考えたようです。その延長線上に映画「百憶年」があります。「百億年」ではなく「百憶年」としたタイトルが気に入ってます。ここまで来て、ライヴで唄うことがおもしろくなってきたのは、なぜでしょうか。(by 下田逸郎)

泣くかもしれない
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泣くかもしれない

Pop

下田逸郎

1991年リリース。下田逸郎40歳代に入っての旅盛り。沖縄から北海道まで、各地を巡ること年間150日を越していた。人との出会い、場所との出会い、その背後から大きく包みこむように広がっている景色。それが唄づくりの源であるということに向かいはじめた最初のアルバム。佐賀県七山村の子供たちを含め、参加してくれたミュージシァンたちは、ギターの笛吹利明、渡辺香津美、有山じゅんじ。録音場所は各地放送局のスタジオやライブハウス、大阪の音響専門学校など。これもまた旅の途中に出会った人や場所でもある。もしかしたら、私は私自身のロードムービーのサウンドトラック(背景音楽)を、つくりつづけているのかもしれないと思う今日このごろです。(by 下田逸郎)

ワルツの時間
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ワルツの時間

Pop

下田逸郎

2000年リリース。ギターの笛吹利明、渡辺香津美、有山じゅんじ、さらにハワイのウクレレの名手ピーター・ムーンを加えて、淡路島の旅館うめ丸で合宿してつくったアルバムです。私は50歳代に入って、ラジオの深夜番組のパーソナリティをやっていて、毎週1回、いろんなゲストと酒飲みながら2時間しゃべりまくっていました。音楽関係から人間関係へとさらに広がってゆく時期だったようです。そしてその後、地球関係から宇宙関係へと唄が向かって行きはじめる予感もしていたようです。最近つくった映画のラストに「ワルツの時間」をエンディングロールで使った時、それがわかりました。(by 下田逸郎)

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