
dry as dustのメンバーは25歳と26歳の青年で構成されている。個人的な話で恐縮だが、私も彼らと同学年だ。10代後半から20代前半の若者は、「自分はどこまで行けるのか? 」を試すために東京に出てくる。北海道からバンドごと上京してきた彼らも、きっとそうだったに違いない。そして20代の折り返し地点、自分が30代になった姿を想像できるようになる頃、「自分はどこまで行けるのか? 」の問いに答えが見え始める。
「これでいいんだ」「これでいいのか? 」と葛藤する中で、dry as dustの音楽に出会った。まだ大人ではない、でももう子供ではない、二十代の真ん中にしか歌えない内容だ。そこに加わるサウンドは疾走感を持ちつつも、結成9年目の経験の厚さも感じられる。そんな彼らが今作『ノンフィクション』でプロデューサーを依頼したのは、中尾憲太郎(Crypt City、younGSounds、ex.NUMBER GIRL、SPIRALCHORD、SLOTH LOVE CHUNKS)だ。なぜ中尾だったのか、また、中尾は彼らとどのように関わっていったのか。dry as dustの練習スタジオにお邪魔し、休憩スペースで彼らと中尾憲太郎に話を伺った。
(インタビュー&文 : 水嶋 美和)
dry as dust / ノンフィクション
中尾憲太郎(クリプトシティ、ex.NUMBER GIRL)プロデュースの3rdアルバム。ジャンルに捉われず、「ロック」という大きな括りの中での本物感を追求した作品。松永による歌詞はリアルで剥き出しな言葉で綴られ、「ノンフィクション」な楽曲が詰まったアルバム。。
1. recycle / 2. 手、掴む 音と音を / 3. プラットホーム / 4. 意識の空欄 / 5. 雨につき / 6. 11月 / 7. みらい
「こじらせていたもの」がほどけた
――2003年に結成で、今おいくつですか?
松永晴貴(以下、松永) : 初めてライヴしたのは2003年だけど、結成したのは実は2002年なんです。対馬(康太)だけ25歳で、僕らは26歳です。
――じゃあ結成時は16歳とか? そこからずっと同じバンドでやってるんですね。
加藤大輔(以下、加藤) : そうですね。僕と松永くんが高1の時に、コピー・バンドでライブやってる時に出会ったんです。
松永 : そこでオリジナルのバンドをやろうという話になって、最初は違うドラムが居て、成田を誘って4人で始めたんですよね。
成田光春(以下、成田) : 1月1日に家に「バンドやろう! 」って電話がかかってきたんです(笑)。
松永 : でもみんな家が遠くてなかなか集まれないんですよ。夜8時のバスに乗らないと家に帰れなくなるぐらい田舎だから、曲作る時は泊まりがけで、僕の安いMTRでギターを重ねて録って。
加藤 : ドラムは自分の太股叩いて(笑)。

――涙ぐましいですね(笑)。
加藤 : でもあれはあれで楽しかったんですよ。
――そこに対馬さんが入ったきっかけは?
対馬康太(以下、対馬) : 元々成田さんとは高校の先輩後輩でバンドも一緒に組んでて、dry as dustとも仲が良かったから最初のライヴから見てたんです。
――今の4人になって北海道から上京して、中尾憲太郎さんと出会ったのはいつですか?
中尾憲太郎(以下、中尾) : 今作をリリースしたAVOCADO recordsで、前にMASS OF THE FERMENTING DREGSをプロデュースして… って訳でもない。え、いつ?
対馬 : 初めて会ったのはLOVESのライヴですよ。それが3年前ぐらい。
松永 : 僕はそのちょっと後で、MASS OF THE FERMENTING DREGSとLOSTAGEのライヴに中尾さんも来てて、その時に初めて挨拶したんですよ。で、その夜家に泊まりに行きました。
――いきなりですね! なぜですか?

松永 : 「LOSTAGEの五味(岳久)さんが行くらしいからお前も行け! 」ってレーベルの人に言われて、もうみんなベロベロに酔っ払ってたんです。で、何故か俺は中尾さんちの玄関で寝てて、帰りにDVDを一本貸してもらったんですよ。
中尾 : それ返してもらってないよね?
松永 : 返しましたよ!
加藤 : いや、僕が持ってます。
中尾 : ほら! という感じの関係です(笑)。
――なるほど(笑)。中尾さんにプロデュースされたことで、dry as dustはどう変わったと思いますか?
松永 : 体育会系になったよね。
加藤 : 前作より出すべきところをばーんと出して、ぎゅ! みたいな(笑)。
対馬 : お前ら男なんだからもっとがしっと弾けよ! がしっと叩け! みたいなニュアンスだったかな。
中尾 : いやいや、俺はそんな男根主義じゃないですよ。
松永 : でも図太い感じの音になりましたよ。
――前作ではもっと繊細な音だった?
松永 : というより、遠回りして目的地に向かう感じ。今作は直行した感じがありますね。
――そこに対して中尾さんがプロデューサーとしてしたことは?
中尾 : … プロデューサーって言うのやめません(笑)? まあ一緒にやることになって、スタジオに頻繁に顔を出すようになって彼らをよく見ていると、dry as dustは何かをこじらせてるなって思ったんです。それぞれ個性を出そうとするんだけどみんな違う方向を向いてるから、混線してしまっている感じ。すごく散漫な印象があったので、まずみんなで同じ方向を見ようやってとこからですかね。僕、まだプロデューサーって何なのかいまいちわかってないんですよね。このネーミング何とかなりませんかね?
――中尾さん、最近Twitterで「プロデュース業って具体的にどういうことなんですかね? 」ってつぶやいてましたよね?
中尾 : それでわかったんだけど、みんなも意外とわかっていない(笑)。でもその質問に作詞家の川村さんが「啓発でしょうか? 」と答えてくれてて、なるほどって思ったんです。
――みなさんは中尾さんに啓発された感じはありましたか?
対馬 : 確かに、啓発されて伸ばせる部分を伸ばしきれた意識はみんな持ってますね。中尾さんとやれて本当に良かったと思います。
松永 : 僕が思うに、中尾さんは120%の人でした。
――というと?
松永 : レコーディング前のスタジオにもずっと一緒に入ってもらってたし、僕らが帰った後もエンジニアの方とミックスの作業を進めてくれていたり、その日録音したものを毎回家に持ち帰って聴き込んで、次来た時に細かい話し合いをしたり。僕らは当然100%でやってるんですけど、中尾さんはその更に上を行く感じでした。だから僕らも負けないように頑張ろうと思えた。

――話をしたのは主に松永さん?
成田 : そうでしたね。僕は特に何も言われてませんから(笑)。
中尾 : ベースに関しては僕は何も言わないです。
成田 : 中尾さんには最初からずっとフランクに接してもらってるので印象自体はプロデュースしてもらった後と前では全く変わらないんですけど、ある発言を聞いて「この人は根っからのバンド・マンなんだな」って思って、それがすごく鮮明に残ってるんです。
――どんな発言ですか?
成田 : … 鮮明には残って無いんですけど。
中尾 : 残ってねえのかよ(笑)。
成田 : あ、あれだ! ごはんを食べる時に「バンドに例えるならばー… あ、おれまたバンドに例えようとしてる! 」って言ってて、「この人は本当にバンドで生きてる人なんだな」って感動したんですよ。
――そのごはんは何だったんですか(笑)?
中尾 : ラーメンなんですけど、味の濃さや油の量を比較して「グラスゴーの爽やかな風が吹くとか… このラーメンはエクストリーム系だな」とかですね。
――(笑)。中華からグラスゴーの風を感じれるなんて、中尾さんバンド・マンですね。
中尾 : 行ったことありませんけどね(笑)。
――中尾さん自身のバンドの話を聞かせてください。まずCrypt Cityは中尾さん中心で結成されたんですよね?

――元々やりたいバンドの像はあったんですか?
中尾 : 音というよりは雰囲気の面で、The StoogesやThe Doorsみたいなリフで押しきっちゃう感じのバンドをやりたいとは考えてたんだけど、メンバー個々のケミストリーがあるのでそこにこだわり過ぎることもなく。今音源を作ってるところです。
――楽しみにしてます。では、younGSoundsへはどういう経緯で加入したんでしょう?
中尾 : 僕が元々idea of a jokeのファンで、その頃からボーカルのモリカワアツシさんとは仲良くさせてもらってたんです。で、idea of a jokeの活動が止まっちゃったところでモリカワさんが谷口順さん(idea of a joke/GOD’S GUTS/U.G.MAN)とバンドを始めたっていうのを聞いて、さらにドラムはtialaのボーカルの柿沼実くんでギターがKIRIHITOの竹久圏さんで、やけのはらも居て、最初はイルリメくんも居たし、何事じゃそりゃって見に行ったら音聴いてぶっとんで、ファンになってよくライヴを見に行ってたんだけど、谷口さんがバンドを離れることになったタイミングでまさかの僕にオファーがあったんですよね。
――ファンとして見てたバンドの中に入ってみて、実際どうですか?
中尾 : Crypt Cityとは全然ベクトルが違うんですよ。ふざけなきゃいけないっていうプレッシャーがある。
――ふざけなきゃいけないというのは?
中尾 : いたずら心を持ちつつオープン・マインドな感じというか、曲の展開やテンポは決まってるんですけど細かいところまでは決まっていないので、各々のフリーに任せられてる部分がすごく多いんです。ふざけるのは嫌いじゃないんで楽しいですけどね。不思議なバランスで成り立ってるんだなって中に入ってわかりました。
また中尾さんにプロデュースをお願いして新しい作品を出したい
――先ほどdry as dustのみなさんに年齢をお伺いしましたが、曲を聴いた時にこの人たちはきっと自分と同世代だろうなって思ったんですよ。
中尾 : 影響を受けたものが近いってこと?
――それもあるんですけど、歌詞の内容が。25、6歳って手を伸ばせば30代が触れれる位置で、一番大人になるってことを意識させられる年齢だと思ったんです。そろそろ思春期を終わらせないと。じゃあ終わらせた後には何がある? そこの葛藤が松永さんの歌詞で生々しく描かれてるなあと。
中尾 : それはあるね。
――感傷的で青っぽいんだけど、青春真っ只中という感じでも無い。じゃあ同い年ぐらいかなって思ったんです。

松永 : 確かに青春は遠の昔に終わりましたね(笑)。
――中尾さんは歌詞についてもお話されたんですか?
中尾 : 「recycle」については一回全部ボツにしたんです。この曲についてはアレンジも最後まで難航しましたね。この曲は一番古い曲なんだよね?
松永 : 5年くらい前ですね。
中尾 : 5年前からやってきた曲を俺がいじるのもなって思ったり… でもこの曲は昔から聴かせてもらってて、ずっと惜しい曲だなとも思ってたんだよね。
松永 : この曲に関して、自分たちが演奏して一番湧きあがる部分と中尾さんが聴いてぐっと来る沸点が全然違っていて、話し合ってぶつかって、そこが噛み合わないなら一緒にやらない方がいいんじゃないかという話になったんです。でも中尾さんもたくさん話をしてくれて、僕ら4人でも話し合って理解して、やっぱり中尾さんとやりたいという結論に至ったので、改めてお願いしました。
――歌詞についてはどういう指摘があったんですか?
中尾 : 歌詞が全部上がって来た時に、この曲だけ明らかに茶を濁したような言葉の羅列で、「これはおかしいでしょ」ってまっつん(松永)と話し込んで。
松永 : 自分が曲に対して距離を詰めれていなかったからこうなったんだと思います。曲にテーマがあるならそこにもっと近い所から書かないとダメなんだって。歌詞についてはすごく遅れて色んな人に迷惑をかけたけど、今作で良しとする基準のラインが上がったので、これからはもっと良いものが書けると思います。
――dry as dustはOTOTOYの東日本救済支援コンピ『Play for Japan』に「手、掴む 音と音を」で参加してくれていましたが、時期としてはレコーディング期間中だったのでは?
加藤 : まさに地下のレコーディング・スタジオに居て、「地震来た! 」って外に逃げたらスタジオがすごい揺れてて、驚きました。
中尾 : 震災の後、数日経ってから、Twitterで飯田(仁一郎)くん(OTOTOYチーフ・プロデューサー)の「震災コンピレーションを作ります」ってツイートを見つけて、これやるぞ! ってなって、急遽アチコさん(Ropes)に連絡して、一時間ぐらいでコーラスを録っちゃってミックスを始めて、とにかく出来るのが早かったですね。
――印象的な曲ですよね。歌詞もタイトル以上のことを言わないんだけど、伝わるものがあります。
中尾 : 「手、掴む 音と音を」は今作の中でキーになった曲。元々は「recycle」の古いアレンジの中にあったフレーズで、dry as dustのメンバーってみんな回りくどく考える方なんで、そうじゃなくて単純に反復するリズムの楽しさを味わおう、わっしょいわっしょいって感じで出来た曲ですね。
松永 : 中尾さんは僕らとは聴いてきた音楽の数が違うので、「このバンドがいい」「このアレンジがいい」とかいっぱい題材をひっぱってきて聴かせてくれて、すごく勉強になりました。加藤もCD借りたしね。
中尾 : だってDinosaur Jr.聴いた事無いって言うんだもん。
成田 : 中尾さんが「Dinosaur Jr.みたいなギター・ソロ」って言った時ぽかーんってしてたもんね。
松永 : そういうコミュニケーションの取り方もしてくれるし、いっぱい色んな話もしましたね。AV女優の話もしたし。
中尾 : してません。

――濃密な時間だったんですね(笑)。
中尾 : 半分ぐらいは話してた気がするな。
――中尾さんと今回一緒に作品を作ったことで、今後のdry as dustにはどういう影響がありそうですか?
松永 : 考え方がすごくシンプルになりましたね。曲に対しても、ライヴでの演奏に対しても、バンドに対しても。さっき中尾さんが言っていた「こじらせていたもの」がほどけた感じです。来年でバンドも10年なんで、今作よりもっといい曲をいっぱい作ってライヴもして、また中尾さんにプロデュースをお願いして新しい作品を出したいですね。
(撮影 : 畑江 彩美)
RECOMMEND
lostage / LOSTAGE
3ピース初の作品。サウンドのレンジ幅はより太く、圧倒的に音圧を増した作品となった。活動フィールドをインディーズに戻し、原点に立ち返ることで生み出される衝動。セルフタイトルも、この作品に対する大きな覚悟の表れであり、再出発に向けての新たな一歩である。バンド結成以来最高に鋭角、かつ狂気に満ち溢れた作品。
MASS OF THE FERMENTING DREGS / ワールドイズユアーズ
『より激しく、よりポップに。シーンの「期待」を「確信」に変える作品』1st アルバムは、圧倒的音圧で迫る初期衝動全開のライブ感溢れる作品だったが、この2nd アルバムでは、その演奏のダイナミックさはそのままに、ソングライティング、楽曲のアレンジにおいても進化を見せ、このバンドが持つ可能性を大きく示した作品となっている。また本作では中尾憲太郎氏(ex.NUMBER GIRL、SLOTH LOVE CHUNKS、SPIRAL CHORD)を共同プロデューサーに迎え、サウンド面も大幅に強化されている。
シーンの垣根を越えオーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドを自由に行き来する稀有な存在の4人組バンド。1stの初期衝動と2ndでの進(深)化を経て辿り着いた新境地は「解放」。叙情的な内側を描き出した、待望の3rd Album。
INFORMATION
「NONFICTION TOUR」
2011年08月19日(金)@下北沢SHELTER(ワンマン)
2011年09月10日(土)@大阪LIVE SQUARE 2nd LINE
2011年09月11日(日)@名古屋APOLLO THEATER
2011年09月16日(金)@函館BAY CITY'S STREET
2011年09月17日(土)@苫小牧ELLCUBE
2011年09月19日(祝・月)@札幌Spiritual Lounge
2011年09月20日(火)@札幌Sound Lab mole
2011年09月23日(金・祝)@広島CAVE-BE
2011年09月25日(日)@金沢vanvanV4
PROFILE

dry as dust
2003年北海道函館市にて結成。上京後は都内中心に精力的に活動し、これまでに2枚のアルバムをリリースしている。約1年4カ月ぶりの3rdアルバムは中尾憲太郎プロデュース。8月下北沢シェルターでの初ワンマン公演を皮切りに全国9公演のアルバム・ツアーを行なう。

中尾憲太郎
NUMBER GIRLのベーシストとしてデビュー。2002年の解散後はSLOTH LOVE CHUNKS、SPIRAL CHORDといったバンドでの活動を経て、自身が中心となりCrypt Cityを結成。他にyounGSoundsのベーシストとしても活動中。また近年はプロデューサーとしても活躍しており、MASS OF THE FERMENTING DREGS、撃鉄、The SALOVERSといった話題の若手バンドを立て続けに手掛けていることでも注目されている。プロデュース最新作はdry as dustの「ノンフィクション」。37歳、独身。