2017/01/23 19:33
CANのオフィシャル・フェイスブック・ページによると、同バンドのドラマー、ヤキ・リーベツァイト(Jaki Liebezeit)が、2017年1月22日に肺炎のため亡くなったことを発表した。
享年78歳。
ヤキ・リーベツァイトは1938年、ドレスデン近郊のオストラウという街に生まれた。もともとはジャズ・ドラマーを志し、1960年代のほとんどをジャズ・シーンにて活動。1961年から1964年まではスペインのジャズ・クラブなどで演奏、チェット・ベイカーなどとも共演。1966年にはドイツに活動の拠点を戻し、ヨーロッパのフリー・ジャズ・アーティスト、マンフレート・ショーフのクインテットにて活躍。1960年代末には、ベースのホルガー・シューカイやキーボードのイルミン・シュミットらと出会い、1968年にはCANの前身バンド、インナー・スペース、ついでギターのミヒャエル・カローリなどが加わり、このバンドがCANとなった。
1969年にリリースされたCANのファースト・アルバム『Monster Movie』。その楽曲たち、とくにアルバムの後半まるまる20分を使って展開される「Yoo Doo Right」は、それまでのポップにおけるメロディを中心とした起承転結から逸脱し、ミニマルなリズムを中心とした構成で、その後のCAN、そしてクラウトロックのイメージを決定付けた楽曲とも言える。“モータリック・ビート”と呼ばれる彼らのグルーヴは、均一で鋭利、タイトなヤキのドラミングが先導していた。ヤキのドラミングは、ノイ!の故クラウス・ディンガーによるドラミング(アパッチ、ハンマービート)とともに、クラウトロックのミニマルな“モータリック・ビート”は、おそらくヨーロッパのロック・ミュージックが生み出したリズムのなかで、再活用され続けるという意味で最も大きな音楽の発明のひとつではないだろうか。
そのビートを援用したアーティストはレディオヘッドやプライマル・スクリームなどなど、それこそ名前をあげるだけでもキリがない。例えば日本においても、OGRE YOU ASSHOLEやD.A.N.といったバンドのビート感を考えただけでも、むしろ年々、ヤキのビート感は重要さを増しているとさえ感じることがある。そのビート感覚は、パンクやポストパンク / ニューウェイヴ、テクノ、エレクトロニカ、ポストロックにいたるまで多大な影響を与え続け、そして新たな音楽が生まれる母胎として存在し続けている。それは例えば、アフロ・アメリカンのファンク、アフロ・ジャマイカンのレゲエといった20世紀のポップ・ミュージックにおいて、パラダイムシフトを促し、他の音楽にも大きな影響を与えたリズムの発明と同等の価値を持ったものだ。クラウトロックの、再発掘によってその影響力を増大させる特製からしても、今後、おそらくは未来においても、そのドラミングの評価が上がることはあっても、下がることはないだろう。
もちろん彼のドラミングの魅力は、モータリック・ビートだけではなく、その他のCANのアルバムにおいてみせたさまざまな表現──例えばワイルドな『Tago Mago』のドラミング、まるで空気のような『Future Days』のドラミング、後期、ファンク・バンド、トラフィックのメンバーらが加わった『Saw Delight』あたりのエスノ・ファンクなドラミング──も魅力的だ。これらの作品を聴くと、ヤキのドラムがひとつ、アルバムにおけるバンドの表現を決定付けているとさえ思えるほどだ。CANの解散後の1980年代以降も、さまざまなアーティストとコラボレートし、多くの作品を残している。70歳を超えても、そのドラミングは衰え知らずといったところで、ここ10年ほどで言えばエレクトロニック・ダブのアーティスト、バーント・フリードマンとの『Secret Rhythms』シリーズで驚異的なドラミングを響かせていた。
また、The CAN Projectとして、4月にイルミン・シュミットやマルコム・ムーニーといった旧メンバーと、サーストン・ムーアなどともにライヴが企画されていたというので残念でならない。
偉大なるドラマーの死に、謹んで哀悼の意を捧げます。
(河村祐介)