2023/08/02 18:00
LGBTQ＋への認知と受け入れが拡大する近年、性の多様化に伴って“自分らしく生きる”ことが推奨される世の中になりつつある。それでも人で成り立つ世の中は難しいもので、些細な違いが人間関係や生活に大きな支障を来たすこともよくある。人に嫌われたくない、穏便に日々を過ごしたい。そんな思いから、満たされない心と消えない孤独には見ないふりをしたまま、本当の自分を隠し“普通”を演じる人も少なくないだろう。
2023年8月4日(金)より公開となる『インスペクション ここで生きる』は、一人の青年の過酷な人生に立ち向かう雄姿を通して、誰かの理想にも普通にもなれない人々へエールを送る。『ムーンライト』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』など革命的な作品を輩出する映画会社〈A24〉が制作を手がける本作は、エレガンス・ブラットン監督による長編デビュー作品であり、海兵隊在職中に映像記録担当としてキャリアをスタートさせたという自身の実体験が綴られている。
舞台はイラク戦争が長期化する2005年のアメリカ。ゲイであることが原因で母に捨てられ、社会からも見放された青年・フレンチは、生き延びるための手段として海兵隊への入隊を志す。軍という閉鎖社会とセクシュアリティ、宗教、人種とあらゆる観点から生まれる差別と過激ないじめ。それでもフレンチは無情な現実と向き合い、己のままに闘ってゆく。俳優、そして歌手としても活動し、2019年のトニー賞では演劇主演男優賞 / ミュージカル助演男優賞にノミネートされたジェレミー・ポープが、主人公・フレンチとして監督の壮絶なる人生体験を辿る。
実の親にも振る舞われる差別行為に、周囲の誰からも生きることを許されてないような地獄的空間。グザヴィエ・ドラン監督の『たかが世界の終わり』にも近い救いのない光景に息苦しいほどの絶望を覚えるも、自分の居場所を見つけるために立ち向かう様や、どれほど惨い仕打ちを受けようと自分と近しい立場の人に寄り添う優しさと人への愛情深さを失くさないフレンチの姿に、自分の生き方を問われている気がした。そして彼の努力が実を結ぶ時、“自分”を生きることを諦めない者にこそ未来は開かれるのだと、観る者は勇気づけられるだろう。
この映画において、音楽の存在はかなり大きい。ブラットン監督たっての要望で、「21世紀の最重要バンド」と呼ばれるUSインディーの重鎮、アニマル・コレクティヴが全編に渡り音楽を担当。深い悲しみや孤独の苦しみが滲み出るようなアンビエント / ドローンな楽曲から宗教モチーフの楽曲、不穏な心や緊張感を再現する実験音楽、吐息と官能的な響きで堰き止められない欲望を表現するものなど、30曲もの色とりどりなサウンドトラックが、台詞の代わりにフレンチの感情を熱烈に代弁。
アニマル・コレクティヴの自由なアイデンティティが光る躍動的な音楽たちは、BGMには収まらないほどの存在感を発揮しつつも、映画本編と見事に融合し、ストーリーに込められた希望を華やかに映し出す。そして、エンドロールで流れるのは、LAを拠点に活動するエクスペリメンタルR&B・アーティスト、サーペントウィズフィートによる”The Hands”。本編とリンクする歌詞がまた切なく、フレンチの明るい未来を願わずにはいられない。
親から、周りから、社会から拒絶されても、それでも“自分”として生きたい。人と認め合うことを諦めない。泥臭くも美しいフレンチの生き様は、世間や周囲から疎外感を感じて生きる人々へ勇気と希望を与えるとともに、マイノリティがマジョリティに、マジョリティがマイノリティになることを繰り返すこの時代に、互いに認め合って共生することの必要性を訴えかけるものとなるだろう。
文＝宮谷行美
2023年8月4日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国公開
監督・脚本 : エレガンス・ブラットン(初長編監督作品)
出演 : ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオン、ラウル・カスティーヨ、マコール・ロンバルディ、アーロン・ドミンゲス、ボキーム・ウッドバイン
配給・宣伝 : ハピネットファントム・スタジオ
2022年 / アメリカ / カラー / シネマスコープ / 5.1ch / 95分 / R15+ / 原題 : THE INSPECTION
日本語字幕 : 松浦美奈
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