| Title | Duration | Price | ||
|---|---|---|---|---|
| 1 |
|
高円寺、一年二か月。まだ知らない。何も分からない。 alac,flac,wav,aac: 24bit/48kHz | 05:03 |
「朝まで高円寺にいる」と言う体験を一度してみたかった。 だからその日は吉原悲劇に引っ付いて始発まで過ごした。
酔い狂った人間ばかりのデアデビ。 交わされる真面目な映画と音楽と人間の話。
いつもは行き交う人でごった返してる商店街も、夜の中で静まり返っている。
吉原悲劇は言う。「南口に兎に角デカいドブネズミが出るんだ」と。 宛ら名所見物にでも行くような勢いで南口へゆく。
広場には想像以上に太ったドブネズミが、しきりに汚い草陰から飛び出しては戻り、戻っては飛び出していた。 私は"表現的衝撃"を受けた。そして言った。
「悲劇さん、この広場と鼠は無善寺と一緒なんですよ!我々は汚いこの広場だけが居場所の、ドブネズミなんですよ!」
二匹のドブネズミは、缶チューハイを片手に"友達"を眺め続けていた。
きっと、どうしようも無い夜にしかない宝物が在るんだと私は思った。
Digital Catalog
君は鰰を知ってるか? 秋田県の県魚とも言える魚であり、県民の冬の食卓に欠かせない魚だ。 然し近年、裏日本の海に異変が起きている。 鰰が取れないのだ。最盛期には文字通りに湯水の如く取れ、圧倒的な安価で提供され余ったのは肥料用に売られたりしてた程なのに。 理由は諸説あり、海水温の上昇と過去の取り過ぎなどが挙げられる。 果たして鰰はいずれ帰ってくるのか? 私は今年、数える程度しか鰰を食べてない。ブリコは一度食っただけか。 腹一杯また鰰を食いたい。そして旨い日本酒を飲みたい。全秋田県民の夢だ。 だから私はブルースを歌う。 鰰への愛と、喜びと、嘆きと、悲しみを全部込めて。 聴いてください。ハタハタ男のブルース。
君は鰰を知ってるか? 秋田県の県魚とも言える魚であり、県民の冬の食卓に欠かせない魚だ。 然し近年、裏日本の海に異変が起きている。 鰰が取れないのだ。最盛期には文字通りに湯水の如く取れ、圧倒的な安価で提供され余ったのは肥料用に売られたりしてた程なのに。 理由は諸説あり、海水温の上昇と過去の取り過ぎなどが挙げられる。 果たして鰰はいずれ帰ってくるのか? 私は今年、数える程度しか鰰を食べてない。ブリコは一度食っただけか。 腹一杯また鰰を食いたい。そして旨い日本酒を飲みたい。全秋田県民の夢だ。 だから私はブルースを歌う。 鰰への愛と、喜びと、嘆きと、悲しみを全部込めて。 聴いてください。ハタハタ男のブルース。
「朝まで高円寺にいる」と言う体験を一度してみたかった。 だからその日は吉原悲劇に引っ付いて始発まで過ごした。 酔い狂った人間ばかりのデアデビ。 交わされる真面目な映画と音楽と人間の話。 いつもは行き交う人でごった返してる商店街も、夜の中で静まり返っている。 吉原悲劇は言う。「南口に兎に角デカいドブネズミが出るんだ」と。 宛ら名所見物にでも行くような勢いで南口へゆく。 広場には想像以上に太ったドブネズミが、しきりに汚い草陰から飛び出しては戻り、戻っては飛び出していた。 私は"表現的衝撃"を受けた。そして言った。 「悲劇さん、この広場と鼠は無善寺と一緒なんですよ!我々は汚いこの広場だけが居場所の、ドブネズミなんですよ!」 二匹のドブネズミは、缶チューハイを片手に"友達"を眺め続けていた。 きっと、どうしようも無い夜にしかない宝物が在るんだと私は思った。
「朝まで高円寺にいる」と言う体験を一度してみたかった。 だからその日は吉原悲劇に引っ付いて始発まで過ごした。 酔い狂った人間ばかりのデアデビ。 交わされる真面目な映画と音楽と人間の話。 いつもは行き交う人でごった返してる商店街も、夜の中で静まり返っている。 吉原悲劇は言う。「南口に兎に角デカいドブネズミが出るんだ」と。 宛ら名所見物にでも行くような勢いで南口へゆく。 広場には想像以上に太ったドブネズミが、しきりに汚い草陰から飛び出しては戻り、戻っては飛び出していた。 私は"表現的衝撃"を受けた。そして言った。 「悲劇さん、この広場と鼠は無善寺と一緒なんですよ!我々は汚いこの広場だけが居場所の、ドブネズミなんですよ!」 二匹のドブネズミは、缶チューハイを片手に"友達"を眺め続けていた。 きっと、どうしようも無い夜にしかない宝物が在るんだと私は思った。
帰りたくない夜がある。 騒いでいたい夜がある。 耳を傾けていたい夜がある。 無力無善寺のすぐ手前、高円寺のガード下におかしな店がある。 原価崩壊を心配するレベルの兎に角安いインド・ネパール料理屋。 店内には日本語ペラペラの現地人が立ち回り、片言なオーダーを飛び交わしている。 ナン・インドカレーその他もろもろ他国料理が揃っている。 なのに、なのに、何故か店名が"まつり太鼓"なのである。 カタカナ英語が氾濫する世界で、他国料理店が堂々たる日本語を掲げているのだ。 然もさらに妙なのは、普通の日本の居酒屋にも存在しないような通なメニューが揃っている事。 梅水晶(サメの軟骨を梅肉で和えた料理)を置いてあるアジア料理屋が何処にあろうか。お通しは枝豆だし。 そんなぶっ飛んだ店はすぐに私のお気に入りになり、無善寺の帰り道に屡々寄った。 店員にも顔を覚えられた。 或る日、いつものように店に入りドリンクメニューを見ながら迷っていると店員にニヤニヤしながら聞かれた。 「蜂蜜シークァーサー?」 此処は紛れも無く、私の居場所である事に気付いた。
帰りたくない夜がある。 騒いでいたい夜がある。 耳を傾けていたい夜がある。 無力無善寺のすぐ手前、高円寺のガード下におかしな店がある。 原価崩壊を心配するレベルの兎に角安いインド・ネパール料理屋。 店内には日本語ペラペラの現地人が立ち回り、片言なオーダーを飛び交わしている。 ナン・インドカレーその他もろもろ他国料理が揃っている。 なのに、なのに、何故か店名が"まつり太鼓"なのである。 カタカナ英語が氾濫する世界で、他国料理店が堂々たる日本語を掲げているのだ。 然もさらに妙なのは、普通の日本の居酒屋にも存在しないような通なメニューが揃っている事。 梅水晶(サメの軟骨を梅肉で和えた料理)を置いてあるアジア料理屋が何処にあろうか。お通しは枝豆だし。 そんなぶっ飛んだ店はすぐに私のお気に入りになり、無善寺の帰り道に屡々寄った。 店員にも顔を覚えられた。 或る日、いつものように店に入りドリンクメニューを見ながら迷っていると店員にニヤニヤしながら聞かれた。 「蜂蜜シークァーサー?」 此処は紛れも無く、私の居場所である事に気付いた。
2024年7月20日に工房ムジカにて行った、初・独演会『27年前の私に送る秋田の詩たち。』の模様を全編音源化。当日は酷い雷雨。演出かのように入り込む雨と雷の音。ライブの内容も圧巻。 店主・葛原りょう氏はライブ後に、以下のように書き残している。 「こんなに全身血の気の全力で引くライブは初めてだ。 圧倒的な虚無感。語りの冴えが痛ましく、リアルの極み。 月曜日の雪。犬の川。亀の串刺し、ばあちゃんの遺影。 上田病院。アトピーの歌。怒涛のギターの畳みかけ。 言い尽くせぬライブだった。 たしかに梅雨明けの日暮里は雪国だった。」 筆舌に尽くしきれぬ地獄の世界、心して体感して貰いたい。 いざ、地獄の世界へ。
2024年7月20日に工房ムジカにて行った、初・独演会『27年前の私に送る秋田の詩たち。』の模様を全編音源化。当日は酷い雷雨。演出かのように入り込む雨と雷の音。ライブの内容も圧巻。 店主・葛原りょう氏はライブ後に、以下のように書き残している。 「こんなに全身血の気の全力で引くライブは初めてだ。 圧倒的な虚無感。語りの冴えが痛ましく、リアルの極み。 月曜日の雪。犬の川。亀の串刺し、ばあちゃんの遺影。 上田病院。アトピーの歌。怒涛のギターの畳みかけ。 言い尽くせぬライブだった。 たしかに梅雨明けの日暮里は雪国だった。」 筆舌に尽くしきれぬ地獄の世界、心して体感して貰いたい。 いざ、地獄の世界へ。
絵を描く事が、兎に角楽しい。物心ついた時から、絵を描いていた。中学時代は漫画を只管に描いていた。が、周りに流され創作から遠ざかるように。時は流れ27歳、私は音楽を始めた。30歳頃に浮世絵で衝撃を受け、以後美術に傾倒。再び筆を持ちたくなった。描いた。描いた。描いた。少しずつ、自分の絵が見え始めて来ている。そんな気がして。自分で"良い"と思える絵を描けた瞬間、いつも思うんです。生きてて良かった、生きてて良かったと。何度、終わりにしようと思ったか分からない。折れても、クレヨンはまだ使える。使い切ったと思っても、チューブを鋏で切ればまだ絵具が出て来る。だから、今日も絵を描きます。
絵を描く事が、兎に角楽しい。物心ついた時から、絵を描いていた。中学時代は漫画を只管に描いていた。が、周りに流され創作から遠ざかるように。時は流れ27歳、私は音楽を始めた。30歳頃に浮世絵で衝撃を受け、以後美術に傾倒。再び筆を持ちたくなった。描いた。描いた。描いた。少しずつ、自分の絵が見え始めて来ている。そんな気がして。自分で"良い"と思える絵を描けた瞬間、いつも思うんです。生きてて良かった、生きてて良かったと。何度、終わりにしようと思ったか分からない。折れても、クレヨンはまだ使える。使い切ったと思っても、チューブを鋏で切ればまだ絵具が出て来る。だから、今日も絵を描きます。
ずっと居場所が無かった。僕には居場所が無かった。 五年前の夏、僕は音楽をやるために上京した。 一人で歌いながら仲間を探し、バンドをはじめた。 でも何処に行っても、誰と会っても窮屈で、無理に合わせる必要があった。 限界が来て、逃げるようにバンドを辞めた。三年前の夏だ。 人と一緒にいるのが嫌になった。 僕は家に引き籠りがちになって、暗い歌ばかり作り始めた。 たまに出たライブでそんな歌をやったら、気味悪がられた。 僕の歌を分かってくれる人はいないんだなと感じた。 さらに僕は引き籠るようになった。 2022年も終わるころ、三上寛のブログで変な名前の店を見つけた。 無力無善寺という店だ。 興味本位で一度だけ出てみることにした。 年が明け二月、僕は高円寺駅に降りた。 薄暗いガード下を歩いて、ぼろぼろの茶色い看板を見つけた。 狭く汚い階段を登り、真っ黒いドアを開けたら、僕がずっと探していた居場所がそこにあった。 僕の不幸を聞いてくれた。 僕の悲しみを聞いてくれた。 僕の絶望を聞いてくれた。 だから僕は今日も、これからも、ずっとずっと無力無善寺で歌いたいのです。
ずっと居場所が無かった。僕には居場所が無かった。 五年前の夏、僕は音楽をやるために上京した。 一人で歌いながら仲間を探し、バンドをはじめた。 でも何処に行っても、誰と会っても窮屈で、無理に合わせる必要があった。 限界が来て、逃げるようにバンドを辞めた。三年前の夏だ。 人と一緒にいるのが嫌になった。 僕は家に引き籠りがちになって、暗い歌ばかり作り始めた。 たまに出たライブでそんな歌をやったら、気味悪がられた。 僕の歌を分かってくれる人はいないんだなと感じた。 さらに僕は引き籠るようになった。 2022年も終わるころ、三上寛のブログで変な名前の店を見つけた。 無力無善寺という店だ。 興味本位で一度だけ出てみることにした。 年が明け二月、僕は高円寺駅に降りた。 薄暗いガード下を歩いて、ぼろぼろの茶色い看板を見つけた。 狭く汚い階段を登り、真っ黒いドアを開けたら、僕がずっと探していた居場所がそこにあった。 僕の不幸を聞いてくれた。 僕の悲しみを聞いてくれた。 僕の絶望を聞いてくれた。 だから僕は今日も、これからも、ずっとずっと無力無善寺で歌いたいのです。
鈴木諭の浮世絵愛、ここに極まれり。 令和三年秋に初めて美術館で浮世絵を見て以降、美術に傾倒し続ける氏の想いが「音楽」という形で爆発した。 楽曲の題材に目を向けると、浮世絵のみならず琳派・文人画・新版画と、凡そ日本画を愛する者には馴染深いジャンルが幅広く網羅されている。 基本的に画家個人に焦点が当てられており、この二年で氏が多大な影響を受けた人物が一目で分かるだろう。 昨年十月の『落書き帳』から始まり、只管に「絵」を主題とした楽曲が発表されてきた。 まさに連作という捉え方が自然であり、本作はその一連の流れに一区切りを付ける記念すべき作品である。 我々はこの作品を通し、「美」というものに改めて向き合ってゆく事となる筈だ。
鈴木諭の浮世絵愛、ここに極まれり。 令和三年秋に初めて美術館で浮世絵を見て以降、美術に傾倒し続ける氏の想いが「音楽」という形で爆発した。 楽曲の題材に目を向けると、浮世絵のみならず琳派・文人画・新版画と、凡そ日本画を愛する者には馴染深いジャンルが幅広く網羅されている。 基本的に画家個人に焦点が当てられており、この二年で氏が多大な影響を受けた人物が一目で分かるだろう。 昨年十月の『落書き帳』から始まり、只管に「絵」を主題とした楽曲が発表されてきた。 まさに連作という捉え方が自然であり、本作はその一連の流れに一区切りを付ける記念すべき作品である。 我々はこの作品を通し、「美」というものに改めて向き合ってゆく事となる筈だ。
棟方志功のノミで頭をえぐり取られたーーーー鈴木諭氏は棟方志功の版画を見て受けた衝撃をそう語った。 およそ絵を見た印象を表現する言葉では無いのだが、一度でも棟方版画を見たことがある人ならば、その形容詞にも頷けよう。 言うまでもなく、棟方志功は日本を代表する版画家であり、今年は生誕120周年にあたる節目の年である。 青森出身という背景・仏教への厚い信仰心などの影響が煮えたぎる鍋に放り込まれ、表現しがたい形で版木に表出してくるその様は、まさに棟方志功でしか表現できないものだ。 鈴木諭氏は近年絵筆も握り始めたが、棟方版画の模写をしていると他の絵師では感じないような、「自分へ溶け込んでくる感覚がする」と語る。 それはやはり同じ東北という血がそう感じさせるのであろうか。 溶けだしたものが音楽として溢れ出した本作「棟方志功のノミで頭をえぐり取られた」を聴き、氏の言うところを感じてみて貰いたい。
棟方志功のノミで頭をえぐり取られたーーーー鈴木諭氏は棟方志功の版画を見て受けた衝撃をそう語った。 およそ絵を見た印象を表現する言葉では無いのだが、一度でも棟方版画を見たことがある人ならば、その形容詞にも頷けよう。 言うまでもなく、棟方志功は日本を代表する版画家であり、今年は生誕120周年にあたる節目の年である。 青森出身という背景・仏教への厚い信仰心などの影響が煮えたぎる鍋に放り込まれ、表現しがたい形で版木に表出してくるその様は、まさに棟方志功でしか表現できないものだ。 鈴木諭氏は近年絵筆も握り始めたが、棟方版画の模写をしていると他の絵師では感じないような、「自分へ溶け込んでくる感覚がする」と語る。 それはやはり同じ東北という血がそう感じさせるのであろうか。 溶けだしたものが音楽として溢れ出した本作「棟方志功のノミで頭をえぐり取られた」を聴き、氏の言うところを感じてみて貰いたい。
氏が近年つとに傾倒しているのが『歴史』。 それは自身のルーツへ迫る細かい視点もあり、日本という大きな視点もあり、双方を行き来している。 本作は大きな視点にあたるもので、江戸時代の旧東海道・箱根路を歩いた際に描いた詩によるもの。 江戸時代から続く老舗「甘酒茶屋」で休憩した際、「あまりの美味しさに涙が出た」という。 今や日本全国津々浦々まで交通機関が発達し、旅行から歩くということがほぼ消え去った。 勿論便利であるということは良いことであるのだが、全ての価値基準が便利に向かうと、自ずから消えてしまうものがあるのではないだろうか。 一度峠の甘酒を飲みに、箱根に足を運ぶことで、歴史に対する見え方が変わってくるのかもしれない。
氏が近年つとに傾倒しているのが『歴史』。 それは自身のルーツへ迫る細かい視点もあり、日本という大きな視点もあり、双方を行き来している。 本作は大きな視点にあたるもので、江戸時代の旧東海道・箱根路を歩いた際に描いた詩によるもの。 江戸時代から続く老舗「甘酒茶屋」で休憩した際、「あまりの美味しさに涙が出た」という。 今や日本全国津々浦々まで交通機関が発達し、旅行から歩くということがほぼ消え去った。 勿論便利であるということは良いことであるのだが、全ての価値基準が便利に向かうと、自ずから消えてしまうものがあるのではないだろうか。 一度峠の甘酒を飲みに、箱根に足を運ぶことで、歴史に対する見え方が変わってくるのかもしれない。
フィンセント・ファン・ゴッホ---------20世紀を代表する、言わずと知れた印象派の画家なことは誰しも承知だろう。 本楽曲は前作に続く絵をテーマとした楽曲であり、鈴木諭氏がゴッホに出会って受けた衝撃を歌にしたものである。 ゴッホの絵はさながら生きているようであり、その感情というものを絵筆に滴るほどに塗り付け、それを何の躊躇もなくキャンバスに叩きつけているようだ。 そんな絵を見て同氏は、説明のつけようがない感動を覚えたという。 「こんがらがって」とはまさにそんな感情の事を言い表しており、頭がこんがらがる、すなわち論理を飛び越えた圧倒的な創作の力を端的に言ったものだろう。 是非機会を見つけて生でゴッホの絵を鑑賞し、こんがらがった頭で聞いて貰いたい一曲だ。
フィンセント・ファン・ゴッホ---------20世紀を代表する、言わずと知れた印象派の画家なことは誰しも承知だろう。 本楽曲は前作に続く絵をテーマとした楽曲であり、鈴木諭氏がゴッホに出会って受けた衝撃を歌にしたものである。 ゴッホの絵はさながら生きているようであり、その感情というものを絵筆に滴るほどに塗り付け、それを何の躊躇もなくキャンバスに叩きつけているようだ。 そんな絵を見て同氏は、説明のつけようがない感動を覚えたという。 「こんがらがって」とはまさにそんな感情の事を言い表しており、頭がこんがらがる、すなわち論理を飛び越えた圧倒的な創作の力を端的に言ったものだろう。 是非機会を見つけて生でゴッホの絵を鑑賞し、こんがらがった頭で聞いて貰いたい一曲だ。
絵に対する想いを歌う爽快なロックナンバー『落書き帳』。中学生依頼絵筆を絶っていたが、30歳の誕生日前後より再び絵を描き始め、それに伴い頭に浮かんで来た詩であるという。 何故唐突に再び絵を描き始めるに至ったのかは、追々明かすとのことであるが、ひとまず曲に目を向けてみよう。 幼い頃の記憶・漫画を見せ合った友達等々、ごくごく個人的な内容の曲であるとも言えるが、誰しも幼い頃は何も考えず夢中で何かに取り組んだことがあるのではないだろうか。 テーマこそ絵であれ、根源的なところでは「創作の楽しさ」というのを歌っているのだと筆者は考える。 早いテンポの曲ではあるが、どこかに漂う静かな懐かしさに、秋の冷たさはさらに染みてくると感ずるのだ。
絵に対する想いを歌う爽快なロックナンバー『落書き帳』。中学生依頼絵筆を絶っていたが、30歳の誕生日前後より再び絵を描き始め、それに伴い頭に浮かんで来た詩であるという。 何故唐突に再び絵を描き始めるに至ったのかは、追々明かすとのことであるが、ひとまず曲に目を向けてみよう。 幼い頃の記憶・漫画を見せ合った友達等々、ごくごく個人的な内容の曲であるとも言えるが、誰しも幼い頃は何も考えず夢中で何かに取り組んだことがあるのではないだろうか。 テーマこそ絵であれ、根源的なところでは「創作の楽しさ」というのを歌っているのだと筆者は考える。 早いテンポの曲ではあるが、どこかに漂う静かな懐かしさに、秋の冷たさはさらに染みてくると感ずるのだ。
1stアルバム収録の『ジュース』をレゲエアレンジに仕上げた、名付けて『ジュース(ブルーハワイのかき氷ver)』が登場。 曰く「ただレゲエの曲を作りたかっただけで、深い意味は無い」と言ってるように、実際深い意味は無いようで、ともかくシンプルなレゲエナンバーと言えるだろう。 リズム面でアレンジが加えられているのは当然として、メロディ面を見ると主にコーラスにオリジナルバージョンとの相違が見られる。 また初めてとなるワウを全面に押し出したギターサウンドなど、他にも聴きどころは多数。 昨今の「レゲエ=夏」という商業主義的なイメージに一応乗っかるように、夏のリリースとなっているし、気だるい厚い夜に聴くのに合いそうな一曲だ。
1stアルバム収録の『ジュース』をレゲエアレンジに仕上げた、名付けて『ジュース(ブルーハワイのかき氷ver)』が登場。 曰く「ただレゲエの曲を作りたかっただけで、深い意味は無い」と言ってるように、実際深い意味は無いようで、ともかくシンプルなレゲエナンバーと言えるだろう。 リズム面でアレンジが加えられているのは当然として、メロディ面を見ると主にコーラスにオリジナルバージョンとの相違が見られる。 また初めてとなるワウを全面に押し出したギターサウンドなど、他にも聴きどころは多数。 昨今の「レゲエ=夏」という商業主義的なイメージに一応乗っかるように、夏のリリースとなっているし、気だるい厚い夜に聴くのに合いそうな一曲だ。
従前より鈴木諭がBGMとして制作していたインスト和風曲の中から、気に入っている曲を抽出及びリアレンジして1枚のアルバムに纏めたのが、本作『音筏』である。 「田舎で生まれ育ったからこそ描ける、景色の見える和風曲」というコンセプト通り、タイトルには郷里秋田の地名などが散見される。これまで彼が主として発表してきたロック系統の楽曲とは大幅に印象を異とするものの、一貫して通ずるものはやはりキャッチーなメロディではないだろうか。 聴きどころとしては、全て自身で演奏したという三味線の切ない音色は勿論のこと、クラシック・電子音楽など多種多様なジャンルを和で料理している、バリエーション溢れる楽曲に耳を傾けて欲しい。 言葉が無いからこそ、ただただ無心に心落ち着けて聴ける一枚だと筆者は感ずるところである。
従前より鈴木諭がBGMとして制作していたインスト和風曲の中から、気に入っている曲を抽出及びリアレンジして1枚のアルバムに纏めたのが、本作『音筏』である。 「田舎で生まれ育ったからこそ描ける、景色の見える和風曲」というコンセプト通り、タイトルには郷里秋田の地名などが散見される。これまで彼が主として発表してきたロック系統の楽曲とは大幅に印象を異とするものの、一貫して通ずるものはやはりキャッチーなメロディではないだろうか。 聴きどころとしては、全て自身で演奏したという三味線の切ない音色は勿論のこと、クラシック・電子音楽など多種多様なジャンルを和で料理している、バリエーション溢れる楽曲に耳を傾けて欲しい。 言葉が無いからこそ、ただただ無心に心落ち着けて聴ける一枚だと筆者は感ずるところである。
2021年10月に2ndアルバムをリリースしたが、間髪入れず制作されたシングル『ハイロウズを聴かせて』。 アルバムは全体的に暗い曲調であったが、本作は原点回帰とも言うべきロックンロールな曲となっている。 タイトルから察せられるようにハイロウズが重要なモチーフとなっており、「バームクーヘン」という具体的な名称も歌詞に登場。 そしてハイロウズ自体が、影響を受けた音楽からのオマージュが非常に多いバンドであったのは周知の事だろう。 その点が本作に盛り込まれ、まさにオマージュのオマージュとも言うべきアレンジが随所に散見されるのがニクイ演出。 甲本ヒロト・真島昌利のファンなら思わずニヤッとするようなフレーズが満載であり、是非鈴木諭氏のファンで無くとも聴いて貰いたい一曲だ。 筆者も本作を聴き、忘れかけていた「ロックへの純粋な興奮」というものを思い起し感傷に浸った次第である。 流行の音楽とはかけ離れているが、改めてロックンロールの良さを感じさせてくれる曲であると言えよう。
2021年10月に2ndアルバムをリリースしたが、間髪入れず制作されたシングル『ハイロウズを聴かせて』。 アルバムは全体的に暗い曲調であったが、本作は原点回帰とも言うべきロックンロールな曲となっている。 タイトルから察せられるようにハイロウズが重要なモチーフとなっており、「バームクーヘン」という具体的な名称も歌詞に登場。 そしてハイロウズ自体が、影響を受けた音楽からのオマージュが非常に多いバンドであったのは周知の事だろう。 その点が本作に盛り込まれ、まさにオマージュのオマージュとも言うべきアレンジが随所に散見されるのがニクイ演出。 甲本ヒロト・真島昌利のファンなら思わずニヤッとするようなフレーズが満載であり、是非鈴木諭氏のファンで無くとも聴いて貰いたい一曲だ。 筆者も本作を聴き、忘れかけていた「ロックへの純粋な興奮」というものを思い起し感傷に浸った次第である。 流行の音楽とはかけ離れているが、改めてロックンロールの良さを感じさせてくれる曲であると言えよう。
鈴木諭2ndアルバム『アトピーのうた』、制作期間9か月を経てついにリリースされた。 大半の楽曲が暗く陰鬱な雰囲気を纏っており、異様なほど厭世的な内容となっている。 さらに歌詞に注意を向けると「死・病気・火葬・仏壇」と言った言葉が散見され、前作のような明るくポップな側面を期待しているリスナーは拍子抜けを食らうかもしれない。 だが本作には以前には持ち得なかった、痛々しさを伴った鈴木諭という一人の人間の悲痛な叫びが感じられる。 とくに表題曲である『アトピーのうた』は、彼の持病をテーマに据えた内容であり、おそらく世界で初めての「アトピー性皮膚炎」の歌だろう。 郷里の秋田弁を用いたものや、斬新な構成の楽曲も見受けられ、このような音楽的に挑戦する姿勢も存在することからも、本作は音楽家鈴木諭としての一つの試金石となるのではないだろうか。 真っ暗な夜にこのアルバムに耳をすませば、我々は何か大事なことに気づくかもしれない。
鈴木諭2ndアルバム『アトピーのうた』、制作期間9か月を経てついにリリースされた。 大半の楽曲が暗く陰鬱な雰囲気を纏っており、異様なほど厭世的な内容となっている。 さらに歌詞に注意を向けると「死・病気・火葬・仏壇」と言った言葉が散見され、前作のような明るくポップな側面を期待しているリスナーは拍子抜けを食らうかもしれない。 だが本作には以前には持ち得なかった、痛々しさを伴った鈴木諭という一人の人間の悲痛な叫びが感じられる。 とくに表題曲である『アトピーのうた』は、彼の持病をテーマに据えた内容であり、おそらく世界で初めての「アトピー性皮膚炎」の歌だろう。 郷里の秋田弁を用いたものや、斬新な構成の楽曲も見受けられ、このような音楽的に挑戦する姿勢も存在することからも、本作は音楽家鈴木諭としての一つの試金石となるのではないだろうか。 真っ暗な夜にこのアルバムに耳をすませば、我々は何か大事なことに気づくかもしれない。
鈴木諭(旧アーティスト名:スズキサトシ)1stアルバム『季節を透いて見る旧時』、制作期間約半年を経てついにリリース。 ポップなダンスナンバーとして人気を博している「ジュース」はじめ、昨年から既に発表されていた楽曲のリアレンジ・再録verおよび、新曲を含んだ全16曲のボリューミーな内容。 タイトルからも分かるように「季節」が重要な要素として組み上げられたコンセプトアルバムとなっており、インストナンバーで季節が切り替わっていく構成が斬新である。 収録曲を単体で聴くだけではなく、アルバム全体を通して聴いて貰うことで見えて来るものがあるだろう。 アルバム全篇に漂うノスタルジックな雰囲気に、何か忘れていた記憶が掘り起こされることがあるかも知れない。
鈴木諭(旧アーティスト名:スズキサトシ)1stアルバム『季節を透いて見る旧時』、制作期間約半年を経てついにリリース。 ポップなダンスナンバーとして人気を博している「ジュース」はじめ、昨年から既に発表されていた楽曲のリアレンジ・再録verおよび、新曲を含んだ全16曲のボリューミーな内容。 タイトルからも分かるように「季節」が重要な要素として組み上げられたコンセプトアルバムとなっており、インストナンバーで季節が切り替わっていく構成が斬新である。 収録曲を単体で聴くだけではなく、アルバム全体を通して聴いて貰うことで見えて来るものがあるだろう。 アルバム全篇に漂うノスタルジックな雰囲気に、何か忘れていた記憶が掘り起こされることがあるかも知れない。
Digital Catalog
君は鰰を知ってるか? 秋田県の県魚とも言える魚であり、県民の冬の食卓に欠かせない魚だ。 然し近年、裏日本の海に異変が起きている。 鰰が取れないのだ。最盛期には文字通りに湯水の如く取れ、圧倒的な安価で提供され余ったのは肥料用に売られたりしてた程なのに。 理由は諸説あり、海水温の上昇と過去の取り過ぎなどが挙げられる。 果たして鰰はいずれ帰ってくるのか? 私は今年、数える程度しか鰰を食べてない。ブリコは一度食っただけか。 腹一杯また鰰を食いたい。そして旨い日本酒を飲みたい。全秋田県民の夢だ。 だから私はブルースを歌う。 鰰への愛と、喜びと、嘆きと、悲しみを全部込めて。 聴いてください。ハタハタ男のブルース。
君は鰰を知ってるか? 秋田県の県魚とも言える魚であり、県民の冬の食卓に欠かせない魚だ。 然し近年、裏日本の海に異変が起きている。 鰰が取れないのだ。最盛期には文字通りに湯水の如く取れ、圧倒的な安価で提供され余ったのは肥料用に売られたりしてた程なのに。 理由は諸説あり、海水温の上昇と過去の取り過ぎなどが挙げられる。 果たして鰰はいずれ帰ってくるのか? 私は今年、数える程度しか鰰を食べてない。ブリコは一度食っただけか。 腹一杯また鰰を食いたい。そして旨い日本酒を飲みたい。全秋田県民の夢だ。 だから私はブルースを歌う。 鰰への愛と、喜びと、嘆きと、悲しみを全部込めて。 聴いてください。ハタハタ男のブルース。
「朝まで高円寺にいる」と言う体験を一度してみたかった。 だからその日は吉原悲劇に引っ付いて始発まで過ごした。 酔い狂った人間ばかりのデアデビ。 交わされる真面目な映画と音楽と人間の話。 いつもは行き交う人でごった返してる商店街も、夜の中で静まり返っている。 吉原悲劇は言う。「南口に兎に角デカいドブネズミが出るんだ」と。 宛ら名所見物にでも行くような勢いで南口へゆく。 広場には想像以上に太ったドブネズミが、しきりに汚い草陰から飛び出しては戻り、戻っては飛び出していた。 私は"表現的衝撃"を受けた。そして言った。 「悲劇さん、この広場と鼠は無善寺と一緒なんですよ!我々は汚いこの広場だけが居場所の、ドブネズミなんですよ!」 二匹のドブネズミは、缶チューハイを片手に"友達"を眺め続けていた。 きっと、どうしようも無い夜にしかない宝物が在るんだと私は思った。
「朝まで高円寺にいる」と言う体験を一度してみたかった。 だからその日は吉原悲劇に引っ付いて始発まで過ごした。 酔い狂った人間ばかりのデアデビ。 交わされる真面目な映画と音楽と人間の話。 いつもは行き交う人でごった返してる商店街も、夜の中で静まり返っている。 吉原悲劇は言う。「南口に兎に角デカいドブネズミが出るんだ」と。 宛ら名所見物にでも行くような勢いで南口へゆく。 広場には想像以上に太ったドブネズミが、しきりに汚い草陰から飛び出しては戻り、戻っては飛び出していた。 私は"表現的衝撃"を受けた。そして言った。 「悲劇さん、この広場と鼠は無善寺と一緒なんですよ!我々は汚いこの広場だけが居場所の、ドブネズミなんですよ!」 二匹のドブネズミは、缶チューハイを片手に"友達"を眺め続けていた。 きっと、どうしようも無い夜にしかない宝物が在るんだと私は思った。
帰りたくない夜がある。 騒いでいたい夜がある。 耳を傾けていたい夜がある。 無力無善寺のすぐ手前、高円寺のガード下におかしな店がある。 原価崩壊を心配するレベルの兎に角安いインド・ネパール料理屋。 店内には日本語ペラペラの現地人が立ち回り、片言なオーダーを飛び交わしている。 ナン・インドカレーその他もろもろ他国料理が揃っている。 なのに、なのに、何故か店名が"まつり太鼓"なのである。 カタカナ英語が氾濫する世界で、他国料理店が堂々たる日本語を掲げているのだ。 然もさらに妙なのは、普通の日本の居酒屋にも存在しないような通なメニューが揃っている事。 梅水晶(サメの軟骨を梅肉で和えた料理)を置いてあるアジア料理屋が何処にあろうか。お通しは枝豆だし。 そんなぶっ飛んだ店はすぐに私のお気に入りになり、無善寺の帰り道に屡々寄った。 店員にも顔を覚えられた。 或る日、いつものように店に入りドリンクメニューを見ながら迷っていると店員にニヤニヤしながら聞かれた。 「蜂蜜シークァーサー?」 此処は紛れも無く、私の居場所である事に気付いた。
帰りたくない夜がある。 騒いでいたい夜がある。 耳を傾けていたい夜がある。 無力無善寺のすぐ手前、高円寺のガード下におかしな店がある。 原価崩壊を心配するレベルの兎に角安いインド・ネパール料理屋。 店内には日本語ペラペラの現地人が立ち回り、片言なオーダーを飛び交わしている。 ナン・インドカレーその他もろもろ他国料理が揃っている。 なのに、なのに、何故か店名が"まつり太鼓"なのである。 カタカナ英語が氾濫する世界で、他国料理店が堂々たる日本語を掲げているのだ。 然もさらに妙なのは、普通の日本の居酒屋にも存在しないような通なメニューが揃っている事。 梅水晶(サメの軟骨を梅肉で和えた料理)を置いてあるアジア料理屋が何処にあろうか。お通しは枝豆だし。 そんなぶっ飛んだ店はすぐに私のお気に入りになり、無善寺の帰り道に屡々寄った。 店員にも顔を覚えられた。 或る日、いつものように店に入りドリンクメニューを見ながら迷っていると店員にニヤニヤしながら聞かれた。 「蜂蜜シークァーサー?」 此処は紛れも無く、私の居場所である事に気付いた。
2024年7月20日に工房ムジカにて行った、初・独演会『27年前の私に送る秋田の詩たち。』の模様を全編音源化。当日は酷い雷雨。演出かのように入り込む雨と雷の音。ライブの内容も圧巻。 店主・葛原りょう氏はライブ後に、以下のように書き残している。 「こんなに全身血の気の全力で引くライブは初めてだ。 圧倒的な虚無感。語りの冴えが痛ましく、リアルの極み。 月曜日の雪。犬の川。亀の串刺し、ばあちゃんの遺影。 上田病院。アトピーの歌。怒涛のギターの畳みかけ。 言い尽くせぬライブだった。 たしかに梅雨明けの日暮里は雪国だった。」 筆舌に尽くしきれぬ地獄の世界、心して体感して貰いたい。 いざ、地獄の世界へ。
2024年7月20日に工房ムジカにて行った、初・独演会『27年前の私に送る秋田の詩たち。』の模様を全編音源化。当日は酷い雷雨。演出かのように入り込む雨と雷の音。ライブの内容も圧巻。 店主・葛原りょう氏はライブ後に、以下のように書き残している。 「こんなに全身血の気の全力で引くライブは初めてだ。 圧倒的な虚無感。語りの冴えが痛ましく、リアルの極み。 月曜日の雪。犬の川。亀の串刺し、ばあちゃんの遺影。 上田病院。アトピーの歌。怒涛のギターの畳みかけ。 言い尽くせぬライブだった。 たしかに梅雨明けの日暮里は雪国だった。」 筆舌に尽くしきれぬ地獄の世界、心して体感して貰いたい。 いざ、地獄の世界へ。
絵を描く事が、兎に角楽しい。物心ついた時から、絵を描いていた。中学時代は漫画を只管に描いていた。が、周りに流され創作から遠ざかるように。時は流れ27歳、私は音楽を始めた。30歳頃に浮世絵で衝撃を受け、以後美術に傾倒。再び筆を持ちたくなった。描いた。描いた。描いた。少しずつ、自分の絵が見え始めて来ている。そんな気がして。自分で"良い"と思える絵を描けた瞬間、いつも思うんです。生きてて良かった、生きてて良かったと。何度、終わりにしようと思ったか分からない。折れても、クレヨンはまだ使える。使い切ったと思っても、チューブを鋏で切ればまだ絵具が出て来る。だから、今日も絵を描きます。
絵を描く事が、兎に角楽しい。物心ついた時から、絵を描いていた。中学時代は漫画を只管に描いていた。が、周りに流され創作から遠ざかるように。時は流れ27歳、私は音楽を始めた。30歳頃に浮世絵で衝撃を受け、以後美術に傾倒。再び筆を持ちたくなった。描いた。描いた。描いた。少しずつ、自分の絵が見え始めて来ている。そんな気がして。自分で"良い"と思える絵を描けた瞬間、いつも思うんです。生きてて良かった、生きてて良かったと。何度、終わりにしようと思ったか分からない。折れても、クレヨンはまだ使える。使い切ったと思っても、チューブを鋏で切ればまだ絵具が出て来る。だから、今日も絵を描きます。
ずっと居場所が無かった。僕には居場所が無かった。 五年前の夏、僕は音楽をやるために上京した。 一人で歌いながら仲間を探し、バンドをはじめた。 でも何処に行っても、誰と会っても窮屈で、無理に合わせる必要があった。 限界が来て、逃げるようにバンドを辞めた。三年前の夏だ。 人と一緒にいるのが嫌になった。 僕は家に引き籠りがちになって、暗い歌ばかり作り始めた。 たまに出たライブでそんな歌をやったら、気味悪がられた。 僕の歌を分かってくれる人はいないんだなと感じた。 さらに僕は引き籠るようになった。 2022年も終わるころ、三上寛のブログで変な名前の店を見つけた。 無力無善寺という店だ。 興味本位で一度だけ出てみることにした。 年が明け二月、僕は高円寺駅に降りた。 薄暗いガード下を歩いて、ぼろぼろの茶色い看板を見つけた。 狭く汚い階段を登り、真っ黒いドアを開けたら、僕がずっと探していた居場所がそこにあった。 僕の不幸を聞いてくれた。 僕の悲しみを聞いてくれた。 僕の絶望を聞いてくれた。 だから僕は今日も、これからも、ずっとずっと無力無善寺で歌いたいのです。
ずっと居場所が無かった。僕には居場所が無かった。 五年前の夏、僕は音楽をやるために上京した。 一人で歌いながら仲間を探し、バンドをはじめた。 でも何処に行っても、誰と会っても窮屈で、無理に合わせる必要があった。 限界が来て、逃げるようにバンドを辞めた。三年前の夏だ。 人と一緒にいるのが嫌になった。 僕は家に引き籠りがちになって、暗い歌ばかり作り始めた。 たまに出たライブでそんな歌をやったら、気味悪がられた。 僕の歌を分かってくれる人はいないんだなと感じた。 さらに僕は引き籠るようになった。 2022年も終わるころ、三上寛のブログで変な名前の店を見つけた。 無力無善寺という店だ。 興味本位で一度だけ出てみることにした。 年が明け二月、僕は高円寺駅に降りた。 薄暗いガード下を歩いて、ぼろぼろの茶色い看板を見つけた。 狭く汚い階段を登り、真っ黒いドアを開けたら、僕がずっと探していた居場所がそこにあった。 僕の不幸を聞いてくれた。 僕の悲しみを聞いてくれた。 僕の絶望を聞いてくれた。 だから僕は今日も、これからも、ずっとずっと無力無善寺で歌いたいのです。
鈴木諭の浮世絵愛、ここに極まれり。 令和三年秋に初めて美術館で浮世絵を見て以降、美術に傾倒し続ける氏の想いが「音楽」という形で爆発した。 楽曲の題材に目を向けると、浮世絵のみならず琳派・文人画・新版画と、凡そ日本画を愛する者には馴染深いジャンルが幅広く網羅されている。 基本的に画家個人に焦点が当てられており、この二年で氏が多大な影響を受けた人物が一目で分かるだろう。 昨年十月の『落書き帳』から始まり、只管に「絵」を主題とした楽曲が発表されてきた。 まさに連作という捉え方が自然であり、本作はその一連の流れに一区切りを付ける記念すべき作品である。 我々はこの作品を通し、「美」というものに改めて向き合ってゆく事となる筈だ。
鈴木諭の浮世絵愛、ここに極まれり。 令和三年秋に初めて美術館で浮世絵を見て以降、美術に傾倒し続ける氏の想いが「音楽」という形で爆発した。 楽曲の題材に目を向けると、浮世絵のみならず琳派・文人画・新版画と、凡そ日本画を愛する者には馴染深いジャンルが幅広く網羅されている。 基本的に画家個人に焦点が当てられており、この二年で氏が多大な影響を受けた人物が一目で分かるだろう。 昨年十月の『落書き帳』から始まり、只管に「絵」を主題とした楽曲が発表されてきた。 まさに連作という捉え方が自然であり、本作はその一連の流れに一区切りを付ける記念すべき作品である。 我々はこの作品を通し、「美」というものに改めて向き合ってゆく事となる筈だ。
棟方志功のノミで頭をえぐり取られたーーーー鈴木諭氏は棟方志功の版画を見て受けた衝撃をそう語った。 およそ絵を見た印象を表現する言葉では無いのだが、一度でも棟方版画を見たことがある人ならば、その形容詞にも頷けよう。 言うまでもなく、棟方志功は日本を代表する版画家であり、今年は生誕120周年にあたる節目の年である。 青森出身という背景・仏教への厚い信仰心などの影響が煮えたぎる鍋に放り込まれ、表現しがたい形で版木に表出してくるその様は、まさに棟方志功でしか表現できないものだ。 鈴木諭氏は近年絵筆も握り始めたが、棟方版画の模写をしていると他の絵師では感じないような、「自分へ溶け込んでくる感覚がする」と語る。 それはやはり同じ東北という血がそう感じさせるのであろうか。 溶けだしたものが音楽として溢れ出した本作「棟方志功のノミで頭をえぐり取られた」を聴き、氏の言うところを感じてみて貰いたい。
棟方志功のノミで頭をえぐり取られたーーーー鈴木諭氏は棟方志功の版画を見て受けた衝撃をそう語った。 およそ絵を見た印象を表現する言葉では無いのだが、一度でも棟方版画を見たことがある人ならば、その形容詞にも頷けよう。 言うまでもなく、棟方志功は日本を代表する版画家であり、今年は生誕120周年にあたる節目の年である。 青森出身という背景・仏教への厚い信仰心などの影響が煮えたぎる鍋に放り込まれ、表現しがたい形で版木に表出してくるその様は、まさに棟方志功でしか表現できないものだ。 鈴木諭氏は近年絵筆も握り始めたが、棟方版画の模写をしていると他の絵師では感じないような、「自分へ溶け込んでくる感覚がする」と語る。 それはやはり同じ東北という血がそう感じさせるのであろうか。 溶けだしたものが音楽として溢れ出した本作「棟方志功のノミで頭をえぐり取られた」を聴き、氏の言うところを感じてみて貰いたい。
氏が近年つとに傾倒しているのが『歴史』。 それは自身のルーツへ迫る細かい視点もあり、日本という大きな視点もあり、双方を行き来している。 本作は大きな視点にあたるもので、江戸時代の旧東海道・箱根路を歩いた際に描いた詩によるもの。 江戸時代から続く老舗「甘酒茶屋」で休憩した際、「あまりの美味しさに涙が出た」という。 今や日本全国津々浦々まで交通機関が発達し、旅行から歩くということがほぼ消え去った。 勿論便利であるということは良いことであるのだが、全ての価値基準が便利に向かうと、自ずから消えてしまうものがあるのではないだろうか。 一度峠の甘酒を飲みに、箱根に足を運ぶことで、歴史に対する見え方が変わってくるのかもしれない。
氏が近年つとに傾倒しているのが『歴史』。 それは自身のルーツへ迫る細かい視点もあり、日本という大きな視点もあり、双方を行き来している。 本作は大きな視点にあたるもので、江戸時代の旧東海道・箱根路を歩いた際に描いた詩によるもの。 江戸時代から続く老舗「甘酒茶屋」で休憩した際、「あまりの美味しさに涙が出た」という。 今や日本全国津々浦々まで交通機関が発達し、旅行から歩くということがほぼ消え去った。 勿論便利であるということは良いことであるのだが、全ての価値基準が便利に向かうと、自ずから消えてしまうものがあるのではないだろうか。 一度峠の甘酒を飲みに、箱根に足を運ぶことで、歴史に対する見え方が変わってくるのかもしれない。
フィンセント・ファン・ゴッホ---------20世紀を代表する、言わずと知れた印象派の画家なことは誰しも承知だろう。 本楽曲は前作に続く絵をテーマとした楽曲であり、鈴木諭氏がゴッホに出会って受けた衝撃を歌にしたものである。 ゴッホの絵はさながら生きているようであり、その感情というものを絵筆に滴るほどに塗り付け、それを何の躊躇もなくキャンバスに叩きつけているようだ。 そんな絵を見て同氏は、説明のつけようがない感動を覚えたという。 「こんがらがって」とはまさにそんな感情の事を言い表しており、頭がこんがらがる、すなわち論理を飛び越えた圧倒的な創作の力を端的に言ったものだろう。 是非機会を見つけて生でゴッホの絵を鑑賞し、こんがらがった頭で聞いて貰いたい一曲だ。
フィンセント・ファン・ゴッホ---------20世紀を代表する、言わずと知れた印象派の画家なことは誰しも承知だろう。 本楽曲は前作に続く絵をテーマとした楽曲であり、鈴木諭氏がゴッホに出会って受けた衝撃を歌にしたものである。 ゴッホの絵はさながら生きているようであり、その感情というものを絵筆に滴るほどに塗り付け、それを何の躊躇もなくキャンバスに叩きつけているようだ。 そんな絵を見て同氏は、説明のつけようがない感動を覚えたという。 「こんがらがって」とはまさにそんな感情の事を言い表しており、頭がこんがらがる、すなわち論理を飛び越えた圧倒的な創作の力を端的に言ったものだろう。 是非機会を見つけて生でゴッホの絵を鑑賞し、こんがらがった頭で聞いて貰いたい一曲だ。
絵に対する想いを歌う爽快なロックナンバー『落書き帳』。中学生依頼絵筆を絶っていたが、30歳の誕生日前後より再び絵を描き始め、それに伴い頭に浮かんで来た詩であるという。 何故唐突に再び絵を描き始めるに至ったのかは、追々明かすとのことであるが、ひとまず曲に目を向けてみよう。 幼い頃の記憶・漫画を見せ合った友達等々、ごくごく個人的な内容の曲であるとも言えるが、誰しも幼い頃は何も考えず夢中で何かに取り組んだことがあるのではないだろうか。 テーマこそ絵であれ、根源的なところでは「創作の楽しさ」というのを歌っているのだと筆者は考える。 早いテンポの曲ではあるが、どこかに漂う静かな懐かしさに、秋の冷たさはさらに染みてくると感ずるのだ。
絵に対する想いを歌う爽快なロックナンバー『落書き帳』。中学生依頼絵筆を絶っていたが、30歳の誕生日前後より再び絵を描き始め、それに伴い頭に浮かんで来た詩であるという。 何故唐突に再び絵を描き始めるに至ったのかは、追々明かすとのことであるが、ひとまず曲に目を向けてみよう。 幼い頃の記憶・漫画を見せ合った友達等々、ごくごく個人的な内容の曲であるとも言えるが、誰しも幼い頃は何も考えず夢中で何かに取り組んだことがあるのではないだろうか。 テーマこそ絵であれ、根源的なところでは「創作の楽しさ」というのを歌っているのだと筆者は考える。 早いテンポの曲ではあるが、どこかに漂う静かな懐かしさに、秋の冷たさはさらに染みてくると感ずるのだ。
1stアルバム収録の『ジュース』をレゲエアレンジに仕上げた、名付けて『ジュース(ブルーハワイのかき氷ver)』が登場。 曰く「ただレゲエの曲を作りたかっただけで、深い意味は無い」と言ってるように、実際深い意味は無いようで、ともかくシンプルなレゲエナンバーと言えるだろう。 リズム面でアレンジが加えられているのは当然として、メロディ面を見ると主にコーラスにオリジナルバージョンとの相違が見られる。 また初めてとなるワウを全面に押し出したギターサウンドなど、他にも聴きどころは多数。 昨今の「レゲエ=夏」という商業主義的なイメージに一応乗っかるように、夏のリリースとなっているし、気だるい厚い夜に聴くのに合いそうな一曲だ。
1stアルバム収録の『ジュース』をレゲエアレンジに仕上げた、名付けて『ジュース(ブルーハワイのかき氷ver)』が登場。 曰く「ただレゲエの曲を作りたかっただけで、深い意味は無い」と言ってるように、実際深い意味は無いようで、ともかくシンプルなレゲエナンバーと言えるだろう。 リズム面でアレンジが加えられているのは当然として、メロディ面を見ると主にコーラスにオリジナルバージョンとの相違が見られる。 また初めてとなるワウを全面に押し出したギターサウンドなど、他にも聴きどころは多数。 昨今の「レゲエ=夏」という商業主義的なイメージに一応乗っかるように、夏のリリースとなっているし、気だるい厚い夜に聴くのに合いそうな一曲だ。
従前より鈴木諭がBGMとして制作していたインスト和風曲の中から、気に入っている曲を抽出及びリアレンジして1枚のアルバムに纏めたのが、本作『音筏』である。 「田舎で生まれ育ったからこそ描ける、景色の見える和風曲」というコンセプト通り、タイトルには郷里秋田の地名などが散見される。これまで彼が主として発表してきたロック系統の楽曲とは大幅に印象を異とするものの、一貫して通ずるものはやはりキャッチーなメロディではないだろうか。 聴きどころとしては、全て自身で演奏したという三味線の切ない音色は勿論のこと、クラシック・電子音楽など多種多様なジャンルを和で料理している、バリエーション溢れる楽曲に耳を傾けて欲しい。 言葉が無いからこそ、ただただ無心に心落ち着けて聴ける一枚だと筆者は感ずるところである。
従前より鈴木諭がBGMとして制作していたインスト和風曲の中から、気に入っている曲を抽出及びリアレンジして1枚のアルバムに纏めたのが、本作『音筏』である。 「田舎で生まれ育ったからこそ描ける、景色の見える和風曲」というコンセプト通り、タイトルには郷里秋田の地名などが散見される。これまで彼が主として発表してきたロック系統の楽曲とは大幅に印象を異とするものの、一貫して通ずるものはやはりキャッチーなメロディではないだろうか。 聴きどころとしては、全て自身で演奏したという三味線の切ない音色は勿論のこと、クラシック・電子音楽など多種多様なジャンルを和で料理している、バリエーション溢れる楽曲に耳を傾けて欲しい。 言葉が無いからこそ、ただただ無心に心落ち着けて聴ける一枚だと筆者は感ずるところである。
2021年10月に2ndアルバムをリリースしたが、間髪入れず制作されたシングル『ハイロウズを聴かせて』。 アルバムは全体的に暗い曲調であったが、本作は原点回帰とも言うべきロックンロールな曲となっている。 タイトルから察せられるようにハイロウズが重要なモチーフとなっており、「バームクーヘン」という具体的な名称も歌詞に登場。 そしてハイロウズ自体が、影響を受けた音楽からのオマージュが非常に多いバンドであったのは周知の事だろう。 その点が本作に盛り込まれ、まさにオマージュのオマージュとも言うべきアレンジが随所に散見されるのがニクイ演出。 甲本ヒロト・真島昌利のファンなら思わずニヤッとするようなフレーズが満載であり、是非鈴木諭氏のファンで無くとも聴いて貰いたい一曲だ。 筆者も本作を聴き、忘れかけていた「ロックへの純粋な興奮」というものを思い起し感傷に浸った次第である。 流行の音楽とはかけ離れているが、改めてロックンロールの良さを感じさせてくれる曲であると言えよう。
2021年10月に2ndアルバムをリリースしたが、間髪入れず制作されたシングル『ハイロウズを聴かせて』。 アルバムは全体的に暗い曲調であったが、本作は原点回帰とも言うべきロックンロールな曲となっている。 タイトルから察せられるようにハイロウズが重要なモチーフとなっており、「バームクーヘン」という具体的な名称も歌詞に登場。 そしてハイロウズ自体が、影響を受けた音楽からのオマージュが非常に多いバンドであったのは周知の事だろう。 その点が本作に盛り込まれ、まさにオマージュのオマージュとも言うべきアレンジが随所に散見されるのがニクイ演出。 甲本ヒロト・真島昌利のファンなら思わずニヤッとするようなフレーズが満載であり、是非鈴木諭氏のファンで無くとも聴いて貰いたい一曲だ。 筆者も本作を聴き、忘れかけていた「ロックへの純粋な興奮」というものを思い起し感傷に浸った次第である。 流行の音楽とはかけ離れているが、改めてロックンロールの良さを感じさせてくれる曲であると言えよう。
鈴木諭2ndアルバム『アトピーのうた』、制作期間9か月を経てついにリリースされた。 大半の楽曲が暗く陰鬱な雰囲気を纏っており、異様なほど厭世的な内容となっている。 さらに歌詞に注意を向けると「死・病気・火葬・仏壇」と言った言葉が散見され、前作のような明るくポップな側面を期待しているリスナーは拍子抜けを食らうかもしれない。 だが本作には以前には持ち得なかった、痛々しさを伴った鈴木諭という一人の人間の悲痛な叫びが感じられる。 とくに表題曲である『アトピーのうた』は、彼の持病をテーマに据えた内容であり、おそらく世界で初めての「アトピー性皮膚炎」の歌だろう。 郷里の秋田弁を用いたものや、斬新な構成の楽曲も見受けられ、このような音楽的に挑戦する姿勢も存在することからも、本作は音楽家鈴木諭としての一つの試金石となるのではないだろうか。 真っ暗な夜にこのアルバムに耳をすませば、我々は何か大事なことに気づくかもしれない。
鈴木諭2ndアルバム『アトピーのうた』、制作期間9か月を経てついにリリースされた。 大半の楽曲が暗く陰鬱な雰囲気を纏っており、異様なほど厭世的な内容となっている。 さらに歌詞に注意を向けると「死・病気・火葬・仏壇」と言った言葉が散見され、前作のような明るくポップな側面を期待しているリスナーは拍子抜けを食らうかもしれない。 だが本作には以前には持ち得なかった、痛々しさを伴った鈴木諭という一人の人間の悲痛な叫びが感じられる。 とくに表題曲である『アトピーのうた』は、彼の持病をテーマに据えた内容であり、おそらく世界で初めての「アトピー性皮膚炎」の歌だろう。 郷里の秋田弁を用いたものや、斬新な構成の楽曲も見受けられ、このような音楽的に挑戦する姿勢も存在することからも、本作は音楽家鈴木諭としての一つの試金石となるのではないだろうか。 真っ暗な夜にこのアルバムに耳をすませば、我々は何か大事なことに気づくかもしれない。
鈴木諭(旧アーティスト名:スズキサトシ)1stアルバム『季節を透いて見る旧時』、制作期間約半年を経てついにリリース。 ポップなダンスナンバーとして人気を博している「ジュース」はじめ、昨年から既に発表されていた楽曲のリアレンジ・再録verおよび、新曲を含んだ全16曲のボリューミーな内容。 タイトルからも分かるように「季節」が重要な要素として組み上げられたコンセプトアルバムとなっており、インストナンバーで季節が切り替わっていく構成が斬新である。 収録曲を単体で聴くだけではなく、アルバム全体を通して聴いて貰うことで見えて来るものがあるだろう。 アルバム全篇に漂うノスタルジックな雰囲気に、何か忘れていた記憶が掘り起こされることがあるかも知れない。
鈴木諭(旧アーティスト名:スズキサトシ)1stアルバム『季節を透いて見る旧時』、制作期間約半年を経てついにリリース。 ポップなダンスナンバーとして人気を博している「ジュース」はじめ、昨年から既に発表されていた楽曲のリアレンジ・再録verおよび、新曲を含んだ全16曲のボリューミーな内容。 タイトルからも分かるように「季節」が重要な要素として組み上げられたコンセプトアルバムとなっており、インストナンバーで季節が切り替わっていく構成が斬新である。 収録曲を単体で聴くだけではなく、アルバム全体を通して聴いて貰うことで見えて来るものがあるだろう。 アルバム全篇に漂うノスタルジックな雰囲気に、何か忘れていた記憶が掘り起こされることがあるかも知れない。




































![アトピーのうた (令和五年) [再録]](https://imgs.ototoy.jp/imgs/jacket/1685/00000003.1686567583.8482_180.jpg)
![アトピーのうた (令和五年) [再録]](https://imgs.ototoy.jp/imgs/jacket/1685/00000003.1686567814.4894_180.jpg)
![季節を透いて見る旧時 (令和五年) [再録・りみっくす]](https://imgs.ototoy.jp/imgs/jacket/1493/00000003.1686566911.4239_180.jpg)
![季節を透いて見る旧時 (令和五年) [再録・りみっくす]](https://imgs.ototoy.jp/imgs/jacket/1493/00000003.1686567495.6904_180.jpg)