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リノが着てた (feat. CHIN-HURTZ & SMOKIN' ACE) [Remix] alac,flac,wav,aac: 16bit/44.1kHz | 05:50 |
昨年CD限定でリリースされたzoe,jimmie.anjiによるミックステープ"オリジナルど底辺のカス"から代表曲である"リノが着てた"のREMIXがリリース! レーベメイトであるCHIN-HURTZとSMOKIN' ACEが参加!
(Recommend by DJ H!ROKi) 面白い映画を見終わったあとに、誰かに感想を話したくてたまらないことがある。「私はこんな素晴らしい作品に出会えた」という一種の興奮状態だ。昨年リリースされた「zoe, GIMMIE, anji」名義のミックステープ『オリジナルド底辺のカス』(2022)に収録された「リノが着てた」という楽曲を聴いたとき、まさに最高の映画を見終えたときと同じ余韻を味わった。今回、そのリミックスがシングルとして配信されることになったのだが、嬉しいことにzoeのリリックはオリジナルのままだ。彼のリリックを読み解くことで、この楽曲の魅力に迫ってみたい。
若かりし頃の自分や地元の仲間達、あるいはヒップホップやラップとの出会いは、ラッパーが好んで取り上げるトピックであり、これらを歌った楽曲は、世界中におそらく星の数ほど存在するだろう。ラッパーにとって、とくにまだ経験の浅いラッパーにとっては楽曲にしやすいテーマであり、一方でリスナーの立場からすれば、もう飽きるくらい何度も聞かされてきた話題だ。正直な話、ライブや音源でこのような楽曲を耳にして、「またか」と思ったことは少なくない。「リノが着てた」において、zoeはこの使い古されたテーマに真っ正面から挑んでいる。彼は地元の仲間達と遊んでいた中学~高校時代、高校を中退してガソリンスタンドで働いていた時代、そして徐々にヒップホップに傾倒しラッパーを志すまでの自分についてラップしている。おそらくこれを読んだだけでは「またいつものような曲か」と思う方も多いだろう。だが、彼は自らの経験を素晴らしい作品に仕上げてみせた。
24小節、時間にしてわずか1分強で思春期からラッパーになる直前までを端的に描いている。おそらく第一印象ではzoeの荒削りなフロウに誰もが耳を奪われるだろう。確かに、初期衝動やラッパーに対する熱い想いが伝わってくるヴォーカルだけでもじゅうぶん魅力的だ。だが、さらに繰り返し聴いていくと、見事な楽曲構成力や、そこに様々なテーマを内包していることが次第に見えてくる。とりわけ「変化」や「成長」の描き方が秀逸で、そこが本作の主題となっている。
例えば、地元の仲間達との関わり方の変化。最初は彼らは楽しい仲間(「笑いが止まらない」)であり、zoe自身も彼らと連むことを自らの意思で選択していた(「学校なんてつまらない ダチと街でたむろした十代」)。だが、年齢を重ねるにつれて変わり映えのない関係に徐々にうんざりしていく(「同じ中学の奴しかいない 終わったらゲーセン まじつまんない」)。また、己の成長過程の示し方も素晴らしい。冒頭の「盗んだ原付3ケツ 俺がドンケツ」というフレーズは、仲間内の序列における自分の立ち位置だけでなく、個人としての未熟さも表現している。それに対照をなすのが、先輩に向かって「違います」と言い放つラストの場面だ。同世代の中でも最後尾に位置していた自分を描くことで、先輩に対してきっぱりと意思表示できるまでに成長した姿が効果的に浮かび上がってくる。では、果たして何がzoeを変えたのか。
もちろん、それはヒップホップとの出会いだ。バース後半となる13小節目から描かれているとおり、最初は音楽から入り(「レコード買って」)、次に様々な情報を収集するようになり(「フロント読んで」)、さらには自ら行動に移すようになる(「片足ズボンめくって」)。そしてラッパーへの憧れ(「リノが着てた」~「毎日着てた」)がzoeの運命を変える決定打となった。孤独でありながら(「一人のときヒップホップを聴いて」)瞬く間に積極的で能動的になっていったzoeの姿勢は、仲間達と一緒に過ごしながらも変わり映えのない暮らしから抜け出せず、受け身な性格を変えられなかった前半のzoeとは見違えるようだ。好きなものに出会い、それを探求していくことが、人生においていかに重要であるかというメッセージが、この楽曲の重要なメッセージの一つだ。zoeと同じく1990年代に、あるいは十代半ば~後半にヒップホップと出会った方ならば、彼の変化がまるで自分のことのように感じられるだろう。また、バースのちょうど中間地点を境にして対照的な二人の自分を描写したり、ヒップホップと出会った以降の急変ぶりを小節数の少なさで表現するなど、楽曲の構成力も一切の無駄がなく素晴らしい。
このように、仲間との関わり方の変遷やヒップホップとの出会いによる成長といった文脈から楽曲を聴き進めていくと、先の「違います」という言葉には、「ダンサーなのか」との問いに対する答えの他に、別の意味合いを帯びた言葉であることにも気付く。つまり、「もう地元の他の仲間達とは違います」ということであり、「もう昔の自分とは違います」ということである。先輩との問答は、本作における通過儀礼なのだ。また、丁寧語であることも注目すべき点だろう。十代の多感な時期にヒップホップと出会うと、誰しも自分が強くなった錯覚に陥り、それが他人と接するときの態度に表れてしまうこともあるはずだ。この楽曲では先輩相手のやり取りの場面とはいえ、リリックの中でも丁寧語をそのまま用いることで、ヒップホップと出会ってからもzoeが持ち前の謙虚さを失っていないことが聞き手に伝わってくる。その謙虚さは、ラストの「俺はラップをしてみたいだけさ」という印象深いフレーズからも感じ取れる。もし、これが「俺はラッパーだ」というクライマックスの物語だったなら、リスナーが聞き飽きている類の楽曲に終わっていたことだろう。ヒップホップと出会い、ラッパーに憧れながらも主人公が謙虚さを失わなかったこと、また、ラッパーという次のフェーズに移行する前の絶妙なタイミングで物語を終えたことにより、この楽曲は名作映画のような余韻を残す若者の成長譚になったのだと思う。臨場感溢れるzoeのフロウと相まって、とても美しく、そして心を揺さぶるエンディングだ。
ぜひ皆さんも繰り返し聴いて、この素晴らしい物語を追体験し、そして誰かと感想や意見を語り合ってほしい。ヒップホップやラップの魅力、そして何よりzoeという才能溢れるラッパーの魅力が凝縮された大傑作。