2012/05/05 19:36
唾液腺がんを患っていたビースティ・ボーイズのメンバーであるMCAことアダム・ヤウクの死が、2011年5月4日に報じられた。享年47歳。
突然の訃報を第一に伝えたのは、ビースティを世に送り出したデフ・ジャムの創始者の一人であるラッセル・シモンズ。彼は自信が運営するウェブサイト〈GlobalGrind.com〉にてヤウクの死を告げて、『アダムはとてもやさしく繊細なアーティストだった。心から敬愛する』という追悼メッセージを発表している。
これを受けて、ビースティ・ボーイズのパブリシストも2012年5月4日午前11時30分ごろにオフィシャルサイトを通じてヤウクの死をアナウンス。およそ3年に及ぶ闘病生活の末に、彼が故郷であるニュー・ヨークにて息を引き取ったことをあきらかにした。ビースティ・ボーイズの今後に関する詳細は、現段階ではまだ発表されていない。
Yauch Announcement(がんの宣告を受けたことを報告するMCA)
ヤウクは、2009年7月20日にYouTubeにアップしたヴィデオ・メッセージを通じて唾液腺がんを患ったことを報告。幸いにも早い段階で腫瘍が発見されたため、この段階では手術での根治が見込まれていた。2009年内にリリース予定だったビースティのアルバム『Hot Sauce Committee, Pt. 1』の発売を延期して、ヤウクは闘病生活をスタートさせている。
その後、同年8月の初頭には手術が成功したことをオフィシャルサイトにて報告。術後の経過も良好だったそうで、放射線治療や、インドやチベットの医術に基づいた食事療法などを受けながら徐々に体調を回復させていった。
Beastie Boys 「Make Some Noise」
2011年には、無事にビースティ8作目のオリジナル・アルバム『Hot Sauce Committee, Pt. 2』をリリース。しかし、MCAの完全復活を報じるメディアについては『完治したという報道は大げさ。まだ治療を続けなければならないが、希望を持ってそう遠くないうちにがんを治したい』と反論している。『Hot Sauce Committee, Pt. 2』の発売後もビースティはライヴ活動をせず、リード・トラックとなった「Make Some Noise」のPVにもメンバーはわずかな時間しか出演していなかった。
しばらくヤウクの病状に関する報道は途絶えている。2012年4月14日に開催された〈ロックの殿堂〉の授賞式にもヤウクは姿を見せず、スピーチのために登壇したアドロックとマイク・Dがヤウクの分までファンへの感謝を述べていた。また、受賞記念のパフォーマンスもビースティに代わってルーツ、キッド・ロック、トラヴィー・マッコイ(ジム・クラス・ヒーローズ)らが行なっている。
ヤウクの母が〈New York Times〉誌の電話取材であきらかにしたところによると、彼は奇しくも〈ロックの殿堂〉の授賞式が開催された2012年4月14日にマンハッタンの病院に再入院していたそう。ヤウクの母は、彼がこのときすでに死期が近いことを悟っていたのではないかと述べている。入院後も化学治療を続けていたが、4月末に急激に体調が悪化。5月4日午前9時頃に、両親や妻子に見守られて最期の時を迎えたそうだ。
謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。
Beastie Boys「(You Gotta) Fight For Your Right (To Party)」
・BEASTIE BOYS オフィシャルサイト
http://www.beastieboys.com/