| Title | Duration | Price | ||
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| 1 |
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SAKURA ひろば alac,flac,wav,aac: 16bit/44.1kHz | 03:43 |
Digital Catalog
「諦めない神様でるまで」と言う曲は、好きなことをやって人生を送ろうとのメッセージを楽曲にしたものです。 なかなか、いろんな制約があり"好きなことをやる人生"には近寄れませんが、年配者となって「あのとき、こうした方がよかった」と後悔しても、時間が後戻りするわけではありません。やはり、どこかで二者択一を決断するとき、できれば、後悔のないよう自分の好きな道を選んでおきたいものです。クロスバイクをジャケット画像に使ったのは、"ゆっくりこげば思った場所に行けるとの思い”を象徴していると考えたから。いかがでしょうか。
「月虹ムーンボウ~いい知らせ~」と言う楽曲は、月のあかりと水滴でできる、虹をテーマにした曲です。なかなか好条件が重ならないと見ることができないので、「いい知らせ」として受け止め、歌っています。 日本の石垣島(天文台からの報告)やハワイのマウイ島で、肉眼では、白っぽく淡い虹が見えたとの報告があり、写真の露光時間を長くして撮影すれば、太陽の虹のようになるとのことです。アフリカのビクトリアの滝(ジャケット画像)でも、晴れていて、川の水量が多く、さらに満月のときに、月虹を見ることができるようです。一般見学コースは、夜間、閉鎖されるため観察できません。近くの高級ホテル敷地内の観察ポイントで撮影した写真が公開されており、YouTubeで見ることができます。
「キリシタンの里~ザビエルの絵~」と言う楽曲は、"茨木市立キリシタン遺物史料館"(大阪府茨木市千提寺)に行ったときの情景を膨らませて作成したものです。 20世紀初頭、キリシタン大名としてよく知られている"高山右近"の領地であった千提寺地区から、数多くのキリシタン遺物が発見され、史料館で展示公開されています。最も有名な「フランシスコ・ザビエルの肖像画」(江戸時代初期)は、現在、神戸市立博物館が所蔵しているとのこと。徳川幕府により禁じられた後もキリシタンの里では、高山右近時代の遺物などを、200年以上も守り続けていました。 この地域の墓地には、キリシタンの墓地とわかる十字の墓石印があり、粉雪の降る日の情景が印象的でした。
「来遠橋に乾杯」は、ベトナム中部の古都ホイアンにある「来遠橋(ライオンバシ)」を歌った楽曲です。1593年、日本人により建設された橋と言われており、近くに約1000人が住む日本人町があったとも伝えられています。このような頑丈な太鼓橋は、単なる橋としての機能だけでなく、国際交易に従事する外部から来た人とホイアンの方々との"心を繋ぐ橋"であったのでは・・・。ホイアンの夕暮れどき、ランタンの灯りがともるころは「夜のとばりが降りるとき ランタン色に染めるとき」と歌っている通り、印象的でした。ブーゲンビリア・プルメリアなどの鮮やかな色の南国の花に囲まれた、黄色い漆喰壁を使った建物も、魅力的でした。ホイアンの旧市街地は、世界遺産となっています。 最後の、「モーハイバーヨー」は、ベトナム語の「1,2,3ヨー」との掛け声を、日本語のカタカナ表記して歌っているものです。
「なな色の空」は、"AAR Japan"(認定NPO法人 難民を助ける会)の電車の吊るし広告を見て、思いついた楽曲です。 同団体の活動拠点(現在、17か国)の一つの「カクマ難民キャンプ」(ケニヤ)では、隣接する"南スーダン"などからの難民、約16万人が生活しており、水提供・衛生改善・子供の教育支援活動を行っているとのことです。教育支援に携わる数名の方々が、胸に日の丸をつけた赤シャツを着て、大勢のアフリカの子供たちに囲まれた写真を見て、なんとも言えない感動を覚えました。 日本の自衛隊が"南スーダン"に国連平和維持活動(PKO)で派遣されたのは、2012年1月~2017年5月。2011年7月、"南スーダン"が"スーダン"から独立した後、"南スーダン"内部でも対立が激化したため。その結果、大勢の難民が発生し、自衛隊の撤退後も"AARJ"の支援活動が続いているとのことです。
「こなから坂」は、大阪府岸和田市にある坂道の名称です。漢字では、「小半坂」と書き、勾配が25度(90度の1/4)の急な坂を意味しています。 約300年前、秋の五穀豊穣祈願が始まりで、現在、ダンジリ約30台が市内を走り回っており、1)「岸和田駅周辺」、2)「かんかん広場」、3)「こなから坂」の3か所が、主要な観光名所となっています。 特に、「こなから坂」では、祭礼の2日目の岸城神社への「宮入り」前に、急な坂道を登り切り、スピードをつけて直角に回る、豪快な「やりまわし」がよく知られており、多数の見物人が集まるとのことです。 岸和田市広報課による、「こなから坂のやりまわし」の動画をご覧ください。 https://www.city.kishiwada.lg.jp/site/danjiri/20190915konakara-movie.html
「クセ文字いきている」は、日常生活では使わないものの、むかしから知られた、変わった「クセ文字」があることを歌ったものです。特に、日本の伝統文化である「相撲」には、「力士の番付表」や「相撲部屋」などの幟に、変わったクセ文字を見ることができます。 一方、「横書き看板」では、現在、"左から右"に書く習慣となっているものの、むかしは、"右から左"と、逆方向に書いていました。「縦書き看板」では、分厚い板に、墨で書くことが多かったため、長い年月が経過すると、墨で書いたところが、浮き上がって見えることがあります。こんな看板を見つけると、何か威厳を感じる気になるのは、私だけでしょうか。
「四国八十八か所寺参り」は、四国4県(徳島、高知、愛媛、香川)に点在する八十八か所のお寺にお参りする巡礼の旅です。「空海」(774ー921:高野山真言宗の開祖)が始めたと言われており、総延長距離1,200kmにも達する、巡礼となります。 最近、バスや自家用車でお参りする人が増えていますが、この楽曲は、歩いてお参りする前提で作られています。かなり急な坂道を通ってお参りする場合が多く、元気なときでないと行けないはずです。もし達成できれば、きっと、大きなご利益があるはずです。
この曲は、「土偶」の用途の一つに、「安産の祈願」があったはずと推定し、作ったものです。 縄文時代は、約3,000年前から約16,000年前まで、縄文土器を使っていた日本の時代区分です。約10,000年前から、漆(うるし)が栽培され、色んな用途(弓、箸、陶器)に使われていたことが知られています。勾玉や琥珀の首飾りも出土しており、縄文人にも使われていたので取り上げましたが、同一遺跡から出土した意味ではありません。縄文人は、自然の恵みを活かした採集・狩猟・漁労を中心に、竪穴住居で定住生活を営んでいました。人骨の分析から大きな戦争はなく、一説には、次の弥生時代より豊かな生活をしていたとも言われているようです。
「夏まつりの夢~空飛び回る夢~」は、子供のころに見た夏まつりの曲です。「打ち上げ花火」がズドンと音を立て、夜空に駆け上がったことが心に残り、世界の空を飛び回る夢となったとのこと。「岸恵子さん」の小さいころ、お爺さんに連れられて行った横浜の夏まつりの思い出の話を読んで、この曲が生まれました。
アフリカの運転手が突然に発した「ヒポポ・ハイウェーイ」との言葉から、「ヒポポ・ニューハイウェーイ」との曲が生まれました。ヒポポ(カバの愛称)は、日中は、水中でほとんど過ごしますが、夜は、陸上のねぐら戻るので、通り道があります。2トン近くもある身体をゆすって、ゆっくり歩く姿は、ライオンなどに追い回されている、小動物とは対照的に思えます。周りを気にしないで、生きている光景を想像してください。
「ヒマラヤに咲く青い花~ブルーポピー~」は、堀文子さん(1918~2019年)の絵を見る機会があり、生まれました。81歳のとき、ヒマラヤ中腹までヘリコプターで行き、その後、自分で歩いて"幻の花・ブルーポピー"を探したとのこと。「・・・標高4,500 mの岩陰に、草丈20 cmほどの可憐な花が静かに揺れていて、それはそれは感動しました」と。長野県の「白馬五竜高山植物園」(標高1,500m)は、ゴンドラに乗り、見に行けます。例年、7月初旬から15日までが見ごろ。各地の植物園にも咲いているようです。
年をとると、なかなか思う通りの行動ができなくなりますが、誰しも、自然豊かな場所に住むなど「Happy Life」を求める傾向があるようです。いつまでも探し求めて、満足できる場所を見つけたいですね。そんな思いを込めて「暮らしやすい街~Happy Life~」を作りました。
「コアラーの森の子守歌」は、「ユーカリ」の木を風が鳴らす音を、コアラーは子守歌として聞いていると想定して作ったものです。コアラーは、オーストラリアに住んでおり、食べるのは「ユーカリの葉」なので、「ユーカリの森」がコアラーの住処です。
夏の終わりに開催される「諏訪湖花火大会」の"スターマイン"の曲です。これは湖面に半円状の花火が2つ、その真ん中の空高く、円形の花火が同時に舞うもの。一瞬、諏訪湖一帯の会場がどよめき、夏の終わりにふさわしい情景でした。
熊野古道は、自然豊かな場所なので“アカショウビン”(カワセミの一種)のような 珍しい野鳥が生息しています。さらに、“清流の奏でる音“や“霧雨の景色”が気に入っています。走破するのは大変ですが、“伊勢路”の峠からは熊野灘が見え、景色もすばらしいものです。田辺市から入る“中辺路”の入口にある世界遺産の記念碑を写真として使っています。
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「諦めない神様でるまで」と言う曲は、好きなことをやって人生を送ろうとのメッセージを楽曲にしたものです。 なかなか、いろんな制約があり"好きなことをやる人生"には近寄れませんが、年配者となって「あのとき、こうした方がよかった」と後悔しても、時間が後戻りするわけではありません。やはり、どこかで二者択一を決断するとき、できれば、後悔のないよう自分の好きな道を選んでおきたいものです。クロスバイクをジャケット画像に使ったのは、"ゆっくりこげば思った場所に行けるとの思い”を象徴していると考えたから。いかがでしょうか。
「月虹ムーンボウ~いい知らせ~」と言う楽曲は、月のあかりと水滴でできる、虹をテーマにした曲です。なかなか好条件が重ならないと見ることができないので、「いい知らせ」として受け止め、歌っています。 日本の石垣島(天文台からの報告)やハワイのマウイ島で、肉眼では、白っぽく淡い虹が見えたとの報告があり、写真の露光時間を長くして撮影すれば、太陽の虹のようになるとのことです。アフリカのビクトリアの滝(ジャケット画像)でも、晴れていて、川の水量が多く、さらに満月のときに、月虹を見ることができるようです。一般見学コースは、夜間、閉鎖されるため観察できません。近くの高級ホテル敷地内の観察ポイントで撮影した写真が公開されており、YouTubeで見ることができます。
「キリシタンの里~ザビエルの絵~」と言う楽曲は、"茨木市立キリシタン遺物史料館"(大阪府茨木市千提寺)に行ったときの情景を膨らませて作成したものです。 20世紀初頭、キリシタン大名としてよく知られている"高山右近"の領地であった千提寺地区から、数多くのキリシタン遺物が発見され、史料館で展示公開されています。最も有名な「フランシスコ・ザビエルの肖像画」(江戸時代初期)は、現在、神戸市立博物館が所蔵しているとのこと。徳川幕府により禁じられた後もキリシタンの里では、高山右近時代の遺物などを、200年以上も守り続けていました。 この地域の墓地には、キリシタンの墓地とわかる十字の墓石印があり、粉雪の降る日の情景が印象的でした。
「来遠橋に乾杯」は、ベトナム中部の古都ホイアンにある「来遠橋(ライオンバシ)」を歌った楽曲です。1593年、日本人により建設された橋と言われており、近くに約1000人が住む日本人町があったとも伝えられています。このような頑丈な太鼓橋は、単なる橋としての機能だけでなく、国際交易に従事する外部から来た人とホイアンの方々との"心を繋ぐ橋"であったのでは・・・。ホイアンの夕暮れどき、ランタンの灯りがともるころは「夜のとばりが降りるとき ランタン色に染めるとき」と歌っている通り、印象的でした。ブーゲンビリア・プルメリアなどの鮮やかな色の南国の花に囲まれた、黄色い漆喰壁を使った建物も、魅力的でした。ホイアンの旧市街地は、世界遺産となっています。 最後の、「モーハイバーヨー」は、ベトナム語の「1,2,3ヨー」との掛け声を、日本語のカタカナ表記して歌っているものです。
「なな色の空」は、"AAR Japan"(認定NPO法人 難民を助ける会)の電車の吊るし広告を見て、思いついた楽曲です。 同団体の活動拠点(現在、17か国)の一つの「カクマ難民キャンプ」(ケニヤ)では、隣接する"南スーダン"などからの難民、約16万人が生活しており、水提供・衛生改善・子供の教育支援活動を行っているとのことです。教育支援に携わる数名の方々が、胸に日の丸をつけた赤シャツを着て、大勢のアフリカの子供たちに囲まれた写真を見て、なんとも言えない感動を覚えました。 日本の自衛隊が"南スーダン"に国連平和維持活動(PKO)で派遣されたのは、2012年1月~2017年5月。2011年7月、"南スーダン"が"スーダン"から独立した後、"南スーダン"内部でも対立が激化したため。その結果、大勢の難民が発生し、自衛隊の撤退後も"AARJ"の支援活動が続いているとのことです。
「こなから坂」は、大阪府岸和田市にある坂道の名称です。漢字では、「小半坂」と書き、勾配が25度(90度の1/4)の急な坂を意味しています。 約300年前、秋の五穀豊穣祈願が始まりで、現在、ダンジリ約30台が市内を走り回っており、1)「岸和田駅周辺」、2)「かんかん広場」、3)「こなから坂」の3か所が、主要な観光名所となっています。 特に、「こなから坂」では、祭礼の2日目の岸城神社への「宮入り」前に、急な坂道を登り切り、スピードをつけて直角に回る、豪快な「やりまわし」がよく知られており、多数の見物人が集まるとのことです。 岸和田市広報課による、「こなから坂のやりまわし」の動画をご覧ください。 https://www.city.kishiwada.lg.jp/site/danjiri/20190915konakara-movie.html
「クセ文字いきている」は、日常生活では使わないものの、むかしから知られた、変わった「クセ文字」があることを歌ったものです。特に、日本の伝統文化である「相撲」には、「力士の番付表」や「相撲部屋」などの幟に、変わったクセ文字を見ることができます。 一方、「横書き看板」では、現在、"左から右"に書く習慣となっているものの、むかしは、"右から左"と、逆方向に書いていました。「縦書き看板」では、分厚い板に、墨で書くことが多かったため、長い年月が経過すると、墨で書いたところが、浮き上がって見えることがあります。こんな看板を見つけると、何か威厳を感じる気になるのは、私だけでしょうか。
「四国八十八か所寺参り」は、四国4県(徳島、高知、愛媛、香川)に点在する八十八か所のお寺にお参りする巡礼の旅です。「空海」(774ー921:高野山真言宗の開祖)が始めたと言われており、総延長距離1,200kmにも達する、巡礼となります。 最近、バスや自家用車でお参りする人が増えていますが、この楽曲は、歩いてお参りする前提で作られています。かなり急な坂道を通ってお参りする場合が多く、元気なときでないと行けないはずです。もし達成できれば、きっと、大きなご利益があるはずです。
この曲は、「土偶」の用途の一つに、「安産の祈願」があったはずと推定し、作ったものです。 縄文時代は、約3,000年前から約16,000年前まで、縄文土器を使っていた日本の時代区分です。約10,000年前から、漆(うるし)が栽培され、色んな用途(弓、箸、陶器)に使われていたことが知られています。勾玉や琥珀の首飾りも出土しており、縄文人にも使われていたので取り上げましたが、同一遺跡から出土した意味ではありません。縄文人は、自然の恵みを活かした採集・狩猟・漁労を中心に、竪穴住居で定住生活を営んでいました。人骨の分析から大きな戦争はなく、一説には、次の弥生時代より豊かな生活をしていたとも言われているようです。
「夏まつりの夢~空飛び回る夢~」は、子供のころに見た夏まつりの曲です。「打ち上げ花火」がズドンと音を立て、夜空に駆け上がったことが心に残り、世界の空を飛び回る夢となったとのこと。「岸恵子さん」の小さいころ、お爺さんに連れられて行った横浜の夏まつりの思い出の話を読んで、この曲が生まれました。
アフリカの運転手が突然に発した「ヒポポ・ハイウェーイ」との言葉から、「ヒポポ・ニューハイウェーイ」との曲が生まれました。ヒポポ(カバの愛称)は、日中は、水中でほとんど過ごしますが、夜は、陸上のねぐら戻るので、通り道があります。2トン近くもある身体をゆすって、ゆっくり歩く姿は、ライオンなどに追い回されている、小動物とは対照的に思えます。周りを気にしないで、生きている光景を想像してください。
「ヒマラヤに咲く青い花~ブルーポピー~」は、堀文子さん(1918~2019年)の絵を見る機会があり、生まれました。81歳のとき、ヒマラヤ中腹までヘリコプターで行き、その後、自分で歩いて"幻の花・ブルーポピー"を探したとのこと。「・・・標高4,500 mの岩陰に、草丈20 cmほどの可憐な花が静かに揺れていて、それはそれは感動しました」と。長野県の「白馬五竜高山植物園」(標高1,500m)は、ゴンドラに乗り、見に行けます。例年、7月初旬から15日までが見ごろ。各地の植物園にも咲いているようです。
年をとると、なかなか思う通りの行動ができなくなりますが、誰しも、自然豊かな場所に住むなど「Happy Life」を求める傾向があるようです。いつまでも探し求めて、満足できる場所を見つけたいですね。そんな思いを込めて「暮らしやすい街~Happy Life~」を作りました。
「コアラーの森の子守歌」は、「ユーカリ」の木を風が鳴らす音を、コアラーは子守歌として聞いていると想定して作ったものです。コアラーは、オーストラリアに住んでおり、食べるのは「ユーカリの葉」なので、「ユーカリの森」がコアラーの住処です。
夏の終わりに開催される「諏訪湖花火大会」の"スターマイン"の曲です。これは湖面に半円状の花火が2つ、その真ん中の空高く、円形の花火が同時に舞うもの。一瞬、諏訪湖一帯の会場がどよめき、夏の終わりにふさわしい情景でした。
熊野古道は、自然豊かな場所なので“アカショウビン”(カワセミの一種)のような 珍しい野鳥が生息しています。さらに、“清流の奏でる音“や“霧雨の景色”が気に入っています。走破するのは大変ですが、“伊勢路”の峠からは熊野灘が見え、景色もすばらしいものです。田辺市から入る“中辺路”の入口にある世界遺産の記念碑を写真として使っています。







































