2014/11/18 19:17

震災・原発事故から2年以上の月日が経った。平静を取り戻しているかのように見えても、勿論、まだまだ問題は山積みで、それは私たちの生活に大きく関わっているものだ。この特集は、生活のなかで被災地支援や反原発の活動をしている表現者達(ミュージシャン/画家/漫画家 etc...)の話を聞くためにスタートした。私たちの隣にいる友人のような表現者達が、震災と原発事故にどう向きあってきたのか。その話は私たち自身がこれから何をするかのヒントになるだろうし、これからの世界は私たち一人一人が地道に考え行動してつくっていくことが重要だと思うのだ。いわばアンダーグラウンドからの発信であり、それこそがリアルな声だ。未来をつくるのは現在を生きている私たちなのだ。(遠藤妙子)

2013年夏発売の『TRASH-UP!!』で「message from underground」を大特集

message from undergroundとは
トラッシュ・カルチャーを追求する雑誌『TRASH-UP!!』と音楽配信サイトOTOTOYが、共同でお送りする企画「message from underground」。2013年4月から7月まで、ライターの遠藤妙子が被災地支援や反原発の活動をしている表現者達に取材、毎月インタビューを掲載します。OTOTOYでは4月より7月まで、毎月1本ずつ記事を掲載。そして、『TRASH-UP!!』では、OTOTOYで掲載された記事に加え、掲載できなかった表現者の記事も掲載。最終的に『TRASH-UP!!』の2013年夏発売号で、「message from underground」の完全版をお読みいただくことができます。表現者たちが何を思い、どのような活動をしているのか。普段は日のあたりにくいアンダーグラウンドからの発言を見逃さないように!!

TRASH-UP!! とは
「TRASH-UP!!」(トラッシュ・アップ)は、既成の概念にとらわれることなく、さまざまなトラッシュ・カルチャーを追求していく雑誌です。

「TRASH-UP!! vol.15」2013年5月発売。特集は、BELLRING少女ハート。

>>TRASH-UP!! Official HP

>>第1回 悪霊のインタビュー記事はこちら<<

第2回 : KO(SLANG) インタヴュー

札幌を拠点に活動するハードコア・パンク・バンド、SLANG。SLANGを名実ともにパンク・バンドだと言いきることに、私はなんの迷いもない。 今回、話を訊いたボーカルのKO氏は、震災・原発事故のあと、いち早く被災地に向かった。「NBC作戦」という名の支援活動は、被災地の人々を第一に考えたさまざまなアイディアで細やか、かつ幅を広げている。さらに反原発の活動にも積極的。 もともとSLANGは、激しくドラマ性あるサウンドで社会や世界の問題や矛盾、そして自分自身と対峙してきたが、2011年3月11日以降、その音楽はさらに胸に突き刺さってくる。警告するような歌詞からも、KO氏が社会に対して深く鋭い視点を持っているのは明白。彼の目に現代社会はどう映るのか。その行動力はどこからくるのか。 札幌のパンク・シーンを牽引してきた彼の行動力は、札幌だけではなく全国各地のバンドマンやリスナーたちに勇気や希望を与えつづけている。

インタヴュー&文 : 遠藤妙子
写真 : 三島タカユキ

「自分の街は自分でつくる」って感覚が凄くあった

――KOさんは被災地支援の活動、反原発の活動、それに以前から動物愛護なども…、

KO : 動物愛護は「しっぽの会」(※1)っていうのの賛助会員で、あと児童虐待防止の「オレンジリボン運動」(※2)の会員で。

――震災後からは被災地支援のNBC作戦(※3)、反原発デモや同庁前の抗議行動の北海道反原発運動も加わり。

KO : NBC作戦は協力してくれる人はたくさんいるけど、名義上では俺ひとりですね。北海道反原連は呼びかけ人って感じかな。

――東北ライブハウス大作戦(※4)は?

KO : 参加はしてますけど、代表がSPCってBRAHMANなんかのPAチームの西片(明人)さんって人で、BRAHMANや雷矢(※5)なんかも頑張ってて。

――バンドマンが中心となってやってるのっていいですよね。若い人たちの励みになる。被災地に行って感じることというと…、

KO : 勉強になりますね。なんていうか、現場に行くといろんな人がいるわけですよ。すると支援するにしてもなにが必要なのか、なにに困っているのかを考える。被災地ってひとことで言っても当たり前だけどそこには各々の生活があって。だから俺は「支援に来てる」んじゃなく「支援させていただいてる」っていう感覚ですね。

――震災から2年以上経って被災地に変化を感じますか?

KO : 俺たちがやってるのは、仮設住宅向けの支援なんです。避難所を出て仮設住宅に移ると、行政の支援はガクッと減ったんで。仮設住宅も当初といまでは問題もちょっと変わってきてる。当初はとにかく生活そのものができるかどうかってことが問題だったけど、いまは良くも悪くも落ち着いてきたっていうか。勿論、生活が楽になったってわけではなく。仮設住宅の造り、俺ら素人目で見てもどうしようもないってわかってたから。家の土台もしっかりしてないし。住んでるだけで不安があると思うし、将来を考えるさらに不安だろうし。

――KOさんが支援活動をずっとやりつづけるのって、そういう状況を目の当たりにしたのが大きい?

KO : 最初の衝撃がすごかったから。最初に、震災から1週間ぐらいしてから行ったんですけど、南三陸町から上へ上へと。延々ひどい光景が続いて。車通れるスペースだけはあるけど、もう全部崩れてて。崩れたなかにはまだ遺体もあっただろうし。車の窓をあけたら寒気してきてね。最初に避難所に行ったときもひどかった。まだ家族や知り合いが見つかってなくて、どこの避難所にいるかわからない、避難所がどこにあるのかもわからない。家族の生死もわからない状況で…。

――KOさんをそういう活動に突き動かしたものってなんでしょう?

KO : 俺、阪神淡路大震災のときにボランティアに行きたかったんですよ。その時、俺は23歳かな。子ども産まれたばっかりでホントに金がないときで行けなかったんです。知り合いで2人ぐらいボランティアに行った奴がいて、ホントにひどかったって話を聞いて。ネットもなかったから情報もわからないし。すごく歯がゆかった。なんで行きたかったかっていうと……、俺ら、その頃から「自分の街は自分でつくる」って感覚がすごくあったから。「SAPPRO CITY HARDCORE」って自分でガンガン言って。たぶんそういう気持ちがあったんでしょうね。俺が札幌で自分の街をつくろうとしていたように、関西でもそういう奴がいるんじゃないかって。自分の街が崩れていくってことは、すごく……。だからとにかく手伝いに行きたかったんです。ただごとじゃないのはテレビで見て知ってたから。その行けなかった気持ちってのがずっと自分のなかにあった。で、東日本大震災の時は東北に行こうと、岩手が雷矢のヤスオの地元っていうのもあって、それがなくても行ってたけど。雷矢もNBC作戦やライブハウス大作戦でがんばってるんですよ。で、俺はあの日、津波の映像をテレビで見て、街が流される映像。見た瞬間に行こうって決めた。バッと行ける人ってなかなかいないし。TOSHI-LOW(BRAHMAN)も早い時期から動いてたけど、俺はある程度自由がきくし。動けなくても応援してくれる奴らもいたし。そうそう、募金をはじめてそんな経ってないころ、結構な額が振り込まれていたんですよ。名前見たら「後藤正文? 誰だろう」って、気になってググったらアジカンのゴッチで...。当時は友だちじゃなかったんだよ、ゴッチと。それがポンと振り込まれてて。そうやって応援してくれる奴がいるし、みんなと繋がってるし、動ける俺が動こうって。

いまさらじゃねぇよ、これからのことだよ。

――支援だけじゃなく現状を伝えたり発信することも、KOさんはすごく意識してますよね。

KO : してますね。まず震災から3日ぐらい寝ずに情報集めたりしてましたし。それまでTwitterやブログはふざけるためとバンドの宣伝のためにやっていて、あと動物虐待と児童虐待のことは書いてたけど。真面目なことを書くのはちょっと照れくさいってとこがあった。コレはバンドやってる奴、パンクやハードコア好きな奴もみんなそういうとこあると思うんだけど、ずっとワルぶってカッコつけてきたわけで。いいことするのはカッコ悪い(照れくさい)って感覚があるんですよね。だからとりあえず俺はそういう感覚を捨てようと。考えてみたらSLANGは2005~2008年のアルバムから、反核や反戦争をかなり露骨に打ち出し始めたていたんだし。

――バンドマンってひねくれ者が多いかもしれないし、団体で動くのも苦手かもしれない。私もそうです。でもそんな場合じゃないって、微力だけどなんとかしたいって思った。それにパンクやハードコアって反権力を歌ってたり行動しろって歌ってるバンドも多いわけで。DISCHARGE(※6)にしてもそうだし。それが日本ではなかなか……。

KO : そういうメッセージとか上っ面だったのかって。結構、怒りましたもん、若い奴に。例えば服につけてるバッジにしても、「オマエ、どういうつもりで反核ってバッジつけてるの?」って。ま、KLUB COUNTER ACTIONには募金箱を置いてるし、物資の協力してくれる奴は多かったし、NBC作戦も各地で勝手にいろんな人がやってくれてる。自分がやれることでいいんだよね、探せばやれることはあるはずだから。それでもなかなか動かないで言いわけばかりしてる奴もいて。言っちゃえばパンクもハードコアもファッションの人もいるんだな、ここでパッキリわかれるんだなっとは思いましたね、正直。SLANGは『THE IMMORTAL SIN』(2008年)で戦争のこととかを曲として露骨に出したけど、当時、影口も言われましたもん。現実味がないとかいまさらとか。いまさらじゃねぇよ、これからのことだよ。だからどうしたら作品で伝えていけるのかってすごく考えた。で、その次の『LIFE MADE ME HARDCORE』(2010年)は、アートワークでも露骨に写真を入れたんですよ。

――センセーショナルなことを打ち出すんじゃなく、「これが現実だよ、現実を見てどう思う?」ってことですよね。

KO : そう。「ほら」って感じ。「自分は平和のなかで生きてる気でいるだろうけど、俺らが払ってる税金が、例えば俺らが買ったマクドナルドやスターバックスの売り上げが、中東の爆弾になってるんだぜ」って。「この写真の酷い惨状は俺らにも関係あるんだぜ」って。そういう事実をいかに作品で伝えるかが……。(横山)健ちゃんとかBRAHMANとか、俺らに場を与えてくれて、あちこちでライヴに呼んでくれたり。SLANGがどういうバンドかを昔から知ってて、もっと知られてほしいって思って場をくれて。ありがたいですよね。でも観客にはなかなか伝わらないです、そこまでは。それは俺たちのせいでもあるんだけど(笑)。それならとにかくCDを買ってみたいって思わせるようなライヴやって、いい曲作っていくしかないなって。ずっとそれが課題ですね。

――SLANGのサウンドってナンでもありではなく、ガチッとスタイルがありますよね。

KO : そう。ガチっと型にはめてますね。昔、前のボーカルのとき、幅をグングン広げたいって、1stの『SUPER CHAOS』(1995年)ってアルバムつくって。つくったはいいけど、なんか「この先になにがあるんだ? 」って思っちゃって。それで次のシングルを作るとき、俺は完璧なハードコアの作品をつくるって思って。で、そのうちボーカルが抜けて俺がボーカルになって『SKILLED RHYTHM KILLS』(2001年)をつくったけど、まだまだ自分が思う完璧なものにはほど遠くて...。俺はSLANGをはじめたときから「パンクとは? ハードコアとは? 」ってずっと考えてたんですよ。それで行き着いたのは、シンプルでいいっていうこと。例えば、パンク・ロックがあってDISCHARGEがいて、そこからしばらく経ってFUGAZI (※7)とかいろいろ分かれてきて。その広がっていくとこよりも、DISCHARGEから根っこのほうに進んでいこうと思った。根っこをもっと濃くしていこうって。まあ、FUGAZI はシンプルで今でも好きですけどね(笑)。俺は「今、新しい音」っていうのは、「今」が過ぎた瞬間に色褪せるものだと思ってるところあるから。俺がやりたいのは何10年経っても色褪せないもの。そういう葛藤がずっとあって、『Glory Outshines Doom』(2012年)になっていったのかな。

――いまの話、SLANGの曲を聴くとすごくわかります。

KO : でも『Glory Outshines Doom』の曲は、ライヴでも聴き入っちゃう人が多いんですよね、すごくうれしいことなんだけど、もうちょっと体で聴いてほしいなって気持ちもあって。だから次はまたちょっと変化していくと思う。

――なるほど。でも色褪せないものって、世のなかの問題もそういう面がありますよね。いまの問題のようでいて、実は昔から続いてる問題だったりする。

KO : そうなんですよね。それだけ世のなかは変わってないってことなんでしょうね、残念なことに。なんで色褪せないものを目指したかって、やっぱりそういう世のなかのことを伝えるべきだと思ったからで。ライヴでワーッて発散して終わるんじゃなく、なにかを聴き手が持ってかえれるようなね。けど「ワーッってなってほしい!」みたいな(笑)

そういう大人がただただ嫌いだった

――改めて訊きますが、KOさんは震災前から「伝えるべきこと」を歌ってた。そのホントの土台になっているものってなんでしょう? KOさんは子どもの頃、アイヌの人が近所に住んでいたそうですが、そういう影響もあるんでしょうか?

KO : あると思います。ガキのころ、日高に住んでたんです。そこはアイヌの人がかなり多く暮らしてて、俺は普通に遊んでたんですよね。でも大人がね、「あそこはアイヌだから付き合うな」とか言ってるんですよ。俺は小学校低学年だったけどそういう大人がただただ嫌いだった、絶対にこんな大人にはならないって決めた。上の世代ほど差別的な気持ちが根付いちゃってて。うちの親父は、公務員なんで世間体も気にしてたし。引越しが多くて公務員だけが住む団地みたいなとこに住んでたこともあって。母ちゃん連中でも上下関係があって。俺の格好を見て、部長だかなんだかの奥さんって奴がグチグチ文句言ってきたり。アイヌに対しては、おばあちゃん世代がもっと酷かった。俺の弟の嫁がアイヌなんですよ。弟が結婚するとき、弟の籍を外すって話も出たぐらい家族は反対して。特におばあちゃん。俺、おばあちゃん好きだったから悪く言いたくないんだけど、おばあちゃんが、「うちの家系にアイヌの血は入れたくない」って。ある日、おばあちゃんから弟を説得してくれって電話きて、俺、「本人同士のことだから、もういいじゃないですか」って、なぜか敬語使っちゃったんですよ。距離を感じちゃったのかな…。

――うぅ、切ない。

KO : まぁ、弟のとこに子ども生まれたらピタッて収まりましたけどね。身内でもそういうゴタゴタがあって。次に引っ越した街は漁師町で公務員のほうが肩身が狭いの。漁師とか地元に根を張ってる連中から差別を受けて、差別ってほどでもないけどよそ者扱いされるわけです。で、3回目ぐらいの転校のときに、小6ぐらいかな、パンクが盛んなとこで、アナーキーとかTHE MODSとかピストルズを知った。SPARKS GO GO(※8)ってバンドいるじゃないですか、あの人たちがいた町で、先輩なんですよ。あの世代の人たちがすごい可愛がってくれたかな。本人たちとは付き合いなかったけど。俺はそのころ、そういうファッションで、母親は「普通にしろ」、俺は「普通ってなんだよ」っていつも言い合い。その後、18ぐらいの頃、PUBLIC ENEMY(※9)のビデオを偶然観て。昔から虐げられた人のこととか映像からバンバン伝わってきて。それでDISCHARGEの影響なんかと俺のなかでリンクする部分がすごいあって、黒人差別の歴史や問題に意識がガッといった。同時にアイヌを思い出して、自分の足元にもそういうのがあったんだって。

――そういう経験があり、肩書きとかじゃなく個人として生きようと。

KO : まぁ、悪いことし過ぎて高校どこも入れなくて肩書きどころじゃなかったんだけど(笑)。中学の卒業式の翌日に近所のヤクザの組長に杯受けろって呼び出されたりしたし(笑)。バンドやりたいからって断りましたけど。で、それが85年で、紆余曲折あってSLANGの結成が1988年。

――じゃ、KOさんの活動やメッセージや考え方は、パンクやハードコアを聴いて目覚めたというより、子どものころからずっとあるもので。

KO : 基本的な部分はたぶんそうでしょうね。逆にパンクやハードコアを知って楽しくなりましたね。いろんな奴がいていいんだって。やっぱりバンド界隈でも思想云々とかゴチャゴチャあるにはあったけど。

――SLANGのように表現のなかにメッセージ性を打ち出したバンドは他には…?

KO : KO : どうなんだろうな。俺たちも含めて、「G.B.H.(※10)好き」って言っても歌詞は知らないとか、そういう感じだったんじゃないかな、みんな。当時は良くも悪くも軽い部分も多かったですよね。いま聴いても色褪せないものも当時のものは多いけど。俺的にメッセージや歌詞に関しては、札幌のバンドじゃないけどGAUZE(※11)がインパクト強かったですね。日本語の歌詞をガチっと打ち出して。最初聞いたらなに言ってるかわかんないけど、歌詞カード見たら音と一緒になってすごく伝わる。教科書なんて見た記憶ないけど、GAUZEの歌詞カードは穴開くほど見てきましたからね(笑)。俺だけじゃなく、日本語で歌うハードコア・バンドは、当時は必ずGAUZEって壁にぶち当たったと思う。今もずっとぶち当たってますけど。FORWARD(※12)のISHIYA君の影響も大きいと思うんだけど、俺のなかではフグさんとISHIYA君は日本のハードコアのヴォーカルの道をつくったっていうか、切り開いてくれた人なんですよね。俺も伝えたいことをどう描写するかってことをずっと考えてて。札幌には壬生狼(※13)なんかもいますけど、そこに鐵槌(※14)の(田中)昭司君の影響なんかが相まっていまの俺になってる。たぶん(笑)

インプットの時代というか、備えなきゃいけない時代だと思うんです。

――その伝えたいことっていうのは世のなかのことですよね?

KO : 子どものころから感じてる世のなかの不条理と、あと自分ですね。昔はそれを言葉にできなかったんですよ、言葉を知らな過ぎて。勉強ほとんどしてこなかったから、自分の感情を表現する言葉を知らなかった。そうなると音も歌もグチャーッてなって、それはやりたいことじゃない。だからいろんな本をかなり必死に読んで。

――知識がないといろんなことを間違えますからね。人を傷つけることもある。

KO : そうですよね。Twitterでね、原発に対して「批判しているよりも、それを受け入れてきた責任もあると思います。文句ばかりは良くないと思います」みたいなツイートがあって。俺、言い返してやろうかなって思ったけど間違えてツイート消しちゃってやめたんだけど。原発の電気を使ってたから発言しちゃいけないじゃなく、だからこそもっといい方法を目指すべきで。そういうことで変に自責の念を持っちゃうっていうか、黙っちゃう人が多い気がする。それは知識を得るのが面倒くさいってのもあるだろうし、そういうのってある意味、日本人の自虐史観と一緒だと思うんですよ。それじゃ永遠になにも変わっていかないと思う。いま、在特会(在日特権を許さない市民の会)なんかのヘイトスピーチが問題になってるけど、在特会なんかのそういうやり方も自虐史観の裏返しというか。自虐史観を極端に感じたから極端に反発してるってとこもあると思うんですよ。実際、そうやって「極端な態度を取ることで物議を醸すことが目的だ」って言ってる人もいますしね。勿論、俺はあのやりかたには反対だけど。

――私も在特会のやりかたは反対です。新大久保の在特会の反韓デモはひどい。

KO : 正直、俺は昔はずっと愛国って意識がなくて、愛国って意識が差別に繋がるとも思ってた過去もある。たぶんそれは街宣車の右翼のイメージが強かったんだと思うけど。でも鐵槌の昭司君とかと会う度に濃い話ができた時期があって。それがあらためて愛国ってものを考えるきっかけになったのかもな。ってか、絶対にそうだな。

――私も反原発の右デモ(右から考える脱原発ネットワーク主催)に行ったことあるんですが、以前は右って言葉だけで抵抗あったんですよ。だから自分が右デモに行くなんて思ってもみなかった。でも右でも左でも、賛同できるものはするべきなんだなと。

KO : 結局、右だ左だじゃないんですよね。日本を良くしようって気持ちが各々あるんなら、なんとか接点を見つけて本質と向きあっていくべきだと思うんだけど。

――いまってホント、在特会の反韓デモやネトウヨと、また考えるべきことが出てきちゃって。

KO : ネトウヨって言うぐらいだからネットの影響もあるでしょうね(笑)。ネットの言葉で左右されちゃうしネットのなかならなんでも言えたりする。流れ的には2012年の衆院選がデカイと思うんですよ。それまでは反原発にしてもそこに向かって頑張ってた、いやいまも頑張ってるけど、衆院選の後、空気が変わってきた。だから俺はネットの使いかた、Twitterの使いかたを変えたんです。それまではTwitter上の論客とも原発のことでやりあったりしてたんですけど、一部分だけ取りあげて揉めるのはどうなんだろう? って思ってきて。それからはTwitterではなるべく事実や情報を伝えようかと。あとはNBC作戦やライヴの告知やおもしろいことね、猫の写真と(笑)。それ以上のことがやりたいならFacebookに来いと(笑)。Facebookではシリアやガザの写真、かなり残酷な写真や記事も載せてますし。より深く知ってもらうように。いろんなことあってきりがないけど、俺的にはインプットの時代というか、備えなきゃいけない時代だと思うんです。知識を備えて自分を強くしていく時期。

誰かのためにやることって、実は自分のことでもあるんだよって

――自分をしっかりさせていくことが必要で。

KO : 人間って、団体ではなく個々ですからね。この国に生まれて、この国にいる人間がきちんと立ちあがる。そこでまた日の丸云々とかいう人いるけど、そういう良い部分も悪い部分も背負って立ち上がる人間が増えないと変わらないですよ、日本は。歴史問題は外交に使われてきたカードでもあるわけだし。倫理観の話はまた別。そんな国のやりかたに俺らが振り回されるんじゃなく、オマエ自身はなにを生み出していくんだよって。俺らは発展的なことをしていこうぜ、アジアの国々のさ。「俺たちとオマエラ」で向き合うんじゃなく、「俺とオマエ」でいいじゃん。俺とオマエがどうするか。それが広がっていけばいい。個人的にはそれがしっかりあれば流されない。まぁ、日本人って恥の文化って言われるだけあって、どうしても自責の念を抱くことの多い人種だと思うんですけどね。なんぼ消そうと思ってもあると思う。俺もあるし。俺はずっと、生まれつきって言っていいぐらい、自分は罪を持ってるんじゃないかって感覚があって....。ま、実際、悪さばかりしてきたから家族には罪の意識を感じてるけど(笑)。だからって無償でなんかやることやボランティアをやることが、えらいともカッコイイとも思ってない。そこに人が倒れてたから手を差し伸べただけで。それは普通のことでしょ。

――それを理想論だという人がいるかもしれないけど。

KO : いや、だってね、戦争を起こす暴力ってものすごく巨大な暴力だけど、唯一、暴力の連鎖を抑えこめるものがあるとしたら、現時点でもそれは世論しかないと思ってるから。個人の繋がりからできていく世界的な世論。そうやって人間はいろんな争いも規律もつくってきたと思うんですよ。全部を知ろうなんてがんばらなくていいんですよ。知れるわけないんだから。ひとつを徹底的に掘り下げていけば繋がってるもんなんですよ。で、それって同時に自分を掘り下げることでもある。上っ面だけ拾ってガーガー言うんじゃなく、問題の核心に意識を持っていかないと。そして問題の核心っていうのは自分なんですよ。

――そう思います。それは優しさが土台にあることだし、楽しさに向かうためのことだし。

KO : そうですよね。俺ね、楽しければいいってよく言うけど、だったら楽しいことってなんだろう? って考えてた時期があって、そしたらいつだったか一気に世の中の問題が見えてきた気がしたんですよ。パアーっと視界が開けたようなね。感覚的なコントラストがはっきりしたっていうか、明るいものを見れば見るほどその濃い影が見えた気がしたっていうか。もうけっこう前のことなんだけど。例えばそれをいまの環境で説明すると、テレビ見ていままで笑ってたのに、チャンネル変えたらどこかの国に落ちた爆弾にあたって死んだ子供の映像が流れる。そういうことが俺のTwitterのTLでもFacebookのニュースフィードでも毎日平気で起こる。そういうことがね、なんか自分なかで覚醒したみたいに広がったっていうか、そんな時期があった。「それでも俺は本当に楽しく笑えるのか?」って。笑えないよ。ま、怒ってばかりもしんどいけど。やっぱり本当に楽しくなりたいし。人間って忘れていく生き物だし、アクセスしなきゃ目も反らせるんだけど、「知ったからには」っていうかね。そういうのは自分のなかにずっとある。

――そういう意識を持てばなんらかの行動に繋がるだろうし、自分を思えば他人を思うことにも繋がっていく。

KO : 被災地支援もね、他人を助けるためには自分を鍛えて自分に優しくしないと続けていけないし、自分を育てる為には自分を愛さなきゃいけない。自分を粗末に扱いすぎると潰れちゃうし、なにも出来なくなっちゃうから。心も体も。言っちゃえば、それは自分への愛でもあるわけで。感謝の気持ちとでも言うかね。生きてられることへの。誰かのためにやることって、じつは自分のことでもあるんだよって。根本ってそういう部分なんじゃないかなって思うんだけど。

1. しっぽの会
札幌市、及び近隣の市町の保健所などから行政処分される犬猫を引き取り、新しい飼い主を探して譲渡を行なう活動をする、2002年に設立されたNPO法人。
http://shippo.or.jp/index.html
2. オレンジリボン運動
「子ども虐待のない社会の実現」を目指すため2005年から始まった市民運動。オレンジリボンはそのシンボルマークであり、オレンジ色は子どもたちの明るい未来を表している。
http://www.orangeribbon.jp/
3. NBC作戦
「NBC作戦」はKO氏を中心とする東日本大震災の被災地への物資支援活動。被災地に「仕事を生み出す」という考えから始まった「自立支援プロジェクト」をもとに、「NBC作戦」にまつわる総合的なプロジェクトが「NBC作戦本部」。「自立支援プロジェクト」は、家や仕事を失った被災地の人々への「メンタルケアと自立支援(仕事をし、収入を得る)」がテーマ。「編み物、縫い物で癒し効果を得つつ、仕事をし、収入を得てもらう」ため、被災地の人々に制作物の提案、資材などを無償提供し、「手作りアイテム」の制作を発注、販売、流通。その収益で東北を含む「障害者授産施設」から商品を購入し支援物資として被災地に送るなど、被災地の人々の自立を支援しながら、多くの人を繋ぐ活動に取り組んでいる。数々のバンドのライブやイベントなどでも被災地で作られた手作りアイテムが販売されている。
http://www.nbc-sakusen.com/
4. 東北ライブハウス大作戦
宮古、大船渡、石巻に「音楽での復興」を目指し、現地の仲間と共にライブハウスを建設計画。バンドマンを初め多くの人の協力や寄付のもとオープンした。人と人が繋がっていく場として、今後も更なる活動は続く。
http://www.livehouse-daisakusen.com/
5. 雷矢 
1993年結成。幾度かのメンバーチェンジがありつつ常に日本のOi/SKINSシーンを牽引。骨太で疾走感溢れるサウンドを轟かせる。
6. DISCHARGE
1977年結成のイギリスのハードコアパンク・バンド。バンド名はSEX PISTOLSの「Bodies」の歌詞からとったと言われる。最速ビートと政治的メッセージでハードコアの代表的バンド。
7. FUGAZI
MINOR THREATに在籍していたイアン・マッケイを中心に、1987年に結成されたアメリカのポスト・ハードコア・バンド。ハードコアのスピリットのまま、サウンドは独自性を獲得。イアン・マッケイはレーベル「DISCHORD」を運営するなど、インディペンデント/DIYを貫くUSインディーの最重要人物。
8. SPARKS GO GO
Be Modernを経て1990年に結成された3ピースのポップパンク・バンド。奥田民生、松浦善博を加えたTHE BAND HAS NO NAMEでも活動。
9. PUBLIC ENEMY
1982年にニューヨークで結成、Def Jam Recording(デフ・ジャム)からリリースを果たしたヒップホップ・グループ。権威からの自立やアメリカの社会・政治問題とも積極的に関わり、それらを様々なジャンルを融合させたサウンドにも取り入れる。ネット配信にもいち早く可能性を提示。
10. G.B.H.
1978年結成にイギリスのバーミンガムで結成されたハードコアパンク・バンド。メタルの影響も感じさせつつキャッチーさもある豪快なサウンド。ストレートな音がむしろハードコアの間口を広げた。
11. GAUZE
1981年に結成されたハードコアパンク・バンド。メディアにはほとんど登場せず、自主企画「消毒GIG」を中心としたライブを基盤に長きに渉り活動。5枚目にあたる最新作『貧乏ゆすりのリズムに乗って』(2007年)で更にファンを増やしている。
12. FORWARD
ex.DEATH SIDEのISHIYAを中心に結成されたハードコアパンク・バンド。2012年には原発事故への怒りを込めた『WAR NUKE AND DEATH SENTENCE』をリリース。ベテランにして現在も海外ツアーなど活発。
13. 壬生狼
札幌のOi/SKINSバンドの重鎮。シンガロング・スタイルの熱いヴォーカルと力強いサウンドで、海外からのリリースも多い。
14. 鐵槌
日本のスキンズ・シーンの中心バンド。ストレートに突き進む中、メタリックな音色で斬りこんでくるギターが特徴的。シンガロングも豪快なベテラン。

SLANG PROFILE

SLANG

KO(Vo) / KIYO(Gu) / SAKUMA(Ba) / KO-HEY(Dr)

1988年札幌にて結成。多くのコンピレーションに参加し、これまで6枚のアルバムをアメリカやヨーロッパでもリリース。重厚で激しく、時に哀しさも感じるスケール感あるサウンドを轟かせる。AGNOSTIC FRONT、MAD BALL、EXTREME NOISE TERRORなど海外の錚々たるバンドのツアー・サポートも行ない海外ツアーも積極的。ボーカルのKOはライブハウス「KLUB CONTER ACTION」、自主レーベル「STRAIGHT UP RECORDS」を設立、運営。鉄槌、THA BLUEHERB、BONESCRATCHなど多くのバンドと札幌の音楽シーンを支え続けている。2011年3月11日の東日本大震災以降は復興支援にも尽力、反原発活動も主催する。行動と表現に全くブレのないSLANGは、日本のハードコアの最重要バンドである。

>>SLANG official HP

遠藤妙子 PROFILE

80年代半ばよりライターとしてパンク・ロック雑誌「DOLL」などで執筆。DOLL廃刊後もアンダーグラウンドで活動するバンドを軸に、ロック・バンドへのインタビュー、執筆に加え、2011年にライヴ企画をスタート。ライヴ・ハウス・シーンのリアルを伝えていくことを目指し活動。

OTOTOYの連載企画『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』

2011年3月11日以降、OTOTOYでは『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』と題し、音楽やカルチャーに関わるもの達が、原発に対してどのような考えを持ち、どうやって復興を目指しているのかをインタビューで紹介してきました。2011年6月から2012年4月までの期間に、大友良英、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)など9。そして、2013年2月、再び大友良英へのインタビューを試み、全10回の記事を電子書籍BCCKSにまとめて販売します。有料版の売り上げは、ハタチ基金へ寄付いたします。

BCCKSとは
BCCKS(ブックス)は、誰でも無料で『電子書籍』や『紙本』をつくり、公開し、販売することができるWebサービス。エディタで一冊本をつくるだけで、Webブラウザ、iPhone、iPad、Android、紙を含むすべてのデバイスにスピード出版できます。BCCKSのリーダーアプリの他、EPUB3ファイルでお好きなリーダーでも読書をお楽しみいただけます。
※製本版の購入にはBCCKS(ブックス)への会員登録が必要です
※電子書籍は、PCではSafari、Chrome最新版、デバイスではリーダーアプリ「bccks reader」またはEPUB3ファイルを落として対応リーダーでご覧いただけます

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【義援金送付先】
ハタチ基金 : 被災した子どもたちが震災の苦難を乗り越え、社会を支える自立した20歳へと成長するよう、継続的に支援をする団体。ハタチ基金についてはこちら

>>>【REVIVE JAPAN WITH MUSICを読む / 購入する】<<<

OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム(2013)

2011年3月11日に起こった東日本大震災の直後に、被災地への支援をしたいという強い思いからOTOTOYが中心となって関係者とともに企画し、たった6日間で創り上げたコンピレーション・アルバム『Play for Japan vol.1-vol.10』。200ものアーティストの賛同のもと、たくさんの方にご購入いただき、売り上げは4,983,785円にのぼりました(2012年1月1日時点)。震災から1年後の2012年3月11日には『Play for Japan 2012』を制作、728,000円を売り上げました。どちらも、その時点でお金を必要としている団体を選別しお送りしてきました。

『Play for Japan 2013』は、前2作のように、10枚×20曲のような大型コンピではなく、3つのテーマに基づいた、3枚のコンピレーション・アルバムを制作しました。テーマは、『Landscapes in Music』『沸きあがる的な』そして『a will finds a way』。オトトイ編集部やライター等3チームが、それぞれの思いを話し合いながらテーマとアーティストを選出。そしてそのオファーに答えてくれたアーティストの気持ちのこもった曲達によって出来上がりました。義援金は「ハタチ基金」にお送りします。被災地支援はまだまだ終りがありません。素晴らしい音源たちをご購入いただき、被災地支援にご協力いただけたら幸いです。

『Play for Japan 2013 ?All ver.?』

(左)『Play for Japan2013 vol.1 ?Landscapes in Music?』
(中央)『Play for Japan2013 vol.2 ?沸きあがる的な?』
(右)『Play for Japan2013 vol.3 ?a will finds a way?』

>>>『Play for Japan2013』の特集はこちら

OTOTOY日本復興コンピレーション・アルバム(2012)

『Play for Japan 2012 ALL ver. (vol.1-vol.11)』
『Play for Japan 2012 First ver. (vol.1~vol.6)』
『Play for Japan 2012 Second ver.(vol.7~vol.11)』

『Play for Japan vol.1-Vol.11』


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