シンガー・ソングライターの5年ぶりのシングル『』。そのサウンドは彼女の20年以上のキャリアの中で、最もロックかつポップだ。自らが感じたままをダイレクトに音楽に注ぎ込み、長い時間をかけて追求し続けているからこそ、それを軽やかに聞かせることが出来る。そんな稀有なバランス感覚を持ち、音楽のマジックを生み出し続ける彼女にじっくり本作について語ってもらった。
インタビュー & 文 : 滝沢時朗
人間らしい弱いところを見せ合ってはじめて繋がれる
——以前は京都にお住まいでしたが、今はどこにお住まいですか?
神奈川県に引っ越しました。そこから主に東京に通っていますね。
——京都に住んでいたのは何か理由があったのでしょうか?
2005年の夏に京都に行って、2007年の秋に戻ってきたんです。東京から遠く離れた土地に住んで、今までの自分と違う事をしたいと思ったんですよ。帰って来た時には、ドラマチックに何かが変わったとは思わなかったんですけど、京都にいてすごくよかったなって思います。いきなり行ってしまったので、当然京都に友達もいなくて、しゃべる人さえいなかったんですよ。でも、京都の特殊性は、尊敬できるミュージシャンの方が、自転車や歩いて行ける距離にいることですね。ライブに遊びに行くうちに、のbikkeさんにお会いしたり、さんにお会いしたり、ふちがみとふなとのお二人と知り合えました。私はあんまり友達が多いタイプじゃないんですけど、みんな近いとこに住んでて、ライブに行きたいと思ったらすぐに行けるし、電話して会いたいと思ったらすぐ「ごはん食べない?」って言える。そういう京都の持ってる人間同士の繋がりの緊密さに助けられました。どこに行っても自分が心を開いて誰かとコミュニケーションをしたいと思ったら、できるものなんだって。京都で骨折した時にも(笑)、病院へ連れてってくれたりとか、お見舞いに来てくれたりとか、周りのみんなから助けてもらいましたね。人と人との繋がりって、人間らしい弱いところを見せ合ってはじめて繋がれるんだってわかりました。2008年に作ったアルバムの『Sweet Serenity』の制作のために京都を離れてしまいましたが、京都という場所で自分が特殊な状態になった時に助けてもらったことが、人生においてとても大きかったと思います。
——住んでいる場所が変わると、作る音楽に影響すると思いますか?
すごく影響しますね。作曲そのものはそんなに変わってないと思うんですけど、メンタリティの部分で全然違うんじゃないかな。場所や風土、温度・湿度が変わると、人間のメンタルも変わると思うんです。環境を変えるチャンスがあったら、やってみるといいと思うんです。「東京で生まれた女」っていう曲を京都で書きました。東京で生まれた女が、今は京都に住んでいるっていう歌詞です。ふっとなんでこんな孤独に耐えながら京都にいるんだろう... とか思いながら、鴨川沿いをぼーっと歩いてたら曲が浮かんできて。まだレコーディングしてないのですが、機会があったら録りたいんです。ふるさとっていう言葉がその曲の中に出てくるんですけど、東京に住んでたらふるさとなんて言葉に全然説得力がなかったですよね。京都に住んで、孤独を感じてホームシックになってはじめて東京をふるさとと思う自分を見つけたので、離れなかったらわからなかった感覚だと思います。ふるさとを後にして遠くにいるんだなっていう孤独感と郷愁を感じましたよね。
——2006年の『鈴木祥子』が内省的なアルバムで、2008年の『Sweet Serenity』がポップなアルバムだという事は、先ほどの京都での人との繋がりを実感されたというお話と通じるところがありますか?
繋がるんじゃないですかね。『鈴木祥子』は、意識が自分自分に向いていた時の集大成的なアルバムだったんです。それがやっぱり自分自分って言っても、できることなんて限られてるんだってわかって。足を折って動けなくなったら人に助けてもらわないとどうしようもないぐらい人間って弱い。それを実感したら、変な自意識がちょっと削れてきたんですよね。人との繋がりとか大きな時間の流れとか、そういうものの中に自分がいるんだっていう感覚になってきた。だから『Sweet Serenity』は楽な感じがすると思うんですよね。
——本作「」の作曲を、今回一緒にやられているロック・バンド・のメンバーの一色進さんがやられていますが、それもそういった流れのひとつですか?
そうですね。とは以前から知り合いで、対バンのお話は時々あったんですけど、お互いにスケジュールが合わなかったんです。それで、ロックをやりたいとちょうど思っていたときに『』を聞いて、ああいうロックの型にはまらない乱暴な感覚が欲しいと思ったんです。それで一緒にやってくださいってお願いしたら快諾していただいて、かわいしのぶちゃんにベースをやってもらうことにもなりました。アップリンクさんからシングルを出したらどうかってお話をいただいた時に、ジャック達と一緒に演奏したライブ感をそのまま作品にしたいと思ってこれを作ったんです。自分が何かを超えようと思うというよりは、その時の出会いや、良いと思って惹かれたりしたものに正直になった方が、いい流れができていくっていうことを実感しました。
——近作ではずっとご自身で作られた曲を歌われていて、本作でそうではない曲を歌うというのは、以前と心境が違いますか?
そうですね。曲って一曲一曲にドラマがあるので、そのドラマを如何に歌で表現するかっていうところで、自分がソング・ライターで作曲する時とは全然違ったチャレンジで面白いです。その人の意図をわかりたいと思いつつも、その人の意図じゃない自分の意図が混ざりこんできて、そうするとまったく新しい形になるんです。そういう化学反応というか、誤解とか齟齬が逆に新しいムードを作り出したようなものが、面白いと思いますね。何もかもを自分でってなったら、そういうこともないじゃないですか。自分はこうしたいとか、これしかないって思っちゃったら、そういう反応が起きなくなっちゃうから、いつもオープンでいたいなって思います。
わからないから書き続けたい
——歌詞は愛をテーマにされていますが、どんな種類の愛をイメージされたんですか?
愛も色んな段階があって、やっとわかったことがあるんです。一番上が崇高な、自分を捨てても人を守りたいみたいな愛だとしたら、そんなとこってなかなか行こうと思ってもいけないし、行く必要もないと思うんですよね。やっぱり、生きてる限り自分の欲望からは逃れられないし、じゃあそれをどうしようかって考えるところに人間らしさがあると思うんですよ。30代までは、恋愛で我を主張し合わないでうまくやっていくことは“妥協”だと思ってたんです。どっちかが折れて後退して相手を立てようとか、それじゃ100%その人じゃなくなってしまう。それなのになんで長く関係を続けられるのかずっとわからなかったんです。でも、癖とかお互いにわからないところがあっても、状況やその人自身を受け入れちゃうっていうことは、決して妥協ではないんだって思えてきました。だから「」っていうタイトルや、歌詞の中の「降伏と幸福」っていう言葉が出てきたんです。「降伏しちゃいました」って言ったら、自己犠牲的な意味に捉えられる危惧はあったんですけど、そうではないんです。でもまだ、そういう感覚がわかっただけで、どうすればよいのかは、わからないんですけどね。
——この歌詞は特定の誰かへの愛なんですか? それとも、もっと普遍的な愛ですか?
特定の誰かでもあるし、自分の中にある普遍的な愛でもあります。そもそも歌自体がそういう両面を持っていますよね。ラブ・ソングを歌ったり書いたりする時って、特定の誰かへの思いなり気持ちがあります。でも、最初は特定の誰かの事を思ってても、歌になった時にそれが色んな人に向けたものになって、自分の中でも歌の意味がもうちょっと大きくなっていくんです。それが歌を聞いたり書いたりする事の面白さじゃないかなと思ってます。でも、個が普遍になっていくプロセスってなんなんでしょうかね。私もすごく考えるんですけど、よくわからない。わからないから書き続けたいんです。
——カップリング曲の「」はどういったテーマで作られたんですか?
この曲はリズムがポイントです。最近、私が今までリズムだと思ってたものは、リズムじゃなかったってわかったんです。「リズム感」と「リズムに対する感覚」は別物だって気付いたんですよね。「リズム感」っていうのはメトロノームが正確にテンポを刻んでいる、そこに合わせられることです。「リズムに対する感覚」は、思わず体が動いてしまうような、自分の生命感が肯定されているような感覚なんですね。例えばラテンの人がサンバを一晩中踊りますよね。みんなリズムの身体性っていうものを体からわかってる国民性だから、あれだけ踊りやリズムや音楽が日常的にあるし、そのことでみんなが救われている。そういう全部一緒になってる感覚が「リズムに対する感覚」があるってことだと思うんです。私が今までリズムだと思っていたものは、正確に8ビートとかシャッフルとか、ビートのパターンを刻めるということでしかない。それは単にリズムのパターンを知っているだけで、「リズムに対する感覚」があるっていうことにならないんです。今まで自分がリズムだと思っていたものが、すごく表面的だったと感じました。それで、「リズムに対する感覚」を今からでもいいから、自分のものにしたいと思ったんです。「」は一人多重録音で作ったんですけど、以前は一人で録音するときはクリックを聞きながらやってました。今回はクリックを聞かないでドラムから録り始めて、「リズム感」的なものから解き放たれて録ったんですよね。自分のいい加減なリズムのゆれをベースに、更に他のパートのいい加減なゆれが重なって、いい加減が二乗三乗になった時に一個のリズムになるんです。自分の身体感から生まれたリズムだって感覚がして、私の中ではプチ革命的なことでした。
——今でも曲を作っていく過程で新しい発見をされますか?
私、2008年でデビュー20周年だったんです。その時は大体やることもやっちゃったしなみたいな、妙に厭世的な気分になってたんですよね。でも去年、音楽を作る中で色んな人に出会って、それは違うって思ってきたんです。ただここにいきなりいて音楽をやってるんじゃなくて、自分は広大で豊かな音楽の歴史の中にいて、どれを選んで何を組み合わせて自分なりに表現していくかによっては、新しいものが生まれる可能性だってまだまだあるんです。自分の型を破ったり、ちょっとずつでもいいから更新していくとか、挑戦的であることは絶対必要だと思います。それが出来た時の喜びやわくわくがなかったら、音楽なんてやってる意味がないんですよね。そう思ったら、今の時代がどうだとか合わせる必要さえないなと思って。生活している自分のグルーヴって絶対あるはずだから、その自分がいいと思うんだからいいんだよみたいな。自分が新しいと感じる事に根拠なんかいらないと思うんですよ。だから、自分が生理的にかっこいいと思える音を作りたいと今は思っています。
鈴木祥子 PROFILE
1988年、エピック・ソニーよりシングル「夏はどこへ行った」でデビュー以来、14枚のオリジナル・アルバムを発表。日本を代表するシンガー・ソングライターとして活動を続ける。原田真二やビートニクス(高橋幸宏・鈴木慶一)、小泉今日子のバッキング・メンバーを経て、デビュー後は国内では数少ない女性のマルチ・プレイヤーとしても地位を確立する。またソングライターやサウンド・プロデューサーとして小泉今日子、松田聖子、PUFFY、金子マリ、渡辺満里奈、川村カオリ、坂本真綾など、数多くのアーティストを手がけ、高い評価を得ている。2009年には出演・撮影・主題歌を手がけたドキュメンタリー映画『無言歌〜romances sans parole〜』が公開。2010年4月、約5年ぶりとなるニュー・シングル「my Sweet Surrender」をUPLINK RECORDSよりリリースした。
- website : http://syokosuzuki.sakura.ne.jp/
EVENT SCHEDULE
- 2010/5/9(日) @吉祥寺GB
席種:オール・スタンディング
前売 5,000円/当日 5,500円(+1ドリンク別途オーダー)
前売りチケット取扱(3/6より一般発売開始):店頭、チケットぴあ
お問い合わせ先:GB TEL:0422-23-3091
歌の力
あの場所へ / LOVEJOY
元アーント・サリーのメンバーとして70年代末期のパンク/ニュー・ウェイヴ黎明期から活動しているbikkeと、かつて小川美潮バンド、チャクラ、ウニタ・ミニマ等数多くのバンドで活動し、「かもめ食堂」等映画音楽や劇音楽・CM音楽でも活躍している近藤達郎を中心に、元ミュート・ビート、元渋さ知らズ等、豊富なキャリアのメンバーが支えています。
BLIND MOON / SAKANA
さかな=sakana=pocopen&西脇一弘(すべてのジャケットを手掛ける画家でもある)からなるDUO。これまでにSAKANA名義で13枚のアルバムを発表。2006年4月、アルバム『Sunday Clothes』をリリース。都内を中心に精力的なライブ活動も行う。ホームは吉祥寺「manda-la2」と下北沢「lete」。オフィシャル・サイトには西脇氏の手による長大なバイオグラフィーあり(必読)。また氏の日記にはその音楽とシンクロする多数の絵があります。
サイダー / ゆーきゃん
京都で歌い始め、現在は主に東京で活動しているシンガー・ソングライター。アシッド・フォーク/サッド・コアを体現するようなその声と日本語詩は、聴くものに儚くも強烈な印象を残します。今作はギターとヴォーカルのシンプルなつくりでありながら、その歌声はグッと心に染み渡る力を持っています。ギターの弦の音や呟くようなヴォーカルを、高音質HQDファイルでよりリアルに感じられます。