今回紹介するのは、ほぼ無名の状態から突如脚光を浴びているラッパーSALUだ。彼はアーティストとしての個性と共に今のリアルな若者の空気を纏っている。ひょうひょうとした風貌に、端正な顔立ち、ポージングや仕草を見れば、彼がニュー・タイプのラッパーであることを誰も疑問には思わないだろう。
SALUがこんなにも広く騒がれているのはなぜだろうか? EXILEからSEEDAまで手掛けているBACHLOGICのプロデュースを受け、彼のレーベルであるONE YEAR WAR MUSICの第一弾アーティストに抜擢されたからだろうか? いや、本当のすごさは彼のラップにある。
ヒップ・ホップ・ジャンキーからすれば、この色鮮やかなデビュー・アルバム『IN MY SHOES』を聴いて、自分たちが聞いてきたヒップ・ホップと質が違うという印象を持つだろう。なぜなら本作には自分を誇示すような曲が無い。ヒップ・ホップのデビュー・アルバムでは、シーンに名乗りを上げる曲を入れる事は、慣習とも言える行為だ。だが、メッセージ性の強いリリックがアルバム全編を渡って繰り広げられるものの、そのラップには自分をアピールするようなところが無い。それなのに、この一枚を通して聞けば、SALUがどんなスタイルと人生観を持っているか十二分に伝わってくるだろう。それは、彼の今まで生きてきた23年間がアルバムの制作期間だったとも言えるほどのものだ。彼の見方や日常描写の仕方は狭いヒップ・ホップ・コミュニティに留まらず、そこを飛び越えた先に向けられている。身の回りの何気ない日々をトピックにしつつ、その延長で自分たちのことだけではない普遍的なテーマに切り込んでいるのだ。
日本語ラップは面白い。おそらく、世間一般から思われているよりも遥かに聡明なメッセージが飛び交っている。だけどそれを表現しようとすると、なかなか外部には伝わりにくいという実情がある。だが、SALUはヒップ・ホップの外部にまで届くメッセージをラップにできるセンスと、その言葉が相手に受け取られやすい佇まいを持っている。言っていることと佇まいが一貫しているということは、キャラクターが立っているということであり、それだけで人を惹きつけることができる素晴らしい才能だ。では、彼のような青年が猛者が入り乱れるシーンの中からどうやって華々しくデビューするに至ったのか。出身から音楽との出会い、そして、現在に至るまでの経緯を本人に直接聞いた。
インタビュー&文 : 斎井直史
正式始動するBACHLOGIC主催レーベル「ONE YEAR WAR MUSIC」よる第1弾リリースとなるSALU
SALU / IN MY SHOES
何気ない日常や社会の状勢といったテーマを等身大の視点で切り取り、真摯な語り口とフレキシブルなフロウで綴ったSALUの中毒性のあるメロディアスかつエモーショナルなラップとBACHLOGICによる壮大なスケールのトラックが巧く融和した、ニュータイプ・SALU。
【特典】
アルバム購入者には、「TAKING A NAP」の高画質PVが付いてきます!
SALU INTERVIEW
——SALUの名前の由来を教えてもらえますか?
SALU(以下、S) : 中学生の頃に決めた名前なんですけど、「もし日本人が自分自身を『イエロー・モンキー』と呼んでいたら面白いかな」と思ってつけました。
——ヒップ・ホップってアイデンティティと結びつくような音楽だから、始めた頃ってそういうの意識しちゃいますよね。
S : そうですね。後から名前を変えるのが嫌だったんでそのままにしている感じです。日本で活動しているうちは、名前の効果を発揮できないんですけどね(笑)。
——日本語ラップを始めたきっかけって何だったんですか?
S : ラジオでKick The Can Crewさんの「カンケリ」っていう曲を聞いたことがきっかけですね。それまでは、家にジャズやソウル、ファンクのレコードが身近にあっても、基本的に自分で探すことはなかったんですけど。
——じゃあご両親はかなり音楽がお好きなんですね。
S : でも、あまり「音楽やるぞ! 」っていうきっかけではなかったですね。遊びに近い感覚で自然と始めたって感じですね。
——出身はどちらなんですか?
S : 出身は札幌なんですけど、高校3年の頃に神奈川県藤沢市の鵠沼海岸に引っ越しました。ずっとひとりでラップをしていたんですけど、16くらいの時からFake IDっていうクルーをやってました。
——16歳からグループで活動をはじめたとの事ですが、年齢的に活動が限られちゃいますよね?
S : いえ、16くらいでもクラブに出入り出来てしまっていました。そうゆう意味で、クルー名がFakeIDです。
——なるほど。トラックとかも自分たちで作ってたんですか?
S : いえ。でも、インストを使ってラップしてました。だから、作った曲はレコーディングをするっていうよりもライヴ用でした。
——当時はどんなビートの上でラップしてましたか?
S : BlackのGet Readyとかです。
——SALUさんはUSのラップに傾倒してきたタイプだったんですか?
S : Kick The Can Crewさんで日本語ラップを知ってから意識して聞くようになって、それ以来ずっと日本語ラップを追いかけてます。
——そうなんですか。ラップのフロウからすると、ちょっと意外でした。
S : でも、USのヒップ・ホップの良いところを日本語ラップに取り入れるということは札幌にいた頃、割と身近にあったと思います。特にYoung Daisさんのラップを始めて見た時にヤられたのはすごく覚えていますね。それが確か高校2年の頃でした。
——それから高校編入で、初めての街でゼロからのスタートですよね。現在に至るまではどのように活動してきたんですか?
S : 最初は厚木にDJとライターの友達ができたので、僕も毎日のように厚木にいました。そして、彼らと都内や横浜のクラブに行って、そこで段々と色々な人に出会っていきましたね。
——ちなみに、こちらに移ってきてから主に活動していた場所は?
S : 横浜のTHE BRIDGEが1番多かったです。
——そうした出会いというのは、SALUとしてのスタイルに影響しましたか?
S : 人間としてだいぶ影響を受けたと思います。札幌は都市としてはかなり大きいですが、そこしかないんです。一方、神奈川・東京には色々な都市があって、その街の人達がいて、派閥やパワー・バランスが複雑に絡まり合ってる。池から湖に移ったような。
——昔の仲間とは今も活動をしますか?
S : あまり時間が合わないですね。その中でも今僕のバックDJを務めているDJ TA-Qっていうのは、さっき話した厚木の友達なんです。少しブランクがあったんですが、今はTAQとライヴに行ってます。
自分の立場から見た世界
——SALUさん自身は札幌で活動していた頃の延長線上にいる感覚ですか?
S : そう思ってたんですけど、やはり、周りからの影響は受けていると思います。札幌に居た頃と、厚木に来たばかりの頃、そして、今とではそれぞれ別の人間みたいです。そして、5年後の自分は今日の自分と全く違うと思うんです。
——シーン全体を通しても、5年も経てば全く違うでしょうしね。
S : 僕は、良くも悪くも変わり続けていきたいなって思っています。
——アルバムの内容について伺う前に、これまで音源になっている範囲での活動についても伺いたいんですが、SCARSの『SCARS EP』に客演していた経緯も教えてもらえますか?
S : 19歳の頃、1年程シンガポールに行っていたのですが、シンガポールから厚木に帰ってきたら、OHLD君がSEEDAさんと仕事をしていたんです。ある時SEEDAさんが厚木に来る用があって、その日僕もOHLD君に用があったんです。そこでデモのCD-RをSEEDAさんにお渡しさせて頂いて。その後、SEEDAさんから客演のお話を頂きました。
——SEEDAさんって常に大きな影響を与え続けてますよね。
S : そうですね、SEEDAさんのおかげで僕はいろいろな人に出会う事ができました。
——プロデューサーのBACHLOGICさんともSEEDAさんとのつながりで知り合ったんですか?
S : そうですね。2010年の秋ぐらいに、僕がSEEDAさんの『SCARS EP』の収録でBACHLOGICさんのスタジオに行って、その時にデモを渡したのがきっかけですね。
——BACHLOGICさんの一目惚れだったんですかね。
S : 「最初はパッとしなくてスルーした」って言ってました(笑)。
——BACHLOGICさんに渡した音源は、どんなものだったんですか?
S : ここ2、3年のUSのインストを使って、一語一句全て同じように聞こえる日本語に置き換えるっていうものでしたね。
——BACHLOGICプロデュースでデビューのお話を聞いた瞬間は?
S : 嘘だと思いました。
——SALUさんでもそう思ってしまうんですね(笑)。SD JUNKSTA(以下、SD)のKYN「Silent Power」でQN(SIMILAB)と一緒に客演してますが、KYNさんもQNさんもSALUさんと同じく神奈川県が拠点ですよね。お二人とは以前からの知り合いなんですか?
S : いえ、QN君とかはここ一年くらいで知り合いましたね。元を辿れば、SDの人達とのつながりが大きいと思います。彼らは人数が多いので、色んな場所で徐々に知り合ってきました。
——なるほど。それでは、アルバムの内容についてうかがいたいと思います。タイトルはなぜ『IN MY SHOES』なんですか?
S : 直訳すると「靴の中」ですが、「僕の立場で」という意味があります。「僕の立場から見た世界」っていうスタンスを現してます。
——それは前もって決めていたアルバムのテーマだったんですか?
S : いえ、作る時にあらかじめ決められたヴィジョンはなかったのですが、一つだけ思っていたのは、なるべく多くの人に聞いてもらいたいっていうことです。
——全曲、ヒップ・ホップに限定されないメッセージが詰まってますよね。
S : いままで60曲近く自分だけにしかわからないような事柄でビート・ジャック(※1)してきたのですが、今回のアルバムはなるべく多くの方に聞いて頂きたかった。だから僕が一個人として何かに特化したリリックは他のところでやればいいかなって。
——意識的に間口の広い作品を目指したんですね。
S : そうですね。僕は23歳の若造なんですが、それでも「僕は世界をこう思っていて、こういう考えもありませんか」っていうのを提示したかったんですよね。その方法っていうのは、政治家になったり、教授になったり、色々あると思います。僕はここまでの人生の中でラップばかりしてきたから、僕に合ったやり方はラップしかなかった。そこでBACHLOGICさんから声をかけていただいたっていうことが重なって、こういったアルバムをつくるタイミングになったのかなって思っています。
——客演ラッパー無しというのも、そうした自身の世界観を貫いた結果なんでしょうか。
S : いえ、制作していたらいつのまにか一枚のアルバムになってしまった感じです。また、ファースト・アルバムでしか客演無しで制作できるタイミングがないのかもと思っていました。
——ということは、現在は未発表でも、他のラッパーと制作している曲とかあるんですか?
S : そうですね。最近だとSDのNORIKIYOさんと4WDさんとやらせていただきました!
——SALUさんはアンダー・グラウンドで活動されていた身から、一気に抜けだしてスポット・ライトが当てられている状況じゃないですか。ヒップ・ホップで生活するのが難しい昨今、それぞれのシーンにとって、「どう在りたい」というような考えはありますか?
S : 僕は自分が産み出した音楽を、より多くの人に聞いてもらって、共感したり理解しあえる人が増えたら一番いいかなって思っています。皆さんそれぞれに思いがあって、それぞれの世界に身を置いていると思います。だから僕も自分の音楽をさせて頂けたらなと思っています。
——今、気になっている人は?
S : MICHITAさんのトラックはすごく好きです。USではWaleのアルバムにすごくハマりましたね。
——Waleはトラックのチョイスにセンスを感じますよね。
S : そうですね。最近のMaybach Music Groupが一番好きです。生バンドでの演奏を意識したトラックを作って、そこからサンプリングされるネタを生演奏してみて、一瞬だけそのサンプリングを戻したりとか。そうした2012年以降の音楽における遊び心に興味があります。
※1 : ビート・ジャック : 自分の曲のために作ったトラックではなく、既製のトラックにラップをして曲にすること。
RECOMMEND
jjj / ggg
英語のようなフロウと、USシーンに通じるようなトラック・メイクの才能を持つ彼、jjj。SwizzBeatzを彷彿とさせるような個性的なビートを彩る。ファミコンからJ Dillaに至るまでのルーツを表現したビート。一度聞いたら忘れられない。YoungDrunker率いるFive Star Recordsが隠し持つ天才、jjjの音源が聞けるのはオトトイだけ!
ERA / 3 WORDS MY WORLD
seminishukeiコンピでの客演やKRBTのMIXに収録していたりと、気になっていた人も多いはずの東京D.U.OからERAがソロ・アルバムをリリース! D.U.OからDJ Highschool、Special Time、CIAZOOからTonosapiens、そしてseminishukeiからBushmind、DJ PKがトラックを提供。客演はD.U.OのO.I.、OS3、Presidents Heights/WD SOUNDSのLil Mercy。そしてMIXは、ILLICIT TUBOI。
SEEDA・OHLD・BRON-K / DESERT RIVER
2009年12月『WISDOM』をリリースし、オリコン・トップ10入りを果たしたSEEDA。2010年にはBESTアルバムとNEWアルバム『BREATHE』をリリースする。シングル「WISDOM」の楽曲やSEEDAのアルバムへ楽曲を提供するなど、今や業界屈指の名プロデューサーOHLD。SD JUNKSTAから稀代のリリシストBRON-K。「DESERT RIVER」とはシーンをお騒がせ中の3人による企画だ。
PROFILE
SALU
1988年北海道生まれ。現在、神奈川県在住。4歳でDr.Dre「Let Me Ride」を聞き音楽と出会う。14歳からラップを書き始める。MONSTARS STREET所属。SEEDA、NORIKIYO、SIMON、SD JUNKSTAらが絶賛する若手ラッパー。ヒップ・ホップのジャンルを越え響くリリック、着眼点やテーマ、他には真似できない日本人離れしたフロウ・スキル。ブレることの無いフリー・スタイルや人間性、作品そのままのライヴが彼の魅力。どれをとっても、同年代の青年が持ち合わせているものでは無い。彼の曲中に溢れる感情、知性、表現に多くの人が虜になり聞き入ってしまう。23歳にしての豊かな人生経験、彼個人の持つ才能が抜群に発揮されている今回のファースト・アルバム。これまでに数多くのクラシックを生み出しているプロデューサーBACHLOGIC、新世代プロデューサーOHLD(7070PRODUCTION)2名がサウンド面で支え、間違いなく2012年にリリースされる作品の中でもトップ・レベルであり期待を裏切らない「大型新人アーティスト」と言っても過言ではない。当然の様に洋楽のリスナー、邦楽のリスナーを問わず魅了してくれる。