2011/10/05 00:00

空中ループ待望の1stフル・アルバム完成! 1曲は、フリー・ダウンロードでどうぞ。

空中ループの松井省悟(Vocal、Guitar、Programing)ととうとう話す事ができた。筆者はDJ、彼はバンドと立場は違えど、互いに京都の、それも近しいはずのシーンにいながらも、どういうわけかこれまではその道が交差する事がなかったのだ。おそらく、それぞれに、どこか近くて遠い距離感を持っていたのだろう。なにより僕自身、2009年10月12日に行われたsleepy.abとの京都府立芸術会館でのツーマン、昨年のMINAMI WHEELにおける心斎橋クアトロへの大抜擢出演、さらにタワー・レコードとのコラボ・シングル『オンガクノ光 EP』のリリースといった、彼らのめざましい躍進を、つねに心のどこかで気にしつつも、さほど積極的に好意を寄せるほどではなかったのだから。

今回の邂逅のきっかけは彼が作ってくれた。今回リリースされた空中ループのファースト・フル・アルバム『空中ループ』。一聴して驚いた。紛れもなく、このアルバムは、僕だけでなく多くの人の持つ彼らへのイメージを大きく覆す作品だ。傑作と言い切れるだろう。松井率いるソロ・ユニットのようで、しっかりと完成された音楽ではあるものの、小さくまとまり過ぎていた音楽性から完全に脱却。堂々たるロック・バンドのアルバムである。自在にグルーヴを操るしなやかなリズム・コンビネーションと、実に多彩な音色を煌めかすギター・ワーク。プロデュースを手がけた大谷友介(SPENCERPolaris、ohana)とエンジニアを務めた益子樹(ROVO)が尽力したまろやかな口当たりと、透度の高い奥深さを同居させた音の設計も素晴らしい。そして、破格にレンジを広めたサウンドの上で、松井の歌声は真っ直ぐで力強い。それは、バンドの代表曲に照らしあわせて言うなら、これまでは両掌で大切に抱えてきた「小さな光」を、ついに世界へと大きく解き放ったようである。その眩さはきっと、さらに遠くの誰かにも届く。

インタビューでも語っているように、今作でのバンドの変化は、実に納得できるものだった。それはフロントマンへと突如襲いかかった、音楽をやる理由というやっかいな難題に対して、ただそれを鳴らし続けんとバンド一丸で向き合った姿であり、それゆえにこの成長はとにかく説得力がある。そして、ワンダーグラウンド・ミュージックという、このバンドにとって最良の選択と言うべきレーベルとの出会いも、力いっぱいに彼らを後押ししてくれたようだ。初めての松井との会話は尽きる事なく、統べ3時間半にも及んだ。松井と筆者は同世代にして、なんと奇しくも同じ京都市左京区にある精華大学出身。会話はそこから始まった。

インタビュー&文 : 田中亮太 (JET SET KYOTO/club snoozer)

「言葉では」のフリー・ダウンロードはこちらから>>>
(ダウンロード期間 : 10月12日 17:00まで)


空中ループ / 空中ループ
空中ループの待望の1st フル・アルバムをリリース! プロデューサーに大谷友介(SPENCERPolaris、ohana)、エンジニアに益子樹(ROVO)を迎えた最強コラボ・トライアングルで送る第3章。三者三様の全く違う空間から放たれた、音楽の素粒子が混ざり合う究極の化合物、極限のポップから生まれた至極の12曲が詰まった作品です。

【トラック・リスト】
01. Sky Line / 02. Traveling / 03. 長い夜に / 04. ray / 05. ステレオ / 06. 今夜、瞬く銀河まで
07. Dancing in the rain / 08. Praying / 09. Check Out / 10. ラストシーン / 11. 言葉では
12. Future

もう何をしていいかわからなかった

松井省悟(以下、M) : 今、精華大学の友達と会ってたんですけど、(田中)亮太さんも精華大学だったんですよね。

ーー実はそうなんです。歳は僕の方が上だと思うんですけど、僕は二度目の大学だったので、松井さんの方が学年は上ですよね。実は僕も授業で松井さんを見た事があって。どなたかの授業の補佐みたいなのをされてましたよね。なんかキラキラしてましたよ(笑)。

M : (笑)。たぶん広告表現技法ですね。僕らの前作のEPのPVは、その先生の会社のドリーム・デザインってところの人が撮ってくれてるんですよ。

ーーそうなんですか。あと松井さんって小松(正史)先生とも親しいかと思うんですけど、実は僕小松ゼミだったんですよ。

M : そうなんですか! 小松さんとはコマツイって名前で一緒にライヴをしたりもしてるんですよ。

空中ループ(左から、さとうかおり、松井省悟、森勇太、和田直樹)

ーー空中ループは精華大学を卒業されてから、始めたんですか?

M : 正確に言うと、四回生の11月に初ライヴをしたんですけど。でも、それから卒論書く為にしばらく休んで、3月位にまた再開しましたね。

ーーそうなんですね。じゃあ空中ループの前に松井さんがやっていたというパイロンってバンドの頃は、ばりばりの学生時代だったんですね。

M : そうですね。三回生くらいの頃に自主でCDを出したりして、JEUGIA(注1)に置いてもらったりして。

ーーじゃあ、松井さんのバンド・キャリアにおいて、フル・アルバムをリリースするまでは、本当に長い道のりだったんだ。

M : かかりすぎやろって感じですね、ほんまに。

ーー僕も空中ループがまだフル・アルバムを出していないとは思ってなくて。今回知ってびっくりしました(笑)。コンスタントにリリースをしていたにもかかわらず、これまでフル・アルバムを出さなかったのはどうしてですか?

M : やっぱりフル・アルバムを作るのって大変じゃないですか。レコーディングやミックスの日数もかかるし。僕らは自主制作やったから、その規模のレコーディングはできなかったんですよね。

ーーそう、それも知らなかったんですけど、ずっと自主だったんですよね。自主でやっていくのは大変ではなかったですか?

M : 2008年に最初のミニ・アルバムを出して、それは流通はブリッジ(注2)にお願いしたんですけど、営業とかは自分達でやってましたね。でも電話しても、とりあってくれなかったりとか、店に行ってもめっちゃ嫌な顔されたりとか。いろんな雑誌に送ったりもしました。ぶっちゃけインタビューとかって有料の場合が多いじゃないですか? でも、そんなシステムさえ知らなかったので、音が良くて熱い想いが伝わればいけると思ってたりとか(笑)。それでもディスク・レビューとかを載っけてくれる事もあって。まあ、大変でしたけど、楽しかったですね。やった分だけ返ってくるというか。人と仲良くなればなるほど進んでいったし、そういう応援をしてくれる人が全国に少しずつ増えていったりとか。

ーーそういう動き方って自分で考えて行動していったんですか? それとも指標になる存在がいたんですか?

M : まずリリースするにあたって、大阪のフック・アップ・レコーズの吉見(雅樹)さんって方がいて、もともと大阪の丸ビルのタワーレコードのバイヤーなんですけど、その人を紹介してもらって相談しに行ったんですよ。発売時期から営業・流通のやり方まで一緒に考えてくれて。普通にアピールしても絶対扱ってもらえへんから、まずはタワーの京都店と新宿店だけをピンポイントで限定リリースみたいにしたら良いんじゃないかって話をしたり。新宿店の人と運良く繋がって、今度はその人からフリー・ペーパーを紹介してもらったりとか。だから出会う人出会う人に教えてもらったんですよね。

ーー今回の作品はワンダーグラウンド・ミュージック(以下、ワンダーグラウンド)からのリリースですが、これまでに他のレーベルに入るような話はなかったんですか?

M : 無くはなかったんですけど、自分達でまだやれるかなぁみたいな気持ちもあって。実際にリリースしたらお金も入ってくるじゃないですか。それがバンドの資金になって、じゃあ次はこのお金でこんな事をやろうって、自分達で決められるのが楽しかった。今のワンダーグラウンドにも、任せっきりっていうよりは一緒にやろうって感じでやってますし。

ーーあくまで外からの印象ですけど、空中ループってすごく順風満帆に活動してきたように見えるんですね。つねに一回り大きな目標を実現してきたというか。

M : 順調といえば順調だったようにも思いますけど、でも順調に見せてきたっていうのが正しいと思います。見せ方だけは順調であるように保ちつつ、幸いそう見られるだけのトピックがギリギリあって。自分ではそういう印象ですね。

ーーしんどさであったりとか、インディーである事やDIYとかをアピールしないのはかっこいいと思っています。普通にすべき事をしているだけで、ことさら強調していないというか。

M : それについては疑問を持った事は無いですね。僕らはやるべき事をやるというか。でも、それが一番分かりやすいんですよね。全部自分達の手の中にあって把握もしていて、お願いがあれば自分達で頼みに行って、それに応えてくれる人がいれば、自分達がまず感謝できる。

ーー初期の空中ループでは、ライヴも松井さん一人でやられたりしていたそうですけど、バンドとして今の四人が固まったのはどのタイミングなんですか?

M : 正式に他の3人がメンバーになったのは、2008年の最初のミニ・アルバムのタイミングなんですけど、それからも徐々に徐々にバンドになっていった感じでしたね。ここまで4人で作った作品って感じるのは、今回が初めてだと思います。すごくバンド感が出てると思う。

ーーそれは聞いていてものすごくダイレクトに伝わってきますね。堂々たるバンド・アルバムだと思います。

M : 今まではやっぱり僕のバンドやったんですよね。僕がバンドの運営とか見せ方とかを殆ど考えてた。でも、どう演奏するとかそれぞれのやりたい事とかは置き去りになってしまっていた部分もあったんですよね。それでも、2枚目のミニ・アルバムを作った位まではうまくいってたんですけど。ただ、その後にsleepy.abとツーマン・ライブをやったり、みやこ音楽祭に出たり、タワレコ新宿店とのコラボ・シングルをリリースしたりってのが一区切りついた時に、もう何をしていいかわからなかったんですよね。曲も全然書けなくなって。でも、名前は広まっていったから、オファーは沢山くるようになって、ライヴはむっちゃ増えて。なんかライヴばっかりするようになって、でもメンバーと話し合ったり曲を作ったりする時間とかはなくて。ライヴも計画的にやってないから点が線にならなくて。それでも、ライヴするしかないからやってたんですけど。

ーー悪く言えばルーティンになっている?

M : そう。そういうトピック無いなぁって時期に、ベルリンに住んでいる大谷友介さんのところに遊びに行ったんですけど、それがもうすごいカルチャー・ショック。向こうの街の空気を感じて、大谷さんとか彼の周りにいる向こうのミュージシャンと、スタンスとか音楽への関わり方とかに接すると、なんか自分がやってきた事が間違ってたように思っちゃったんですよね。日本に帰ってからもこれまでと同じ事はやりたくないなって思ったり。かといって何がやりたいかっていうのも分からなくて。すげえ迷ってましたね。

ーー自分がやってきた事っていうのは、その当時やっていた、こなしていくようなライヴとかですか?

M : それもそうですけど、自主で活動していた事にさえ、そういう風に感じた所はありましたね。例えば僕らもツイッターをやってたりもするんですけど、向こうの感覚で言えば、「そこまで宣伝とかがんばるの?! 」って感じなんですよね。自分でも音楽をする為に、そんな事が本当にしたかったんかなぁって思ったっていうか。実はまだうまく言葉にできなくて、あんまりインタビューとかでも話してないんですけど。

ーーいや、分かる気がしますよ。そもそもなんの為に音楽をやっているのかって事だと思うんですけど。

M : はいはい。うん、そうですね。

ーーそこまで松井さんが衝撃を受けたベルリンの空気感や音楽へのスタンスについて、もっと具体的に教えてもらうと?

M : 向こうでは、仕事をしながら音楽をやってたりする人が普通にいるんですよね。働きつつエレクトロニカをやっていて、その音楽がもうプロ級に良いとか。それが普通。話してたら音楽だけで飯を食ってる人がいるのは、英米と日本だけっていうのを聞いて。多くの人はもっとナチュラルに生活の一部として音楽をやってるんやなって。

ーーうんうん。そこで、あるべき自分の身の丈みたいなものを再考させられた。

M : 日本の国内シーンって特殊じゃないですか。基本的には日本人の音楽だけで成り立ってて。向こうに行って、その特殊さに気づいた事で、そのシステムに参加すんのはどうなんやろって思ったところがあったんですよ。今まで自分がやってきた事も疑い出したというか。結局自分達をプロモーションする為の音楽というか活動へと、知らず知らずのうちになってたんじゃないかって。本末転倒になってた。でも外に出たら全然違う世界があったんですよね。

ーーなるほど。話を聞いてると、適切な時期にベルリンに行ったっていう印象を受けました。松井さんがシステムの中で次の目標が見えてなかった時期に行った事で、カルチャー・ショックをより衝撃的に受けられたというか。

M : はいはい。いや、でも今ちゃんと気づきました。ベルリンに行って思った事を、実はあんまり掘り下げられてなかったんですよね。今話しながら分かりました。まあ、でもその考えも行き過ぎてて、やっぱりプロモーションしていかんと音楽も広まらへんし、しかもこれまでさして成功してきたわけでも無いし。成功している人が行って、ショックを受けて降りるならかっこいいでしょうけど、その道半ばで道に迷って進み方が分からなくなってたっていうだけなんで(笑)。さらにベルリンに行ったら、その持ってた地図自体が正しいものかも分からなくなって。それで帰ってきただけなんかもしれないですね。

ーーああ。

M : ちょっと振り切りすぎた所もあったんですけどね。携帯とかも、なんでこんなん持ってんやろって思いだして、ずっと家に置いたままにしたりして(笑)。

ーー(笑)。でも、自分のやりたい事が分からなくなった時に、一つ一つを検証していくっていうのは、誰しも共通するやり方だと思うし、僕も共感できますけどね。携帯を置くとかまでは、なかなか極端ですけど。そもそも、ベルリンに行った目的はなんだったんですか?

M : やっぱり何か新しいものに出会ったりして環境を変えたかったんでしょうね。今の状況に疑問を感じてて、でも決めたのもベルリンへ行く1ヶ月前位で、かなり急な思いつきでしたね。

ーー今回話させてもらうにあたって、松井さんのブログを最初から読んでたんですけど。

M : まじですか!

ーーはい。ブログが始まって2回位で、すぐに田村(夏希/空中ループの結成メンバー、現Turntable Filmsのドラマー)くんの脱退っていうのがあって。あ、いきなり躓いていると思って。

M : (笑)。

ーーまあ、それは置いといて、確かにブログでも、ベルリンに行くまでの1年間位って、告知のみの投稿がすごく多くて、それ以前の松井さんが自分の言葉で喋るような投稿はすごく減っていた印象だったんですよね。

M : あぁ… その話もやばいですね。

ーーそれまでは聞いた音楽や行ったライヴの松井さんなりの感想とかも多かったんですけど、その時期は極端に告知が多くなって、僕も読んでいて辛かったですね。また告知かまた告知かって(笑)。

M : (笑)。

ーーじゃあ、ベルリンの衝撃を踏まえた上で、これはやる、これはやらないって見極めを、どういうポイントから定めていったんですか?

M : 帰ってきてすごく迷ってたんですけど、でもやっぱり曲を作らなきゃってのはすごく思ってて、なんかもっと純粋に音楽をしようって思ってましたね。でも曲作りに向かってはみたものの全然できなくて。2010年の夏の間にメンバーとも作業をしたんですけど、それでもできなくて。もう自分達だけじゃどうしようもないって感じやったと思います。

ーーバンド全体にそのムードは合致してたんですか?

M : 口には出してなかったけど、空気感として共有してたとは思いますね。大谷さんにプロデュースしてもらいたいってのはずっと思ってたから、それをなんとか実現させたいって思ってましたね。だから、ベルリンから帰ってからは、より音楽に向かわなきゃ、それが自分のやりたい事でやるべき事やって思ってました。でもなんかできんかった。

ーーうん。

M : 2010年の秋にMINAMI WHEELがあって、自分らはそこで初めて心斎橋のクラブクアトロでライヴができて。当然クアトロも目標の一つやったからすごく嬉しかったんですけど、でもそれも実現してしまって、この後どうするみたいな感じもまたあって。そういうときに、大谷さんが突然12月に日本に帰ってくるってのを聞いて、なにがなんでも12月のタイミングで大谷さんとレコーディングしたいってのを思いました。でも「なんで、曲ができなかったんですかねえ?」って訊かれても困ると思うんですけど(笑)。

ーーう〜ん。自分は音楽を作れる人間ではないけれど、ただ、これまで自分がしてきた、なにがしかへの関わり方を一度つぶさに見つめ直して行く時期には、これまでできてた事ができなくて当たり前だと思いますけどね。特に自分に疑いがある時期には、表現ってのはなかなか抽出できない気はします。

M : ああ、そうなんでしょうねえ。やっぱ自分も見直してる時期だったというか。でも深く見直せて無いのに曲だけは書きたいと焦ってたっていうか。

ーーそうした中で、ワンダーグラウンドからリリースするっていうのは、どのタイミングで話が進んでいったんですか?

M : レーベルを主宰してる加藤(孝朗)さん自体は、実は田村と二人でやってた超初期の頃から知ってて、(ワンダーグラウンド所属の)PaperBagLunchbox(以下、PBL)が京都のVOXhallでライブをやった時は対バンしたりしました。僕PBLもすごい好きやったから、その時期にワンダーグラウンドに音源を送ったりもしてたんですけど。でも加藤さんとしては全然あかんかったみたいですね。その時期の僕らへの印象は最悪やったって言ってました。なんじゃこりゃみたいな。

ーー(笑)。はいはい。

M : でも、去年の7月にPBLの10周年イベントが新宿MARZであったんですけど、そこにPBLが呼んでくれて。そのときにやっと、加藤さんとまともに喋ったんですよね。でも、その時にはワンダーグラウンドから出すとかは全く話にも出てなかったですね。むしろ他のレーベルで少し話が進んでたところもあったんですけど、それも結局なんとなく消えていった。というのも僕らが曲を書けなかったからであって、曲を書いて「こういうのやりたいから、一緒にやってください」っていうのが普通だと思うんですけど、曲も無いのにそりゃ話が進むわけない(笑)。

ーー(笑)。まあ、そうですね。

M : だから、ワンダーグラウンドからってのはほんと急にでしたね。加藤さんから、10月に東京で会った後、いきなり電話がかかってきたんです。僕らが自主でCDを出してる事を知らんかったらしく、それに驚いたみたいで。そんな風に見えなかったみたいで、どっか力入れてるレーベルとやってるんやと思ってたって。

ーーああ。僕も加藤さんの持っていたその印象はわからなくもなくて。空中ループがここまで全部を自分達でやってるバンドやってのは、同じ京都から見てても気づきませんでしたね。そう見えないところが良い面もあれば、損してる部分もあるんでしょうけど(笑)。

M : (笑)。

ーータワーレコードとかでプッシュされてるのを見て、なにがしか後ろ盾があるのかなとつい感じちゃってましたね。もちろん自分もJET SET(注3)で働いている以上、そうじゃないケースこそいっぱいあるってのは知ってるはずなんですけど。

M : でもタワー・レコードもよく推してくれたなぁと思いますけどね。あれはほんと繋がってくれた人それぞれが応援してくれたからやと思います。

ーー松井さんには、繋がるべき人や相談すべき人を嗅ぎ取る聡明さがあるのかもしれませんね。

M : この人おもしろいなぁとかこの人好きやなぁって思ったらその人ばっかりに行っちゃう、みたいな感じでしかやってきてはないと思うんですけど。それもこの人重要人物やからアピールというよりは、なんか気になるから行くみたいな。亮太さんはどうですか?

ーー僕はわりかし受け身なところがあって、会いたい人には会うべきタイミングで会えるだろうなくらいに思ってますね。しかるべき時に会えれば仲良くなれるんだろうし、それがまだなら無理しても仕方が無いというか。これまでの経験で、なんとなくそういう風に思ってます。例えばSecond Royal Records(注4)の面々とかは、本当に近くなるべきタイミングで接近した気がする。

M : ああ、でもそれめっちゃありますね。早過ぎても遅過ぎてもダメなんだろうし。

ほんま正直なものができた

ーー話の腰を折っちゃってすみません。加藤さんとはどんな会話をされたんですか?

M : 加藤さんは、僕らが自主でというかDIYでこれまでやってきてたって事を尊敬してるって伝えてくれて。加藤さんもちょうど、そういう人達と組みたいっていうのをイメージしてたみたいなんですよね。例えば(ワンダーグラウンドにいる)ROVOに関しては、ワンダーグラウンドはマネージメントってよりエージェントみたいな形でやってるらしいんですね。レーベルやマネージメントの事務所の所属アーティストってよりは、バンドがエージェントをお願いしてるみたいな。アメリカとかはそういう形が多いみたいなんですけど、ワンダーグラウンドとしては、そのROVOとの形が一つ発明だったらしく。それが成功してるから、そういう形でもっと若いバンドとやりたいって思ってたみたいで。そこに空中ループが、ちょうどはまってたみたいなんですよね。

RAVO

ROVO

¥ 1,885

ーーうんうん。

M : 僕らもエージェントっていう考えに惹かれたし、僕らのやってきた事も尊重してくれて、そこは残しつつ一緒にやっていこうみたいな感じやったから、それがすげえ良いなぁって思って。そこが一番大きかったですね。

ーー加藤さんが大谷さんとやるって話をとりまとめてくれたんですか?

M : 僕らが最初に大谷さん本人にプロデュースをお願いしたいって伝えた時、大谷さんは「松井くん達本人からお金をもらうのは違う気がする」って言ってはったんですよね。「ちゃんとした会社と組んでそこからお金をいただくのがいいんじゃないか」って。加藤さんと話した時にそれを伝えたら、加藤さんも、それをおもしろいんじゃないかって思ったらしいんですね。そこで具体的なスケジュールの調整や、お金の事とかを決めてくれた。で加藤さんから「益子(樹)さんとやるのはどうやろう? 」みたいなアイデアも出してくれて。僕も益子さんの関わった作品がすごく好きやったから「マジですか!? 」ってすごいテンションあがって。だから、加藤さんのところでやるって事になってから、歯車が回り出したというか。

ーーそういったモチベーションが上がるような決定とかが、実際の作曲のスランプにとっても突破口となったりしたんですか?

M : まあ、それであげてくれたからというよりは、そういう状況ができてきて、やらざるを得なくなったという。2010年の夏とかは、やってもできひんから他の事やったり、もう寝たりとか、そういう甘さもあったと思うんですけど、でも、もうそんな事も言ってられない状況に、否応無しに引き込まれて。でも、大谷さんとやる事が実際に決まって、益子さんもいるしって事でモチベーションが上がった所はありますね。

ーーうんうん。

M : そこでごちゃごちゃ考えてる場合じゃ無いなって事になって、曲作りに入るんですけど、それでもやっぱりはじめはできなくて。そうした中で、加藤さんから「来月中にキラーチューン10曲を含む50曲かけ」って指令もあって(笑)。

ーー(笑)。

M : ただ、そういう中で自ずと曲作りにしか意識を向けないようになれましたね。バンドの打ち出し方がどうこうとか、その時期は一切考えなかったし。むしろ大谷さんや益子さんっていう外の人とやるってなかで「じゃあ自分達四人でしか出せない音はなんだろう? 」とか、そういう事を考えていくようになりました。集中しだしたというか。結局なんとか70曲くらい書きましたね。

ーーすごいじゃないですか! でもスランプの時期にとっては相当な荒療法だったと思うんですけど、その中で掴んだ事はありますか?

M : えーと、たぶんあるんでしょうけど、まだ言葉にはできないですね。なんていうんでしょう。曲を自分だけでまとめすぎないというか。むしろ今までの自分は変に完璧主義者なところがあって、綺麗にまとまってないと嫌やったんですよね。だからすごい時間もかかるし、そこまで悩まんでいいところまで悩み過ぎたり。でも今回はまとめる時間もなく、とにかく書いていかなあかんかったから、書いて渡して書いて渡してってのを繰り返したんですよね。でもそれをやっていくとまとめすぎてない方が良い場合もいっぱいでてきて。そっちの方がいいやんって。まとめきれてないやつを無理にまとめてみたりもしたんですけど、やっぱりまとめてない方が良かったりとか。それを知ったのは、新しい感覚やったと思いますね。

ーーアルバムを聴いて、これまでの音源よりももっとそれぞれのメンバーが奔放にやっている、それぞれで解釈してるって印象があって。今の話を聞いて、他のメンバーも自由度が高まったのかなって気がしましたね。松井さんが未整理のままで出す事が、バンドをよりたくましくさせたというか。

M : 今回から他のメンバーも曲を書き始めたんですよね。僕がなかなか書けへんかったからっていうのもあるんですけど、それはバンドの中では大きかったですね。曲もデータを回して作っていったりとか、歌詞も途中まで書いた状態で他のメンバーに投げたりとか。それはめっちゃ新しい発見になりましたね。そして、その作業自体が、思っていたよりはるかにスムースでした。

ーー曲調も多彩ですよね。ファンクっぽいものからエレクトロニカ要素の強いもの、弾き語りっぽいものまで幅広くなっている。

M : 今回はこれはやっちゃいけないとか、これは空中ループじゃないとかは全部とっぱらいましたね。勝手に出てくるものや、したい事を封印せずに、とにかく自分を素直に出しましたね。ほんま正直なものができたと思います。

ーーうんうん。

M : 今なにが流行ってるとかも、今回は全然考えませんでした。今までは結構自分達のいるシーンとか、そこでの立ち位置とかを意識してたし、ああいうのを聴いている人達にはどうやったら届くかとか、ちょっと気にしてたんですよね。ミックスするときにも、他の売れている作品を聴いて参考にしたりとか。今回のは全くそういう事をしなくて、その曲をどうもっていったらおもろいかみたいな感覚しかなかったですね。しかも自分達だけじゃなくて、大谷さんと益子さんの意向もむっちゃ入ってます。ミックスのときとかも、「ちょっとメンバー出てって」みたいに言われて、帰ってきたら全然違う風になってて、「これどう? かっこよくない? 」って言われたりとか(笑)。でもそれがかっこいいもんだから、ストレートに「いいっすね」って言って、そのまま仕上げたり。だから今回はバンドでってのもそうですけど、さらにプロジェクト全員で作り上げた感じ。かつそれがめちゃめちゃうまく機能したというか。

ーーうん。ただ、曲はいろいろある上で、ちゃんと空中ループって芯はアルバムに一本通ってるのがすごく良いんですよね。

M : それはむっちゃ嬉しいですね。これまでは自分の中のいろんな面を、全部やっちゃうとわかりにくいみたいに言われた事があって。例えば、コーヒーがあるとして、めっちゃ熱いかめっちゃ冷たいかじゃないと、人に説明しづらいじゃないですか。その中間だと人にわかりづらいから、まずは熱いか冷たいかどっちか極端な方に寄せるべきなんじゃないかって。でもそれもちょっと違うし、自分のやりたい事じゃないなぁって。

ーーうーん、でも熱いとか冷たいとか、どっちかに振り切った表現をできる人はできるんでしょうけど、松井さんは、自分がしたい温度を表現していくしか無いんじゃないですかね。空中ループの音楽自体が、そんなに極端に振り切れるものじゃないし、悲しいのか嬉しいのかとか、高揚してるのか泣きたいのかとか、そういううまくわりきれない感情を表現してると思いますし。

M : うわぁ。そう聴こえてるとすれば、すごく嬉しいですね。

ーー極端なものって、それはそれでわかりやすいとも言えると思うんですよね。過激でかっこいいみたいな。でも空中ループの音楽は、ポップスでもないしロックとも言い切れない、エレクトロニカに吹っ切ってもいないっていう、カテゴライズしにくいものでしょう。

M : はい。

ーーかつ、これまでは松井さん一人の完成された世界観だったからしっかりした音楽なんだけど、ちょっと閉じたものになっていた印象でした。

M : あー、はいはい。

ーーでも、今回はぐっと世界観が開けてると思いますよ。だから、これまで通り言い切れない温度の音楽なんだけど、これまでより破格に広いレンジで、その温度が共感されていると思います。

M : ありがとうございます。亮太さんにそう言ってもらえるのは、重みのある事やと勝手に思ってます。

ーーありがとうございます。ところで、松井さんは産まれも育ちも京都なんですか?

M : はい。

ーー活動を続けていく中で、東京に出ようと思った事は?

M : それは全く考えてこなかったですね。それぞれの土地で、盛り上がる方が楽しいと思うし。事務所も東京にあるわけで、別に東京が嫌とか、東京を志向してないとかでは無いですけど、別に生活の拠点を移す必要はないなと思ってて。行く事がキャリア・アップになる時代でもないだろうし。

ーーうんうん。

M : 単純に京都が生活しやすいし、ふるさとだし。ただ逆に言うと、東京に限らずいろんなところで生活してみたいってのも思ってますけどね。例えば出雲とか瀬戸内海のどこかとか、あるいはベルリンだったりとか。でも、京都がアイデンティティになってる事は間違いないでしょうね。

ーー自分達の音楽自体に京都性を感じる事はありますか?

M : 京都っぽいって言われる事はすごく多いので、滲みでてはいるんでしょうけど、自分達ではあんまりわからないですね。

ーー京都にいる事で活動しにくいと思う事は感じない?

M : 地域ごとの距離はすごく縮まってると思うんですよね。例えばインターネットの中では世界中の距離が均一だし。実際の都市の距離、東京・京都間は500kmのまま絶対縮まないけど、みんなの意識や感覚はすごく近くなってるなあって。僕普通に心斎橋のライヴに行って、東京の自分達のライヴのフライヤーを撒いたりするんですけど、そういうのって昔だったら意味なかったと思うんですけど、今はそんな事無いんですよね。

ーー確かに。

M : そういう距離が縮まってる以上、逆にそれぞれの地方性はより際立つし、だから地方にいてもやれると思いますね。

ーーうん。僕らの世代で、東京に行かなくてもいい、地方で他の仕事を続けながらでもちゃんと音楽ができるってのを、一つ形にしていかなきゃいけないってのはすごく思っています。それこそベルリンの空気感じゃないけど。

M : バランスが大事やと思うんですよね。プロモーションして音楽を広めていく事はやっぱりしないといけないし、音楽で生計を立てられたらそれが一番だとは思うし。だけど、それで音楽をするという、そもそもの本質がおろそかになってしまったら意味が無い。そこは僕もすごく共感できますね。

ーー今日は長い時間ありがとうございました。すごく楽しかったです。

M : 僕こそありがとうございました。これからが楽しみになりました。

※注1 : JEUGIA(ジュージヤ)は京都府京都市中京区に本店を置く楽器・楽譜・CD・DVDの販売や音楽教室・カルチャーセンターの運営などをおこなっている。
※注2 : 株式会社ブリッジ。自主制作のCDやDVDの流通、通販を行う音楽流通会社。
※注3 : 京都に本店を構える日本有数のヴァイナル・メガストアJET SET。HIPHOP、HOUSE、TECHNO、JAZZ、SOUL、INDIEまで、国内外の良質な音楽をオールジャンルで取り扱う。
※注4 : 小山内信介が2000年4月、京都で始動させたDJイベント「SECOND ROYAL」で活動するアーティストの作品を中心にリリースを行うレーベル。HALFBY等が所属。

空中ループLIVE INFORMATION

2011年10月08日(土)@MINT KOBE特設会場
2011年10月08日(土)@京都VOX HALL
2011年10月09日(日)@梅小路公園(京都)※松井省悟ソロ出演
2011年10月10日(月)@新宿タワーレコード7F
2011年10月13日(木)@京都VOX HALL
2011年10月14日(金)〜10月16日(日)@大阪ミナミ・エリア ライブ・ハウス
2011年10月19日(水)@渋谷o-nest
2011年10月29日(土)@佐賀RAG-G
2011年10月30日(日)@福岡PEACE
2011年11月16日(水)@心斎橋JANUS

空中ループpresents「ライブ アクロス ザ ユニバース3」
2011年11月04日(金)@新栄クラブ・ロックンロール
2011年11月18日(金)@新宿MARZ

PROFILE

空中ループ
京都発信、音響ギターポップバンド「空中ループ」。
のびやかで心地よいメロディー、独自の浮遊感と躍動するリズム、小さくも確かに心を灯す詞。それらが絶妙に合わさる音世界は唯一無二。これまでのリリースCDは、タワレコ新宿店、京都店、梅田マルビル店で発売日インディーズ・チャート1位を獲得。また全国のタワー・レコードがプッシュするアイテム「タワレコメン」に選出される等々、好セールスを記録。2011年より、プロデューサーに大谷友介(SPENCER、Polaris、ohana)、レコーディング・エンジニア&MIXに益子樹(ROVO)を迎え、新プロジェクト「Walk across the universe」が始動!『この国(日本)を変える、音楽の一端を担う』というおおきな目的に向かって、ちいさな日常を邁進している。

空中ループ オフィシャル・サイト

ワンダーグラウンド・ミュージック
メジャーメーカー出身の小川雅比古と、マネージメント畑出身の加藤孝朗の2人により2000年に設立された、インディペンデント・レーベル&マネージメント・カンパニー。七尾旅人の2枚組アルバム『ヘブンリィ・パンク・アダージョ』のリリースを皮切りに、様々なアーティストのアルバムをリリース。日本が誇る屈指のライヴ・バンドROVOのマネージメントも会社設立と同時に担当し、恒例となった日比谷野外音楽堂でのイベントや、海外ツアーを手掛け、2006年のアルバム「CONDOR」からマネージメントのみでなく、彼らをリリース・レーベルとしてバック・アップ。また、2008年より、Ki/oonからメジャー・デビューするバンド、プリングミンのマネージメントを開始するなど、その活動は、インディー、メジャーの両フィールドに及ぶ。またオーストラリアのアーティストを中心に洋楽のライセンス・リリースや来日公演の招聘も行い、THE GO-BETWEENSの20年越しの初来日や、ART OF FIGHTINGの3回のジャパン・ツアーも実現。「POP=わくわくするもの」というキーワードにこだわり、あくまでも自分達がPOPと思える音をリリースしていく事が、レーベル・ポリシー。

ワンダーグラウンド・ミュージック・オフィシャル・サイト

この記事の筆者

[インタヴュー] 空中ループ

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