2011/10/15 00:00

ゆーきゃん×DE DE MOUSE対談が実現!

ゆーきゃんの新作『ロータリー・ソングズ』を聴いた。この作品が録音された場所は、今は取り壊されてしまった本作のエンジニアでもある高橋健太郎の家。実は、筆者はここに居候していたこともあり、思い入れはとても強い。東京の古い家が持つ力強さと謙虚さを兼ね備えた下丸子の駅から10分程歩く一軒家。出来上がった作品は、記憶に残るあの家の面影を持っていた。地震が来ても台風が来ても倒れない力強さを持っていた。この作品を聴いた時にゆーきゃんと対談して欲しいと強く思ったのが、DE DE MOUSEだった。彼がメジャーを離れるというニュースを聞いた時、伝説のフェスRAW LIFEで彼を知ったからか、また自由奔放に動き出すんだなと、とても嬉しくなった。BOROFESTAを主催するゆーきゃん、RAW LIFE出身のDE DE MOUSE。そしてお互いがソロで活躍している。共通点は、インディペンドの強さ。この2人の対談から、インディペンドのあり方を感じ取ってもらえたら幸いである。

進行&文 : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) / OTOTOY)

ゆーきゃんの新作が、術ノ穴からリリース!

ゆーきゃん / ロータリー・ソングズ
1曲目から5曲目は、2年弱の東京在住時における唯一の音源。このミニ・アルバムの制作途中、作品を半ばお蔵入りにしてゆーきゃんは京都に戻って行った。また、6曲目は京都に戻ってからのライヴ・テイク。『ロータリー・ソングズ』は東京時代のゆーきゃんの遺作にして、京都と東京をつなぐアーティストの一人として再生する、その記念碑となる。

一人でやっているアーティストって戦っている(DE DE MOUSE)

——二人が出会ったのはいつ頃?

DE DE MOUSE(以下、D) : 今日話す為に思い出そうとしてきたんですけど、全然思い出せなくて(笑)。2007年4月の終わりくらいに、1stを出したExT Recordings(※注1)の企画ではじめて京都でやらせてもらって、その1ヶ月後に田中亮太 (JET SET KYOTO / club SNOOZER) 君がイベントに呼んでくれて、確かその時にゆーきゃんを紹介してもらったのかな? それで、その年のボロフェスタに出させてもらって。西部講堂(※注2)の畳の部屋でギターのチューニングをしているゆーきゃんに話しかけたのは覚えているな。
ゆーきゃん(以下、Y) : ExTのイベントって2回やっていましたよね? 京都メトロでたくさんDE DE MOUSEを観たのを覚えています。
D : あの年は京都に3、4回行ったかな。そこでHALFBYやHANDSOMEBOY TECHNIQUEとも仲良くなったりして。もともとWEBレコードショップPERCEPTO MUSIC LABのモリカワさんが扱ってくれていたのをTSUTAYA西院店(注3)のバイヤーの森田さんが見つけてくれて。「TSUTAYA西院店の者ですが、うちの店にCD-Rを置きたいです」って連絡がきた時はびっくりしました。「え? TSUTAYA?! 」って(笑)。その頃はまだTSUTAYA西院店のことをよく知らなくて、「買い取ってくれるなら是非」ってお願いしたんです。
Y : あの頃、京都は空前のDE DE MOUSEブームでした。僕もTSUTAYA西院店で働いていたんですけど、作業台にいると必ず「この曲なんですか? 」って問い合わせがあったんですよ。それまで関西ってブレイクコアが流行っていて、関西ゼロ世代と呼ばれたKA4UとかZUINOSINとか、初期ボアダムスをエレクトロにしたようなはっちゃけたものが多かった。そんな中で、最初にDE DEくんの音楽を聞いた時は、聞いたことの無い音楽だと思いましたね。どうやってこのメロディーでダンス・ミュージックを作っているんだろうって。
D : ボロフェスタの後、ゆーきゃんが梅田のシャングリラでやるイベントに呼んでくれたんだけど、僕がリンパの病気になって入院せざるを得なくなってしまって。その時期に決まっていたイベントを全部キャンセルしなくちゃいけなくて、「出られないなら誰か代わりを紹介してください」って言われたりする中で、ゆーきゃんは「早く体を良くしてください」っていうだけで、後は全部引き受けてくれたんです。その時はまだ体調不良の原因がわからなくて、死んじゃうかもしれないと思っていたから、その気遣いが凄くありがたかった。それ以来、頭があがらないんですよね(笑)。
Y : キャンセルになってどうしようかと思っていたら、森野さん(HANDSOMEBOY TECHNIQUE)が「空いているから良いよ」って出てくれたんです。今こうやって話を聞いていると、皆が輪になっていて面白いな。

左からDE DE MOUSE、ゆーきゃん

——互いに、どんな印象だったのでしょうか?

D : 僕はゆーきゃんの音楽や活動が好きなんです。西部講堂でのボロフェスタは、シチュエーションも含めてすごく良かった。周りの苦情かなにかでタイム・テーブルが崩れたりした中で、ゆーきゃんがイベントの最後にスピーカーに上ってマイクを使わずに演奏した時に、歌の強さだったり、イベントに対する真剣さがストレートに伝わってきたんだよね。
Y : あの頃は「東のRAW LIFE、西のBOROFESTA」位に思っていたんだけど、「今年は(RAW LIFEから)すごい奴が出てきた」っていう話を聞いて、同じようなフィールドから出てきたスターだと、希望を抱いていましたね。DE DE MOUSEがどんな風になっていくのか。その後もたくさんの人に受け入れられている様子を見ているのが楽しかった。新作のニュースが出るのを見る度に勝手に嬉しくなっていましたね。
D : そういうところは似ているかも。自分が共感を感じるような人だったり、好きな人のリリースがあったり頑張っているのを見ると、勝手に嬉しくなる。また今年もボロフェスタで大変なんだろうなって思うしね。やっている皆は死に物狂いなんだろうけど(笑)。皆で共有し合って、一体感をもってひとつのことをやりとげる。イベントって中心の人がいて、その人がワンマンな感じでやることもあるじゃないですか。僕は遠巻きにみているだけだけど、ボロフェスタは飯田くんやゆーきゃんとかが皆の志気をあげていっている感じがあっていいなと思ってる。それに加えて自分達の音楽活動をやっていることが、凄く勇気のあることだなって思うし。「音楽が不況だ」って言われるような時代に、自分の首を自分で絞めにいっている感じが好きなんですよね。

——(笑)。

D : 自分に理由や言い訳をつけて生活しながら、片手間で音楽で成功したらいいなって考えている人達に比べるとよっぽど覚悟を決めてやっている。そういう人達は評価されてほしいと思うんですよね。

——DE DEくんは今年、メジャー・レーベルから独立しましたよね。

D : アルバムを一枚出すのに、10人も20人もスタッフが動くのってどうなのかなって思うようになったんです。もちろん、僕だけじゃなくていろんなアーティストを抱えているから単純計算は出来ないんだけど、何かをやるにしても、フットワークが重いというか、時間、労力、お金だけがかかる感じがしっくりこなくて。こんな時代だから、メジャーで毎月お給料をもらって、音楽業界から抜け出るのを待つのもありなのかもしれないけど、自分はこの仕事で一生やっていくと決めているから、つまらないことはしたくないんです。「毎日食べる分を必死で稼ぐ」くらいの気持ちでいたほうが、作るものにも絶対影響するだろうし。あとは単純に外に出たほうが楽しいだろうなって思ったから。一番の理由はそこですね。

——今はライヴもソロやバンド等、いろんな形態でやられていますね。

D : 基本はサポートっていう形で、ツイン・ドラム入れたり、キーボードを入れたり、やっていく中でバリエーションを増やしていっていますね。プレーヤーの癖も含めて、対人間だから、自分が求める音が求めるところにくることはなくて。でもそれが凄く面白い。バンドでやることによって自然と自分の作品にフィードバックされていることもあるんだけど、ゆーきゃんとシグナレスみたいに、名義を変えて違う音をやろうとは思っていなくて、すべて「DE DE MOUSE」に反映させるのが面白いなと思ってて。
Y : 僕は一緒にやるプレーヤーがゆーきゃんの音をどう解釈するかに面白みを覚えていて。シグナレスだったら、池永(正二/あらかじめ決められた恋人たちへ)さんに声を素材として納品している感覚なんです。「これあげますよ」って渡したものをどう返してくるかを楽しんでいる。やってみないとわからなくて、もしかしたらうまくいかないこともあるんだけど、それが面白くてやっているかな。あと最近スタジオに入る度に「自分は合奏に憧れているんやなぁ」と思う。一人でギターとうたで音を削るってことを10年くらい突き詰めてきたから、合奏っていうものに喜びを感じることが大きいな。
D : 僕はゆーきゃんと真逆かも。ずっと一人でやっていたから、バンドでやりたい、コンサートみたいな形で出来るようにしたいと思っていたんです。それでドラムやキーボード、フィーチャリング・ボーカルを迎えてやったり、野外フェスにも出させてもらったりしたんですけど、その一方で、自分一人で200人くらいの深夜帯のクラブでもやることも多くて。一昨年の終わり位からは、自分一人で皆を楽しませることが出来ないと、いくらバンドでやっても意味が無いなって考えるようになってきたんですよ。一歩引いたところで合奏というものを捉えているかな。一人でやっているアーティストって戦っているなって思うんですよね。最終的には「自分でなんとかする」覚悟があるというか。

——「自分でなんとかする」っていう意識はゆーきゃんも強いと思うんですけど、自分の作品に関して思っていることやこだわりはありますか?

Y : もともと「こういう風に作りたい」って考えることが出来なかったんですよね。DE DEくんだったら、メロディーがあって、ビートがあって、音像があって作品をひとつ作るでしょ? 僕はギターを弾いてうたを歌うだけだから「いざアルバムを作りましょう」ってなった時に、はじめて「ここにこういう音が必要」っていうのを考えるようになったんです。1枚目の『ひかり』は曲ごとにゲストを変えて作って、2枚目の『sang』はまるきりバンドで録りたいなぁと思って、ベースの人が熟練したミュージシャンだったから、彼にアレンジとかもリードしてもらって作った。シグナレスも池永さんと作っているし。だから今作では、本当に「ゆーきゃんの」って言えるものが作りたいと思っていたかな。でも大分(高橋)健太郎さんと相談しながら作ったし、基本的に一人で全部作るってことが出来ないと思っているかな。

——ソロ・シンガーなのに。

Y : これもボロフェスタで身に付いた癖というか、大体のことを対話で進める。話し合いがあって、皆で物事を進めていくっていうのを今回のアルバムでもやったんです。健太郎さんはエンジニアやけど、共同プロデュースに近いかな。それはライヴでサポート・メンバーを入れる感覚に近いのかもしれない。自分のうたを投げて、そこに対して付け加えてくれたことを互いに話し合って削ったり決めたり。
D : 『ロータリーソングズ』聞かせてもらったけど、タイム感がなくて、不安にさせる感じがあるよね。

——(笑)。

D : いや、良い意味でね(笑)。例えば、100~200年前の遺跡から見つかったカセット・テープを再生した時に流れてくる音楽というか。懐かしくなる、夢の中みたいな感じというか。僕、つげ義春とか水木しげるとかのガロ系のマンガみたいな、白黒で古くてタイム感のないものが好きなんだけど、それと近いものを感じたんですよね。ただ美しいっていうのとは違って、日常的かといわれたら、そうでもなくて。ミックスも含めてそういう音になっているのかもしれないけど、どこにもない、比較するものがない音だなと思っていますね。人間って新しいものに対して必ず拒否反応が出るから、それに近い反応なのかなって。誰が聞いても「ゆーきゃん」でしかないし、ゆーきゃんの音楽。ゆーきゃんの持っている業や欲望や、性に関することも含めて、ゆーきゃんが自分の中で隠そうとしていることも出ている感じがして、それが面白いですね。
Y : ありがとう。

歌うことで祈ることが出来る(ゆーきゃん)

——「どこにもないもの」っていうのは、自分に置き換えた時に憧れの対象になりますか?

D : うん、やっぱりぱっと聞いてDE DE MOUSEだってわかるものにしたいよね。どれだけワン・パターンだって言われたとしても、自分じゃないとやる意味がないものっていうのが存在価値なんじゃないかな。それをきちんと作品にしたい。ライヴとかの一回限りのものだったら色んなことをやるんだけど、僕はライヴと音源は別物だと思っているから。もしかしたら1000年後の人達もデジタルのデータを通して聞くかもしれないじゃないですか。で、今ダブ・ステップが浸透しているからって、DE DE MOUSEがそのまんまダブ・ステップをやっても、1000年後の人は聞かないかもしれないじゃない。
Y : DE DEくんはダンス・ミュージックっていうフォーマットの中で、どうオリジナリティを落とし込むかっていうところで発明をした人だと思うんですよ。「DE DE MOUSE」っていう個性を打ち立てた。
D : もともとは10年くらい前、Prefuse73が流行った時に、皆こぞってラップ・チョップしてリズムにしていて。その流れがすごく嫌だったんですよね。面白くないなと思った。「だったらいいメロディーを作ってチョップしたらいいじゃん! 」って思って。考えたのはそれだけで、後は必然的にそうなっていったんです。それはゆーきゃんもそうだと思うんだけど、紆余曲折があって、気付いたらあの歌い方になっていたんだろうし。
Y : そうだね。僕はあるライヴへ向かう電車の中で、自分が一番気持ちいい声は鼻歌だってことに気付いて。それでライヴで試してみたらこれだったんだって思った。
D : 昔はもっとハードコア的な、激しいものをやっていたんだけど、その中で皆が反応するのがメロディアスなものだった。盛り上がっているものだけがいいと思っていたんだけど、盛り上がっていないように見えてもしっかり記憶に残るものだったんですよね。それを意識するようになってから作ったのが1stで、いろんな人が反応してくれたんです。

——『ロータリーソングズ』を録音したのは、まだゆーきゃんが東京に居た頃なんですよね。

Y : 1年半前に録って、そこからミックスやマスタリングを何度もやり直して、この間やっと完成したんだけど、時間が経ちすぎて自分の歌として扱わずに済んだのがすごく作品に影響していると思います。皮膚感覚でこれがアリかナシかっていう判断が出来たんです。
D : 僕も自分の作品をすぐリリース出来ない。曲は自分の子供みたいなものだから、出来てすぐの時はまだ成人していないんだよね。曲が独り立ちしていない時はまだ自分の気持ちもフラットじゃないから、どうしても贔屓目にみちゃうし、冷静な判断が出来なくて見切り発車になってしまう。だから曲に対する思い入れがなくなるまで時間を空けて待ちますね。この『ロータリーソングズ』は、ギターとうたと薄く入ったピアノやノイズだけでごまかしが利かない分、作品に対する気持ちの強さみたいなものを感じました。ラフに聞こえるようで、すごく神経を使っている。
Y : 1年半経って客観的に聞いてみると、あの時に健太郎さんが立てていたマイクや、後ろでほんのりと鳴っているシンセの凄さとか、うたの後ろにある背景や下地、あるいはそれを置く額縁がどれだけ大事かを感じました。あと、もともとあった曲数から2曲削っているんだけど、これは今回のアルバムで僕が自分で立てた一番の功績だと思ってて。

——それはどういうこと?

Y : さっきDE DEくんがタイム感がないって言ってくれたけれど、自分自身、光が射しているような埃っぽさというか、たとえば本の中のような現世離れした感じを求めていたんです。それでいて命があって、温度があって、明るさがあって、適度な湿度のあるものを。それは3月11日以降のこの国の空気に対する自分の生態反応だと思うんだけど、その時にその2曲は合わなかったんですよね。
D : そうか、このアルバムに入っている曲は、3月11日以前に書いたものなんだ。1曲目に「春」っていう言葉が出てくるから、あの日の出来事があってから迎えた「春」ということなのかなって思ってた。
Y : 結果としてそういう解釈が出来る箇所もあるとは思うけれど、あの6曲は書いた時期もバラバラだし、歌詞やメロディーを書き直したりしているものもあるから「これはいつの曲」っていうのがよくわからないんですよね。

——DE DEさんは時代性を気にしますか?

D : 3月11日以降で世の中が変わってしまって「それまでと同じことをしていたい」という願望が無意識に表れているのかなと。あと「ちゃんと距離やバランスをとっていかないと」と考えるようになりましたね。そこに関しては、まだ明確な答えとは言えないけれど。当時を思い返すと、震災から1ヶ月くらいの間は、不安だったんでしょうね、めちゃめちゃ曲を作っていました。

——ゆーきゃんはどうでしょう?

Y : うたの中にメッセージを盛り込むっていうことをやったことがないし、出来ないので、作風や歌っていることの内容ががらっと変わったりすることはなかったけど、やっぱり震災後につくった3曲は、その選ぶ言葉に込められるイメージや祈りが少し変わったと思います。

——どういう風に変わった?

Y : 強くなった。震災があって「世界が滅びるかもしれん」と思ったものの、傍観者としての危機感しかなかったんですよね。しかも僕は関西に居たから「これってやばいんちゃうの?! 」って必死にならなかった分、テレビや電波を通じてしかわからなかった。でも4月にPlay for Japan(注4)というイベントで仙台へ行った時に、皆、気丈だったんですよ。友だちも、初めて会う人も。ああ、人間って強いんやと思って。そのことが自分の中で命に対する信頼に繋がったというか。表現をするってことは生きているから出来るわけで、生き残った人は表現をしなければいけないと思った。それは仕事をするとか、誰かを愛するとかもそう。僕、世界の終わりについて歌ったうたも何曲かあって。それは「終わってほしい」と思っていたのか、「終わることもあるだろうな」と思っていたのかは今となっては思い出せないんだけど、今ライヴで歌う時は「終わってほしくない」と思うようになりました。歌うことでもう一度世界に対して祈ることが出来るから。

——インディペンデントに可能性を感じていることを教えてください。

D : 音楽を好きな人が「音楽に関わりたい」という温度を持ったまま伝えられるのがインディペンデントの良さだと思う。「お金はいいから、俺はコイツが好きだから、これに関わりたい! 」っていう希望が活動に表れているんだよね。アーティストでも、「俺は音楽で生き残るぞ」っていう気持ちがある人はインディペンデントだと思うな。自分も、気迫とか執念はメジャーにいた頃よりも強くなっていると思うし。本当に強い人って、安々と心の内を明かさない。それはネットが氾濫している中で、明確にふるいにかけられているような気がしますね。

——なるほど。

D : 僕らや音楽に関わっている人達が、いがみあったり喧嘩したりするんじゃなくて、きれいごとのひとつでも言いながら理想を伝えていかないといけないですよね。今の若い子なんて音楽業界に夢も希望も持っていない子が多いんだから。僕らは子供の頃見ていたわけじゃないですか? 音楽をやっていれば目立てて、お金持ちになれて、スターになれてっていうのを。自分達もミュージックステーションでたいな! とか(笑)。

——あったあった(笑)。

D : そういうのが今の子達にはないから、少なくとも自分達は理想と自信に満ちあふれているんだってことを見せていけたらいいなと思っています。それがきれいな言葉でなくても、聴衆の期待を裏切るようなかたちでもいい。表裏一体のものを全部ひっくるめて格好良いと思ってくれる人が増えればいいと思ってる。ほら、深夜に友達の家に集まって自分の理想を語るようなことを続けられるのがインディペンデントなんじゃないですかね。結局4畳半の部屋から出てくるものが一番リアルで新しいと思うんだよね。
Y : 僕はずっとインディーだから比較は出来ないけど、音楽のサイズってあると思うんですよ。1万人に向けてなのか、500人に向けてなのか、10~20人に向けてなのか。日本中の小さなカフェに呼ばれて、5人に向けて歌ったりもするけど、たった5人でも体の中で音楽が大きな反応を起こすのであればそれはすごいことだと思っていて。表現する側がインディペンデントだってことは、リスナーもインディペンデントなんじゃないかな。奏でる人と聴く人が同じ高さで繋がるから、インディペンデントっていう場所は、とても幸福な形になっていると思っている。クラブでも小箱の面白さってあるでしょ?
D : うん、小箱、大好きなんだよね。
Y : あの100~200人の中で起こる科学反応、あの奇跡みたいな瞬間って、フジロックのグリーンステージでは起こりえないことだよね。
D : 昔は「一番盛り上がっているこの瞬間にライヴを終わりにしたい」と思うことが多かったんだけど、岡山のペパーランドでやった時に、最初はお客さんもどうしていいかわからない感じだったのに、ライヴの終わりにはダイブをしている人が居て(笑)。それをみた瞬間に、「いつまでも終わらないでくれ! 」って思いましたね。反応がなかったところからお客さんの温度を徐々にあげていって、皆が手を上げたりしているのを見たら、こんなに素晴らしく美しいことはないなと。そういう小さいところのほうが音楽がどれだけ人に影響を与えるかっていうのが目に見えてわかりますからね。
Y : 小さな人の輪が何かを変えるって言うことが、これからのインディペンデントの可能性だと思いますね。たぶんいままでもそうだったんだろうけど、大きくならないままでも、きっと強い力を持てるようになってきている、そんな気がします。

注1 : 2007年、元トランソニック・レコード(TRANSONIC RECORDS)主宰、永田一直が立ち上げた自主制作CDレーベル。第一弾アーティストは、DE DE MOUSE。第二弾アーティストは、CHERRYBOY FUNCTION。
注2 : 京大の敷地内にある講堂。過去には、ボ・ガンボスや村八分等がライヴを行った。2007年まで、BOROFESTAやみやこ音楽祭等も行われていた。
注3 : 京都西院にあるTSUTAYA。セルが大きく、飯田仁一郎(Limited Express (has gone?)/OTOTOY編集長)、田中亮太(JET SET KYOTO / club SNOOZER)、小山内信介(Second Royal Records)、ゆーきゃん等が出身。
注4 : OTOTOYが主導となり3.11の震災後5日間で創った東日本大地震救済支援コンピレーション・アルバムの名称。イベント等も行い、アルバム数は、現在10アルバムにも及ぶ。

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LIVE INFORMATION

ゆーきゃん
2011年10月16日(日)@神戸太陽と虎
2011年10月23日(日)@京都KBSホール
2011年11月03日(木・祝)@大阪・中津Vi-code 2011年11月06日(日)@大阪・なんばBEARS
2011年11月19日(土)@京都・木屋町UrBANGUILD
2011年12月02日(金)@渋谷UPLINK FACTORY
2011年12月23日(金・祝)@名古屋・鶴舞k.d.japon
2011年12月24日(土)@大阪・なんばBEARS

DE DE MOUSE
2011年10月22日(土)@代官山UNIT
2011年10月23日(日)@京都KBSホール
2011年10月29日(土)@代官山UNIT
2011年11月06日(日)@多摩美術大学
2011年12月02日(金)@渋谷WWW
2011年12月03〜04(土・日)@長野山ノ内町渋温泉 金具屋・斉月楼/飛天の間

PROFILE

ゆーきゃん
富山出身のシンガー・ソングライター。京都で歌い始め、現在は主に東京で活動している。アシッド・フォーク/サッド・コアを体現するようなその声と日本語詩は、聴くものに儚くも強烈な印象を残す。弾き語りのほか、サポート・メンバーを加えたシティ・ポップス・バンド「ゆーきゃんwith his best friends」、関西アンダーグラウンドが誇る鬼才ダブ・トラック・メイカーとのコラボレーション・ユニット「シグナレス(ex.ゆーきゃんmeetsあらかじめ決められた恋人たちへ)」、Limited Express (has gone?)のJJ、PARAの家口茂樹らとのバンド「conterattack from the babymoles」など活動は多岐にわたる。京都で開催されるD.I.Yフェス「ボロフェスタ」主催メンバーのひとり。「生まれ変わったら天使になりたい」と言ったとか言わなかったとか。

ゆーきゃん officail HP

DE DE MOUSE
チベット、インドネシアなどの民族音楽の歌、子供の声からソウルフルなヴォーカルまで、多彩な素材を緻密にチョップ&エディットした印象的なメロディ。独特なコード進行の上を飛び交うきらびやかなシンセサイザー・サウンドに、ブレイクコアまでも連想させる緻密だがアクセントの強いビート。アシッド・ハウスからアーメン・ブレイク、ヒップ・ホップからフュージョンまで様々なキーワードをリンク、融合させ、新たな可能性を体現するエレクトロニック・シーンの異端児DE DE MOUSE。誰にも真似出来ないイマジネーション豊かな楽曲に加え、ツイン・ドラムを従えたアグレッシブなバンド・アンサンブルから大胆にエディットし直されたダンスセットまで、ライブスタイルも独創的でエネルギーに溢れている。音源、パフォーマンス共に国内外問わず多数のアーティストやクリエイター達から強力に支持され、ファッション、ゲーム、グラフィック等、あらゆるジャンルとのコラボレーションも積極的に行っている。

DE DE MOUSE official HP

この記事の筆者
長谷川 豊 (かえるとび)

DE DE MOUSE×ゆーきゃん対談

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[インタヴュー] DE DE MOUSE, TAKADA BAND

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