2013/03/12 00:00

NONA REEVESが発信する王道ポップス『POP STATION』

あらゆる困難から「楽しい!」を解き放て!! ヴォーカル西寺郷太をはじめ、ギター奥田健介、ドラム小松シゲルを有するNONA REEVESが、4年ぶりのオリジナル・アルバムをリリース。プロデューサー、アレンジャー、セッション・ミュージシャンとして多彩に活躍し、日本の音楽シーンになくてはならない存在となっている日本のポップ・マスターと呼ぶにふさわしい3人が、プロデューサーに冨田謙を迎え、日本のポップスのスタンダードをここに、確立する。


NONA REEVES / POP STATION
【価格】
wav 単曲 280円 / アルバム 2,800円

【Track List】
01. P-O-P-T-R-A-I-N / 02. Weee Like It!!! / 03. Never Ever Let U Down / 04. ECSTASY / 05. GOLDEN CITY feat. 一十三十一 / 06. Mr. Melody Maker / 07. マンドリン・ガール / 08. WEEKEND (P-O-P-T-R-A-I-N Part II) / 09. 三年 / 10. 休もう、ONCE MORE

※まとめダウンロード特典、歌詞カード+ライナーノーツ付き!!

INTERVIEW : 西寺郷太(NONA REEVES)

「ポップ・ミュージック」って何? もしそう思っている人がいたら、NONA REEVESの4年ぶりとなるアルバム『POP STATION』を聴いてみてほしい。ダンス・ミュージック、スペーシーなサウンド、ロック調の楽曲から、ファンキーなものまで、曲毎に色を変えた10曲が収録されている。この作品がおもしろいのは、約50分弱の中に、音楽総合チャート・ベスト10的世界観が作られているところだ。ジャンルの違う楽曲が、それぞれの主張を持ちながら、調和を保ちながら存在している。そして、それぞれが相互作用を与え、各々の楽曲を浮かびあがらせている。「多様性」。ポップ・ミュージックにとって必要不可欠というのを、この作品は再確認させてくれる。ポップ・ミュージックという単語を一つのテーマに、NONA REEVESの中心人物である西寺郷太に話を聞いた。

インタビュー & 文 : 西澤裕郎

左から 奥田健介、西寺郷太、小松シゲル

80年代の楽曲が好きなのは、それを聴いて育ってきたから

ーー西寺さんはNONA REEVES以外に、V6を始めとした客層の広いアーティストの楽曲も手がけられてますよね。それらの楽曲や今作を聴いていると、西寺さんが青春時代に音楽的影響をうけた音楽を基にアレンジをされているのかなと感じます。80年代の楽曲には普遍的なポップスに必要な要素が多くあったと思いますか?

ま、80年代から90年代初頭の音楽は、やはり好きですよね(笑)。小学校の4年生くらいまではテレビの歌番組「ザ・ベストテン」で流行っていた「アイドル音楽」を、4年生以降は、いわゆるMTV POPと呼ばれる洋楽にどっぷりハマってここまで来ましたから。でも、質問の趣旨とは一瞬話がズレるかもしれないんですけど、「80年代の楽曲には普遍的なポップスに必要な要素が多くあった」とまでは実は思わないんですよね。あくまでも、個人的な問題で、それは自分が1973年生まれ、と言うのが大きいのかな、と。例えば、僕らが海外旅行から帰ってきたら、やっぱりお味噌汁とご飯と鮭最高!! って思ったりしますよね。それは日本人だから、一番子供の頃から食べ慣れているからですよね。僕は一番多感な時期に、ネイティヴにそれらに触れて、吸収していたから大切に思っているって部分も大きいかなと。

ーーなるほど。

だから、80年代のものが普遍的と思ってるというよりは、自分がその世代だったから、そうならざるを得なかった。それは忘れたくないですね。生まれて来た順番の問題なんです。大瀧詠一さんにとってのロックンロールとか、山下達郎さんにとってのドゥワップとか、それこそライムスターやキングギドラにおけるヒップ・ホップとか、そういうのと同じじゃないかなと。で問題は、そこ(80's POP)が実際に好きだという人は多い割に、語る人が圧倒的に不足していたことだなぁと。だからこそ喜ばれたし、自分も意識的にしたっていうのもありますね。ここ数年は、ラジオや執筆も異常に多かったので特に客観的に見つめ直せました。それが結局、制作にも役立ったんです。例えば、僕は高校生の頃、世界史が一番教科の中で好きだったんですけど、大人になって、今もう一回勉強して世界史の先生に自分がなったとしたら、18歳の頃よりもめっちゃ理解できると思うんですよ。その頃より実際に旅行もしてるし、色んな視点がある。その上、生徒の質問に答えたりするうちに、こっちが分かることもあるんですよ。音楽でも、同じなんです。ラジオや執筆で語り説明する前に改めて自分の中で再構築して噛み砕く必要がある。今回のように自分がオリジナル曲を作る時に、人に説明してきたことを取り入れられる。『POP STATION』では、そういった意味で研究と実践を完璧に遂行できた気がします。

ーー西寺さんはマイケル・ジャクソンの著書も書かれていたり、マイケルの研究に関しても著名でいらっしゃいますよね。マイケルが亡くなったことは、自身の活動においても大きな出来事だったんじゃないですか?

大きいですね。マイケル・ジャクソンを追悼した作品がCD・DVDになったりするたびに、ありがたいことに最初に「西寺郷太に頼もう」っていう流れが、できたので。でも、彼の成し遂げて来たことには、低評価、無視といった逆風の時代に「マイケルってこんなに凄いんですよ」と必死に訴え続けてきた自分ですら、いまだに驚かされることばかりです。

ーー前作『GO』のときのインタビューだと、NONA REEVESは本当にやりたいことや好きな事をできるアートの場だとおっしゃってましたが、今作は何かテーマを設けていたのでしょうか。

今回は、基本的には3人が本当に好きなことをやろうって、それだけのお題でした。とはいえ、NONA REEVESの3人はありがたいことに素晴らしい方々とばかり共演してるんで、ノー・ストレス、むしろ楽しいことばかりなんですが、それでもやっぱり学生時代からの仲間ですし、喧嘩も出来るし、20年以上いるわけですからやっぱり少し違うんですよね。それは奥田や小松も同じだと思います。例えば、他のアーティストをサポートするときだと、やはりメインの人が作りたい音楽を最大限純粋に生かせるように、ってのが最初にあるはずです。僕もプロデュースする時、基本的にはそのスタンスです。でも、今回は俺が一番やりたいこと、NONA REEVESって何なんやろうなっていう禅問答というか。それは意外に難しいもんです。本当に有り難いことですけど。で、さっきの質問につながるんですが、結局自分としてはいつも切り口は違えど、答えは同じになるんですよね。自分が最高やん! って思った80年代のポップ・ミュージックを、日本人として、何とかその時代の自分なりの方法で、モダンに再構築してウキウキできたら最高だなと。エンドレスにそれですね(笑)。洋楽の一部のヒット曲だと、自分の中で完璧だと思える音楽もあるんですけど、日本人が作った音楽で納得できるものってなかなかないので。あったとしたらYMOや、大瀧詠一さんの「ロング・バケイション」、佐野元春さんの「ヤング・ブラッズ」などのシングル群とかになるんでしょうけど、それでもこれまで世の中になかった、西寺郷太的、NONA REEVES的な落としどころで作ろうというのが、改めて今回のテーマとしてありましたね。ただ、そういう意味でも『GO』のときに比べたら、すっごく自分の中で楽なんですよ。

ーー楽っていうのは?

2009年の『GO』の時は、それまでのNONA REEVES的な音作り、曲作りを、全部ではないですけど一回リセットしようというのが全員一致のテーマでした。11枚作ってきて、いつもの、たとえばゴージャスな、とか、メロウな、とか、グルーヴィーな、という空気を見直すという局面だったというか。そもそも小編成のバンドでも全国ツアーをまわれるように、ロック・バンドと対バンなどしながら、クルマで移動して、そういうのやってみたいな、という希望の元に作ったアルバムで。でも好き嫌いが両極に分かれるアルバムでしたね、『GO』は。予測してたんですけど。CKBの横山剣さん、キリンジの高樹さんはじめ、最高傑作だと言ってくれた人も多かったし、ファンでもたまにDJなどでどのアルバムが好き? って聞くと『GO』って、多いんですけどね。ただあれはNONA REEVESの「すべて」ではない。POP MUSICの中で孤軍奮闘の中で、七転八倒して、それでも新しい時代へと進むために、まさに『GO』するために、必然的に生まれて来たアルバムというか。時代の変化、流行もありますから。もちろん作るっていう意味では『POP STATION』もハードルは高かったけど、『GO』のときに比べると悲壮感はないです。時代との歩調が少しずつ合ってきた、というか。だから楽なんです。例えるなら、僕が傘職人だとして、10年くらい雨が降らなかったんだけど、色々工夫しながら必死こいて傘を作っていたら、雨ばかり降る年がもうすぐ来るみたいな感じ。他の傘職人はやめちゃっていなくなっているから、自分の店の前に人が並んでいて、今までに作った傘を一本づつ渡してあげてるっていう。まだ数は少ないですけど(笑)、とはいえ手応えは凄いです。『GO』の時はどれだけ雨乞いしても、日照り続きだった。ずっと頑固にやってきたことが、今、プロデューサーとしても、ソングライターとしても反応してもらえてるって感じかな。

ロック中心の日本で「POP MUSIC」への理解を広めようと頑張って来た

ーー西寺さんが執筆されたマイケル・ジャクソンの書籍で、「80年代はマイケル・ジャクソンの時代だったたけど、90年代にニルヴァーナが出てきて、着飾らないほうがカッコいいという風潮がメインになり、マイケルが迫害されるような状況になってしまった。でも2000年代半ばにYouTubeが出てきたことによって、追い風になってきた。さあ、これから! というときに亡くなってしまった」ということが書いてあったのが、すごく印象的でした。

YouTubeはほんとでかいと思いますね。昔のテレビも見れるじゃないですか。誰の目にも触れなかったものがポンポン出てきて。今ではYouTubeがない生活って考えられないですけど。2000年代半ばまではなかったんですよね。そこからあれほど低く見積もられていたマイケルの評価が見直されたのは、事実だと思います。

ーー西寺さんご自身の人生を、マイケル・ジャクソンの境遇と重ね合わせてる部分もあるんじゃないですか?

え! まあ、僕はネヴァーランドに住んでないし、超普通にのほほんと暮らしてるし全然違いますけどね(笑)。違うけど、自分は自分でポップ・ミュージックってことについてずっと考えて生きてきたので、多少時代のうねり、波っていうものは西寺郷太という個人にしても、NONA REEVESというバンドにも思うんですよね。マイケルはアメリカで生まれ、世界中でナンバー・ワンになったけれど、その結果孤軍奮闘だった。自分はそこまではまったく到達出来ていないけど、ロック中心の日本と言う国で「POP MUSIC」への理解を広めようと頑張って来た。なんだろう、サッカー中心のフランスに野球を教えに行った元阪神の吉田義男監督のような心境です(笑)。だから気概は同じつもりです。とはいえ最近の自分は、パフォーマーとしてはむしろマイケルが尊敬してたサミー・デイビスJr.みたいになりたいと思っていますね。マイケルはやっぱり永遠のアイドルだし、完璧なパフォーマーなんだけど、いかんせん2枚目過ぎて。僕は一言で言うと、もう少しユーモラスで、当意即妙な魅力のあるオッサン、それでいて「これぞエンターテイナー」って言う存在に憧れてるんですね。だからこそ、遂に来たんじゃないか(笑)って。これから10年、20年かけて自分なりのバランスでステージを確立できればいいなっていうのが今の理想ですね。若い時より理解されやすいんじゃないか、と、つか、なかなかの茨の道の中、ここまで「ポップ」にこだわって生きてきたんだし、ちょっとは尊敬されたいってだけなんですけど(笑)。

ーー今作は好きなことをやろうとおっしゃっていましたが、実際、ダンスっぽい要素もありつつ、途中でロックっぽい曲が入ってきたりとか、バラエティに富んだ作品になりましたね。

一番最初の質問に戻っちゃうんですけど、80年代のMTVとかを見ていると、色んな曲が流行ってたじゃないですか。90年代以降って、「俺ヒップ・ホップなんすよ」「テクノなんすよ」みたいな人が増えて。その分野の音楽に局地的にめっちゃ詳しいのは分かるけど、他の音楽は? みたいな。ヒップ・ホップってサンプリングの音楽で、色んな音楽を知っているからこそ面白がれるもんじゃないかなー、って思ってたんですけど。ま、前時代の人が僕に対して「ジャズ」知らないだろっとか、なるのと一緒かも知れないのでキリがないですけどね。とはいえ、さっきのYouTubeの話で言えば、今はかなり選択権が自分にあるから、それはそれで意外に好みのものしか聴かない、で狭くなってる可能性もありますよね。僕自身、80年代の番組のベストテンとか、洋楽ベストテンみたいなものをラジオで聞いて、自分の好きな音楽以外他の音楽を知ることも多かったから。今回奇しくも10曲収録されていますけど、ある日の夢のヒット・チャートみたいな感じなんですよ。黒人音楽も入っていれば、若手のロック・バンドもいて、みたいな。やっぱり同じテイストだけだと飽きちゃうんです。これはNONA REEVES、3人に共通してると思います。様々な個人仕事をしてるのもそこが大きいですね。

ーー『POP STATION』って、色んなコンテクストが入っていて、それを読み解ければ解けるほど味が出て面白い作品だと思うんですね。今は音楽の聴き方が細分化されていたり、私はこれしか聴かないといった風潮の中で、この作品のコンテクストが理解されないんじゃないかって葛藤はないんですか。

その葛藤は何十年も続いてきたんで、永遠の課題ですね。ただし、全ての業種において言えると思うんですけど、僕は今の世の中に一番必要なものってコンシェルジュだと思うんですよ。ホテルとかにいるじゃないですか、そのホテルや周辺の情報あらゆることにものすごい詳しくて、聞かれたときにこれとこれとこれがいいですよって出せる人。カルチャーにもそういう人が本当に必要なんです。人間の時間は一定なのに、音楽の名作は無尽蔵に増えているし、映画だってテレビだって全部観るのは不可能じゃないですか。

ーー確かに不可能ですね。

たまに、ビートルズのメンバーが当時どれだけ音楽を聴いて曲を作ってたのかなって思うんですけど、デビュー前にはたいして聴いてないはずなんですよ。もちろん下積み時代に死ぬほど聴いていたとは言え、圧倒的に「量」は今と差がありますよね。ビートルズにはジョージ・マーティンっていうプロデューサーがいて、彼は長年映画やコメディ音楽もやっていたから、彼の持ち込んだクラシックやジャズの要素も入っていたかもしれないけど。あの時代に比べたら、ポップ・ミュージックの世界に歴史的名作も多いから。今の子供達は追いかけるのも本当に大変です。だからこそ、自分は、音楽におけるホテルの名コンシェルジュになりたい。実際は、そういうことが作り、語り、継いでゆくことができるのが音楽の世界で今一番必要な能力だと思ってて、まさに『POP STATION』っていうのは、俺だけじゃなく3人による一種のポップ音楽のコンシェルジュ力の塊というか。こういう音楽今までになかったでしょう? っていうのをNONA REEVESなりの形でまとめた結晶です。アルバムにつく解説も、ビルボードのチームと相談して載せたんですけど、本当は別に載せなくてもよかったと思うんですよね。だけど今、仮に中学生が初めて買った場合、こういうものがあることで、すごい入りやすくなるって思うし、ラジオの『キラ☆キラ』をやってたときも、僕が説明したものは全部買うっていう人もいて。そういうことが音楽業界全体で局地的にお祭りのように起こることが必要かなと。

音楽に寄り添う、ライナーノーツへのこだわり

ーー西寺さんも、ライナーとかを隅から隅まで読んでたんですか?

そうなんですよ。いまも、本を書いたり小説を書いたりするときに資料を調べるんですけど、何が一番いいって当時のライナーですね。やっぱりライナー書くってなったら、その人は結構気合入るじゃないすか。間違った事書けへんなって思うでしょ。もっと言えば、この14.5年くらいのライナーノーツがしょぼかったのが洋楽離れの原因だと思って本当に憂いてるんですけど…。「俺はビールを飲み一日寝ていた…」という感じで始まる、みたいなライナーノーツが多くなって、お前の話知らんわ! みたいなのあるじゃないですか(笑)。

ーーあははは(笑)。今回ライナーノーツをつけているっていうのは、今仰っていた理由があってのことなんですね。

最初、どっちかと言えば反対してたんですよ。カヴァーはともかく、オリジナルですし。でも、ライターの佐野響子さんがインタヴューした内容を洋楽のライナーノーツみたいに書いてくれるということで、作品とべったりくっつくことはないなと思って。あともうひとつ、ライナーノーツつけたのは、変な話ですけど、CDが売れなくなった理由のひとつに、すぐ聴けないってことってないかな、と。前は、皆ディスクマン(※ソニー製のポータブルCDプレイヤー)を持っていたから、帰りの電車の中や近くの喫茶店で早速聴きながら歌詞カードを読めたりしたけど、今は買って家に帰るまで聴けないでしょ? 僕、学生の頃マイケルや大好きなアーティストの新譜が出る時は、喫茶店の隣にあるCD屋さん、そのために通ってましたもん。友達に笑われてましたよ、ちょっと我慢せーよって(笑)。ライナーがあると読みながら家に帰るとかできて、そういう意味での楽しみはありますね。

ーー確かにそういう楽しみはありますよね。今お聞きしたことからも『POP STATION』は、80年代の様々な要素が入っていながら、コンシェルジュ的な役割も兼ねた作品になっているということがわかります。ちなみに今作で、一番自由に好きに作った曲を教えていただけますか。

ただ単に自分が好きってだけで作ったらどうなるのかな? と思って作ったのが「ECSTASY」って曲です。最初メンバーやスタッフに聞かしても、一週間くらい無反応だったんですよ。スタッフに関しては焦ったのかもしれないですね。「訳わからん曲やな、全部がこうなったら…」って思ったのかも(笑)。

ーーやっぱり、要求があったり何かに追われてる時とは作り方も変わってくるんですか?

最終的なジャッジが自分ですから。人に頼まれることが続いて慣れると、自分のジャッジが途中で訳分からなくなるんですよ。ゲシュタルト崩壊(笑)。何じゃこの曲「ECSTASY」、変な曲、誰が作ってん(笑)みたいな。基本ずっと転調してて。ちゃんと音楽を勉強した人、キーボードの冨田(謙)さんとか奥田(健介)とかも最初は笑っていて。褒めながらニヤけてるというか(笑)。僕はあんま分からずにプログラミングしてて、「ヘンテコだけど気持ちよくない?」みたいな。ただ、最後のほうになったら、冨田さんが「この曲一番燃えるんだよねー」とかって言っていて。奥田や小松も「最初から良かったよ」とか言ってて、だったら最初に反応ちょうだい!! って(笑)。で、「GOLDEN CITY」が一番最後に作った曲ですね。

ーーこれは何か制約を課して書かれたりしたんですか?

これは一十三十一ちゃんとデュエットしようっていうことを念頭に置いて作ったんですよ。ともかく忙しくてメンバーもなかなか会えないし、これを抜いた9曲しかできていなくて。予算もスケジュールもないし… みたいな話になって9曲でいこうかって半ばなっていたんですけど、一曲バラードをやりたいなあって。どうしようかなぁ、って思ってたら一十三十一ちゃんが大阪でライブやるっていうんで、たまたまSMALL BOYSのキャンペーンで行ったときにライヴを30分くらい見れたんです。彼女はBillboard Recordsだし、今しかないと。彼女はすごい奇麗ですし、80年代に自分がテレビの中で見た、嘘くさいくらいゴージャスでアーバンな世界がそこにあって(笑)。パっとみた瞬間にやっぱ今や! と思って、帰って作ったのが「GOLDEN CITY」だったんですよね。

ーー帰ってすぐ作ったんですか?

割とすぐ作って。で、おそるおそるメンバーやスタッフに送ったら、小松(シゲル)から「最高傑作じゃん! こういうのを探してたよ」って返事がきて。「俺、この曲生でドラム叩きたいんですけど」って皆に連絡してくれて。歌詞に関しては、SMAPとかV6の楽曲を一緒にやっている谷口(尚久)くんに、どメジャーの今の日本って感じの歌詞書いてほしいって言って書いてきてもらって、それを半分ノーナ色に戻して作りました。この曲に関しては、一十三十一ちゃんと歌うラヴ・バラードを、俺一人で書いて悦に入って歌ってるって、なんか嫌やなって思って(笑)。結果すごくよかったですね。谷口君は、僕が18歳の時、学生時代からの音楽仲間なんです。彼は小松や奥田ともバンドをやっていたので「休もう、ONCE MORE」ではじめて谷口、西寺、奥田、小松が同じブースに入って歌ったときは、ちょっとグッときました。俺らそれぞれ皆、がんばったなーと。で今が、一番最高やなーって、しみじみと。

自分が関わった日本の音楽が海外で受けるっていうのはありえない話じゃない

ーー最終的に10曲がそろったことによって、アルバムのピースがハマったという感じなんですね。

そうなんですよ、谷口くんに歌詞を書いてもらった話にも近いんですけど、冨田さんがプロデュースしてくれたこととかもそうなんです。いくらカリスマ美容師でも自分の髪の毛は思い通りには切れない。なぜながら自分の後頭部は見えないから。ってのが僕の持論でして。その意味では本当にプロデューサー冨田さんとのコンビネーションは最高でした。

ーー任せられる部分は、他の人に任せながら、自分のできる部分をさらに強化していったと。それだけに風通しのよさが生まれているんだと思います。

ですね。この前、プロモーション・ビデオの撮影で山梨県のトンネルに行ったんですが、ベースの村田シゲが、彼は今回のアルバム全編シンセベースなんで、参加してもらうことは出来なかったんですけど、撮影終了後に「『POP STATION』まじで、やばいですわー」とかしみじみ言ってくれて。彼が「「ミスター・メロディ・メイカー」と、「ウィーーー・ライク・イット!」が特に好きですね。郷太君の歌詞が今までより超パワー・アップしてるというか…。グッと来るんですよ」って。山梨の山を見ながら、しばらく話したんですけど。

ーーなんか、いいですね。

本当に嬉しかったですね…。やっぱり、シゲはもちろんそうですけど、生き残っているミュージシシャンって本当のことしか言わないですからね。嘘はばれますから。もう終わりですよね。最後に、誰にも言ってないこだわりを言うていいですか?

ーーもちろん!

ジャケット画像に、カタカナで「ポップ・ステーション」って書いてあるでしょ? デザイナーのキンクさんの最初の案では英語だったんですよ。でも、カタカナで「日本!」っていうのを出したかったんですよね。俺の理想は、日本文化を大好きな外人が「これと同じタトゥを彫ってくれ」って彫り師に依頼して「ポップ・ステーション」ってタトゥを入れてることなんですよ(笑)。たまに、「お湯」とか「屁」とか入れてる外国人がいるじゃないですか。

ーーそんな人いるんですか(笑)?

「外人、変な刺青」とかでネット検索したらめっちゃ出てきますよ。僕としては、自分が関わって作った日本の音楽が海外でめっちゃ受けるっていうのは全然ありえない話じゃないと思っていて。その時に、日本人だからこその「ポップ・ステーション」って感じを出したいなと思って入れたんです。

ーーいつか「ポップ・ステーション」のタトゥをしている人が現れるのが楽しみですね。

「何や?!」と思いますけどね(笑)。でも嫌な言葉じゃないですから、「私がポップ・ステーションです」って。

ーー最後、タトゥの話になってしまいましたね(笑)。

人の心に、タトゥのように残る作品にしたいということで(笑)。

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T-Palette Records第2弾アイドル、新潟在住Negiccoが2012年6月に発売されたシングル『あなたとPop With You!』以来、8ヶ月振りのシングル。シングル『愛のタワー・オブ・ラヴ』を手がけるのは、NONA REEVESのヴォーカリストでありメイン・ソングライター、更には数々のアーティストにも楽曲を提供しプロデューサーとしても活躍する西寺郷太。西寺のプロデュースによる「愛のタワー・オブ・ラヴ」は、思わず体が揺れるクラブ・ユースなチューン。より多くのリスナーにNegiccoの楽曲とライブの良さをアピールするための、まさしく塔のような象徴的楽曲だ。

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都会の夜を甘く疾走する“媚薬ヴォイス”。ナヴィゲーターは稀代のレコード蒐集家とクラブの遊び仲間たち。夏のクールネス、夜の匂い、湾岸のドライブ、パーティーの ざわめきを封じ込めた2010年代の「シティ・ミュージック」。キャリア最高傑作。 オリジナル作品としては実に5年ぶりとなる一十三十一、待望のニュー・アルバムがビルボードよりリリース。 一十三十一のルーツでもある70年代〜80年代のシティ・ポップスを背景に、まるでクラブ仲間と遊ぶように作り上げた作品。

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LIVE INFORMATION

EVENT LIVE

2013年3月31日(日)@SHIBUYA O-EAST
NONA REEVES presents WAW -We Are the World- 2013
2013年5月31日(金)@EBISU LIQUIDROOM

NONA REEVES 2013 POP STATION TOUR

2013年3月27日(水)Billboard Live OSAKA
2013年6月4日(火)@名古屋CLUB QUATTRO
2013年6月7日(金)@福岡BEAT STATION
2013年7月7日(日)@Billboard Live TOKYO

※ツアー初日3月27日大阪公演のみ入場者全員特典としてPOP STATIONスペシャルアナログ盤プレゼント!

PROFILE

NONA REEVES

1995年、西寺郷太が自らのソロ・ユニットに「ノーナ・リーヴス」と名づけ、デモを制作。その後早稲田大学の音楽サークルにてドラマー小松シゲル、ギタリスト奥田健介らが合流しバンド編成へ。
1997年ワーナー・ミュージック・ジャパンからメジャー・デビュー。2011年ビルボード・レコード第一弾アーティストとしてカヴァー・アルバム『Choice』、またその反響を受け『Choice2』をリリース。ソウル、ファンク、80'sポップスetcに影響を受けたその卓越した音楽センスとアレンジ、「聴かせて踊れる!」魅力的なライブにも定評がある。2013年3月6日には4年振りとなるオリジナル・アルバム、3人のポップ・マスターによる極限ポップ・ミュージックの金字塔『POP STATION』が遂にリリース!

>>NONA REEVES official website

[インタヴュー] NONA REEVES

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