
80年代から活動を続けるサイケデリック・ロックの雄、割礼が、7年ぶりのアルバム『星を見る』をリリースする。幾重にも重なり、絡み合うギターとリズムが描き出す、酩酊にも似たサイケデリア。宍戸幸司の穏やかで飄々とした語り口は、その音楽性とかけ離れているように感じられたが、話が進むうちに徐々にそのキャラクターが割礼の音楽と密接に結びついていることが分かる。割礼の音楽は、生活のリズムと彼の人間性に驚くほど自然に結びついている。
ビールをとても丁寧にグラスに注ぎながら、宍戸幸司は言う。
「あんまり外でビールを呑まないから、大切に呑みたいんですよね」
インタビュー&文 : 佐々木健治

今のメンバーとはペースが合うんだよね
——外でお酒を呑むのは、ライヴの打上げとかくらいですか?
いや、打上げも最近はほとんど行かないですね。メンバーは呑みに行っているけど、僕は終ったらすぐに帰るね。前は打ち上げがメインだったんだけどね(笑)。
——そういう風に変わったのは、いつ頃なんですか?
子供ができてからだね。ずーっと飲んでいたいけど 、子供は早いので、やっぱりそういうわけにもいかないから。
——音楽を始めたきっかけを教えてもらえますか?
バンドを始めるきっかけはね、ビートルズ。音楽に興味を持つようになったのは、映画音楽。「ジョーズ」とか。あ、この音楽怖いみたいなところが入り口ですね。中学校の時に友達がベースを持っていて、僕がギターで。二人で練習するようになったのが最初かな。エレキはまだ持っていなかったから、フォーク・ギターで。中学校3年だな。割礼に関しては、最初はドラム・ヴォーカルと僕がギターの二人でバンドを組んで。すぐにライヴがあったから、バンド名をつけなきゃいけなくて。その頃、たまたまドラムと二人で割礼の儀式のビデオを観たんだよね。あとは「日曜日の青年達」っていう本があって、その二つをくっつけて「割礼ペニスケース日曜日の青年たち」って取り急ぎで名前をつけてライヴをやったんだよね。それがそのまま続いていった。でも、面倒でしょ。毎回「割礼ペニスケース日曜日の青年たち」って言うの(笑)。だから、略して「割礼」にしたんだよね。
——影響を受けたギタリストって言うと、誰になりますか?
たくさんいるけど、TELEVISIONのトム・ヴァーラインは大好きだな。彼がソロで来日した時に割礼が前座をやったこともあるんだよ。僕等が前座を終えて、シャワーがあるライヴ・ハウスだったから、シャワーを浴びていたら、ライヴ前の楽屋でトム・ヴァーラインがメンバー達とケチャ(インドネシアの伝統音楽。猿を真似た「チャ」という掛け声をリズムに合わせ繰り返す男性合唱)を始めてさ。
——それ、凄いですね。
そう。それに興奮しちゃって、ライヴ自体は覚えてないんだ(笑)。
——(笑)。割礼がデビューした80年代前半のロックのシーンはどういう感じだったんですか? 当時は、今よりもロックがもっと怖いと思われているというか、もっとコアなものだったんじゃないかと思うんですが。
どうなんだろう、僕はずっと名古屋の今池で友達と遊んでいたから、当時の状況よくわからないんだよね。東京は怖そうだっていうのは思っていたかな。

——東京で初めてライヴをやったのは?
85年ぐらい 。渋谷の屋根裏で対バンはGODとジャンキーでした。GODももともとは名古屋のバンドだったからね。だから、当時の東京の状況って分からないなあ。
——じゃあ、東京に暮らすようになったのは?
10年前くらいかな。部屋を借りるようになったのは。それまではずっと名古屋で。こっち行ったり、あっち行ったり、居候していたからね。
——東京に住むようになって、変わったことというか、違いはありました?
うん。コンビニでお金払う時とか。
——え?(笑)
いや、東京だとコンビニで急かされている気分になるんだよね。小銭を用意しておかないといけない、みたいな(笑)。
——ああ、分かります(笑)。割礼の活動的にはどうだったんですか?
変わらないかな。でも、ライヴの本数は、東京にいた方が多くできるようになったなあ。練習も集まりやすいしね。それに、今のメンバーとはペースが合うんだよね。バンド全体のペースってやっぱりあるし、それは凄く大事だから。
——なるほど。割礼の曲は、基本的に凄くスローじゃないですか。あのテンポへの拘りって、いつ頃からなんでしょう?
89年の『ネイルフラン』くらいからかな。それまでは、テンポは速かったですからね。
——それはきっかけがあるんですか?
その質問を今回よく聞かれるので自分でも考えたんですよ。今は家で一人でギターを持って曲を作るんですけど、それまではスタジオに入って皆で曲を作っていたんですよ。住んでいるところも一人じゃなくて、皆で共同生活をしていたから。だから、そういう全体のノリみたいなものじゃないかな。一人で曲を書くようになってから、結構遅くなったんですよね。
——生活のテンポとリンクしているわけですか。
そうですね。それはあると思います。何にしても、なかなか何が原因でそう変わったのか自分では分からないものですからね。
——そのテンポは、何を基準に判断されるんですか?
胸のこのへん(胸の真ん中あたりを指差しながら)で判断しているんですよね。このあたりが「あ、なんかいいな」っていう。
——今は速い曲をやってみても、それがない?
今はもう速い曲にはついていけない(笑)。だから、速い曲はやってないんですよ。でも、たまに速い曲もあるといいなと思うことはあるかな。割礼として速い曲をやらないと決めているわけでもないし。風呂上りとか気分がいいじゃないですか。そうすると、今でも速く弾いていたりするしね。
——本当に、気分と言うかノリとリンクしているわけですね。
そうなんだよね。
——だけど、それが割礼の曲としてってところまではいかない?
うん。そういう風にはならないんだよね。でも、自分が一人で曲を作っている時よりはもの凄くアップ・テンポだし、元気になっていると思う。
——割礼のメンバーとやることで曲が変化していくと。
うん。僕、リズム感とかもメチャクチャだからね。それを皆がいい感じにしてくれる。
——(笑)。割礼は、サイケデリックとか宇宙ってイメージも強いんですが。
ああ、宇宙って言葉は困った時の逃げ言葉として使っているかな。キーワードみたいな意識はないんだよね。それに、サイケデリックっていうのが、実際にどういうものなのか自分ではよく分かっていないしね。一般的には、ドラッグとかそういうものと結びつくのかもしれないけれど。だから、割礼がサイケデリックだと言われても、よく分からないんだよね。自分が気持ちいい音楽をやっているだけというか。
——気持ちよさが一番重要だと。
普通そうじゃないですか?
——そうですね。自分が気持ちよくないとやらないですよね。
そうですよね。そこですよ。
——前作『セカイノマヒル』を発表されたのが2003年。それから、7年と時間が空いて今回『星を見る』のリリースですが。
うん。リリースの話をもらったのが、新しいメンバーでの楽曲も固まってきていたし、タイミング的にも良かったよね。最初に話をもらった時は、ちょっとまだ不安もあったけど。
——その最初に話がきたのは、いつ頃だったんですか?
4年前だね。
——4年前ですか?(笑)
うん、4年前。
——そのリリースまでに4年かかったっていうのは?
地道に努力して、いいものにしようと(笑)。
——めちゃくちゃ地道ですね(笑)。新しい曲をそこから作るというよりは、曲を練り上げるのにそれだけの年月を要したわけですか?
基本的にはそうだね。でも、「マリブ」「INスト」の2曲は原案だけあるって状態だったから、それが入れられたらいいなと思っていた感じだね。だから、4年前はアルバムの収録候補曲のリストも違ったんだよ。その2曲は多分、入らないかなと思っていたけど、入れられた。あー、よかった(笑)。
——(笑)。その4年間、地道にというのはどういう部分に一番時間がかかったんですか? 気を使う部分と言うか。
なんだろう(笑)。練習とかの回数も減ったし、ペース自体も遅くなったのかな。

——アレンジとかめちゃくちゃ複雑じゃないですか。
あ、でもライヴの前のリハーサルとかでやるから。そのライヴの繰り返しで出来上がった完成形みたいな感じだね。
——じゃあ、ライヴをやっては練り直す作業ということですか?
うん。ライヴをやれば、個人個人が今日はここが良かったとか覚えているから。そのいいところを整理した感じですね。だから、レコーディング自体は3日… いや、5日間か。それくらいだし。レコーディングの時にはやることはもう決まっていたし、「これでいい! 」とすぐにピンときたから。
——なるほど。じゃあ、『星を見る』の出来は満足されていると。
僕、正直に感じたことを言えば、思ったより、ちゃんと出来てているよね。
——ハハハハハ。
いや、録る時は、そんな細かいところまで見ていないからね。全体を見るくらいだからさ。でも、ちゃんとノリが出ているから、バッチリだと思いますよ。清潔な感じがするし。
——清潔ですか。それは、これまでの作品と比べてということですか?
そうそう。昔はもっとドロッとしたものに憧れていたんだけどね。いや、ドロッとした部分が今ないわけではないけれど、前よりももっとスッキリと出ているよね。昔は、とにかく音楽でぶっ飛びたいって感じでやっていたんだけど、今はそうではないというかね。もっと自然にスッキリとノリを出せている。
——その変化は何なんでしょう。生活の変化とか関係していると思います?
そうだね。子供とか奥さんとかね。奥さんは間違いじゃないことを言うからさ。正してくれるというか。しっかりしないといけないと思うし。ちゃんと働かないと、バンドをやることもできないから。しっかり働いて、お金を稼いでさ。奥さんには逃げられたくないから。子供も彼女もやっぱり愛していますからね(笑)。そういう変化はあると思います。
PROFILE
宍戸幸司(Vo/G)、山際英樹(G)、鎌田ひろゆき(Ba)、松橋道伸(Dr) 。83年、名古屋にて「割礼ペニスケース日曜日の青年たち」結成。インディーズ時代はパンク/ニューウェイヴ色の強いバンドであったが、時代が進むにつれ、歌をより重視したサイケデリックなサウンドに移行。アルバム『ネイルフラン』(89年)でメジャーに進出。近年、宍戸はソロ活動、「彼岸」など、割礼と並行して精力的に活動を続けている。
耳から離れないサウンドを
A GIRL SUPERNOVA / PANIC SMILE
PANICSMILE17年目の7thアルバムが完成。NATSUMENのAxSxEが全編に渡りエンジニアを担当。ひたすらグルーヴすることを拒むアンサンブル、一見シリアスそうだが実は渋谷駅前のモヤイ像並に楽観的だったりする。尚、吉田肇(G,VO)、保田憲一(B,VO)、ジェイソン・シャルトン(G)、石橋英子(Dr,VO,Key)の第3期PANICSMILEは、2010年3月の下北沢SHELTERでのライブをもって活動を終了。
抑止音力 / 突然段ボール
断然すばらしい突然段ボール、1991年発表の傑作『抑止音力』、待望のリイシュー! 昨年リリースのジム・オルークのミックスによる最新作、『D』もまったくすばらしかった突然段ボール、1991年発表の傑作。中古盤市場ではかなりの額で取引されている、再発を望む声も多かった作品で、まさに待望のリイシューとなる。リズム・マシーンとギターを中心に構築されたユニークきわまりないサウンドと、故蔦木栄一の反逆精神あふれる詩と歌がじつに刺激的だ。これぞパンク! これぞロック!
石頭地蔵 / カーバイド
11月に1st作「ishiatama-zizo」のリマスター盤をリリースしたばかりの熊本アンダーグラウンド・パンク代表、石頭地蔵が待望のセカンド作をドロップ!