石郷岡 学(山ブラ会長) × 花田 勝暁 スペシャル対談 〜素晴らしきメランコリーの世界〜

10月某日。今回、OTOTOYさんから、「得体の知れない盛り上がりを見せ始めている南米の音楽についてざっくりと語ってほしい」という依頼があって、山ブラこと「山形ブラジル音楽普及協会」の会長である石郷岡さんを、山形県山形市まで訪ねてきました。紅葉と旅気分が相まって気分高揚! ! ! マックス・ハイ・テンション(by AKB48)な状態で、市内の某ホテルで石郷岡さんをつかまえました。いざ突撃〜〜ぃっ!

インタビュー&文 : 花田 勝暁

国境やジャンルや時代
そんな制約から自由で
純粋な美しさを追求する音楽
そんな美しい音楽への共感の輪が繋がった
2010年の空気感を、もし言葉にするなら、
そんな風に言えるかもしれないです。
(山ブラ会長:石郷岡 学)

山ブラって?

石郷岡 学(以下I) : 東京から山形まで、思ったより時間かかんなかったですよね? 新幹線で3時間。今度はイベントの時にもいらして下さいよ。この前のカルロス・アギーレのコンサートも評判良かったし、来る価値ありますから!

花田 勝暁(以下H) : 確か...... 山ブラの次のイベントはヘナート・モタ&パトリシア・ロバートのコンサートで、その後には中島ノブユキのコンサートでしたね。良さそうですね〜。って、もうすでに本稿の重要人物の名前が3人も出てきてるじゃないですか! ? いい流れですね〜。そんな音楽家を呼び寄せている「山ブラ」って一体... どんな団体なんですか?

I : もともと山形のような田舎にはブラジル音楽の芽はおろか種すらなかったので、まずはこの山形という田舎にブラジル音楽を呼ぼうっていうブラジル音楽好きの有志が、実に単純な動機で始めた会なのです。もともとそれほど本気ではなかったので、冗句のつもりでできるだけ長く、ダサく、実態とは遠い会の名前(山形ブラジル音楽普及協会)にしたわけですが、今考えるともう少し素敵な名前にしておくんだった(笑)。そして結局通称「山ブラ」です(笑)。

H : 「山の中をブラブラ」を短縮したのと一緒(笑)。

I : 基本的には今も当時も同じなのだけど、アーティスト、設備、音響以外は全くボランティアのみでライヴやイベントを主催して、さらにはできるだけブラジル音楽の情報を垂れ流そうという馬鹿者の集まりです。ただし報酬を得ないからこそ自分たちの本当に聴きたいものしか呼ばないっていう傲慢さは残しているつもりです。

H : かつこええ!

山形市内の某ホテルロビーで! ?

H : さっきの3組の中で唯一「南米じゃない」中島さんのコンサートをなんで山ブラがやるのか、ってところから話を始めていきしょう。最近だと映画『人間失格』の音楽も手がけているピアニスト/作曲家の中島ノブユキさんはつい先日、スパイラル・レコーズの第1弾作品ともなった新作『メランコリア』をリリースされました。ソロ・アルバムとしては3作目になりますね。OTOTOYでも取り扱っているので、このサイトによく遊びにくる人は、もう聞かれた人も多いかもしれない。石郷岡さんは『メランコリア』をどう思われました?

I : 文句なしに大好きな作品です。『メランコリア』の中島さんの音楽は、国境やジャンルや時代といった呪縛や制約から自由で、それでいてまた様々な音楽の要素が散りばめられてもいます。それを1つの音楽にまとめあげるという、その根底にあるのは中島さんの美意識そのものです。中島さんをツイッターでフォローさせていただいているのですが、「アルバム『メランコリア』は今までのアルバム中で最も過激な作品です。その意味は最も感情にダイレクトだということです。」というご本人のつぶやきがあります。いい音楽には脳内の「感情野」に極めて近い部分が刺激され、共鳴するのだと思います。悲しくも嬉しくもないのに泣けるのってこういう良い音楽だけです。

H : 本当に、どこのいつの時代の音楽を聞いているのかわからなくなりますよね。オルケスタ・アウロラを含め、最近かなり多方面でも活躍しているバンドネオンの北村聡さんのバンネオンの音色をじっくりきけるのも、僕にとっては嬉しかったです。編集者時代には何度もお会いしてたので。この共作関係がもっと続いて欲しいなあと思います。

■×■中島ノブユキ『メランコリア』 クロス・レビュー ■×■

中島さん自身による美しい楽曲にも、そしてその幅広い選曲にも現れているのだが、中島さんの音楽はジャンルや国境という呪縛から自由なのである。しかしその自由はもちろん無秩序を意味するものではなく、中島さんの美意識によって見事な統一感と調和を示している。彼の3枚目の作品となるこの『メランコリア』に感じることは、時間的、空間的浮遊感。これは例えば記憶という内的時間を遡る感覚にも似ているし、様々な映像的なイメージも惹起される。消え去ったものを思い起こさせる、優美で切ない傑作です。(I)

カルロス・アギーレの作品の中でも特に最新作と共鳴する──机に向かって中島さんが譜面を書いている写真を見たことがあるが、そこからこれほど芳醇な音楽が生まれてくるとは。優れたアレンジャーは魔法使いのようだ。聞いていると、自分が人生で体験した美しい経験や、エリセやベルイマン、小津、ヴィスコンティ、マノエルの映画の美しい情景が、脳裏を過る。時々ワイルダーの笑い声も聞こえる。──中島さん曰く本作のテーマは「時間の非可逆性」。中島さんの作り出したこの美しい世界に入り込んでしまうと、涙を落としそうになるが、過去があるからこそ前に進まなければいけないのだということも、教えてくれる──僕には魔法は使えないけれど、こんな僕にも奇蹟のような瞬間は確かにあった。前へ。(H)

>>中島ノブユキ×okuda supa 『メランコリア』対談インタビューはコチラ

山ブラpresents「素晴らしきメランコリーの世界」

H : 多くの音楽ファン人が、中島さんのこの作品を、山ブラの「素晴らしきメランコリーの世界」という一連の活動と関連づけた感想を言っている人が多かったですよね。

中島ノブユキ

I : そうですね。

H : 中島さんの音楽や「素晴らしきメランコリーの世界」に通じる世界を10年代的な音楽の傾向になるんじゃないかと捉えている人が、ぼくのまわりだけでも一定数いる。この辺りのことを、紐解いていけば、今回の盛り上がりの理由がわかる気がしますね。まず、「素晴らしきメランコリーの世界」が生まれるに至った経緯というのは?

I : 所謂10年代の盛り上がりについてですが、私の中ではアルゼンチンの音楽シーンヘの興味がその始まりといえます。特にアカ・セカ・トリオや、プエンテ・セレスチそしてカルロス・アギーレなど、1〜2年前から非常に洗練されたフォルクローレ(注1)を奏でる人達の音源が容易に聴けるようになって(もちろんそのベースには音響派の活動も見逃ませんが)、これはブラジル音楽もうかうかしていられないぞと(笑)驚きました。そういう話で一緒に盛り上がってしまったのがHMVの山本勇樹さんや河野洋志さんでした。彼らと共感したのはアルゼンチンの音楽に必ずしも限らず、ジャンルや国境を越えた美しい音楽への愛情で、それが渋谷HMVの「素晴らしきメランコリーの世界」のコーナーへと繋がったのだと思います。

H : 皆さんの、ジャンルや国境を越えた美しい音楽への愛情が結集したものだったんですね。

I : このコーナー、山ブラという名前を入れてもらってはいますが、私は直接的には関わっていません。

H : そうなんですかっ! ?

I : もし関わっている部分があるとすれば、音楽を求める姿勢が彼らと共通していたこと。ブラジル、そしてアルゼンチンと言う縦軸ではなく、もっと横軸的に横断的に美しい音楽を聴きたいという想いです。きっかけはアルゼンチンの音楽だけど、素敵な音楽に国境やジャンルは無い、という。中島さんの音楽もそういう音楽だと思っています。

H : 「素晴らしきメランコリーの世界」のコーナーが発展したバー・ブエノスアイレス(以下BBA)というイベントについてお聞きしたいんですが。

I : BBAというのは、「素敵な音楽に国境やジャンルは無い」という考え方をよりアルゼンチンの音楽、特に「カルロス・アギーレの描く音像風景と共鳴する世界の美しい音楽」に特化したもの。山本勇樹さんと吉本宏さん、そして河野洋志さんを中心にした、選曲を楽しむパーティで、素晴らしいホームページはこちらです。

H : 「素晴らしきメランコリーの世界」というのは、BBAのその御三方主導で動いていたものだったんですね。BBAが「山ブラ」という名前を拝借したと。そういうところを自由にやってもらうところにも、石郷岡さんの人柄が表れている気がします。

I : 深く考えていないんですね、私。それで少しでもCDが売れればと(笑)。

H : アルゼンチンの音楽をきっかけに、美しい音楽への愛情で共感した山ブラとBAAの関係がよくわかりました。

アルゼンチン音響派から素晴らしきメランコリーの世界へ

H : これ以前のアルゼンチンの音楽に対する日本での反応には、アルゼンチン音響派(注2)という括りがあって、多くのアーティストが紹介されました。

I : フアナ・モリーナから始まって、フェルナンド・カブサッキ、アレハンドロ・フラノフ、サンチアゴ・バスケス、モノ・フォンタナ、フェルナンド・サマレアなど、沢山面白いアーティストが紹介されました。

H : 来日公演が全国規模でも行われていました。音響派関連のここ最近の大きな来日は、2007年末に「アルゼンチン⇔東」というプロジェクトでカブサッキが来日して、フアナの単独の来日だと、最近では08年末にありました。国内盤もたくさんリリースされていましたよね。アルゼンチン音響派から「素晴らしきメランコリーの世界」に繋がる流れを、至極私感ですが、ちょっと話していいですか? 僕は、5年前〜1年半前まで月刊『ラティーナ』という音楽雑誌の編集者をやらせてもらっていて、日本に紹介されるアルゼンチン音楽が音響派→新世代のフォルクローレを奏でる人たちに丁度変わっていく時期に、現地からの情報も含め、色んな情報が入ってきてました。過渡期だった2006年10月に、旧世代と新世代のフォルクローレを繋げる存在であるリリアナ・エレーロの来日があったりしたのも今思えば予兆的だった気もします。音響派とはあまり接点がなく、当時まだ新世代フォルクローレ云々という取り上げ方がされたわけではありませんでしたが... 今の環境で来日したら、また違う歓迎のされ方をされるでしょうね。個人的には、現地の情報をダイレクトに日本に伝えて、積極的な音楽ファンが手の届くところにアルゼンチンの新世代フォルクローレをまず紹介したのは、栗本斉さんじゃないかと思っています。

I : 私もそう思っています。ラティーナの連載も愛読していますよ。

H : 2007年の春に、ラティーナ上で「オーガニック・アルヘンティーナ〜コンテンポラリー・フォルクローレの世界〜」という連載をはじめられた。もう3年半になりますね。連載を始める前の2年間南米各地を旅されて、中でも特にブエノスアイレスのシーンに魅了されて、特に長く滞在されていました。その時の知見をベースに、毎月毎月、まだ日本に紹介されていない新世代のアルゼンチンのアーティストを紹介されてきました。

I : 栗本さんは連載だけじゃなく、コンピレーションCD『オーガニック・ブエノスアイレス』(2008年)なども制作されてましたね。

H : もちろん栗本さんだけじゃなく、タニィさんはじめ他の書き手も色んなメディアに書かれていたし、実際にアルゼンチンからCDを輸入して流通させている人たちの熱心な紹介があって、アルゼンチンの新世代のフォルクローレに、手を伸ばしたら届く環境ができてきていました。

I : 特に熱心に紹介されていたマリアナ・バラフもニュー・アルバム『Churita』を携えて今年の8月に来日しましたね。私も『Churita』を某社の通販で購入しましたが、プレゼントに応募したら、エケコ人形が当たっちゃいました。

H : ジャケットの人形ですよね。ああ羨ましい〜です。あれすごいかわいい。

■×■マリアナ・バラフ『Churita』クロス・レビュー■×■

マリアナ・バラフの4作目。ファーストやセカンド・アルバムの圧倒的爆発力は、前作から表面上は和らいでいるが、全曲彼女のオリジナルによる本作も、一聴明るく伝統的なフォルクローレの様でいて、彼女らしい革新性が随所で顔を出している。知的な作業によって創造された密やかな先鋭性は、実は彼女の中に宿る原初的なそして祝祭的な喜びの表出に他ならない様だ。その強い意思を感じさせる眼差しに、強力な知性と創造性を感じずにはいられない。なんと才気に溢れたアーティストなのだろう。(I)

素晴らしく刺激的な音作りで話題になった前作『雛菊と白百合』で広く日本に紹介されたマリアナ・バラフ。前作も今作も傑作だと思うし、前作は大好きな才人リサンドロ・アリスティムーニョがプロデュースなのだが、前作よりもセルフ・プロデュースの本作の方をずっと繰り返し聞いている。全曲良いのは当たり前として、特に、フェルナンド・ルイス・ヂアス(取り立てて有名な歌手ではないが)とのデュエットM-4、M-9がたまらない。M-4の心を割かれるぐらい切ない感じに、M-9の夫婦で地べたを這ってでも前に進んでいこうという感じ。M-4で落ち込みM-9で元気を取り戻すというハードな2曲ループでも随分聞いた(普通に全曲通しても聞いてるよ、笑)。(H)

新世代フォルクローレ

H : 石郷岡さん個人としては、新世代のフォルクローレに強い衝撃を受けたのはどんな作品ですか?

I : 私が最初に衝撃を受けたのはアカ・セカ・トリオのセカンド・アルバム『アヴェニード』だったと思います。とても洗練された美しい音楽なのに、質素で素朴な叙情が同居しているという、ちょっとこういう誠実さみたいな感じが今のブラジル音楽に足りないなと。凄く嫉妬しました(笑)。そして次に出会ったのがアギーレの『ヴィオレタ』です。花田さんは?

H : 僕は、プエンテ・セレステになると思います。サンチアゴ・バスケスと、ドラマーの芳垣安洋さんたちが即興で録音したプロジェクト「Anima Mundi」に関して取材する機会があって、それで芳垣さんがバスケスの参加しているグループのプエンテ・セレステを絶賛していたので聞いたのが最初でした。プエンテ・セレステの自体の音楽性の変化があって、初期は実験的で音響派という括りで捉えられる音楽でしたが、今は新世代フォルクローレの旗手の一組ですね。

I : アルゼンチン音響派〜新世代フォルクローレって流れは人脈的には途切たものではないって面があって、バスケスは特に象徴的ですね。

H : 音響派の盛り上がりは日本で独特のものだとアルゼンチンのミュージシャン本人たちもインタビューで驚いていると発言していたけど、新世代フォルクローレの活躍は、現地でも重要視されてきて現在があると思っているんです。

I : というのは?

H : 僕はアルゼンチンに行ったこともないし、推測の域を出ないんですが、Club Del Discoというサイトがあって、ロック&ポップスからの影響が少ないタイプのアルゼンチンのコンテンポラリー音楽をずっと紹介しています。いつ始まったのか調べたら、2000年にスタートしていました。もちろん僕は当時のことは知りませんし、サイトは編集部時代に先輩に紹介されて知ったんですが、「今月の1枚」というコーナーがあったり、何を聞いたらいいのかすごく整理されていました。「今月の1枚」で紹介されてるのが日本に届くのが楽しみでならなかった。最近リニューアルされて、さらに充実したサイトになっていて、アルゼンチンのコンテンポラリー音楽の情報の宝庫です。

I : 新世代フォルクローレの層の厚さや、届く音の質の高さは、現地のシーンがしっかりしてるからってことで保証されている面も多いにありそうですし、まだまだ楽しみですね。

H : こういう下地がありつつも、一部の人にしか音や情報が届いていなかった状況に変化をもたらしたのは、BAAと山ブラの「素晴らしきメランコリーの世界」や、コンピレーションCD『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』のアプレミディからのリリースやカルロス・アギーレの1stアルバム『クレマ』の国内盤リリースでした。これらの動きがなければ、今回の来日公演は成功しなかったはず。石郷岡さんとしては、カルロス・アギーレの音楽のどんなところに惹かれていますか?

カルロス・アギーレ (c)三田村 亮

I : すべて! !

H : 困りました(笑)。

I : すみません。少し冷静には語れない部分がありまして(笑)。もう私にとっては神様ですから。そもそも山本さんや河野さんなんかと「アギーレを日本に呼ぼう」などと、まあ酒の肴で話していたことが、インパートメントの稲葉さんや、河野さんを中心としたいろんな方々の力を結集して実現してしまったわけです。私自身アギーレの招聘に役に立っているわけでは全くないのですが、想いだけは強い(笑)。アギーレさんのサウンド自体は非常に洗練を感じさせるもので、それは彼のもつ音楽的記憶というものが、ジャズ、クラシック、ブラジル音楽そしてもちろんフォルクローレといった幅広い音楽に基づいているからなのです。ところが、彼の音楽の凄さは音楽的洗練と、極めて純粋で素朴な想いとが同時に存在しえることです。彼がインタビューでも述べているとおり、純粋に美しさを追求する姿勢が我々の心を優しくそして力強く揺さぶるのだと思います。彼の音楽からは、風の音や川のせせらぎが聴こえてくるのです。

■×■カルロス・アギーレ・グルーポ『クレマ』クロス・レビュー■×■

長らく入手困難であったカルロス・アギーレ・グルーポの2000年のアルバム、通称「クレマ」。関係者の多大なる尽力により、オリジナルそのままの形で日本盤がリリースされた。たカルロス・アギーレ・グルーポとして『Rojo』、『Violeta』に先立つ本作は、この2作に比しよりフォルクローレの香りが高い作品。そして本作では多くの曲でカルロス・アギーレの歌を聴くことが出来る。繊細で慈愛に満ちた歌は多くの聴き手心を震わせるであろう。素朴で無垢な情感と洗練されたサウンド、吹き抜ける風や川のせせらぎなど、美しい自然をイメージさせる清新な音楽性に、音楽観すら変わる程の感動を禁じえない。私は彼の音楽を一生聞き続けます。(I)

■タンゴのコンサートを見ていて、アルゼンチンの音楽家には、生の楽器の可能性を極限までつきつめる伝統があると思う。それを、クラシックやジャズやポピュラー音楽全般をよく知った上で、フォルクローレをフィールドに極限の美しさを求めているのがアギーレだと思う。アギーレの名前は、新世代のフォルクローレの話題の中で、最重要作曲家として必ず名前は出てきていたので、近年の作品はリアルタイムで聞いていたし、編集部時代は、新譜が出ればブログで取り上げていた。が、入手困難な作品にまでは手が届かなかったので、本1stアルバムは今年の国内盤化で初めて聞いた。近年作には長尺の曲も多く、Voが乗らない曲も混在しているので、1stアルバムがVoを中心とした比較的コンパクトな作品でまとめられていて驚いた。本作があってこそ、時に実験的な響きのある以降の『rojo』『caminos』『violeta』があるのだと納得。ブラジルでの比較対象を探したけど、作曲とアレンジと演奏と歌と、全てを1人でここまで完璧に美しくこなす人は思い浮かばない。悔しい。米だが、ルーファスは全てを完璧に美しくこなす音楽家として、同じ境地にいるかもしれない。全く違う方向を向いてはいるが同程度に完璧主義者である今のトン・ゼーが、アギーレの音楽を聞いて何と言うのか興味がある。(H)■

(注1) : 一般的な意味では、ラテンアメリカ各地の民族音楽、または民族音楽を基礎にしたポピュラー音楽のことだが、ヨーロッパ系が多いアルゼンチンでは、ヨーロッパの音楽や楽器と結びつきながら、独特の洗練の過程を経てきた。本稿では新世代フォルクローレという言い方をしているが、歌のあるフォルクローレという意味に限定すると、旧世代のフォルクローレ・アーティストとして、音楽を通した社会変革運動となった「ヌエバ・カンシオン」(1962〜)の中心人物メルセデス・ソーサ、レオン・ヒエコや、アタウアルパ・ユパンキらを想定している。新世代のフォルクローレ・アーティストの入門用ディスクガイドとしては、『ブエノスアイレス 雑貨と文化の旅手帖』(栗本 斉・著)や、アルゼンチン特集をした『月刊ラティーナ2010年6月号』などがある。

(注2) : 代表的なアーティストは、フアナ・モリーナ、フェルナンド・カブサッキ、アレサンドロ・フラノフなど。トータスやジム・オルークらのポストプロダクション重視で、非常に音響的に拘った音楽を作るアーティストがシカゴに集中し、シカゴ音響派と呼ばれていたのを、アルゼンチンの同様の傾向を持つ音楽家たちの呼称に応用したもの。明確にジャンル分けされていたわけではないが、歌姫フアナ以外の来日アーティストの多くは即興演奏を得意としていたので、音響感に拘った即興演奏をする人たちというイメージは強い。山本精一や勝井祐二、芳垣安洋などのROVO周辺の日本のアーティストも強力にバック・アップした。本来、アルゼンチンにも存在しない「アルゼンチン音響派」という括りを定着させたのは、伝説的な音楽ライターの故・切石智子氏だと言われている。

対談は後半へ続きます!