
2010年8月7日。藤沢、朝日町パラダイスにてDINARY DELTA FORCE(以下DINARY)のリリース・パーティが行われた。DINARYは、活動9年目にして初のファースト・アルバム『SOUNDTRACK TO THE BED TOWN』を2LPとCDでリリース。朝日町パラダイスで彼らは2年間、BLAQ LISTというイベントを続けてきた。活動の拠点でもあり、彼らを取り巻くダンサー、スケーター、グラフィティ・ライターなどが藤沢には多く住んでいる。今、DINARYを中心として、藤沢で何かが起こっている。その真相を確かめるべく藤沢に足を伸ばし、インタビューを行った。受けてくれたのはDINARYのメンバー(N.I.K.E a.k.a DUSTY HUSKY、RHYME BOYA、祭SP a.k.a. SHAKA DA HUSTLE)と、BLAHRMYのsheef the 3rd a.k.a Dacock morray、藤沢のスケーター集団chatty chattyのメンバーでもありRHYME BOYAの実の弟でもある火の玉スケーターJUNYA FIREと藤沢の先輩スケーターKANJIRU。なんとDINARYからは、そのファースト・アルバム『SOUNDTRACK TO THE BED TOWN』からの「MEGA MIX」をフリー音源として頂いた! 是非この音源を聴きながら、藤沢の魅力と彼らの温かさを思う存分に感じて欲しい。
インタビュー&文 : Wakf
DINARY DELTA FORCE / SOUNDTRACK TO THE BED TOWN MEGA MIX
神奈川は藤沢“MOSS VILLAGE”が誇るHIP HOPクルー、DINARY DELTA FORCEが待望の1stアルバム『SOUNDTRACK TO THE BED TOWN』をリリースした。そのアルバムからメンバーであるRHYME BOYA自身が選曲しMIXした「MEGA MIX」をフリー・ダウンロードでお届けします! その黒く研ぎ澄まされた言葉と音に注目です!!
>>フリー・ダウンロードはこちらから(期間 : 8/26〜9/2)
INTERVIEW
——DINARYの皆さんとJUNYA FIREさんを始めスケーターの皆さんが繋がり始めたのっていつ頃からなんですか?
N.I.K.E(以下N) : 小学校からですかね。スケーターは皆小学校の頃から滑り始めてましたね。しかも、兄弟とかですからね。
JUNYA FIRE(以下J) : (RHYME BOYAを指して)ここ兄弟ですからね。
RHYME BOYA(以下R) : リアル・ブラザーです(笑)。
J : (戸枝)義明(注1)とかも幼い時からずっとですね。
——皆さん、藤沢が地元なんですか?
N : そうですね。もう歩いていける距離ですね。
——藤沢でずっと遊び、活動してきて、この街にどんな印象を持っていますか?
R : モスビル(注2)最高っす(一同笑)。
J : もう抜けられないっす! 残念ながら(笑)。
N : なんかいいんですよね。
R : 変なしがらみとかもないですしね。皆凄い自由にマイ・ペースにやってますよね。

——スケーターからみて、藤沢というスポットはどういった場所ですか?
J : もう離れられない場所ですね。東京とかは合わないですね。何よりも仲間がいるっていうのがデカイですね。よくもここまで揃ったよね。変な奴が。
N : 昔から遊んでたメンツで成り立ってるんでね。本当不思議ですね。
——横浜のアーティスト達とも繋がりあるんですか?
J : まぁ、でも藤沢が活性化してくれればそれでいいんですよ。
N : 横浜は横浜、相模原、藤沢って神奈川には色々シーンがあるんですよね。
J : そこで言えるのが藤沢が1番ヤバいってことです! 真っ黒です! モスビルのイベントがヤバ過ぎます。BLAQ LIST(注3)ヤバいなって。
——HIP HOPの黒さにハマったのは皆さんいつ頃からですか?
N : HIP HOPにハマり出したのは皆中学生の頃とかだと思うんですけど。そっから色々聞いて経て、辿りついたじゃないですけど... こだわってるわけでも無いんですけど、気づいたらヒッ プ・ホップに当たったんですよね。育ちは一緒ですけど、ルーツは違ったりしますからね。俺も中学生の時に転校とかしてて、HIP HOPの入りは違ったりしますからね。
——BLAQ LISTを始めてからどの位経つんですか?
N : 2年位ですかね。
——HIP HOPのカルチャーが藤沢に浸透しているんだなと、先日のリリース・パーティで感じましたが、どうでしょうか?
N : 前のリリース・パーティは特にそうですね。
R : こんなにB-BOY居たんだって思いましたね。
N : 藤沢だからきっとまだB-BOYが居るんですよね。
——藤沢を拠点にイベントやラップをやり続けてきて思うことはありますか?
R : やっとアルバムを出して、この前のリリース・パーティをやって思ったのは「これからまだまだ藤沢面白くなるな!」っていう破片を垣間見た気がしましたね。
——藤沢のこの自由な感じが魅力的なんですかね?
J : ですかね。これが普通って思っちゃってるんでね。他が分からないですけど。
N : 都内にはあんまり遊びに行かないですよね。都内のクラブはライヴしに行く、地元のクラブは遊びに行くって感じですかね。
——遊びに行く高揚感も変わってくるんですかね?
N : そうっすね。
R : やっぱり東京に行く時はどこかで気を張りますよね。
J : 東京は行くだけでバウ(警察)の数が多いんですよね。
N : ライヴをやるにも違いますね。藤沢でやる方が緊張するんですよね。
R : BLAQ LISTは1番難しいですね。身内な分シビアなんですよね。駄目な時は駄目だし。毎回良いわけではないし、かまさないとお客も返してくれないんでね。馴れ合いではないですね。
——スケーターとして都内に遊びに行く時に思うことはありますか?
J : 滑るところはあるんですけど、すぐ注意されるんですよね。夏だしここでいいかって、なるんですよね。東京は東京でいいんですけど、藤沢が1番イケテルっしょって話なんですよ。
——それは皆さん思ってるんですかね?
N : 思ってるんじゃないですか(笑)?
J : 思ってるっぽいですよ(笑)。
N : 純粋に自分の近くの奴を一番リスペクト出来るんですよね。形じゃなくて、やってる音楽が好きなんですよね。
——都内だと「誰々さん出てるからクラブに行く」っていう顔出しのようなことが、藤沢にはないですよね。
R : まったく無いですね(笑)。
N : 顔出しなんてくだらない事はしないけど、BLAHRMY(注4)出てたら俺らが行くし、DINARYが出てたら周りが来たりしますよね。その関係が楽しいですよね。
J : 単純に「行きてぇ! 」ってなるよね。
——BLAHRMYとDINARYはどんな繋がりなんですか?
N : DACOCK(BLAHRMY)とBOYAが高校一緒なんですよね。
DACOCK(以下D) : 俺は高校1年の時に、HIP HOPが好きっていうことで知り合ったんですよね。
R : 高校の同級生なんですけど、中学生の頃塾が一緒で、ニトロのCDとかを貸してたんですよね。
D : えっ! 誰こいつらってなったんですよね(笑)。
R : その頃ちょうど日本のHIP HOPを聞いてたんですけど、あの頃は日本のHIP HOP面白かったですよね。すげぇ楽しかった。
N : それで俺らの初ライヴで見に来てたりしてたしね(笑)。
J : えっ! そうなの!
D : 茅ヶ崎のクラブでやるからって聞いて、行ったらめちゃめちゃかっこ良くて、飛ばされましたね。
R : その2日後位にラップ始めたよね(笑)。
N : で、半年後ぐらいに朝日町でイベントうってたりして、その時はDINARYとDACOCKとかで2時間ライヴやったりしてましたね。

——身内がルーツって凄いですね。
D : そうっすね。あれはぶっ飛ばされましたね。
DINARYは人生のクラシックですね
——スケボーをやり始めるキッカケとなったカルチャーとかはありますか?
J : 俺は兄ちゃんの影響ですね。
R : 俺も皆と少しやってたりしてたんですよね。
J : やったらハマっちゃたんですよね。ハマり方がやばかったすよ。朝学校行く前に滑って、帰って来て滑ってをずっとやってましたね。
——CHATTY CHATTY(注5)の結成には、どんなキッカケがあったんですか?
J : CHATTY CHATTYは、モスビルのスポットにいたスケーターの集まりなんですよね。緩いノリなんですよね。皆上手いから撮ろうかっていう流れがあったりして。昔、トエチ(戸枝義明)がハンディ・カメラで撮ったのが始まりなんです。
——所属してる感じならD.L.I.P.(DISH LABEL IN POSSHI)(注6)寄りなんですかね?
J : そうっすね。っていうかDINARYとかはもう人生のクラシックですね(一同笑)。DINARYは本当に好きです。俺らの年代はDINARY世代ですよ。ヤバいんですって! 兄ちゃんのソロの曲が着うたに配信された時なんて中学の連中皆揃えてましたからね。
R : 洗脳だよね(笑)。
——こういう直の反応って嬉しいですよね。
N : そうっすね(笑)。なかなか俺らには届かないことですけどね(笑)。
——N.I.K.Eさんの下の世代も面白いんですか?
N : JUNYA FIREの世代はマイルス(BLAHRMY)がいたり、グラフィティ・ライターの奴らが中学から一緒だったりして熱いんですよね。
——JUNYAさんって何歳なんですか?
J : 今年23歳ですね。
N : で、俺らの周りが25歳ですね。で、KANJIRUが26歳です(一同爆笑)。
KANJIRU(以下K) : 1個上です。
——祭りさんは?
祭りSP(以下S) : 25歳です(笑)。
J : さっきから一言も喋ってないよ!
S : インタビューはあんまりね...
——DINARYが続けてこれた秘訣はありますか?
N : 育ち一緒でやれてなかったら、やってないかもしれないですね。4人とも我が強くて、個人個人のマイノリティーがあるんでね。続けられてるのは、昔からトンビ(仲間)でいたっていうことが大きいですかね。
——そこが崩れてないですもんね。
N : そうっすね。
R : 変な束縛があるわけではないんですよ。DINARYやってて窮屈なことなんて一回もないですね。なんつーんだろうな。究極のポジションがあるんですよね。
J : 血繋がってんじゃないかと思いますよね。
——リリース・パーティーの時に、BOYAさんが「UMBの横浜代表なんて関係ねぇよ。俺たちは現場で魅せ続けるんだよ」って言ったときの盛り上がりが凄くて、本当にお客さんとも繋がりあってるんだなと思いました。でもこれだけ人数がいると揉めたりはしないんですか?
N : ないんですよね。皆ブレないんでね。
R : 皆ボジションを分かってるよね。
(注1) : Westen Edition等多くのスケート・ブランドをスポンサーに付け、日本・藤沢が世界に誇るスケーター。
(注2) : MOSS VILLAGE=藤沢。
(注3) : DISH LABEL IN POSSHIが主宰するイベント。2年間継続している。
(注4) : DINARYのメンバーと昔から親交の深いSHEEF THE 3RD、MILES WORDで結成されたグループ。
(注5) : 藤沢・鵠沼をホーム・ポイントとしたスケート・チーム。スケーターは北村-ZIZOW-浩一、中島壮一朗、林正翔、戸枝義明、清水葵、JUNYA FIRE、MR.G。
>>DINARY DELTA FORCEインビュー後半はこちら
DINARY DELTA FORCE PROFILE
藤沢=MOSS VILLAGEの住人、RHYME BOYA、 N.I.K.E a.k.a DUSTY HUSKY、 ROMELICA a.k.a CALLY WALTER、 祭SP a.k.a SHAKA DA HUSTLERの4人で2001年に結成。自身達のPOSSE=DISH LABEL IN POSSHI(D.L.I.P.)で毎月第一土曜日に藤沢F.A.Pにてドス黒いPARTY・"BLAQ LIST"を開催している。2009年7月にはJERU THE DAMAJAとTHE BEATNUTSのJAPAN TOURで競演、藤沢のPARTYを確実な物にしている、またその時に限定300枚で発売されたEP『FLIPPIN DA STAGE&PAGE』は即完売し、今も尚WANTが絶えない街角CLASSICを産み出した。近年増加している、いわゆる教科書通りのBATTLE MCとは違いLIVEでのPROPSが高く、普段の生活から出る全てをDINARY独自のHIP HOPへと変えてしまうそのSTYLEは唯一無二。常に一部の熱烈なHEADZや同業者に動向を注目されている。
DINARY DELTA FORCE official myspace
CHATTY CHATTY PROFILE
地元鵠沼をホーム・ポイントとし、日本全国、世界各地のスケート・スポットを舞台に、瞬間の芸術とも言える完成度の高いスケート・トリックをメイクし続けるスケーター達。湘南と言えば海! 海と言えばサーフィン! と連想されるかもしれませんが、湘南のスケートボード・シーンは、流行に左右される事無く、生活の中に自然に存り続け、日々進化を続けている文化。今やそのレベルは日本だけでなく、世界に通用するレベルにまで達しているといっても過言ではない。そのシーンをフィルムに収め、編集し、発信していくのChatty Chatty Films。所属ライダーには北村-ZIZOW-浩一、中島壮一朗、林正翔、戸枝義明、清水葵などの重鎮から若手までを揃えた湘南を代表するスケーターばかり。