2014/12/06 19:18

丸くなるな、スタイルを変えるな、貪欲であれーー松下マサナオ(Yasei Collective) × 村上“PONTA”秀一 特別対談


エレクトロ、ジャズ、ロック、ヒップホップなどが融合されたサウンドで国内外から評価を得ているYasei Collective(ヤセイコレクティブ)。その中心人物にしてドラマー、松下マサナオが12月18日に「オトトイの学校×ミューズ音楽院」にて公開講座、「松下マサナオのモダンドラム予備校」を開催する。その初回にゲストとして招くのは、数々のミュージシャンのスタジオ・レコーディング、ライヴに参加し、ドラムを始めて40年以上が経つ今もなお、最前線であり続けるドラマー村上“PONTA”秀一!!

ドラマーでなくとも、間違いなくおもしろくなるだろうこの講座に先駆けて2人の対談を掲載!! 開催前から既に始まっている2人のセッションはこちらからどうぞ!!

【オトトイの学校×ミューズ音楽院】公開講座 松下マサナオのモダンドラム予備校 vol.1

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<講座紹介>
Yasei Collectiveの松下マサナオがホストを勤める新しいかたちのドラム講座。初回のゲストは松下のドラム人生のルーツでもある、日本を代表するドラマー村上“ポンタ”秀一氏。チューニングや機材をはじめとする音へのこだわりを語るほか、キャリア40年を超えるポンタ氏がドラマーとして体験したエピソードなど、他では聞けないディープなトークをお送りします。さらにお二人が選ぶドラム名盤解説や、ドラム・セッションもあり! 彼らのドラムへの熱量を感じ、音楽の魅力を再発見できる、日本最高峰のドラム予備校がここに開講!

<詳細>
講師 : 松下マサナオ
ゲスト : 村上"PONTA"秀一
日時: 2014年12月18日 19時00分〜 (全一回)
受講料 : 2,500円 (税込)
定員 : 50人
募集期間 : 2014年10月10日 〜 2014年12月18日
開催場所 : ミューズ音楽院本館 東京都渋谷区代々木1-31-2

対談 : 松下マサナオ(Yasei Collective)×村上"PONTA"秀一

「絶対、日本の音楽業界変えてやる!」って思ってた

――まずは2人の出会いから聞かせていただいていいですか?

松下マサナオ(以下、松下) : 僕が月見ル君想フでライヴ・リハをやっている時に、偶然ポンタさんが来ていて、演奏を上から見ていたんですよね。

――どうでした? 最初の松下さんは?

村上"PONTA"秀一(以下、村上) : もうまずね、シンバルのダークな音に「おお、なるほど」って。俺は彼の名前だけ聴いたことがあったんだけど、噂通りの変な奴だなって思ったよ。

――(笑)。

松下 : そこで少しだけお話して、その後、月見ルの店長が「次はYasei Collectiveとセッションしたらおもしろいんじゃない?」って提案してくれて。僕からしたら面白いってレベルじゃないんですよ。ポンタさんは、日本で一番ツイン・ドラムしたいけど、したくない人でもあるから(笑)。でも、店長がオファーしたら快諾して下さって。それ以降2回やって、来年1月には一緒にツアーをすることになりました。

――松下さんはいつ頃ポンタさんの存在を知ったんですか?

松下 : ポンタさんが参加してた山下達郎さんの『IT'S A POPPIN' TIME』っていう、今は亡き六本木のピットインでやったライヴのCDですね。長野から出てきた何も知らないガキだった頃に、大学の先輩ドラマーの佐久間亮さんに勧められて聴いたんですけど、「このバック・バンド外国人ですよね」って聴いたら「いや、これ全員日本人なんだよ」って言われて。最初は半信半疑だったんですけど、とにかく凄かったんですよ。ドラムの歌い方やハイハットの音ひとつとっても、「これを70年代後半に日本でやってる人がいたんだ!」って、すごく衝撃的でした。このアルバムをきっかけに、本物を知ったという感じがしましたね。

ーーポンタさんのプレイに影響を受けました?

松下 : モロに受けてますね。同年代では多分僕が一番ポンタさんを知ってるって言い切れるくらい。プロを目指すようになったのも『IT'S A POPPIN' TIME』を聴いたことが大きくて。ポンタさんの存在を知って、僕も自分が"今"の音だなと感じる音をやろうと思うようになったんです。今僕がやっていることは、やり方は違いますけど、その時のポンタさんがやっていたことを自分なりにやっている感じですかね。ドラマーとしての立ち位置という部分で、すごく影響を受けています。後輩のミュージシャンにも、僕が言われたのと同じように「これ知らないと痛いことになるぞ」って勧めてます。ヒップホップとかジャズとか、90年代後半からの曲だけ聴いてルーツだとか言ってるドラマーないしミュージシャンがいっぱいいるんですよ。だから彼らに「70年代にはこういう人たちがいて、今もやり続けているんだよ」って。軽い布教活動に近いんですけど(笑)。

村上 : 俺は、今俺と同年代の奴が『IT'S A POPPIN' TIME』をかけると頭にくるんだよ。

――どうしてですか?

村上 : ほとんど勘違いして聴いてるから。俺らはこれを結構強い意志で始めたわけよ。それを何もわかってねぇなお前らみたいな。

――強い意志というのは?

村上 : 「絶対、日本の音楽業界変えてやる!」って思ってた。俺はレコーディング業界に入って、ギターの松木(恒秀)さん、ベースの岡沢章と仕事をして、同じ頃に(山下)達郎とか(坂本)龍一とかあの辺のやつらとも一緒にやることになったんだけど、あの頃、アルバム・ミュージシャンのクレジットがないってことで、音楽業界と戦ったんだよね。わけのわからない新参者がどうのこうのとか言われたけど、ミュージシャンとヴォーカリストが対等にならないといけないと思っていたから。もっと、ニューヨーク、ロサンゼルスのミュージシャンと交流しなきゃいけないとも思ったし。

村上"PONTA"秀一

――当時、日本の音楽業界には交流がなかったんですか?

村上 : 日本は鎖国の国だよ。ヘタクソが有名だったりするしね。今でも思ってるけど、感性が鎖国なのよ。圧倒的にバランスってものを知らないんだよね。海外だとソニー・ペインがいた時期のカウント・ベイシー・オーケストラなんて、めちゃくちゃバランスいいんだから。オーケストラで、フォルテでもうるさくない。バコバコにやってる中で、一番よく聴こえるのはフレディ・グリーンのギターの四分なわけ。そういう隙間と、ダイナミクスを知っている。日本は一番そういうのが欠けてる。でも、KYLYNなんかは、あんなに人数いてもうるさくなかったね。日本の革命だと思った。

松下 : すごいバランス良いですもんね。

村上 : 海外に行くとほとんど毎日セッションをやるんだけど、日本では当時新宿ロフトでやってたんだよね。新宿ロフトにあらゆるミュージシャンが集まって、とにかく毎晩セッションしてた。常連は、俺とか、坂本龍一とか、山岸潤史とか、サンバカリオカのやつら。俺は、マイケル・ブレッカーとか、ランディとか、アンソニー連れて行ってた。

――ロフトが中心地だったんですか。

村上 : そこからみんな枝分かれしていったんだよ。イエロー・マジック・オーケストラもそこからできたし。

松下 : アフタージャムってニューヨークとかロサンゼルスだと、当たり前ですもんね。

――その頃はセッションから生まれてくるものが多かったのでしょうか。

村上 : 今もそうだよ。俺なんて、今回のツアーでもアマチュアの子とセッションしてるから。アマチュアの子たちにはね、ピュアなものをもらうの。俺が31年も付き合ってる博多のサンタナ・バンドなんてえぐいよ。普通に「わかっとらんね〜ポンさんも」なんて怒られるから(笑)。でも、それが気持ちいいんだよな。

――今回も全国でセッションを?

村上 : 札幌、仙台、石巻、名古屋、広島、博多、鹿児島、宮崎、都城、それくらい行くと思う。この5年くらいは、12月は他の仕事をあんまりとらないようにしていて。一人でそういうところを回って、そいつらとセッションして、1年を振り返るの。今年の12月は特にそういうのばっかりいれちゃった。北海道から鹿児島まで、スティックケースだけ持ってね。

音楽なんてたいしたもんじゃないと思ってる

――ポンタさんは、自分含め、シーンを発展させたいという考えはありますか?

村上 : 俺の中でふつふつと沸き滾っているものもあるけど、なんか使ってもしょうがないんじゃねえかなって吹っ切れたね。その代り、向こう(海外)行ったら自由よ。俺は、本当ならニューヨークでやってる方が楽だもん。日本のくそったれのしがらみとか関係ないからね。向こうは、良いプレイしてたらいいだけだから。どこに行っても。それは楽だよ。

――日本は良いプレイをしてるだけじゃ駄目ってことですか?

松下 : そうですね。例えば、誰でも合わせられるような普通のプレイで、性格とかも色々ひっくるめてめちゃくちゃ良い奴と、エッジイで、めちゃくちゃうまいプレイするけど、性格もエッジイで扱いづらい奴が、両方ドラムでいるとするじゃないですか。ポンタさんは後者で、僕も性格以外はそっちでいようと努めてるんですけど。ポンタさんたちの時代は、そういうエッジイな人たち、時代作ろうって人たちが集まって成ってたんですきっと。今、僕らがポンタさんたちがやってたようなやり方で、もう一回変えていこうとすると、ちょっと上の世代が尋常じゃないくらい圧力をかけてくるんですよね。

ーーそうなんですか。

松下 : アメリカでドラムを修行して帰国する時に、向こうに住んでる日本人に「お前そのスタイルのままじゃ、絶対に帰国後食っていけないからな」って言われたこともあって。むかついたし、実際帰ってから苦労はしたけど、そこで自分のスタイルを変えていたら、ミュージシャンとして、ポンタさんに出会っていなかったと思うし、もちろんこんな形で一緒に仕事することにはなってなかった。でも、こういう考え方だと仕事量が全然違ってくるから、食っていくためには普通のドラムを叩くようになり、スタイルまで帰国後戻してしまう人が多いですね。

――現状はいかがですか?

松下 : 僕の場合こういうスタイルでやってきたから、この間も白井良明さんが面白がってアルバムに僕を呼んでくれたり。そういう先輩方があえて僕らみたいなのを呼んでくれるので、それはやっててよかったなって思うところですね。あとは、何やってるかわかんないって判断されることもあって大変なときもありますけど、まぁ色々と状況はよくなってます。僕らより下の世代で言うと、石若駿とか横山和明とかがいるんですけど、彼らも最初は何やってるかわかんないって言われてたんですよ。でも、マジでヤバい演奏するんです。

村上 : 俺も駿とは北海道でおもしろい出会いをして、そこから可愛がってるよ。

松下マサナオ(Yasei Collective)

――ポンタさんのドラムの流儀というか、スタイルはどんなものなのでしょうか。

村上 : いや、流儀はないよ。俺はずっと、自分の中の天地天神目指してやって、気づいたら棺桶っていうのが理想だから。やっぱり職人だからね。自分との闘い。言葉にするとキザったらしいけどね。だから色んな人見て、何聴いてるんだろうなとかグルーヴ見て納得したりとか、そういうのに興味が湧いて、食いつく自分じゃなきゃいけないって思ってるし、そうでなきゃいけないのよ。

松下 : それってすごいことですよ。だって、ポンタさんなんて日本のドンじゃないですか。なのに、俺と初めて会った日に連絡先を交換したんですけど、次の週には「今何聴いてるか教えてくれよ」ってメールが来て。返信したら、速攻でタワレコの知り合いに連絡して買って聴いてるんですよ。その貪欲さって半端じゃない。ハイエンドな人たちって実は情報共有をしたがってるんですよね。

村上 : あと俺ね、赤い鳥っていうグループでデビューしたんだけど、給料が6万円だったの。ある時にあるドラムをアルバムで聴いて「こいつ何やってんだろう」って気になって、社長に「出世払い!」って言って、10分だけニューヨークのクラブに観に行ったの。それがたまたまスティーブ・ガッドで、やっぱり今までにないやり方をしていたわけ。

――すごい話ですね!

村上 : こういう10分だけ観て納得して帰ってくる感じ、これに関してはお金の糸目は使わなかったね。社長が先見の目っていうのがあったのかな。よく貸してくれたよね。すぐに返したけど。

松下 : 今だったら、まず貸してくれる人がいないですよね。

村上 : あと、最近はドリカムとか矢沢とか、ドームで5万人いるような場所に俺はもう必要ないなって思うようになったね。そこの観客は見ているのはアーティストだけで、全体で音を聴くって言う範疇でみているやつなんか、この5万人の中で一人いるかいないかみたいなもんだろうと思って。俺は逆に、空気が振動するくらいの小さい所で、とにかく生音でマイクも使わなくていいようなところで聴かせなきゃいけないなと。情操教育として日本のやつらはそうじゃないとどんどん駄目になっていくと思う。その上で、データで聴けばいいんだよ。両方知ってればいいと思う。一関のベイシーっていう、生すぎる音を聞かせてくれる店があるんだけど、ここは一回みんな行くべきよ。あと俺はオーディオ・マニアだったけど、CDができた時にこれで日本の音響が、皆の耳が駄目になるなって思ったよ。PONTA BOXなんかは、今度はすごい良い状態で聴けるハイレゾでやるんだけどさ。

――ポンタさんが、日本のトップになっても、追求しているものってなんですか?

村上 : 言い出したらきりがないけど、職人。昔からそうなんだけど、職人さんの色んな技を見ながら、自分に影響させていく。音楽業界で人付き合いが多いって言われるけど、他の職人さんの方が多いよ。

松下 : ポンタさんと話してると、音楽以外の話がおもしろいですもん。

村上 : 俺、音楽なんてたいしたもんじゃないと思ってる。そっちの職人さんを追及している自分があるから、多分音楽で「今日よかった」っていってくれる人がいるんだと思う。

松下 : ドラムがなくても”ポンタさん”なんですよね。そこはお会いしてからすごい好きになりました。

ポンタさんが「お前はそのままでいいんだよ」って言ったのを自分の耳で聴いた瞬間に、別に何やってもいいなって

――今日、色々お話してもらいましたが、講座でもたっぷり伺いたいと思っています。

松下 : 僕が知ってる限り、今回「オトトイの学校」でやるこの講座って、僕みたいな若い奴が間に入ってポンタさんを紹介するのって初めてですよね?

村上 : うん。だからおもしろいと思う。

松下 : 超レアだと思います。僕もこういうのをシリーズ化していけたらいいなって思っていて、第一回目は絶対にポンタさんじゃないと嫌だったんです。

村上 : 俺一人でやるのと松下が間に入るのでは全然意味が違うと思っていて。俺一人でもクリニックとか頼まれてやることがあるけど、やっぱり「この野郎!」とか、そういう感じになっちゃうんだよな。でも松下が中に入ってこうやって話してくれると、もっと素直に浸透すると思う。松下にも俺が質問したりして。松下のすごい所は、許容範囲が広い。今どきこんな若いのがいるのかって、俺嬉しかったもん。

松下 : ある意味タチの悪い組み合わせですよ(笑)。でも、さっきも少し言いましたけど、ポンタさんと出会って、「お前変わってんな」とか「お前はそれを続ければいいから」とか言われたときに、俺はもう大丈夫だなって思いました。ポンタさんが昔「実現しなかったけど、マイルスに「ポンタ呼べ」って言われたからこれで10年食っていける」って言ってたのと、俺の中ではほとんど一緒なんですよね。ポンタさんが「お前はそのままでいいんだよ」って言ったのを自分の耳で聴いた瞬間に、別に何やってもいいなっていう自信が生まれて。僕の中でもやもやしていたものが、初めて塊になった瞬間でした。そういってもらえてから、精神的にもすごく成長しました。

村上 : 俺ね、アルバムのレコーディング頼まれたら、一枚できるまでずっと寝ないの。一回帰ってまた次の日に来るのが耐えられないから、もうずーっとできるまでやる。だから、まず死ぬのがエンジニア。皆休憩しようって寝たりするんだけど、10分したら「起きろコラ、なんで俺が一人で起きてんだこの野郎」って。

松下 : そのバキバキな頃のポンタさんの動画がYouTubeとかにあって、村上ポンタで検索したら「ポンタさん怖すぎワロたw」とかたくさん出てくるんですよね(笑)。まあ、今と変わってないんですけど、僕はツイン・ドラムの日にそれを見てビビってからライヴやったから、集中できました。

――(笑)。

松下 : でも、僕もヤセイのファースト・アルバムを撮った時は、帯状疱疹が頭の半分までできました。今、考えてみたらそんなに詰めてやらなくてもよかったのに。そうやって作らないとできない。

村上 : 経験によってそのコントロールができるだなんて嘘だから。毎回真剣になっちゃうよ。そのどばっとした真剣さはよくないってわかってるんだけど、なってしまうんだよな。だからレコーディングの時も、意味もないのにしょっちゅうトイレ行く。

松下 : やっぱり緊張してるんですよね。ポンタさんなんて家と同じくらい、何十年もスタジオにいるのに、それでも現場に行って、ドラムの前に座ってそれが不自然に感じるからトイレに行きたくなる。それの繰り返しですよね。

村上 : 俺はすごい予習する人間だからさ、資料と譜面もらったら大体のデモも作るんだけど、前の日からずっと自分の中でイメージで定まんない時は、スタジオに入っても、何しても不安だよ。外面では「早よ来んかいコラ!」とか言ってるけどね。まあ、ミュージャンなんてそんなもんだよな。

松下 : そうですよ。ちゃんと音楽やってるやつは、世代関係なく。

村上 : ミュージシャンに限らず、一過言あるやつはみんなそうだよな。ほんと言葉にすると偉そうで恥ずかしいけど。

松下 : 講座では、基本こういう感じで話して、僕がポンタさんの参加作品を選んで紹介しようかなと。レコーディングをどうやったとか皆絶対知りたいですから。その当時のこだわりとかを皆さんに聞かせたいですね。あと、セットを2つ並べて、俺だったらこうやるけどポンタさんだったら、みたいなものを見せてほしいなと。そういうの多分面白いと思うので。

インタヴュー : 飯田仁一郎

Yasei Collectiveの過去作はこちら!

LIVE INFORMATION

NEW PONTA BOX × Yasei Collective

2015年1月8日(木)@名古屋BLUE NOTE
2015年1月9日(金)@飯田市竜丘公民館大ホール
2015年1月10日(土)茅野LIVE&BAR Piano Man
2015年1月11日(日)青山月見ル君想フ

PROFILE

松下マサナオ(Yasei Collective)

長野県飯田市出身。17歳でドラムを始め、大学卒業後に渡米し、Ralph Humphrey、Joe Porcaroに師事。現地の優れたミュージシャン達と演奏を重ねながら、2年間武者修行をする。帰国後はさまざまなバンドで活動し、2009年に自身のバンド、Yasei Collectiveを結成。2012年にFUJI ROCK FESTIVALに出演、2013年にはUSジャム・バンド、KneebodyとのWリリース・ライヴを実現させるなど、精力的に活動を展開。現在までにマインズ・レコードから6枚のアルバムをリリースしている。現在の主な参加バンド: Yasei Collective、 Gentle Forest Jazz Band、 Za FeeDo等。

>>Yasei Collective Official HP

村上“ポンタ”秀一(Drums,Produce,NEW PONTA BOX)

1951年1月1日生まれ。兵庫県出身。1972年、フォーク・グループ赤い鳥に参加。渡辺貞夫、山下洋輔、坂本龍一ら、超一流ミュージシャンとセッション。さらには井上陽水、吉田拓郎、山下達郎、松任谷由実、矢沢永吉、沢田研二、桑田圭祐など、膨大な数のミュージシャンのスタジオ・レコーディング、ライヴに参加。93年、自身初のリーダー・バンド“PONTA BOX”を結成、99年にはフジテレビ系「ニュースJAPAN JAZZ GIANTS」出演。現在のサウンド・プロデューサーとしてさまざまなアーティストと新たな音作りを続ける一方、ドラム・クリニックなど後進の育成・指導にも積極的に力を注ぐ。いちドラマーとしてだけでは捉えきれない高い音楽性と幅広い活動を繰り広げる、日本を代表するトップ・アーティストである。

>>村上“ポンタ”秀一 Official HP

[インタヴュー] Yasei Collective

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