2009/04/13 00:00


VOL.1

はじめまして、山形県米沢市に住んでおります船山裕紀と申します。申年の28才で、血液型は測った事がありません。

僕はSHIFT(シフト)というバンドでボーカルをやってまして、最近ではSUPER II(スーパー・アイアイ)というユニットもQurageのモッコと二人でやっております。あと山形のバンド界隈でサッカーも始めました。こっちは毎週日曜日に山形県内のどこかでやってますので興味のある方はご一報頂ければと思います。

それはそうと、初回は自己紹介的な意味も含めて、SHIFT結成とAKUTAGAWAとWHAT EVER FILMの出会いを綴っていきます。山形の人はみんな知ってるけど、県外の人はきっと知らない、そういう情報って共有出来たら面白いですよね。あんまり興味なかったらすみません。

ってことで、最初だし取っ付きやすいとこから。時はサカノボリあれは2002年のいつだったか…まぁ覚えてませんが、当時僕は向ケ丘遊園に住んでました。何故かベースを片手に都会に行ってみるべ的なあれで、そんで岡本太郎が好きだぜな勢いでまぁ1年半程生活したんですが、どうもあれだなぁと思ってた矢先アパート近辺の道路の上をザリガニが歩いていたのをきっかけに故郷に帰ることにしまして。

僕の中でザリガニはお寺の池の排水溝的なとこの中に住んでる生物で、するめイカ経由のバケツ行きならまだしも、決して道路を歩く生物ではなかったのでこんなとこ住めるかボケみたいな感じで母親に電話、オレ山形帰るわなんて言って小田急で新宿まで出て中央線を待ってた新宿駅のホーム、そのタイミングでまさかの安倍誠司(SHIFTのベース)から電話。彼とは高校の同級生なんですが、卒業後全くと言っていい程連絡無し。彼は卒業後すぐ東京へ、僕は卒業後仙台から山形戻りの大都会行き。1999年高校卒業なのでまぁ結構連絡取ってなかったわけです。で話を戻すと、そのタイミングで"ユウキ今何してんの?オレ1週間前に山形帰ってきたんだけど"って電話だったのです。面白いもんです。たとえ明日から僕が冥王星に転勤になっても、オレの故郷は冥王星だって電話がきそうです。

まぁそんなこんなで、高校ぶりに再会して暇だしバンドやろうぜみたいなとこに発展するわけです。まぁそこから紆余曲折ありまして、当時アベが働いていた工場の先輩、高橋努さん(ドラム)が加入してSHIFTとなるわけです。どうでも良い話なんですけど書かずにはいられないのでどうぞ付き合って下さい。ということで最初はまぁ3人ですね。んでそこに当時の僕の彼女(今は嫁)の親友のマーが加入します。彼女は特別楽器は弾けなかったのでシーケンサーを2台とスネアドラムを預けて終始ドタバタしてました。曲はちゃんとあったんだけど初期シフトはかなりジャンクっぽかったというか適当ですね。当時の演奏を音楽を知らない友達が洪水と表現してました。僕はギターは弾くもんじゃなくてマイクスタンドに擦るもんだと思ってましたし。

で、その当時の活動拠点と言えば米沢なわけです。当時どうやったらライブ出来るのかもわからなかったし、(あ、これを読んでる皆さんはわからないかもですが、ライブハウスそのものが米沢にはなかったんです)、ライブしたいしってな感じの時期にちょうど風の噂で米沢のフロムダスクっていうバーでイベントやるみたいってのを聞きまして僕とアベと二人で行ってみたんです。そんで中に入ってちょうど演奏してたのがアクタガワ、曲はあの初期の名曲「太陽の花」。これがアクタとの出会いです。ちなみに確かこの時のPAでこの日出演していた、"こまくさ"ってバンドでドラムを叩いていたのが今はSHIFTのギターの高田宏晃。で、この時はまだアクタじゃないけど、現アクタのベーシストであるシンヤさんがベースを弾いてたバンド、フェラリオも出てました。この時のしんやさんはとっても怖かった。うん、とっても怖かったんだ。

ということで、次回はそのアクタガワとフェラリオを地元である長井市に呼んで、ヤマハ音楽教室の小ホールを借りてイベントを開くところから。楽しみにしてて下さい。


PROFILE

船山裕紀。『笑顔が世界を平和にする』をモットーに活動している、無意味な殺生が大嫌いな4人組アヴァンギャルド・ダンサンブル・オーケストラ、SHIFTのボーカル。ライブではステージを縦横無尽・自由奔放に駆け回るため、フロント3人のコードは常に絡まっている。とにかく動き回る、地方発信のD.I.Y精神継承者。

artist page https://ototoy.jp/them/index.php/ARTIST/7542/

website http://shift.xxv.jp/

blog http://shiftinfo.exblog.jp/

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