2010/04/28 00:00

VOL.5

OTOTOYをご覧の皆様、こんにちは。北極振動の影響で、寒暖の差が激しい毎日が続いておりますが、皆様は如何お過ごしでしたでしょうか? 古くから朝鮮半島では、寒い日が3日続いた後に暖かい日が4日続くと言われ、この七日周期の気候変化を『三寒四温』と呼んできました。これはシベリア高気圧の影響に因るもので、日本でも春の訪れの代名詞として度々使われるため、とても耳馴染みがある言葉となております。

実は、この『三寒四温』。シベリア高気圧よりも太平洋高気圧の影響を広く受ける日本では、一冬に一度あるかないかの現象なのだそうです。現在は本来の意味から離れ「春先に高気圧と低気圧が交互にやってきたときの気温の周期的な変化」という意味で普及していますね。太古から森羅万象を上手に言語化してきた日本人ですが、近年、このように言葉が本来の意味から離れ一人歩きすることが目立ってきました。調べてみるとなるほどと思う意味のある日本語も、環境、文化などの変化に引き摺られてしまうものです。しかし、このような言葉の持つ本来の役割の喪失に、敏感な日本人でありたいとも思います。

というわけで、冒頭は『天気』と『言葉』をキーワードに始めた今回のローカル・レポート。毎度、脈絡のない序章から無理矢理アーティスト紹介にこじつけている感が否めませんが、今回もグイグイ行きます。第5回のレコメンドアーティストは『今一度、福島を洗濯致し申し候』の冠に相応しい福島を代表するデトックス・バンド、『衰退羞恥心(すいたいしゅうちしん)』です。その字面と響きから、変なバンドを想像している読者の方も多いと思われますが、そうですね・・・だいたい想像通りで問題ないと思います。そして、何を隠そう、このバンド。私あやぽんごが19歳の時に初めて組んだバンドなのです。

衰退羞恥心(2004.10-)
『精神パンク』と称しアンダーグラウンド界のマイラバ、またはルクプルもしくはヒデとロザンナを目指すアコギなユニット。常時ありとあらゆる楽器演者募集中!参加資格、アングラ好き。(スタジオ・ライブ、来れる時で宜しく。)
Vo.Gu 真琴

まず始めに、上記メンバーを見て「あれ? 」と思われる方がいらっしゃったかもしれません。でも、表記はこれで正しいはずです。というのも、衰退羞恥心を衰退羞恥心たらしめる要素はフロント・マンの真琴氏のみで充分なのです。その他の膨大な数のサポート・メンバーは、言わば真琴氏の付け合わせにすぎません。しかし、この付け合わせはただの付け合わせではありません。サポートを依頼するのも畏れ多い、福島を代表する極上のバンド・マン達なのです。

私が経験した中での最大編成は、アコギ、バイオリン、ジャンベ、ツイン・ドラムとツイン・ベースで、総勢8人というものでした。このようにして、衰退羞恥心は多数のサポートメンバーの存在により、【出たい人が出たいライブに参加する】というスタイルで活動をしております。そして、真琴氏を除いた唯一のオリジナル・メンバーが、他でもないエレキ・バイオリン担当の私だったのです。毎回違うメンバーでステージに立つ、アマチュアでは中々出来ることではありません。こんなことが可能なのも、歌詞やバンド名とは似つかわしくない温厚で気さくな真琴氏の人柄に因るのだと思います。

さて、冒頭で露呈した『天気』と『言葉』というキーワードの種明かしをそろそろして参りましょう。先ずは『天気』について。これは、真琴氏の生業とは切っても切り離せないものなのです。私が連載初回からしつこくプッシュさせて頂いている飯坂温泉という温泉郷では、桜桃(さくらんぼ)、桃、梨や林檎と、四季折々で様々な果樹が栽培されております。一昨年のリーマン・ショックの煽りでリストラに遭った真琴氏は、飯坂の農家の中でも抜群の味と情熱を誇る安斎忠作果樹園の元で果樹栽培に丁稚奉公に出ました。そして、今年の三月。安斎氏のご後援もあって、自ら畑を借りることに成功。見事、桜桃オーナーとなったのです。現在は間もなく訪れる最盛期に向け、日焼けした姿で演奏活動を行っております。近々、ライブ・ハウスで美味しい佐藤錦と音源の夢の物販共演もあるかもしれません。

次に、『言葉』について少々触れてみたいと思います。私はソング・ライターにとって、『言葉』は『音楽』と同じくらい責任を背負うべきものだと思っております。特に、パンク・バンドの様にメッセージ性が強く辛辣な日本語は、その歌詞の与える周囲への影響は大きく、ソング・ライターの責任でもあると言えるでしょう。しかし、それらソング・ライターの人々は、果たしてどれほどの人生を送ってきたというのでしょう。風刺、抽象的表現、刷り込み、比喩、スラングやジャーゴン、このように言語表現には多様性がありますが、故に実生活とは離れた創作活動も自由と言えます。

ここからはあまり大きな声では言えませんので、オフレコで読んでください。皆さんは、ライブ・ハウスで歌詞を聴いてイラっとした経験はないでしょうか。笑えもせず共感も出来ずただイラっとするその現象。バンドの目に見える人間性と、あまりにも歌詞がかけ離れていた場合に起こります。やはり、言語というものはどこまでも人間の“一部分”にしか成り得ず、だからこそ、歌を聴いただけで作り手の人間性に惚れ込むことも出来るのだと思う瞬間でもあります。

さて、9年も先に生まれた人生の先輩に対し偉そうな事は言えませんが、そう言う点で真琴氏の書く詞は非常に共感を持てます。口語体で綴られているためなのか、彼の半生を生かした内容のせいなのかは分かりません。ただ、彼の書く詞はきちんと地に足が着いているため、躍動感や臨場感、リストラの際の切羽詰まった感まで手に取る様に感じることが出来るのです。彼の詞は経験や思想がそのままに表れた、写し絵なのです。立ち居振る舞いにおいても、舞台の上でも下でも全く変わりありません。色んなアマチュア・バンドに出逢ってきましたが、彼のようにフランクな人は滅多に居ないと思います。パンク・バンドなのに、腰も低いです。そのせいか、彼等の演奏を聴いているお客様はいつも笑顔なのです…パンク・バンドなのに。

さて、私と真琴氏しかしらない『衰退羞恥心』結成秘話を少しだけお話させてください。(以下、いつも通り真琴さんと呼ばせて頂きます。)私が真琴さんに出会ったのは、私が高校受験を終えた三月。私は15歳、真琴さんは24歳でした。当時の真琴さんはコークスクリューというオルタナ・バンドのベーシストで、『アングラマニア』という泣く子も黙るイベントのオーガナイザーでした。私はというと、一人暮らしをしながらやっとで高校へ通い、アルバイトでなんとかオーケストラを続けているという極貧時代真っ直中でした。そんな中、真琴さんは私をスタッフとしてイベントに入れてくれたり、打ち上げ代を奢ってくれたり、ツアーに便乗させてくれたり、音源を貸してくれたり…と、私がバンドに疎くならないよう後見人となってくれたのです。まさに福島バンド界のあしながおじさん。数少ない一生頭の上がらない恩人の、一人なのです。

ここで、少し脱線して、私を高校時代から存分に可愛がり、わしの耳を変拍子で踊れるような耳に染め上げた『アングラあしなが育英会』の素敵な後見人をご紹介したいと思います。当時、郡山市を中心に活動していた『堕天使』というバンドのお兄様達です。Vo佐藤氏からはエフェクターやアンプを頂き、17歳の誕生日にはコムデギャルソンのジャケットまで頂きました。Baの小椋氏には極貧時代にレアな音源や映像を頂き、中でもBOOM BOOM SATTELITESドイツ公演の映像はディスクが擦り切れるほど見させて頂きました。そしてDr遠藤氏からは、私の結婚式で酔っぱらいお義父様に対してシュプレヒコールを頂いたり、一緒にロック・フェスに行って往年のスターを教えて頂いたり、オーケストラの宣伝を手伝っていただいたりと、大変お世話になりました。現在、『堕天使』というバンドは解散してしまいましたが、それぞれ音楽活動は続けており、相変わらず格好良い“燻し銀”の演奏をされております。

このようにして、お洒落関係者に「あやぽんごさんって、10代の頃どんな音楽聴いてたんですか〜? 」と尋ねられても、面倒くさいので「クラシックです〜。」などと答えるのでした。が、これは事実無根。クラシックは自分の演奏以外で聴くことは殆どありませんでした。本当は、THE STALIN、頭脳警察、あぶらだこ、人間椅子、じゃがたら、三上寛、吉田達也や渋さ知らズ…この辺りのアーティストに甚大なる影響を受けたのです。特に、福島の誇るスーパー・スターであるTHE STALINの遠藤ミチロウ氏からは強烈な影響を受け今も「赤い色が大嫌い」という後遺症があるほどです。そんな私は幸か不幸か齢(よわい)16にして彼のライブを見る機会に恵まれ、お話をさせて頂いたりもしたのです。

月日は流れ、19歳になったあやぽんごに、真琴さんから「バンドを組もう!」とオファーがありました。初ライブは、なんと遠藤ミチロウ氏の前座をやらせて頂けるというのです。バンドの右も左も分からない私は、真琴さんに言われたとおり近所の中古屋のガラス・ケースに入っていたエレキ・バイオリンを購入。初めてのスタジオで、バイオリンにアンプを繋いだ感動は忘れもしません。そのうち、足下にはディストーション、フランジャー、ディレイが並べられ、私はバイオリンを弾きながら見様見真似でエフェクターを踏みました。

5年前の12月、今は移転して無くなってしまった郡山市のLast Waltzが私の初陣でした。初ライブでカバーしたのは、大好きな頭脳警察の「ふざけるんじゃねぇよ」。憧れのミチロウさんには「面白かったよ。」と優しくお声掛け頂き、天にも昇る思いだったのを覚えております。頭脳警察の他、これまでにカバーしたのは、THE STALIN、じゃがたら、電気グルーヴ、野狐禅、戸川純や椎名林檎…とジャンルに囚われない選曲により、私個人としても大変勉強になりました。その後、オリジナル曲を増やしたり、詞を提供して下さる方が現れたりしました。

ライブ本数を重ねる毎にドラム、ベース、ジャンベ、アコーディオンやシンセサイザー…とサポート・メンバーがどんどん増え、一昨年、私は安心してバンドを脱退しました。脱退前最後のライブは、真琴さんのご厚意により敬愛する野狐禅の前座をやらせて頂くことが出来ました。思い出のプレイヤーズ・カフェで、最後のライブでした。脱退の理由は、パンク・バンドにも関わらずVoがド近眼で眼鏡であったこと、Voが酔っ払ってとろみがかった時の介護疲れ、Voがスリーコードを多用することなど、幾つかあります。精一杯喩えれば「大きく羽を広げ飛び立とうとする鳥(=真琴)の足枷(=あやぽんご)になっているような気がした」というところですかね。

TOUCH-ME

さて、季節はぐるっと2回も巡って、時は2010年春。私は再び衰退羞恥心でバイオリンを弾いております。理由は、どうしてもちゃんと弾きたいソロがあった、エフェクターとアンプを繋いだ音が恋しくなった、黒い衣装が着たくなった、等々あります。しかし、私を駆り立てた最大の理由が、去る4月15日(木)のライブです。その日は、昨年解散してしまった野狐禅のVo.竹原ピストル氏のフロント・アクトをやらせて頂けたのです。この日は、前述のDr遠藤氏とスリー・ピースで演奏させて頂きました。とっても幸せな一晩で、ピストル氏も参加で打ち上げは大盛り上がりとなりました。二年前の脱退ライブに来て下さっていた野狐禅ファンのお客様からも「バイオリンのいる衰退、良かったよ。」との感想を頂き、ひとまず胸を撫で下ろしました。

そして、更に吉報が舞い込みました。バンド結成の切っ掛けとなった遠藤ミチロウ氏(ex.STALIN)のフロント・アクトとして、またご一緒させて頂けることになったのです。しかも今回はソロではなく、中村達也氏(from LOSALIOS,ex THE STALIN,BLANKY JET CITY)とのユニットTOUCH-MEとして、初めて来福してくださるというのです。なんという郷土愛でしょう。福島の方々に、2大ロック・スターを一度に見せてくださるなんて。現在、我々は、専らそのXデーに向けて精進しております。こちらをご覧の方で、福島在住の方がいらっしゃいましたら、是非ともお越し下さい。この日の編成はBaに小椋氏を迎え、四人編成で臨みたいと思います。尚、翌日の郡山公演では我らがDrの遠藤氏がオーガナイザーとなっております。少し南にお住まいの皆様は、そちらへのご来場もご検討頂けます。

2010/05/27(thu)
TOUCH-ME LIVE TOUR2010
TOUCH-ME
Vo+Gu:遠藤ミチロウ(ex.STALIN)
Drums:中村達也(from LOSALIOS)
OPENING ACT:衰退羞恥心

冒頭で「『今一度、福島を洗濯致し申し候』の冠に相応しい福島を代表するデトックスバンド」と紹介するのに相応しい衰退羞恥心の歌を聴いて、当たり前のことを当たり前と思える強さを思い出してください。最後に、真琴さん。これからも農業にバンドに“衰退”することなく、邁進していってください!!

PROFILE

千葉あやa.k.a あやぽんご。9歳からバイオリンを始める。様々なオーケストラやバンドで演奏活動を努める傍ら、地元のオーケストラで子供たちへの指導も行っている。バロックからテクノまで、頼まれたら如何なる演奏も断らない。オーケストラ歴15年、社会人歴5年、バンド歴5年、主婦歴4年、大学生歴3年、人間歴23年の女子。好きな言葉は『民度高い』。『普通に暮らすとロハスになってしまう町』福島で、元気に活動中。趣味は釣りと山菜採り。

TOP