2012/07/03 00:00

自主レーベル「SALTMODERATE」を設立し、デビュー30年を経て尚、精力的な活動を繰り広げる安全地帯。OTOTOYでは、スタッフや芸人、ミュージシャン、アイドルなど様々な立場から安全地帯を語ってもらい、その魅力を多角的に浮かび上がらせるべく、7日間連続毎日更新の特集記事「君は、安全地帯を聴いたか?」を展開。

そして、1週間に渡ってお送りしてきた本企画も、これで最終回。最終回には、最もアーティストと近いところにいて、今回の自主レーベル設立や今後の安全地帯、及び玉置浩二の活動に於いて最重要人物の一人である、髙木伸二(Steezlab Music 代表取締役)にインタビューを敢行。USTREAMで「ソルトモ!」を試聴した方には、その淀みない進行もお馴染みだが、10年以上の付き合いという彼の目には、玉置浩二というアーティストは、いったいどのように映っているのだろうか。(interviewed by 西澤裕郎)

「君は、安全地帯を聴いたか?」とは
ミュージシャンや芸人、アイドルたちが日替わりで、自分の思う、ミュージシャン・安全地帯の魅力を語ります。ジャンルや年代、関係性は様々。それぞれの角度から安全地帯を浮かび上がらせる、7日間毎日更新の集中連載。

第一回「今、なぜ、安全地帯なのか?」 by 桜井葉子(Steezlab Music)

第二回「理想のロック・バンド 安全地帯」 by 中田裕二(ミュージシャン)

第三回「安全地帯 / 玉置浩二へのラブレター」 by 大谷ノブ彦(ダイノジ)

第四回「はじめてのあんぜんちたい」 by BiS(新生アイドル研究会)

第五回「ポップ・ミュージックのスタンダード」 by ミト(clammbon)

第六回「初心で歌う無償の愛 安全地帯」 by 今井智子(音楽ライター)

安全地帯

第七回「私の知っている玉置浩二」 by 髙木伸二(Steezlab Music 代表取締役)

――髙木社長が、玉置浩二さんとお会いしたのはいつ頃のことですか。

髙木伸二(以下、髙木) : ちゃんとお話をしたのは10年前くらいですね。当時、安全地帯は結成20周年で、軽井沢にある宿泊型のスタジオでレコーディングをしていたんです。彼らがデビューした当時、shibuya eggmanでライヴをやったけれど、メンバーよりもお客さんの方が少なかったと聞いて、だったら原点に帰ってeggmanでライヴをやりましょうよって提案したんです。

――結成20周年における提案としては、実に思い切った提案ですね! それはすぐに実現したんですか。

髙木 : 玉置さんって結構破天荒に見えますけど、音楽に関しては非常に慎重で、その場で安全地帯の音を再現できるかとか考えて「うーん」って迷ってらしゃって。僕はもっと軽いノリで、「新人みたいに、ギター・アンプに直接ギターをぶっこんでエフェクターなしでやりましょう!」って気持ちだったんですけど、全然良い返事がもらえなくて。その日は諦めて、軽井沢の山道を部下の女性と二人で運転しながら「ああダメだったね」なんて話をしていたら、突然「高木さん! やっぱりやるよ!」って電話がかかってきて。

――帰り道にですか?!

髙木 : 「やっぱり上手く進まないなぁ」って、スタジオを出てしょぼんと話してたら「皆と話したけどやるよ!」って。すっごく嬉しかったのを今でも覚えています。

髙木伸二(Steezlab Music)

――それから、高木社長と玉置さんの深い付き合いが始まっていくわけですけれど、最初に持っていた印象と実際の玉置さんは異なりましたか? 僕なんかはマスコミとかで仲介された情報の印象が強くて…。

髙木 : エキセントリックな印象がありますよね。

――そうですね(笑)。そういうイメージなんですけど、メディアを介してではなく、直に接している高木さんが思う玉置さんの魅力はどういった部分にあると思いますか?

髙木 : 僕は新人からベテランまで色んなコンサートにいくし、これまでも色んなアーティストを担当させて頂きましたけど、玉置さんのコンサートは毎回泣いちゃうんですよね。一回のツアーで何回も見るんですけど、何回も泣いちゃうんですよ。「この声は日本の宝だ」と僕は言っているんです。宝物の声と曲がマッチした時に、何者にも代えられない感動を呼び起こすのかなと実感していて。毎回泣いちゃうんです。

――相当、音楽的な部分で持っていかれているわけですね。

髙木 : そうですね。玉置さんの魅力は音楽だと思います。もちろん、”俳優・玉置浩二”という側面もありますけど。ドラマの主演、主題歌を歌った時もありますが、やっぱりアーティストの玉置浩二さんが大好きですね。

――今回、レーベルを移籍されてSteezlab Music内の自主レーベルからリリースされるわけですけど、これはどういう経緯で実現したのでしょう?

髙木 : 前のレーベルを離れる事が決まって、どうしようと相談があった時に、30周年ということもあって、もしまたやらせていただくんだとしたら新しい事をやりたいなと。僕は新しいこと、他にやっていないことをするのがスタッフの存在感かなと思っていて。昔、若気の至りで大物アーティストのゲリラ・ライヴを仕掛けたりして前科者になったんですけど(笑)。世の中を変えるというと大げさですけど、なんか面白いじゃないですか。今回は、たまたま僕の立場がSteezlab Musicというマネジメントの会社に居たので、だったらマネジメントごとやりませんかって。誤解をされると困るので言い方が難しいんですけど、日本の場合はここはプロダクション、ここはレコード会社っていう分業が成立しているんですけど、それが段々成り立たなくなってきたので、じゃあ、そこをアーティストと一緒に考えられる環境を作りたいなと。だから玉置さんにも僕のところで自分のレーベルを作りませんかって提案してみたんです。

――それはアーティスト側としても、よほど信頼感がある人でないと、一緒にやるのは難しいですよね。

髙木 : そうですよね。だから、単なるビジネスという捉え方ではないんです。もちろん、色んなリスクがありますよ(笑)。だけどこの人は宝だから、もう一回自分なりのやり方で光を浴びて欲しいなという想いがあるんです。

この人だと大変だろうけど一緒に夢見られるなあ

――ここまでしっかりと組むことによって、これまで以上に髙木さんのやりたい事が実現される可能性が高くなると思うんですけど、その中でどういう風に安全地帯を打ち出していきたいとお考えですか?

髙木 : やっぱり、“人間・玉置浩二”の魅力を出したいんです。これも語弊があるといけないから、言葉を選ばないといけないんですけど、あれだけ“いい女”が次々に惚れるんですよ。そこには何かあるはずなんです。それは何なんだろうと僕も思ってるんですけど(笑)。絶世の美女を次々に籠絡させる理由はなんなんだろうって。全然、ちゃらちゃらしていないし、女の子を引っ掛けようと酒を飲ませてみたりってこともまったくないの。なんでだろうと思ったんですけど、やっぱりあのやんちゃさなんですよね。それが天然なんですよ。いつまで経っても子供なんです。計算してるんじゃないの。あのまんまなの。

――誰に対してもやんちゃな感じで接しているんですね。

髙木 : 距離感は色々持っているかもしれないけど、それが演出とかじゃない。やっぱり近くにいると素の部分が見えてくるじゃないですか。そういった中でもそこは変わらないんですよ。あの歳になっても、あれだけ自分をさらけ出せる、それは歳をとれば取るほど難しくなってくるんだけど、あの人は常にさらけ出している。だからやってられない事もあるし、もうちょっと常識を考えてという事もあるけど、でもそれが素なんですよ。だからそこをなんとかしてあげなきゃという気持ちになるんですよ(笑)。

――母性本能をくすぐられるわけですね。

髙木 : そうそう。母性本能をくすぐる(笑)。だから女性もそうだろうし、僕も支えてあげなきゃって。面白いもんで、「もうやってられない」と出て行ったり「お前なんかもう来るな!」と言って怒られた人もいるけど、やっぱりなんだかんだで戻って来るんですよね。それって僕はその人の魅力だと思うんですよ。そろばん勘定だけじゃない、「この人だと大変だろうけど一緒に夢見られるなあ」って思える。ロマンじゃないけど。仕事とはいえ、そういったところがないとやっぱりそこまで踏み込めないですよね。僕も立場が立場なんで、これが失敗すると大変なことになるんですよ。大きな賭けではあるんですけど、「みんな、俺がやるから」と言って始めました(笑)。

――本人の無邪気さとかやんちゃさといった素の魅力を、出来るだけそのまま出してあげられるような環境を作ってあげたいというわけですね。

髙木 : 本当はね、作品が最終的に結実する所なので、名曲を書いて欲しいって気持ちはもちろんあるんです。でも、この歳になってもやんちゃでありつつ、びっくりするほど慎重だったりして、そのギャップが魅力なんですよね。僕は今51歳ですけど、やっぱり色んなことが固まってきちゃって、だんだん攻めから守りに入って安定を求めがちですけど、ああいう人と仕事をしているとそういう気持ちは吹っ飛びますよね。もっとドキドキしたい。

――色んなドキドキがあるわけですね。

髙木 : まあ、ありますけど、それも含めて楽しみたいんです。

――10年前にeggmanでのライヴを企画されましたが、今回も具体的に何か面白いことを考えてらっしゃるのでしょうか。

髙木 : 今は、ファンとアーティストの距離がだいぶ開いちゃってるなという気がしているので、まずはそこからかなと思っています。ファンクラブとかを改めて組織して、今まで以上に安全地帯のメンバーと深く交わっていけたらと思っているのが一つです。そういったところを、FacebookなどのSNSを活用して伝えていけたらと思っています。玉置さんに限らずメンバーの個性をさらに際立たせられる企画を考えてとかね(笑)。色んな人の色んな魅力を、常にリアルでヴィヴィッドに伝えていくことで、玉置浩二と安全地帯の良さを再認識してもらいたいなって。作品自体は玉置さんとメンバー達が完成させてくれると思うので、そこには僕らが口をはさむ必要はなくて、他の魅力をいかに伝えていけるかっていうのが僕たちの仕事ですね。

――ファンとメンバーの距離が近くなればなるほど人間性が見えてくるわけですからね。

髙木 : そう! やっぱり近くにいることで、より好きになる部分もあるので、それを少しでもファンに分かって欲しい。僕なんかよりよっぽど詳しいファンの方も多いと思うんですけど、マスコミから流れてくる情報だけの人もいるだろうから、そういった人たちにも魅力を伝えていけたらなと思っています。

――それこそ今回OTOTOYで連載をさせて頂く中で、玉置さんの名前しか知らないアイドル・グループに聴いてもらったら涙を流す人もいたり、今まではそんなに演奏に注力して聴いてこなかったけどいざ聴いてみると「メロディとベース・ラインの絡み方がすごい!」という感想があったり。案外、若い世代でも、知らないだけで通用する部分がすごくある気がしていて。

髙木 : そうですね。この前、「新堂本兄弟」に出たときに、Kinki Kidsの二人とその場で即興曲を作る企画があって、その場で作ったんですよ。レギュラーのAKB48の高橋みなみさんが、ぼろぼろ泣いていて。確かに良い曲なんですよ。今回の仕事の時も「高木さん! 聴いてみる?」とか言って聞かせてくれて。玉置さん、子供みたいに良い曲が出来たら聴いてほしくってたまらないみたいなんです(笑)。「聴いてみる? 聴いてみる?」って。でも聴いてみると確かに良い曲で。

色んな事をやりたくてやりたくて仕方ないみたいです

――長年曲を作っていると行き詰ったりすると思うんですけど、当然、そういうスランプのようなものもありましたよね。

髙木 : もちろん、ありますよ。でも、これがアーティストの真実だなと思った事があって。昔、ソロでやっていた時に、正月からソニーの乃木坂の会議室で缶詰になって曲を作ってもらった事があるんですよ。その時に言っていたのが「曲を作るために自分を追い込まなきゃいけないからこういう場でやりたいんだ。昔は歩いてても飯食っててもメロディが掃くように出てきた。次から次へと出てきた。そういう時があったんだよね。でも今は曲を作るんだってひねり出さないと出来ないんだ」って。これって本当だよな、この人正直だなって。でも、今はすごく良い状態で、やりたくてやりたくてしょうがないみたい。やっぱりそういう波があるのがわかって。だから今の内に録音しておかなきゃって(笑)。

――(笑)。じゃあ今は非常に良い時期なんですね。

髙木 : はい。色んな事をやりたくてやりたくて仕方ないみたいです。今までは安全地帯でやるときは安全地帯をやって、玉置浩二の活動をするときは玉置浩二だけって形で、それぞれ区切りをつけてを繰り返していたんですけど、今回は両方パラレルで活動をやっていこうとしていて。

――今、玉置さんの状態がとてもよく、次から次へアイデアなどが出来ていく中で、Steezlab Musicとしての今後の展望を教えていただけますか?

髙木 : 最近仕事で韓国とか中国とかアジアの各国へ行くことが多いんですけど、向こうでの安全地帯の人気ってすごいんですよ。例えば今回2PMが武道館でずっと6日間くらいやったんですけど、安全地帯のシングルのカップリング曲の「ショコラ」っていう曲をカバーさせて欲しいと言われて。他にも、そういう方が韓国とか香港にもいっぱいいるんですよ。

――向こうの人達が安全地帯を知るきっかけってどういうところからなんでしょう。

髙木 : 向こうの人達が、安全地帯や玉置さんの曲をカバーするんです。調べてみたら延べ100曲以上ありました。やっぱりあの濡れた感じ、ウェットさに共感するんじゃないですかね。あのウェットな感じが東アジア圏にぴったりなんですよ。僕は尾崎豊も担当したんですけど、ああやっぱり原点はここなんだなと思って。いまだに中国もバラードが人気なんですよ。そういう人達にもすごく人気があるので、来年はアジア圏を含めたツアーを企画できればなと思ってます。香港、台湾じゃない中国本土は安全地帯としては、今まで一度もやっていないので。機会があれば行って歌声を届けたいな。日本の宝ですってことで。

――でも本当に、純粋に高木さんも玉置さんを届けたいっていう気持ちから動いているわけですね。

髙木 : そうそう。1人のアーティストでこれだけ宝、宝っていうの珍しいですからね。もちろん、その時の気分で進めていたことがひっくり返されたり、昨日言っていた事とまるっきり違うことを言われたり、いい加減にしろよとか思うことももちろんありますけど(笑)。それでも、先ほど言った人間的な魅力と、素晴らしいアーティストだから届けたいという気持ちの方が今は強いですね。後からとんでもない事になるかもしれないですけど。

――高木さんしか知りえないようなご本人のちょっとお茶目なエピソードとかがあれば教えていただけますか。

髙木 : 昔は本当にやんちゃだったみたいで、「自分でもひどかったなあ」と言っていたことがあって。とんねるずの貴さんに電話して「今どこにいんの?」と聞いたら「沖縄だよ」って言われたらしくて、「どう?」「暖かいよ。」「そう。じゃあ俺も行く。」って言って、いきなり沖縄に向かったりすることもあったみたいですよ(笑)。

――(笑)。思い立ったらすぐ行動しちゃいたいんでしょうね。

髙木 : そう。思い立ったら行動してるパターンが多いんですよ。「田園」を制作していた時期に、良い曲が出来たって、その時のプロデューサーの須藤さんに朝8時に電話がかかってきたらしくて。「良い曲できたからレコーディングしたいんだけど!」って。「はあ!? 今、朝の8時ですよ?」「いやすぐレコーディングしたいんだよ!」って会話があって、大至急スタッフが集まったというエピソードもあります。予約を取っているわけでも何でもないんですよ。

――さっきの「新堂本兄弟」の時のように思い立ったらすぐ曲も作ってしまうんですね。

髙木 : やっぱりそういうのって面白いですよね。アーティストに常識を求めたらダメだと思っていて。常識が足らない分、他のところがとんがっている部分が魅力なんだろうなって。だからとてもじゃないけど常人、一般の人には手の届かない存在で憧れるんだろうなって。そういう片鱗が色んなところで見られるのは幸せですよね。

――玉置さんは、正真正銘の“アーティスト”なんですね。

髙木 : そうそう。もう色んな意味でアーティストだからその人たちが安心して作品を作れる環境を準備して、それを皆さんにお届けするのが僕らの仕事かなと思ってサポートしていきたいと思います。

PROFILE

髙木伸二
1983年大学卒業後CBS・ソニーグループ(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)入社。関連子会社で通信販売・訪問販売を経験後、93年に邦楽レーベル(Sony Records)に配属となり、プロモーターとしてTV局担当を中心に経験を積む。98年A&Rに異動となり、その後制作を中心にレーベル・ビジネスに従事。担当したアーティストは郷ひろみ、松田聖子、玉置浩二、石井竜也、江原啓之など。現在、ソニー・ミュージックレコーズ執行役員専務兼スティーズラボミュージック代表取締役。

安全地帯
玉置浩二(たまき こうじ、1958年9月13日) - ボーカル、ギター
矢萩渉(やはぎ わたる、1957年6月27日) - ギター
武沢侑昂(たけざわ ゆたか、1958年5月16日) - ギター
六土開正(ろくど はるよし、1955年10月1日) - ベース、ピアノ、キーボード
田中裕二(たなか ゆうじ、1957年5月29日) - ドラムス

<1980年代を代表し、ヒット曲の数々で時代を席捲したロックバンド>
1982年にキティレコード(現・ユニバーサルミュージック)と契約し、『萠黄色のスナップ』でメジャー・デビュー。
1983年、サントリーから発売された「赤玉パンチ」のCMソングに起用された「ワインレッドの心」が大ヒット。一躍全国にその名が知れ渡る。その後も「恋の予感」、「熱視線」などの楽曲を立て続けにヒットさせ、1980年代を代表する人気グループの地位を不動のものにする。1985年には「悲しみにさよなら」が大ヒット。

<活動休止、その後>
1988年秋、香港コロシアムでのコンサートを最後に突然活動休止を宣言。
1990年、7thアルバム『安全地帯 VII -夢の都』のリリースを機に活動を再開。翌1991年には『安全地帯 VIII -太陽』をリリース。1992年12月、アコースティック・スタイルでのコンサート・ツアーを終了後、再び活動を休止。『ひとりぼっちのエール』は翌1993年2月10日にリリース。
活動休止を境に玉置はソロでの音楽活動はもちろん俳優業にも活動の場を広げる。自身最大のヒット曲となる「田園」をはじめ、「メロディー」「MR.LONELY」などソロでも多くの楽曲を発表する。他のメンバーも個々の活動に入る。この時、安全地帯の所属会社がキティレコードからソニー・ミュージックエンタテインメントに移籍。
2001年頃より安全地帯のレコーディングを開始する。
2002年7月10日に10年ぶりのシングル『出逢い』をリリース。同年8月7日に9thアルバム『安全地帯 IX』をリリース。
2003年10月22日には10thアルバム『安全地帯X -雨のち晴れ-』をリリース。ツアーでは5人全員が揃い、80年代の活動の場であったライヴ・ハウス「shibuya eggman」でもライヴを行う。ツアーは2003年12月で全日程を終了。
ツアー終了後の2004年以降はグループ活動を休止し、再び個々の活動に入る。
2010年、ユニバーサルミュージックへ移籍。同年3月シングル『蒼いバラ / ワインレッドの心(2010ヴァージョン)』を皮切りに5月シングル『オレンジ / 恋の予感(2010ヴァージョン)』、アルバム『安全地帯XⅠ☆Starts☆「またね…。」』、6月アルバム『安全地帯 HITS』を立て続けにリリース。7月から10月には『安全地帯“完全復活”コンサート・ツアー2010~Start&Hits~「またね…。」』を敢行。
2011年には8月シングル『結界 / 田園』、9月アルバム『安全地帯 XⅡ』、11月アルバム『安全地帯 XⅢ JUNK』をリリース、9月から12月には『安全地帯コンサートツアー2011「田園~結界」』を敢行。
そしてデビュー30周年である2012年、新たな境地を開くべく、安全地帯・玉置浩二インディーズ・レーベル「SALTMODERATE」を7月に発足し、本格始動開始。

>>SALTMODERATE HP

30th Anniversary Album

『The Ballad House~Just Old Fashioned Love Songs~』

デビュー30周年を迎え、連綿として綴られてきたバラードで、メンバーの思い入れの深い曲を中心にアレンジを一からやり直し、リレコーディングを敢行! 名曲10曲に2曲の新曲を加えた全12曲!
2012.8.22 (水) リリース

30th Anniversary Concert "The Ballad House"

2012.9.1 (土) いわみざわ公園野外音楽堂キタオン
2012.9.5 (水) 東京国際フォーラム ホールC
2012.9.6 (木) 東京国際フォーラム ホールC

>>Live Schedule

「君は、安全地帯を聴いたか?」全七回

第一回(6/27) : 「今、なぜ、安全地帯なのか?」 by 桜井葉子(Steezlab Music)
第二回(6/28) : 「理想のロック・バンド 安全地帯」 by 中田裕二(ミュージシャン)
第三回(6/29) : 「安全地帯 / 玉置浩二へのラブレター」 by 大谷ノブ彦(ダイノジ)
第四回(6/30) : 「はじめてのあんぜんちたい」 by BiS(新生アイドル研究会)
第五回(7/1) : 「ポップ・ミュージックのスタンダード」 by ミト(clammbon)
第六回(7/2) : 「初心で歌う無償の愛 安全地帯」 by 今井智子(音楽ライター)
第七回(7/3) : 「私の知っている安全地帯」 by 髙木伸二(Steezlab Music 代表取締役)

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