伊藤英嗣 歌詞対訳講座 –ポップ・ミュージックが歌ってきたもの-第三期(後期日程)
講師: 伊藤英嗣

本講座は、COOKIE SCENE編集長を努める伊藤英嗣による、歌詞対訳講座です。オアシスからザ・ヴァクシーンズまで過去20年以上数多くの歌詞対訳を担当してきた経験から、ポップ・ミュージックの歴史や成り立ちに迫ります。

音楽ライター潜入レポート

「伊藤英嗣歌詞対訳講座」が開講してはや1年。ありそうでなかった歌詞対訳専門の講座。一体何が行われているのか。「歌詞対訳」と聞けば、「なるほど、英詞を和訳するのね」と思う方々が大半だろう。私もその一人だった。でもそれだけだとしたら、この講座は単なる英文和訳の授業になってしまう。本当にそうなのか…。一音楽ライターとして気になったため、この機会にちょっとのぞかせてもらうことにした。

対訳とは翻訳の究極形

2012年2月8日の講座テーマは、LCD Soundsystem。NYCを拠点とする新世代の為のダンス/ロックを提供するユニット兼レーベルDFAを代表するジェームス・マーフィーが立ち上げた実験的バンドである。2005年にデビュー・アルバムをリリースすると瞬く間に大西洋の両側、そして日本でも多くの支持を受けている。机を挟みながら講座生が対訳してきたものを英詞と照らし合わせながら読みあわせる、実際にその音源を聴く、読みあわせる、音源を聴く、時に講師の伊藤英嗣が対訳したものを読む、音源を聴く。講座内容としてはこれだけでシンプルな構成なのだが、一曲中の、一文節の、一単語にまで追求していくのでかなり深くて細かい。「他の人の対訳を聞いている間は暇なのでは? 」と思うかもしれないけれど、対訳とは単なる和訳にあらず。むしろ翻訳の究極の形と言えるのかもしれない。一つの英単語に対して複数の日本語訳があり、どの意味を選ぶかでその人がその曲をどう解釈しているのかがよくわかる。それが一文、一文節、一曲と連なっていくと、その人だけのドラマに仕上がっていく。

ひとりひとりの中にある解釈

講座の中で特に興味深かった部分を紹介したい。「All My Friends」という楽曲を題材に、2人の受講生の対訳の一部をみてみたい。

That’s how it start
We go back to your house
We check the charts
And start to figure it out

という歌詞で始まるこの曲の光景を、2人には同じように描いている。

2人の対訳を引用させていただく。

1.
そう それが始まり
二人で おまえの家に戻って
チャートをチェックして
そうやって わかりはじめる

2.
そうやって始めるんだ
ボクらはキミの家に戻って
ヒットチャートをチェックする
そうやって理解し始めるんだ

意味としては、どちらも同じように読めるが、2行目の対訳に注目してほしい。1番目の対訳は「二人でおまえの家に」、2番目は「ボクらはキミの家に」と、同じ「your」でも「お前」と「キミ」と、対訳が分かれる。ここで、対訳者がそれぞれ曲中の語り手「I」をどのような性格と考えるのか、解釈の差異が見えてくる。

正解は自分の中に?

また、同じ曲において

You’re talking 45 turns just as fast as you can.

を、2人の受講生はそれぞれ、

1.精一杯 45回転のレコードのことを話している
2.キミは45回転並みの早口で話している

と訳して解釈していた。

ちなみに1.の受講生人は「45回転といえばレコードのことかなと思った」とのこと。
2.の受講生は、「45回転は33回転とはちがって早く回るので早口のことかと思った」という。
こんな風に細かな意訳の差異が積み重なり、最初は同じシーンで始まったはずの2つの対訳がそれぞれ別の物語を歩んでいく。母国語ではなく歴史や背景も違う言葉を相手にするからこそ起こる興味深い現象と言えるだろう。また、その場に長年音楽誌「クッキーシーン」の編集長を務め、多くの洋楽の対訳を務めて来た講師伊藤英嗣がいることで、その楽曲が発表された時のアーティストの立ち位置、その国、その時代の背景、どんなムーヴメントが起こっていたのかを当時の臨場感をもって知ることができる。もちろん対訳のアドヴァイスもじっくりとしてくれる。しかし受験英語のように確かな正解不正解がある訳ではないので、講師自身が講座生の対訳に感心する場面もあり、その場にいる全員で対訳の世界を楽しんでいる様子が感じられた。
対訳とは単なる和訳ではなく、解釈。さらに突き詰めれば、自己との対話、自分の心の風景に出会うことなのかもしれない。

潜入取材を終えて

最後に個人的な話になり恐縮だが、私の心にずっとひっかかったままの対訳文を紹介させてほしい。The Beatlesの「Lucy in the sky with diamonds」を「ルーシーはダイヤを飲んでかっとんだ」と訳していた。対訳者は誰にも知られていない。私が中学時代に通っていた英会話教室の外国人講師だったのだから、知られている訳もない。
しかし、歌詞の内容やタイトルの頭文字をとるとLSDになること、それによりドラッグ・ソングとされ、一時はラジオで放送禁止になっていたことを踏まえると、こんなに当時の時代背景とアーティストの雰囲気を掴んだ対訳もそうそうないなと思う。かつ、説明不能なこの爆発力のある言葉。
耳で聴くだけでも、もちろん音楽は楽しい。でもその先へ一歩進んだ楽しみ方を求めている方には試しに一度受講してみてほしい。講座終了後、その曲を完全に手に入れた気分になります。本当に音楽を聴く耳が変わりますよ。(text by 水嶋美和)

伊藤英嗣 歌詞対訳講座 –ポップ・ミュージックが歌ってきたもの-第三期(後期日程)
講師: 伊藤英嗣

本講座は、COOKIE SCENE編集長を努める伊藤英嗣による、歌詞対訳講座です。オアシスからザ・ヴァクシーンズまで過去20年以上数多くの歌詞対訳を担当してきた経験から、ポップ・ミュージックの歴史や成り立ちに迫ります。