岡村詩野音楽ライター講座(2017年1月期)
講師: 岡村 詩野

音楽評論家として活躍する岡村詩野のもと、音楽への造詣を深め、「表現」の方法を学ぶ場、それが「岡村詩野音楽ライター講座」です。ここにはプロのライターを目指す人から、ライティングの経験はないけれど音楽が好きで、表現の幅を広げたい! という人まで、幅広いバックグラウンドを持った参加者が集い、学び合っています。2017年1月期のテーマは「音質聴き比べ~リスニング・ツール大研究」です。

岡村詩野音楽ライター講座生による「東洋化成工場見学」レポート

2017年1月期の岡村詩野音楽ライター講座のテーマは「音質聴き比べ~リスニング・ツール大研究」。その中でもアナログ・レコードに焦点を置いて、歴史や他ツールとの聴き比べなどを行ってきました。そこで、2017年2月18日に課外授業として、日本唯一のアナログ・レコードのプレス会社「東洋化成」への工場見学を敢行。カッティング、メッキやプレスといった作業工程の見学はもちろん、それぞれの工程を担当するスタッフの方々から貴重なお話を伺うことができました。ここでは参加した受講生による、当日のレポートをお届けします!

受け継がれる東洋化成のクラフトマンシップ

アナログ・レコードを製造する東洋化成の工場見学。普段見ることのできないラッカー盤に音を刻むカッティングの作業や塩化ビニールの塊がレコードへと姿を変えるプレス作業といった映像でしか見ることのなかった作業現場を実際に目の前にできる喜びもあったが、自分にとって何よりも貴重だと思ったのはレコードを作っている人たちから直接話を聞くことだった。

カッティングの作業をしている西谷俊介氏からは「レコードは完璧なものではない」という話があった。レコードに収めることのできる音域には限界がある。カッティングの現場はそれを依頼主と摺り合わせながら、音量や音の歪みを調節していかなくてはいならない。コミュニケーションが非常に大事な作業なのだ。カッティングの現場に立ち会う人もいれば、カッティングしたラッカー盤を送り、文書でやりとりすることもあるそう。音は形のないものであり、人によって捉え方も違うものだ。それを言葉で伝えることが非常に難しい作業であることは普段友達と音楽の話をする場面でも感じるのではないだろうか。それよりも遥かに繊細な音の話をしなくてはならない。そして完璧なものではないが故に、妥協してもらう場面も生まれてくる。そこをいかに納得してもらい、満足のいくものを作るかはコミュニケーションにかかっているのだ。そんな話を聞くなかで、驚いたのが「スピーカーの間に音が見える」という言葉だった。ある領域に達した者だけが見ることのできる音の世界に、改めて底知れなさを感じる場面だった。

カッティング担当西谷俊介氏の作業風景

西谷氏はこの仕事に就いて10年が経ったという。それまで一人でカッティング作業を請け負っていた手塚氏がある時病気で出勤できず、その間作業が止まってしまったことがあったそうだ。それを機に採用を始め、西谷氏は入社した。手塚氏はレコード全盛期の時代を支えてきた大ベテランだ。そんなベテランの世代と比べると生産量も圧倒的に違う今は、カッティング作業を経験できる回数も違う。経験値では越えられないものがあるのは確かだが、西谷氏はそれを悲観することなく、最新技術・テクノロジーを強みにして越えていくことが新たな世代の自分にできることだと考えているという。

他の部署でも新しい世代を迎え、会社全体でうまく世代交代が出来ていることを営業担当の小林美憲氏が教えてくれた。東洋化成のクラフトマンシップは着実に受け継がれている。そんな会社の存在はミュージシャンならそこでレコードを作ってみたい、リスナーならそこでできた音を聴いてみたいと思う一つのきっかけになるのではないだろうか。(text by久野麻衣)


私達は音楽を文化として残すことができるのか――レコードの製造過程を通して見える、ストリーミング・サービスの「心許なさ」の正体

最近、Googleの《Play Music》という音楽ストリーミング・サービスを利用し始めた。スマホのアプリ内で検索するだけで、気になっていた新譜もすぐにフルで聴くことができる。あまりにも便利で、ストレスをまったくと言っていいほど感じない。2000年代に入り、リスナーの音楽環境を一変させたのはiPodであった。iPodは、それまでのCDやレコードを通して音楽を聴くことの“手間”をショートカットした。これ以上、省ける“手間”はないように思われた。それなのにスクリーミング・サービスに触れると、パソコンでiTunes Storeを開き、作品を検索しダウンロードし、iPodと同期する…。 という所作すらまどろっこしく感じてしまう。

だが、スマホでSNSを開きネットサーフィンするのと同じ感触で音楽に触れることの、この“心許なさ”は何なのだろう。観賞しているという実感のない“心許なさ”だ。定額料金はしっかり払っている。ジャケットは画面に表示される。スマホやPCでYouTubeを観賞することに慣れきった身には、ストリーミング・サービスの音質にも違和感はそれほど覚えない。つまり、従来の媒体と仕組みや在り方に大きな違いはないのだ。それでもストリーミング・サービスでは、CDを聴くことでもiPodを使うことでも感じなかった“心許なさ”に向き合うことになるのだ。

私は今まで、音楽の媒体というものに強くこだわりを持ったことはなかった。多様な媒体があるのであれば、リスナーはその中から自由に選べばいいという考えを持っている。音楽はダウンロードではなく、CDで聴かないとミュージシャンにとって失礼だ、という意見には首を傾げていた。だからこそ、ストリーミング・サービスの“心許なさ”は一体何によるものなのか、考えても正体が掴めなかった。 そんな思いで赴いた、今回の東洋化成・末広工場見学である。今回の見学を通して、上記の疑問の答えを掴めた気がするのだ。レコードは、その製造過程にとにかく“手間”が多い。カッティングの工程では、エンジニアがその音楽の持つ性質やファンが望む音質を熟考し、ラッカー盤に溝をつけていく。その作業の重み、音楽を作っているのはアーティストだけではないという当たり前の事実。その事実に立ち会い、目を開く思いだった。今、その“手間”をあまりにも感じさせない環境に慣れきっているからである。

音楽情報をラッカー盤に刻むカッティング作業

ストリーミング・サービスに触れる時の“心許なさ”は、リスナーに“手間”を感じさせないようにしている仕組みに起因するのだろう。ストリーミング・サービスは、アーティストの産みの苦しみも、製造過程に関わる人々の汗も感じさせず、徹底的にストレスを排除した状態でリスナーに音楽を届ける。作り手と受け手の労力の非対称。その居心地の悪さが“心許なさ”の正体だ。労力なしに得るものに、私達は大きな価値を感じることができるだろうか。音楽は情報データとして生まれるのではない。文化である。文化とは、人々の情熱や労力によって成り立つものである。私達は、音楽を文化として後世に引き継いでいけるのか。試される時代に生きている。(text by及川麗菜)

レコードを聴く行為は生活や人生を見直すきっかけになるかもしれない

レコードは“手間”を楽しむリスニングツールなのだと改めて感じた。カッティングの西谷氏が、レコードの音の魅力について「実際に接しているから」とお話されていてとても腑に落ちた。私がレコードの音の良さを実感したのは、名曲喫茶で聴いたヴァイオリンの音が最初だ。CDで聴く張りつめた音とは違う、全身が優しく包まれるような丸い音。その音は、CDの光で読み取る音とは全く別の、針と盤が直接触れることによって生み出されていたのだなと納得した。しかし、名曲喫茶並みの音響装置を自宅で再現するのは無理な話でもある。

もっとレコードを手軽に生活の中で楽しむ方法がないかと尋ねられた本社営業担当の小林氏が「自分はそうは思わない。レコード機器の設置の大変さ含めて楽しんだ方がいいのでは」と返答された事に、確かにそうだと痛感する一方で、もう少し、レコードを気軽に聴ける環境が生まれないかなとも感じた。おそらく私自身がレコードの魅力をまだ深く知らないからそう感じるのだと思う。

やっとの思いでプレーヤー、アンプ、スピーカーをゼロから揃えたにも関わらず、主に聴くのはCDやデータだった。なぜかと言うと、起き上がって盤を裏返す手間がかかるから。鼻で笑われそうだが、案外ここに掘り下げるべきポイントがあるように思う。私は歩きながらイヤホンで音楽を聴くのも好きなのだが、レコード・マニアの知人にそう言ったら心底驚かれたことがある。驚かれたことに私は驚いたのだが、音楽をCDやデータでイヤホンを通して聴くのと、レコードで聴くのとでは、まるで別物なのだと感じる。

立って盤を裏返すのが面倒ならば、楽に裏返せるような家具の配置を考える、部屋ですぐ横にならないように体力をつける、良い機器を買えるように収入を増やす…くらいの、こちらから「レコードを聴く」という行為に向かって歩み寄り、音をつかみに行くような、そういった能動的な姿勢が、レコードの魅力を知るためには要求されるのではないだろうか。それはそのまま音楽を探求する姿勢にもつながる。求める作品を買うために遠征をしたり、そのアーティストを知る為に気分の乗らないアルバムでも耐えて繰り返し聴いたりする姿勢である。小林氏は言う。「レコードを聴くのに部屋が狭ければ、東京を離れてみてもいいし」と。「レコードを聴く」という行為は、生活を、人生を見直すきっかけにもなるかもしれない。(text by佐藤みなと)

プレス工程も見学しました

アナログ・レコードの魅力は他のツールとは違う「愛着性」

20代前半の私にとって身近な音楽ツールはiPodとCDだ。心を躍らせながらパキッとケースから外し、PCでiTunesによってiPodに取り込む。そして歌詞カードを読み込みながら聴く。というのが私の音楽との触れ合い方である。小中学生の頃は出かける際の母の車のカーステレオだったり、姉のMDを借りて楽しんでいた覚えがある。だからこれまで、まるっきりレコードというものには縁がなかった。しかし、最近スカやロカビリーに傾倒しルーツを掘り下げていくうちに、だんだんとレコードに対して憧れを抱くようになった。単純に昔のアーティストの作品を当時の音楽ツールで楽しみたくなったのである。そこで今回レコードに対して理解を深めたい思いで東洋化成への工場見学へ参加した。以下は体験レポートである。

はじめに詳しくお話をして下さったのはレコードのカッティング作業を携わるエンジニアの西谷氏である。どのような仕組みでレコードを削っていくのかなど、事細かく丁寧に教えてくれた。そして顧客とのコミュニケーションの中でレコード盤を削っていくが大切であるとおっしゃっていた。私はずっと気になっていた、どうしてレコードから流れる音には他の音楽ツールとは違った臨場感があるのか、という問いについてもエンジニアの視点から答えてくれた。それは接点があるかないかの違いであるようだ。CDをはじめとしたデジタル・ツールは光での反射の読み込み等で有機的な接点が無い。対してレコードは、言ってしまえばギターの弦とピックが接点をもってして鳴るように、針と塩化ビニールの摩擦による共鳴音という有機的な接点があるからこそ、今そこで鳴っているかのような臨場感があるのである。楽器の鳴り方とレコードの鳴り方に差はないという事に私はとても納得がいった。

「音楽ツールは新しいものが一番良いとは限らない。」最後に話してくださった営業職の小林氏の言葉はとても含蓄あるものだった。確かにレコードは聴けば聴くほど劣化するし扱い方が難しいものであるし、今は遥かに便利で楽なものはいくらでもある。しかしレコードを流すその過程や保存する、そういった触れ合う愛着までもがレコードの大きな魅力である事が今回の工場見学で分かった。その意味では新しいものがどんどん生み出され、消費されていく大量消費社会となった今、レコードは本当に特別な存在であるとも感じた。レコードはどれだけ技術が進んでも簡単に生まれるものではない「愛着性」を有する稀有な音楽ツールなのである。(text by篠崎直人)

岡村詩野音楽ライター講座(2017年1月期)
講師: 岡村 詩野

音楽評論家として活躍する岡村詩野のもと、音楽への造詣を深め、「表現」の方法を学ぶ場、それが「岡村詩野音楽ライター講座」です。ここにはプロのライターを目指す人から、ライティングの経験はないけれど音楽が好きで、表現の幅を広げたい! という人まで、幅広いバックグラウンドを持った参加者が集い、学び合っています。2017年1月期のテーマは「音質聴き比べ~リスニング・ツール大研究」です。