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2019/07/02 10:30

 

みんなのこどもちゃん、新作「死んだうた」配信スタート 5カ月連続リリース第3弾

 

みんなのこどもちゃんが恵比寿LIQUIDROOM公演に向け、5カ月連続リリース第3弾となる「死んだうた」を7月1日にリリースした。

みんなのこどもちゃんは、人と関わりをうまく持てない『壁』を持つふたり。壁のない世界で傷つきボロボロだった ほのか、日常に楽しみを見いだせず引きこもっていた しなもん、そんな2人が自らの存在意義、自分の居場所を見つける為、2016年に新宿歌舞伎町を拠点に活動開始。今回、5カ月連続デジタルリリース第3弾「死んだうた」が発売された。

全国ツアー〈みんなのこどもちゃん TOUR 2019 ほのかとしなもん〉ファイナル恵比寿LIQUIDROOMにむけ更に速度を増すみんなのこどもちゃん。恵比寿LIQUIDROOM公演のその先は、みんなのこどもちゃんとして進み続けるのか、他の道に向かうのか。全てはほのかとしなもんに委ねられる。(前)

・みんなのこどもちゃん 「死んだうた」
2019年6月1日発売
OUCHI-006 みんなのこどもちゃん 「死んだうた」 ¥250

みんなのこどもちゃんOfficial Web Site
https://kodomochan.com/

「自由、それは完全なる訣別」

本作『死んだうた』は自死したと思われる語り手による楽しげな一人語りから始まる。初期作品の歌詞を思わせるストレートなテーマの作品であるが、かっての作品ではあくまで「死んでいたい」「死ねばいい」「殺したい」といった願望として語られていたものが、ここでは既に決行されたものとして語られている。一つの結論と決断がここにはある。

世界への違和感、もし世界がそのような形なら私は必要としないというのが初期作品のテーマなら、『死んだうた』ではそれらの問題に一つの結論がつけられている。人間はくだらなく、世界と私は無関係であり、生の意味など何もない。完全なる訣別が唄われている。

ただ、それは陳腐な絶望といったものとは無縁なものだろう。ありがちな苦悩。ありがちな悲哀。ありがちな憎しみ。それらは結局は他者あってのものであり、他者からの共感を求めるがゆえのものでしかない。テンプレートのような生きづらさの発露は結局は安易な救いを求めているだけに少ない。

そういったありふれた表現と、みんなのこどもちゃんの世界観、ほのかの世界観には大きな隔たりがある。そこには共感というものが必要とされていない。ここにあるのは世界の形に対する認識と、それに対する決意の表明でしかない。毅然とした態度で表明された明確な意思が、他者を必要としない純粋な個として屹立している。

自殺することについて肯定的に語り、人生に意味はないと語る。一般的な考えでは絶望的でネガティブなテーマであるはずなのに、本作はこどもちゃん史上で最もポジティブなフィーリングに溢れている。それは何故なのであろうか?

単純に曲調によるものと考える人もいるかも知れない。楽曲的な側面で語るなら、アメリカのハードコアパンクを基調にしながら様々な音楽をミックスしていった90年代初頭の日本のバンド群を思わすハードかつポップで疾走感に溢れるものだ。メロコア以前に存在したポップなハードコアパンク、楽曲担当のJin氏が90年代初頭に慣れ親しんでいた日本のバンド、例えば初期のニューキー・パイクスやビヨンズやその周辺のバンドを想起させるようなサウンドである。その解放感、疾走感が全体のポジティブなフィーリングに貢献しているのは間違いのないところだろう。

しかし、単純にそれだけであるなら、ポップでな疾走感のある楽曲にネガティブな歌詞がのった皮肉の効いた曲に過ぎず、全体に漂うポジティブで突き抜けた空気を獲得することはなかったであろう。相反する要素を含むサウンドと歌詞が噛み合わないことで面白みが生まれるということではなく、その二つが絶妙に噛み合って相乗効果を起こしているのだ。 

「突き抜けた」という表現を使ったが、ここにあるのは何かを突破した解放感である。歌詞の流れの中にはストレートな怒りの表出も存在するが、最終的に残るのは清々しい解放感と力強さだ。何一つとしてポジティブな言葉などないのに、結果的に残るはポジティブな感覚なのである。

一聴すると初期に返ったようにも思えるが、初期の作品に見られた迷いのようなものは既になく、はっきりとした決意がそこにはある。その混じりけのない解放された意識の存在はあくまで力強く、全てがひっくり返され、そこから何かが始まる予感を感じさせる。それは何だかわからないのだけどキラキラしていて、眩い光の中に毅然とした姿で立っている。
(ロマン優光 / ライナーノーツより)


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