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2019/04/13 12:50

 

【アート現場の地下音楽】灰野敬二@TPAM国際舞台芸術ミーティングin横浜/.es@ART in PARK HOTEL TOKYO 2019 (A Challenge To Fate)

 

アートとミュージックの関係は?

音楽は芸術のいちジャンルだから上位と下部の概念ヒエラルキーに譬えられる。

一方で絵画や彫刻などの物体としてのアートと、時間軸の中の身体の動きや行為によるパフォーマンス・アートには歴然とした違いがある。さらにパフォーマンス・アートを構成するパフォーミング・アート(舞台芸術)とは、演劇、歌舞伎、ミュージカルなど、舞台や空間上で行われるアートを指し、ミュージカル・パフォーマンス(音楽演奏)もその中に含まれるが、演劇やミュージカルのストーリー性は、音楽演奏には必ずしも付随しない。

音楽の目的は物語を提示することではなく、鑑賞者の内観に何かしらの印象・表象を喚起させることだと考えれば、寧ろ絵画や彫刻に近いのかもしれない。翻って考えれば、聴覚器官に与える負担は、会話やナレーションなど音声を聞く場合と、音響・音楽を聴取する場合とで大きく異なるに違いない。何故なら音声を言語として認識するには思考回路にインプットされた記憶の検証機能がオートマティックに適用されるが、ミュージックという理解を伴わないない聴覚信号を処理する為には、思考回路非連動型イメージ生成機能を活性化する必要がある。聴いたことのない音楽刺激を過度に受容した為に処理しきれずに聴取機能障害をきたすことも想定できる。

これらはあくまで個体の生物学的環境の症例だが、社会的側面から検証すると、アート全般が「芸術」として公的(もしくは権力的)視点から擁護される方向にあるのに比して、ミュージックは「芸能」と名付けられ、権威的アカデミズムから冷遇・排除・無視される傾向にある現実に直面せざるを得ない。「術」とは「技術 art; technique」であり、「能」とは「技能 skill; ability」であるとすれば、「芸術」と「芸能」は同列に扱われて然るべきであるが、現実は権威筋からハラスメントを受けるのが「芸能者」の常である。<能ある鷹は爪を隠す>の諺は、元々は容赦ない差別を回避する為の処世術として生まれたのかもしれない。

このように同じようでいて大きな溝のあるアートとミュージックの関係性を検証できる現場を2ヶ月連続で体験した。ミュージックの中でも特にエクストリームな「地下音楽」が「アート」の現場でどのように自己表現しどのように受容されたか、筆者なりの印象を綴ってみよう。

2019年2月17日(日) 神奈川 Kosha33(神奈川県住宅供給公社)/ 日本大通り(Kosha33前)
TPAM(ティーパム、国際舞台芸術ミーティング in 横浜) 

GE14:ファーミ・ファジール + 山下残
演出/出演(第1部):山下残
弁士(第2部):ファーミ・ファジール
ゲスト弁士(第2部):灰野敬二

TPAM 芸術見本市(Tokyo Performing Arts Meeting)による舞台芸術の国際交流イベント「国際舞台芸術ミーティング in 横浜」。2月9日〜17日の8日間横浜市内各地、およびフリンジイベントとして東京を含み100公演を超えるイベントやショーケースが開催された。それにも関わらず、筆者の周りの音楽ファン/関係者からTPAMの話題を耳にすることは皆無に近かった。それこそ音楽側からのアートへの無関心を示す証拠と言える。かく言う筆者も灰野敬二が出演しなかったら足を運ぶことはなかっただろう。

灰野が出演したのは振付家・演出家の山下残による「GE14」というイベント。初の政権交代をもたらしたマレーシアの総選挙の報告と国会議員の講演会に、灰野がゲストとして出演するという。灰野は一体何をするのか、そもそもこのイベントはアート/舞台芸術なのか?という疑問が頭の中を駆け巡る。第1部は屋内の会場で山下がビデオや写真でマレーシアの総選挙での経験を語る。当地では選挙運動はひとつのフェスティバル(お祭り)であり、候補者の演説がエンターテイメントを伴ったパフォーマンスであることが山下の実直な語りで明らかにされる。メディアでは知り得ない他国の草の根の政治状況は興味深く、我々部外者にとっては確かに非日常的なアート/舞台芸術になり得る。

第2部は公社の建物の前の公道を封鎖して設置されたマレーシア政党集会を模したテントでスピーチが行われた。国会議員に初当選した作家ファーミ・ファジールは、自分たちで世の中を変えることが出来る、という持論を雄弁に語る。マレーシア選挙の再現ではなく、彼が今ここで語るべき生の演説だった。続いて灰野敬二が登壇。70年代から常に日本の地下音楽の象徴として国内のみならず海外で高い人気を誇る異形のミュージシャン灰野は、サズでふたつの音を提示した上で、どうしても受け入れられない音の存在を鍵に自らの思想を落ち着いた口調で語る。歌詞やインタビューで耳にしたことのあるテーマもあれば、初めて聞く話もあるが、ある程度灰野の音楽を経験したことがあれば、一貫した自らのフィロソフィーを音楽や歌を伴わずオーラルに表現したことを理解できる。集まった聴衆の多くは初めて灰野を観たと思われるが、音楽抜きのミュージシャンの口承パフォーマンスを舞台芸術として十分に楽んだに違いない。

2019年3月8日(金)汐留 パークホテル東京, TOKYO
ART in PARK HOTEL TOKYO 2019  公式サイト

Opening Reception Performance
THE MUSIC - .es + Yukio Fujimoto
*藤本由紀夫のオルゴール関連作品によるパフォーマンス(招待客のみ)
出演:.es (ドットエス:橋本孝之&sara)

現代美術のホテル型アートフェア「ART in PARK HOTEL TOKYO 2019」(略称 AiPHT 2019 / アイファット2019)が、3月9日(土)・3月10日(日) [プレビュー 3月8日(金)]の日程で、国内外から総勢42ギャラリー(東京:15軒、東京以外:21軒、台湾:3軒、韓国:3軒)を集めて開催された。出展している大阪Gallery Nomartをベースに活動するコンテンポラリーミュージックユニット.es(ドットエス)がオープニング・レセプションに出演。彼らから招待を受け、現代アートの見本市という音楽関係者は殆どいないアウェー環境に乗り込んだ。

ホテルの客室をブースにして各ギャラリーが作品を展示・販売している。この日は招待者・プレス関係者のみのプレビューなので、セレブでファッショナブルな雰囲気の来場者が多い。Gallery Nomartの部屋には見覚えのあるサウンドアート作品やオルゴールギターが展示してある。当然ながら販売価格は6桁を超えるハイプライス。アート・コレクターになるためには、それ相応の収入や資産が必要なのだろう。昼食を抜いてレア盤を買うレコード・コレクターのような訳にはいかないかも。

レセプション・パーティで筆者と同じくメンバーに招待されたベーシストの内田静男と出会う。知った顔がひとりいた安心感。偶然に内田の飲み友達がアート雑誌の取材で来場していたり、知り合い同士が繋がっていたり、アートと地下音楽の意外なリンクの存在が明らかにされた。主催者の挨拶の中で紹介された協賛企業の顔ぶれにアート(芸術)への企業メセナの威力を実感する。ケータリング待機列の長さから判断するに、実はアート・コレクターもレコード・コレクターと同じ節約処世術を実践しているのかもしれない。

あちこちで歓談が盛り上がる中、.esの音楽パフォーマンスがアナウンスされる。.esは橋本孝之(alto sax, guitar, harmonica)とsara(piano, cajon, dance)の二人組。2009年の結成以来、即興ジャズ/現代音楽/ノイズ/電子音楽等あらゆるジャンルを縦横無尽に横断する音楽家として独自の存在感を放っている。今回はアーティスト藤本由紀夫の映像アートとのコラボレーション。機材トラブルやPAの不備があったが、saraのエレクトリックピアノ、橋本のハーモニカ、そしてオルゴールギターによる完全即興演奏は、来場者の関心と無関心が混在して歪んだ空間の位相をほんの少し清浄化するアンビエント・ミュージック(環境音楽)として成立していた。持ち前の激烈な自己表現を封印して、絵画や彫刻に近い抽象性と物体性を詳らかにするパフォーマンスだった。初めて彼らの生演奏を観た時に感じた「場を演奏する音楽ユニット」という印象は変わらない。

芸術は
爆発なのか
地下なのか

【灰野敬二出演】


HAINO/FUJIKAKE/MoE/RASMUSSEN
4月15日(月)荻窪Club Doctor
open 19:00 start 19:30
Adv. 2500 yen / Door 3000 yen
e-plus https://eplus.jp/sf/detail/2912140001-P0030001P021001

Keiji Haino  灰野敬二
Masataka Fujikake 藤掛正隆
MoE (from Norway)
Mette Rasmussen (from Denmark)

●この記事は下記ブログからご寄稿いただきました。
[A Challenge To Fate]

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